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(10)糸とかねという事
平常時であろうと、敵と対したときも、剣を交えたときも、糸(直線も曲線も描けるもの)とかね(矩=矩尺、直角に曲がった金属製のものさし・常に直線であり曲がらないもの)をこころの中に持つべきだ。
相手の心に糸をつけてみれば(相手の心と相手の五体を糸でつなぎ、その糸を見れば)、その糸の突っ張り方が強いところ弱いところ、糸がまっすぐなところ歪んでいるところ、糸が張っているところたるんだところがある。
それを自分の心の中の矩尺をまっすぐにしてその糸に当ててみれば相手の心が分かる。
その矩尺を以ってすれば、円い物も角張ったものも、長いものも短いものも、歪んでいるものもまっすぐなものも知れる。その糸と矩尺が自分にとってどういうものか、つまり相手を分析する方法を自分で探し相手の長所、短所の見抜き方をよく工夫しなさい。
2つの座標軸、判断基準を同時にもつ
【やぶにらみ解説】相当に高度な分析法のようです。相手を知るためには、自分の中に2つの、しかも相反する座標軸をもつべきであると、あるいは、まったく違った判断基準を持つべきであると、武蔵は語っています。「糸」と「かね」はそのことを象徴する言葉として使われています。
相反する座標軸や判断基準を同時にもつことは、ちょっと考えただけでは邪魔なことのように思われます。しかし、本当にそうでしょうか。たった1つの判断基準をよりどころにしての行動は、正しい結果を生むでしょうか。
小泉首相は「ぶれない政治家」だと言われています。発言や行動に一貫性があるということでしょう。しかし、彼の一貫性は、矮小な歴史観、国家観と類稀な政局観に支えられているように思われます。彼は、極めて複雑に、複合的に構成されている社会を、多次元の視点でとらえて、判断しているのでしょうか。強い疑問を感じるのは、筆者だけでしょうか。
社会の変化が激しく、しかもマスメディアによる強制的とも思える世論形成力が強まった現代では、1つの判断基準、1つの座標軸だけでは、自らを支えることはできません。一見して矛盾するような2つの判断基準、2つの座標軸をもつことは、急激に変化する環境に対応するためには有効はことではないでしょうか。
人間は、2つの目でものを見て、それが何であるか、何処にいて、次に何処に動くのか、判断しています。2つの目があってこそ「遠近」が分かるのです。
複雑な環境に対応するためには、武蔵の言うように「糸」と「かね」が必要になります。その能力を獲得し、維持することは、現代社会ではますます難しくなってきています。
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