成田好三のスポーツコラム・オフサイド

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宮本武蔵『三十五箇条』現代語訳

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 (19)影を動かすという事

 影とは太陽の影のこと、目に見える動きのことである。

 敵が太刀を後ろにしたりして(太刀を見えないようにして)体を前にだして構えるときは、心は見えない敵の太刀をおさえ、体は自然体にして、敵の動きの兆しがあるところを、我が太刀で打てば、必ず敵の体が動き出すものである。

 敵が動き出せば、勝つことは簡単なことである。以前はそうはしなかった。今は、こだわってしまう心を嫌い、敵の動きの兆しをみて打つ。よくよく工夫してみることである。

 見えないものを見る

 【やぶにらみ解説】
敵の動きではなく、敵の動きの前の兆しを察知して動けと、武蔵は言っています。敵の動きの前の兆しを察知しろということは、どういうことでしょうか。動きに入る前の気配(気)を、「第六感」も含めた「感覚」で感じろということでしょう。

 「不思議なのは私でもなく、あなたでもなく、不思議なのは私とあなたの関係」ということでしょう。詩人の田村隆一は、彼の詩の一編『村の暗黒』で、「見えないものを見るのが 詩人の仕事なら 人間の夏は 群小詩人にとって地獄の季節だ」とうたっています。武蔵は常に「見えないものを見ろ」と語っています。

 (18)陰を押えるという事

 敵の身の内(目に見えない部分や動き=陰)を見れば、心の余っているところ(強く備えが十分なところ)と、心の不足しているところ(弱く備えが不十分なところ)があることが分かる。

 心の余ったところに注意して、心の不足しているところが反映されている部分を攻めれば、敵は体勢やタイミングをはずしてしまい、用意に勝つことができる。

 けれども、わが心を残し、攻める部分を十分に見極めることが肝心である。このことはよくよく工夫すべきである。

 弱点は得意のコースのすぐ隣にある

 【やぶにらみ解説】
「陰」とは、目に見えない心の動きのことです。目に見えない動きを読めということです。

 ところで、武蔵は面白いことを言っています。「心の余っているところ」「心の不足しているところ」があることも良くないということです。「心の不足しているところ」は誰でも分かりますが、両者ともバランスが崩れているということです。

 野球では、打者のウイークポイントは得意のコースのすぐ隣にあるということと、何か関連性があると思います。あまりに得意コースをもつことは、逆に弱点をもつことになるということです。

 (17)剣を踏むという事

 敵の太刀の先を足で踏みつけるという心である。敵の打ちかかる太刀のいきつく先を、我が左の足で踏みつける心である。

 踏みつけるとき、太刀でも、体でも、心でも、先に仕掛ければ、どのようにも勝つことができる。この心がなければ、ばたばたとして、うまくいかない。足はゆったりとしていることもある。

剣を踏むことは何度もあることではない。このことはよくよく工夫すべきである。

 ほんの少し時間差をつけて「先手」を取る

 【やぶにらみ解説】
相手(敵)の攻撃の後でもなく、相手の攻撃と同時に攻撃するのでもありません。相手の攻撃にわずかの時間差をつけて攻撃しろと、武蔵は言っています。それが「剣を踏む」ということです。

 現代の格闘技などのスポーツ、あるいはスポーツ以外の社会生活にも応用できる考え方ではないでしょうか。

 相手に遅れを取ってしまっては、行動(動作)がバタバタしてしまい、「後手」を踏んでしまいます。相手と同時にぶつかってしまっても、力量が同程度なら、いわゆる「四つに組んだ」状態になってしまいます。

 相手の行動(動作)からほんのわずかだけ時間差をつけて行動します。その際は、心も体も道具もそうしなければなりません。そのことによって、一般常識とは逆に、「先手」を取ることができるのではないでしょうか。

 【はしやすめコラム・その4】明暗を分けた朝青龍と魁皇

 大相撲九州場所で、優勝争いの最大のヤマ場は、12日目(11月25日)の魁皇―雅山戦、朝青龍―若の里戦の2つの取組でした。

 初日から無敗で走ってきた横綱・朝青龍は11日目に、同じモンゴル出身の若手・白鵬に敗れました。大関・魁皇は初日につまずいた上、10日目やはり白鵬に敗れ2敗目を喫し、横綱昇進のためにはもう1敗もできない立場に追い込まれていました。

 12日目、結び前の一番で、魁皇は関脇・雅山の一気の押しに、あっさりと土俵を割り、綱取りは絶望的になりました。

 結びの一番で、1敗で並ぶ関脇・若の里と対戦した朝青龍は、立ち合いから厳しい完ぺきな取り口で、好調の若の里を寄せ付けませんでした。

 魁皇にとっては、朝青龍が1敗目を喫した後の12日目は、朝青龍との直接対決以上に重要な取組でした。直接対決がある千秋楽では、既に優勝は決まっているかもしれないからです。事実、結果はそうなりました。しかし、そんな大事な一番に、魁皇は力をまったく発揮できませんでした。

 朝青龍は、魁皇の敗戦を土俵下で確認した上で土俵に上がりました。この一番が今場所で最も大事な一番であることを十二分に承知していました。若の里が強敵であることを見極めた上で、相手に相撲を取らせず完勝しました。

 この2つの取組で、勝負師としての朝青龍と魁皇の力量の差が大きくでました。

 朝青龍は渡を越しました。一方、魁皇は自ら崩れ、渡を越せませんでした。

 朝青龍は、相撲というより格闘技の天才でしょう。あのスピード、技の切れ、勝負勘、戦いの全体を見通す力―。そのいずれをとっても現役力士の中では、群を抜いた存在です。

 現役力士の中で朝青龍とまともに戦えるのは魁皇だけでしょう。しかし、勝負師としての能力では、魁皇は朝青龍に歯が立ちません。

 朝青龍の圧倒的な実力と、大相撲ファンの不興を買うこれまた圧倒的な不人気は、朝青龍だけでなく大相撲にとっても大きな「悲劇」と言えるのではないでしょうか。

 朝青龍は近い将来、大相撲の世界を飛び出してしまう。何故かそう思えてなりません。

 【注】このコラムは2004年11月に書いたものです。

 (16)2つ足という事

 2つ足とは、太刀を1つ打つうちに、足は2つ運ぶということである。太刀に乗り、はずし、継ぐも引くも、足は2つ運ぶということである。

 太刀を1つ打つのに、足を1つずつ運んでいては、体の動きが止まってしまい、自由がきかなくなる。2つ足を運ぶということは、常に歩くような足の使い方をすることである。このことはよくよく工夫すべきである。

 ジダンやロナウジーニョの足さばき

 【やぶにらみ解説】
1つの動作をする際に足は2回使えと、武蔵は言っています。現代の常識とは逆の考え方です。現代の剣道では、竹刀を1回打ち込む際の足の動きは1回です。柔道でも空手でも、欧米で発達したボクシングでもそうです。

 しかし、この現代の常識では、相手(敵)に動き(心の動きも含めて)を簡単に読まれてしまいます。また、1つの動作に1つの足運びでは、動作がパターン化されてしまいます。

 ジダンやロナウジーニョなどサッカーの名選手が、ドリブルで相手を抜く(相手を抜いてシュート、あるいは意外な方向にパスをだす)シーンを思い出してください。

 彼らは例外なく複数の複雑な(パターン化されない、相手に読まれない)足さばきをしています。彼らの足さばきからは、次の動作や、動作のもとになる心の動きを読むことは極めて困難です。


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