成田好三のスポーツコラム・オフサイド

スポーツ全般をテーマに新たな視点からスポーツの面白さや様々な課題に焦点を当てたコラムサイト。無料メルマガも配信中です。

01年のコラム

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

 日本のプロ野球から大リーグに挑戦したイチローの一年間を追ったNHKのドキュメンタリー番組の冒頭に印象的な場面が二つあった。一つはマーク・マグワイアとの対面シーンだ。NHKがお膳立てしたのだろう。約束の時間を過ぎても姿を見せないマグワイアを不安そうに待つイチロー。対面がかなって素直に喜ぶイチローとマグワイアが同じ画面に映り、ポパイのようなマグワイアの腕とイチローの細い腕が重なり握手を交わす。イチローは、こんなとんでもない大男たちと真剣勝負をするために米国にやって来た。そう直感できる印象的なシーンだ。

 もう一つは、ボストン・フェンウェイパークでのイチロー。ボストン・レッドソックスの本拠地で、レフトに巨大な壁・グリーンモンスターがあるフェンウェイパークは、現在使用されている球場としては最古の施設だ。イチローはここで、スコアボード裏に入る。この球場ではまだチーム名やスコアを手作業で張り出す。古色蒼然と形容するより、一言で汚いと言った方がいい作業場の壁は選手たちの落書きでいっぱいだ。その壁にイチローのサインも加わった。この冒頭の二つの場面は、大リーグがもつ長い伝統と、もうひとつはここ数年のパワー野球を象徴するものだったのだろう。

 大リーグはいま、伝統に回帰しようとしている。球場の形態も昔に戻ろうといている。日本で主流のドーム球場と人工芝のセットはもうはやらない。ドームも開閉式が多くなり、天然芝に張り替えられた。球 場はそれぞれ個性的な形態をしており、テレビ中継で見ても、少し慣れてくればどの球場かすぐ分かる。球場は左右対称とは限らない。外野席のあるはずのゾーンの一部が、巨大な岩石を積み上げた石庭のようになっている球場もある。ある球場などは、バックスクリーンがホームに正対していない。フェンウェイパークのような個性を主張する球場が増えている。

 野球の中身も実は変わってきている。ここ数年は豪快な本塁打が注目を集めてきた。何十年と破られなかった記録をマグワイアやサミー・ソーサが毎年のように更新してきた。今年はバリー・ボンズがまた彼らの記録を塗り替えた。しかし、華々しい「アーチ合戦」の裏で、大リーグ野球は確実に変化してきた。
その例を少しだけ挙げよう。大リーグを代表する選手は本塁打を量産するマグワイアたちではない。いま最も「旬」の選手は遊撃手たちだ。大リーグでも少し前までは、遊撃手は打撃には目をつぶっても守備のいい選手を使うのが一般的だった。「オズの魔法使い」と称されたオジー・スミスがその代表的な選手だった。しかし、いまは違う。走攻守ともずば抜けた能力をもち、かつスター性の強い「スーパー遊撃手」の時代になった。

 今年、四連覇達成をアリゾナ・ダイヤモンドバックスに最後の最後に阻止されたニューヨーク・ヤンキースを代表する選手は、四番打者のバーニー・ウイリアムスではなく、二番打者のデレク・ジーターだ。そしてジーターの最大のライバルはレッドソックスのノーマ・ガルシアパーラであり、テキサス、レインジャーズのアレックス・ロドリゲスだ。彼らはいずれも遊撃手であり、守備はもちろん打撃も走塁も跳びぬけた才能を発揮する。

 もう一つは、大投手の時代だということだ。今年のワールドシリーズ。ヤンキースは、ある一点を除いてはほとんどあらゆる面でダイヤモンドバックスを上回っていた。その一点とは、試合を託せる絶対的な大投手がヤンキースには一人しかいなかったのに対し、ダイヤモンドバックスには二人いたことだ。ロジャー・クレメンスとランディ・ジョンソン、カート・シリングのことを言っている。ダイヤモンドバックスが勝つためにはジョンソンとシリングで2勝ずつ挙げるしかないと思っていた。記録上はジョンソン3勝1セーブ、シリング1勝だったが、実質的には二人で2勝ずつ挙げたと言える。クレメンス、ジョンソン、シリング、それにレッドソックスのペドロ・マルチネス。彼らはたった一人でゲームの展開を決めてしまう。言い換えれば、彼らは自分だけの力でゲームを「創造」してしまうのだ。

 ワールドシリーズ最終戦(第7戦)の最後の場面は暗示的だ。クレメンス、シリングの壮絶な投手戦となったこの試合、ヤンキースはいま最高のクローザー、マリアーノ・リベラへ、ダイヤモンドバックスはジョンソンへつないだ。神様が描いた「最高のシナリオ」だろう。9回裏、1点差を追うダイヤモンドバックスは満塁で強打のルイス・ゴンザレスが打席に立つ。リベラのくせ球にかろうじてバットを合わせたゴンザレスの打球は、勢いのない小飛球になった。その小飛球が前進守備のジーターの後ろに落ちて、世紀の決戦の幕は降りた。ゴンザレスに強打者の誇りなどといったつまらない感情はない。その瞬間、喜びを爆発させていた。

 今年のワールドシリーズに本塁打を量産する長距離打者の出番はなかった。ヤンキースはもともとそうしたチーム構成ではないし、唯一その役割を期待されたデイビッド・ジャステスはまったく機能しなかった。ダイヤモンドバックスも長距離打者の一振りが試合を決めるチームではなかった。試合を決めたのは、ゴンザレスの何とも情けない一振りだった。

 イチローのアメリカンリーグ・新人王が決まった。首位打者、盗塁王、ゴールデングラブ賞、新人史上最多安打―。本塁打王、打点王など長距離打者部門を除き、ほとんどすべてのタイトルを獲得したイチローに、新たな勲章が加わった。イチローは今年、大リーグに「スピード」と「スリル」、そしてそれらを生み出す「技」の価値を再認識させた。イチローは外野手だが、ジーターやガルシアパーラたちと同じく、「驚くべき遊撃手」たちの係累に属する選手だ。あるいは、その「発展系」かもしれない。クレメンスやジョンソンら大投手と、ジーター、ガルシアパーラ、ロドリゲス、そしてイチローらが対決する。それが大リーグの最大の「売り物」になっていくのだろう。

 イチローの新人王獲得と前後してマグワイアの引退報道が流れた。時代は変わる。ワールドシリーズが暗示したものとともに、この二つのニュースは大リーグの新しい流れを象徴しているのではないだろうか。(2001年11月13日)

 今季、2001年のシーズンを最後にプロ野球、読売巨人軍(ジャイアンツ)の監督を退任した長嶋茂雄氏は、戦後の日本スポーツ界が生んだ最大のスーパーヒーローだ。東京六大学リーグ(立教大)時代からスターだった長嶋氏は、読売入団後にスーパーヒーロー、つまり「特別な選手」になった。プロ野球選手としての戦績は、ハンク・アーロンの755本塁打を超えた僚友の王貞治氏に及ばない。400勝投手の金田正一氏も、3000本安打を放った張本勲氏も記録の上では長嶋氏を上回る戦績を残している。しかし、長嶋氏は彼らをはるかに上回る特別な選手だった。このことに異論をはさむ人はほとんどいないだろう。

 長嶋氏が特別な選手だった理由は、よく言われるように「記録」よりも「記憶」に残る選手だったからだ。この場合の「記憶」とは何だろう。戦後の日本人は大人であれ子どもであれ、長嶋氏により、野球という米国生まれのスポーツに新たな「価値」を発見した。長嶋氏が球場内で放つ独特の雰囲気、独創的なプレーと走攻守にわたって見せる派手なパフォーマンスによって、野球は創造性の高いスポーツであることに気付いたのだ。

 長嶋氏は野球人として三度、「引退」した。一度目は現役引退で、すぐ巨人軍の監督に就任した。二度目はあの「監督解任劇」だ。そして今回が三度目の引退となった。もう二度と、公式戦での長嶋氏のユニホーム姿は見られないだろう。
 読売グループから巨人軍監督を解任され、「浪人」生活を送っていた時代に、長嶋氏はゲートボール協会、トライアスロン協会など数え切れないほどの団体の長を務めていた。いずれも実権はない「名誉職」だったはずだ。そして、不思議な「現象」が起きた。いわゆる、長嶋氏の「文化人宣言」だ。たぶん、長嶋氏本人が言い出したことではないだろう。数多い取り巻きたちが使い出し、マスコミを利用して広めた言葉だろう。

 この「文化人」という言葉は気にくわなかった。野球人が、選手としての立場を離れ、さらに指導者としての立場を離れてから文化人になる。そんな言葉の使い方は、どう考えてもおかしい。絵を描けなくなった画家が文化人になる。小説を書けなくなった作家が文化人になる。そう表現するのは間違いであるように、現役を退いた野球人(選手)が文化人になる―長嶋氏の場合はまつりあげられたのだろう―ことはおかしい。文化的価値をいま創造している人たちが文化人なのであり、過去に創造した人たちは、かつての文化人なのだ。あるいは、長嶋氏を文化人にまつりあげた人たちは、野球、もっと広く言ってスポーツを文化の一形態だとはみなしていなかったのだろうか。

 NBA(米プロバスケットボール)のスーパースター、マイケル・ジョーダンが現役復帰した。シカゴ・ブルズ時代に二度引退(一度目の引退後は大リーグに挑戦)したジョーダンにとっては、二度目の現役復帰だ。ジョーダンの復帰会見は同時多発テロの影響で中止になり、メディアにFAXを流すことでその代わりとした。結果的に会見中止は、ジョーダンにとっては幸いだったはずだ。会見をすれば、米国ばかりでなく世界中のメディアからの質問攻めに遭っただろう。現役復帰に否定的な記者の辛らつな質問に、ジョーダンはどう答えただろうか。

 突然、ジョーダンの復帰会見のシナリオを書きたくなった。彼にこんなことを言わせたくなったからだ。

―スポーツは人類共通の文化である。世界中どこにいっても、スポーツをしない子どもたちはいない。もし子どもたちがスポーツをしないとしたら、その社会のあり方が間違っているのだ。また、スポーツは一義的に云えば競技者のためにある。プロスポーツの場合は、競技者と彼のプレーを」「共有」する観客のためにある。指導者やチームの経営者のためにあるのではない。彼らは競技者と観客の仲立ちをする「サポーター」だ。そして、スポーツが文化ならば―スポーツが文化ではないなら、あらゆる文化の領域も文化ではないことになる―、その創造者は間違いなく競技者である。だから、私は、競技者として、バスケットボールという文化に新たな価値を加える創造者としていまコートに還って来た―

 ジャーダンはもちろん、こんなことは口にしないだろう。だが、耳に心地よいことを言っても心の底ではスポーツを文化とみなさない日本の現状をみていると、ジョーダンにこんなことを言わせてみたくなってしまう。引退後の長嶋氏を文化人にまつりあげてしまう取り巻きとマスコミ。テロリストの脅しに屈して海外派遣を簡単に取りやめてしまう競技団体。いつまでたってもスポーツを学校と企業の枠から抜け出させようとしない権力者たち―。彼らにとっては、スポーツは彼らのために何かの役に立つ「道具」にすぎないのだろう。(2001年11月13日)

 日本最大の(あるいは世界最大の)販売部数を誇る読売新聞の社長であり、プロ野球の盟主を自認する読売巨人軍(ジャイアンツ)のオーナーでもある渡辺恒雄氏。政治部記者出身の彼は中曽根康弘元首相の盟友でもあると言われ、現実政治にも隠然とした影響力をもつ。現代日本における有力な権力者の一人と言って間違いない人物だろう。

 新聞経営者や政界のフィクサーとしての立場以上に彼は、マスコミに頻繁に登場する。読売巨人軍オーナーとしての立場でだ。テレビやスポーツ新聞での彼の言辞は、聞くに堪えないほどの身勝手なものが多かった。野茂英雄が大リーグに挑戦する際の彼の発言は「罵詈雑言」に近かったと記憶している。読売が親会社だったサッカーJリーグ、ヴェルディ・川崎(当時)をめぐる彼とJリーグ・チェアマン、川渕三郎との対立(けんかのようなものだ)で、彼はスポーツ界における「守旧派」の立場を鮮明にした。―時代がどう変わろうと、読売巨人軍がプロ野球界の、さらに日本のプロスポーツ界の盟主であればよい―。

 彼の発言とその影響力によって、プロ野球のドラフト制度は「反ドラフト制度」にその中身を変えた。大学生、社会人の1位、2位指名枠に限り、選手が球団を選択できる―。こんな論理的に矛盾しているドラフト制度は、世界中探しても、どこにもないはずだ。

 プロ選手の参加が初めて認められた2000年のシドニー五輪の野球競技も、彼の強い影響力によって「中途半端なプロ参加」に終わってしまった。パシフィック・リーグ6球団はは中村紀洋(大阪近鉄バッファローズ)、松坂大輔(西武ライオンズ)らトップ選手を参加させたが、セントラル・リーグは一流選手を誰一人送り出さなかった。渡辺氏の傘下にある読売巨人軍の松井秀喜選手の出場は到底無理だったとしても、本人が強く望み、所属球団も参加させることに前向きだった古田敦也(ヤクルトスワローズ)の出場も強引に阻んでしまった。その結果(そうとしか思えない)、日本は五輪でのメダル獲得を逃した。

 シドニー五輪の結果にはもう一つ、渡辺氏にとっては苦い「副産物」があった。五輪出場がオーナー命令でかなわなかった松井は2001年のシーズンを通して、苦虫を噛み潰したような顔をしてプレーしていた。首位打者は獲得したが、松井のトレードマークである、とてつもない飛距離を記録する豪快な本塁打は陰をひそめた(とくに前半戦)。セ・リーグ各球団の、松井に本塁打を打たせまいとする攻めも異常なほどだった。あんな攻めを繰り返していたのでは、セ・リーグの野球が面白くなるはずもない。

 さらに読売巨人軍は2001年のセ・リーグの優勝争いで、シドニー五輪への出場を阻んだ古田の執念に最後にねじ伏せられてしまった。ひざのけがをおしての古田の強行出場がなかったら、ヤクルトのセ・リーグ優勝も、ましてや日本一もなかったろう。古田を強行出場に駆り立てたモチベーションの中に、2000年の「記憶」はなかったと言えるだろうか。

 読売巨人軍が拒んだシドニー五輪はさらに、プロ野球界に新たなヒーローを生んだ。大阪近鉄の中村だ。大阪、関西圏のミニヒーローだった彼は、シドニー五輪によって全国区になった。そして2001年、「本塁打を狙って打つ」豪快なスイングは多くのファンの目に強く焼きついた。2001年のプロ野球はどう見ても、セ・リーグよりパ・リーグが面白かった。パ・リーグの野球を引っ張ったのは日本最多タイの55本塁打を放った僚友、ローズととともに中村だった。

 前置きがだいぶ長くなってしまった。読売読売巨人軍オーナー、渡辺恒雄氏はついにある結論を下した。その結論は、日本のプロ野球史上例をみない「大英断」だった。

 読売のライバル紙で、渡辺氏にさんざんけなされてきた毎日新聞の10月31日付社会面に掲載された記事によると、渡辺氏は10月30日、読売巨人軍球団事務所で記者会見し、それまで日本テレビ系列が独占中継放送してきた主催ゲームの一部を、来季はNHK総合が中継すると発表した。記事は、試合終了するまで放映することが目的とした上で、今季の巨人(ジャイアンツ)戦の視聴率不振が、長年続いた「巨人―日本テレビ」の『蜜月関係』にヒビを入れることになった、と皮肉っている。

 「読売―日本テレビ」の関係が毎日が言うような『蜜月関係』かどうかは知らないが、両者は読売巨人軍とともに盛衰をともにする「運命共同体」的関係にあったことは確かだ。その関係が崩れ始めた。それは、少なくとも日本のスポーツ界とスポーツマスコミ界にとっては、それまではあり得ないことが起こったということになる。確実に時代は変わり始めた。(2001年11月2日)

 米国で起きた同時多発テロと米英によるアフガニスタン攻撃。既に現実のものになった炭そ菌をはじめ生物化学テロの恐怖が世界中に広がっている。そうした中で、世界選手権など海外で開催される国際大会への選手団派遣を中止する競技団体の決定が相次いでいる。手元にある新聞(10月19日付読売)によれば、日本体操協会は世界体操選手権と世界新体操選手権への選手団派遣中止を決定。日本水泳連盟も2002年3月までに開催される国際大会への選手団派遣を中止する方針を決めた。国際大会への選手団派遣の中止、見送りの決定は、日本ウエイトリフティング協会などほかの競技団体にも広がっている。

 こうした競技団体の決定には、異論ははさみにくい。「選手団の生命の安全が100%保証されない限り、日本からの参加は困難」(同日付読売、日本ホッケー協会の国際ホッケー連盟への申し入れ)。選手団が危険にさらされても国際大会へ参加すべきとは、部外者の立場から発言することは極めて困難だ。

 しかし、日本の競技団体はそうした態度を取っているだけで済むのだろうか。誤解を覚悟で言えば、彼らの態度には、日本の戦後社会に蔓延した無責任な「一国平和主義」のにおいがする。解説するまでもないが、「一国平和主義」とは、世界中がどうなっても日本だけは平和で安全であればいいという考え方だ。本来、そんな理屈は通らないはずだが、冷戦下で米国の「庇護」―良し悪しはともかくそうだった―のもとにあった日本だけで成り立っていた理屈だ。

 とりあえず米国に照準を定めたとしても、テロリストの究極の狙いは、世界中の文明国を「恐怖の連鎖」に落とし込むことにある。恐怖の連鎖によって、文明を形成するあらゆるもの―もちろんスポーツも含む―の連携を断ち切ることだ。国際大会への参加中止を相次いで決めた日本の競技団体は、テロリストの恫喝に屈服したことにはならないか。あるいは、競技団体は、テロリストのそうした狙いを十分に吟味した上で決定したのだろうか。日本では毎年、複数の国際大会が開かれている。選手団派遣を中止した日本体操協会、日本水泳連盟もここ1、2年の間に日本で国際大会を開催したばかりだ。ホスト国の立場はよく分かるはずだが、彼らはそうしたことも十分に配慮した上で選手団派遣の中止を決めたのだろうか。

 2002年5、6月には日本と韓国の共催でサッカー・ワールドカップ(W杯)が開かれる。テロと戦う姿勢も示さず、テロの恐怖だけで国際大会への選手団派遣を取りやめる国―。世界の各国にそう思われたとしたら、少なくとも日本でのW杯は失敗に終わるだろう。

日本オリンピック委員会(JOC)は10月24日の評議会で竹田恒和常務理事(53歳)を新会長に選出した。竹田氏は就任後の会見で、2002年冬季五輪への選手派遣について、「安全対策を十分にし、選手を送り込むのがJOCの使命と思う」と語った(10月25日付読売)。日本の競技団体は、もはや時代遅れでしかも理不尽な「一国平和主義」と決別できるのだろうか。(2001年10月25日)

 日本のスポーツ界最大のスーパースター、長嶋茂雄氏が、今季限りでプロ野球・読売巨人軍(ジャイアンツ)監督を退任する。長嶋氏は退任後、読売巨人軍の経営母体である「株式会社よみうり」常務から専務取締役に昇格し、読売巨人軍の「終身名誉監督」に就任する。

 1950年代始めに生まれた筆者は、ちょっと遅れてきた「長嶋世代」だった。2、3年早く生まれた先輩たちはみな熱狂的な「長嶋ファン」で、もっと正確に言えば「長嶋信者」だった。「巨人ファンではない」と言っても何とか許されたが、長嶋氏の悪口は絶対の「禁句」だった。

 長嶋氏の現役引退試合は学生時代、先輩の下宿で見た。現役最後に444本目の本塁打を放った試合の後、引退セレモニーが行われた。球場の照明が消え、マウンド上の長嶋氏だけにスポットライトが当たった。「読売巨人軍は永遠に不滅」という、彼のメッセージは、どれだけ多くのの日本人に焼きついただろうか。

 長嶋氏は実に不思議な人だ。あるいは、不思議な「オーラ」を背負った人だ。現役時代の彼の実績に口をはさむ余地はない。「記録」においては、僚友の王貞治にはとうていかなわない。だが、彼のプレースタイルは筆者を含め多くの日本人の脳裏に深く刻み込まれた。「長嶋氏の記憶なくして自らの青春時代を語れない」。引退試合をともに見た先輩はそう言っていた。

 ここで、「禁句」を語ることにする。現役引退後の長嶋氏は、自らを「喪失」したのではないだろうか。9連覇を達成して去った川上哲治氏の後を受けて青年監督に就任した「第一期監督時代」―V9でボロボロになった戦力を引き継ぎ若手に切り替えたが。読売グループには評価されなかった―。劇的な「監督解任」とその後の文化人と称された「華麗な浪人時代」―世界陸上での「ヘイ カール」。ゲートボール協会長などいわゆる「名誉職」をどれだけ引き受けたのだろうか―。読売グループに再度請われて就任した「第二期監督時代」―清原和博や江藤智などスラッガーを集め続けたが、クローザーはついに獲得できなかった―。いつも華々しい舞台に立っていた(あるいは立たされていた)長嶋氏だが、彼の横顔にはいつも、何か不思議な「悲しみ」が漂っていた。

 あえて言おう。それは自らを失ってしまった悲しみだ。どんなに華やかな舞台に立っていようと、現役引退後の彼は誰かに操られていた。誰かとは、ここで説明する必要もないだろう。巨大な組織体がいつも彼をコントロールしていた。

 長嶋氏の引退とともに、有力選手たちの多くが現役を退く。桑田真澄とともにエースとして長嶋氏を支えてきた斎藤雅樹、槙原寛己、そして捕手の村田真一らだ。彼らの引退はなぜか「殉死」のごとくにも見える。まだ現役として活躍できる力はあるのに、それを許されない。あるいは、自らの「限界点」以前に身を引くことの有利さを説得されてのことだろうか。

 長嶋氏はしかし、ついに「解放」されない。あるいはそれを自ら望まなかったのかもしれない。「終身名誉監督」とはいったい何だろう。読売グループの意図は分かりすぎるほど分かる。彼をグループにつなぎ止めておくメリットは計り知れない。だが、長嶋氏に何のメリットがあるのだろうか。彼は終身、読売の「呪縛」から逃れられない。自らその道を選んだのなら、それはそれで仕方のないことだが。

 長嶋氏の引退会見で、読売グループ以外の質問は認められなかったという。「国民的ヒーロー」は、今後も「囚われの道」を選択した。(2001年9月30日)

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事