成田好三のスポーツコラム・オフサイド

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01年のコラム

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 9月30日に行われたベルリン・マラソンの女子の部で、シドニー五輪金メダリストの高橋尚子が2時間19分46秒の世界最高記録で優勝した。シドニーの後、世界最高記録更新と「2時間20分の壁」への挑戦に狙いを定め、きっちり1年後に目標を達成した。小出義雄監督とともにその目標を公言していたことから、高橋の目標は、いわば「公約」のごとく社会に受け止められていた。その困難な目標、公約をいとも簡単に―そう見えてしまうほど軽やかな走り―達成してしまった。

 ベルリンでの高橋の走りにけちをつける人はまずいないだろう。どんな皮肉屋やあら捜しの名人でも、口をつぐんでしまう。見る人誰もを圧倒する42・195キロだった。こんなことを書くと、素人に何が分かると難癖をつける人が必ず出てくる。しかし、超一級のアスリートのパフォーマンスに予備知識はいらない。サッカーのエリック・カントナの独創的なプレーや、ベースボールでノーラン・ライアンが投げる打者の手前でホップする剛速球は、彼らの名前さえ知らない、ずぶの素人さえ圧倒する。高橋の走りにも、超一流のパフォーマンスがあった。

 高橋が走ったベルリン・マラソンは民放のテレビ局が生中継した。日本時間で日曜日の午後4時スタートという絶好の放送時間にも恵まれ、番組はかなりの高視聴率をマークしたはずだ。当日夜と翌日朝のテレビニュースもベルリンでの高橋の快走を大きく取り上げた。翌日の新聞もスポーツ面ばかりでなく一面や社会面にも大きくスペースを割いた。ニュース価値からいってもしごく当然の扱いだろう。

 米国で起きた同時多発テロから、超大国とテロリスト、テロ支援国家との新たな形態の戦争に突入する寸前という世界情勢。構造不況から抜け出す道を見出せないままでいる日本。高橋の走りは、少し大げさに言えばわずかに残された「希望の灯」のようなものだった。

 しかし、高橋の走りを伝えた日本のマスコミと日本陸連の姿勢には強い疑問を感じた。テレビの映像があれほど明確にペースメーカー(ラビット)とガードランナーの姿を映し出したのに対し、生中継したテレビも、その後のテレビニュースも、そして翌日の新聞でさえも、ペースメーカーの存在とその役割をきちんと伝えていなかったからだ。

 テレビも新聞も、ペースメーカーとガードランナーについて、それなりにはコメントしていた。マラソンにおけるペースメーカーの存在を、いわば「タブー化」してきた日本のマスコミにとっては、それは画期的なことだったのかもしれない。だが、高橋がベルリンではなく日本国内で走ったなら、マスコミの扱いはどうだったか―。

 しかし、2時間20分近くテレビ映像に付き合った視聴者や、その「体験」をテレビニュースや翌日の新聞で確認しようとする視聴者や読者に対して、十分な対応だろうか。日本陸連にしても自ら、あるいはマスコミを通してペースメーカーの存在とその意味をきちんと語るべきだ。ついにその時がきたと思う。多くの日本人が高橋の走りを「共有」した今となっては、もうごまかしはきかない。

 世界の主要なマラソン大会はペースメーカー(ラビット)のいる大会と、彼らのいない大会に大別できる。五輪や世界陸上、アジア大会などは、国家(香港など国家とみなされる地域)単位で選抜された選手しか出場できないから彼らは存在しない。ボストンやベルリンなどの公式大会以外の世界の主要なマラソン大会は、彼らの存在なしには語れない。彼らはレースの主催者から雇われ、高記録を生むためにレースを引っ張る。

 朝日国際や東京など日本の大きな大会もペースメーカーは存在する。テレビ中継を注意深く見ていれば、何らの予備知識なしでも彼らの存在に気付くはずだ。外国招待選手の中に全盛期を過ぎたり、フルマラソンの完走記録のない選手がいる。彼ら(彼女ら)は先頭集団のトップを走り続ける。そして30キロ、あるいは35キロあたりで突然リタイアする。テレビ中継では時折、アナウンサーや解説者が彼らについてコメントしようとして口ごもったり言葉を飲み込んだりする。彼らがペースメーカーだ。

 余談になるが、高橋がシドニー五輪出場を手中にした2000年の名古屋で面白い光景を見た。ペースメーカーが高橋の走りについていけず、必死になって追いかけていた。ペースメーカーの調子がよほど悪かったのか。それとも主催者が報酬をけちった結果なのか。男子マラソンで、「30キロ、あるいは35キロまでは超一流」とマスコミで評されたランナーがいた。しかし、ペースメーカーの存在を知ってしまえば、彼は真の意味でチャンピオンシップを争うマラソランナーではなかったことが分かる。

 日本のマラソン中継で、アナウンサーや解説者がきちんとした言葉でペースメーカー(ラビット)と言及したのは、今年春のびわ湖毎日マラソンでのNHKのラジオ放送しか記憶にない。彼らにしても中継後半ではその言葉を使うことをやめてしまった。新聞にしても、ペースメーカーの存在とその意味をきちんとコメントした記事にはお目にかかったことはない。

 マラソンに限らず、日本では関係者だけに周知し、一般人には知らせない事例が多すぎる。国家の政策にしても、政治家と高級官僚、業界との話し合い(これを談合と言う)で決まり、一般国民にはその結果だけを伝達する。もうそんな時代ではない。みんなが物事の内情や背景まで知った上で自らの意思で判断する。ペースメーカーの存在にしても、競技団体やマスコミは情報をきちんと公開すべきだ。もし彼らがそうできないとしたら、彼らは一般国民を「愚民」だと認識しているということになる。

 ペースメーカーの存在を知っていれば、高橋が1998年のアジア大会で記録した「2時間21分47秒」は、ベルリンで記録した世界最高記録に劣らないとてつもない記録だということが実感できる。男女とも歴代の世界最高記録は、五輪や世界陸上で達成されたためしがない。真夏の開催が多くなったことや、選手が特に勝負にこだわることもあるが、一番の要因はこうした大会にはペースメーカーが出場できないことだ。

アジア大会で高橋はバンコクの猛暑の中「一人旅」を続け、しかも35キロあたりまで当時の世界最高記録を大幅に更新するペースを保った。しかし、高橋はこの時、もう一つの「大きな壁」と戦っていた。高橋が走ったアジア大会もペースメーカーはいなかった。(2001年10月1日)

 若いころジャズにこっていて、暗いジャズ喫茶に入り浸ったり、なけなしの小遣いをはたいて輸入版を買いあさったりしていた。ライブハウスやコンサートには行かず、レコードばかり聴いていた。

 そのころ、ジャズ好きの先輩から忠告を受けた。概略、こんな趣旨だったと記憶している。「一流の演奏家の名盤をレコードで聴くより、二流(三流)の演奏家のライブ(生演奏)を聴いた方が絶対にいい。音楽は生に勝るものはない。レコードの音楽は封印された、いわばもう生きてはいない音楽だ。おまえはどうして死んだ音楽ばかり聴いているのだ」

 当然、反論した。「ジョン・コルトレーンやエリック・ドルフィーの、その時の演奏が私を刺激するのだから、その刺激は二流の演奏家のライブでは得られない」。だが、ようやく重い腰を上げてみた。ライブを聴いてみて、先輩の忠告の意味はよく分かった。

 音楽、もっと正確に言うと、コンサート会場やライブハウス全体を包み込んでしまう「サウンド」には、絶対に機械では再生できない「何か」が存在する。

 1998年のサッカー・ワールドカップ(W杯)―フランスで開催されたこの大会で日本は「紆余曲折」の末、悲願の初出場を果たしたが、決勝トーナメント進出はならなかった―。

 決勝は開催国・フランスと「王国」・ブラジルとの間で争われた。結果は皆さんが存知のとおり、フランスが圧勝した。ブラジルのエースストライカー・ロナウドの驚くほどの不調と、フランスの司令塔・ジダンの圧倒的な活躍。両国を代表する二人の「明暗」が試合を、そして二人の「近未来」を決定的に分けた。その後もけが続きのロナウドと世界的な英雄となったジダン―。

 この試合だけはどうしても見逃せないと思っていたのだが、仕事の関係で「ライブ」では見られない。それでビデオに収めて後でじっくり観戦することにした。

 だが、このビデオをただの一度も再生した記憶がない。あれほど見逃すまいとしたフランスW杯決勝の録画を見る気がしなくなっていた。決勝は日本時間の深夜から未明にかけて行われたはずだ。朝からテレビは一般・スポーツニュースともW杯決勝戦のハイライトシーンを何度も何度も繰り返した。ハイライトシーンが頭の中に焼き込まれていくうちに、ビデオ再生の意欲はすっかりなくなっていた。そのビデオテープはいまもテレビのラックの中に残っているはずだ。あるいは家族が上書きしてアニメ映画か何かを記憶しているのか。

 おかげで、フランスW杯の記憶はテレビ局のディレクターが構成した「ハイライトシーン」がわずかばかり残っているばかりだ。つまり、私にとっては何のインパクトもない試合になってしまった。逆に言えば、誰かが構成したハイライトシーンなど記憶に深く刻み込まれない方がいい。

 フランスW杯の決勝を「ライブ」で見たとしても、それは本当のライブではない。テレビで複数の誰かの目を通しての「擬似ライブ」にしかすぎない。しかし、テレビを通してだとしても、同じ時間を共有していれば、自分なりの「その時」を構成できる。フランスW杯決勝をライブで見なかった記憶は、先に紹介したジャズファンの先輩の「忠告」を蘇らせた。

 スポーツを「ライブ」で見ることは常に、新しい「発見」への挑戦だと言える。ほかの誰のものでもない、あなただけの「真実」がそこにみつかるかもしれない。(2001年9月12日)

 プロ野球・パシフィック(パ)リーグ、日本ハムファイターズの一番打者、小笠原道大が8月27日に、17試合連続得点というプロ野球新記録を達成した。従来の記録は呉昌征(毎日)が1950年に達成した16試合。51年ぶり、半世紀を超えての記録更新だった。プロ野球史上に残る大記録は、惜しくも翌28日にストップした。

 筆者は呉が記録を達成した2年後の1952年に生まれた。呉の名前は何かの本で読んだような気はするが、はっきりした記憶はない。呉はチームやリーグを代表するスラッガーではなく、渋いバイプレーヤーだったと思う。今のプロ野球ファンの多くは、呉どころか、「毎日」という名前の球団があったことさえ知らないだろう。

 戦後の混乱期から残っていた、ほとんど更新不可能と思われていた「大記録」を、極めて複雑にシステム化された現代野球の中で、小笠原は軽々と更新した。そうだ―。小笠原はこの大記録を「軽々と」更新したかのようにみえる。日本のスポーツメディアが彼の大記録更新にほとんど注目していなかったからだ。小笠原が記録更新を目前にしていたことなど事前にはほとんど伝えなかったし、記録更新後の扱いも実に地味なものだった。スポーツ紙は1面どころか、パ・リーグを扱う面の中ほどに「それなりに」この大記録更新を取り上げていた。一般紙も記録を「おさえておく」程度の扱いだった。

 閑話休題(それはさておき)―。小笠原道大は、「謎」に満ちた選手だ。プロ入り後の成績をちょっと調べてみて驚いた。1997年にNTT東日本からドラフト3位で入団。つまり、近年の野球エリートである「逆指名」選手ではない。99年、2000年と2年連続で135試合にフル出場、99年は打率3割2分9厘、本塁打25本、00年は打率3割1厘、本塁打31本をマークした。しかも99年は一塁手としてベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞、00年には182安打を放ち、リーグ最多安打を記録した。

 小笠原はファイターズ、パ・リーグどころか、日本を代表するスラッガーだった。しかも、これからどこまで伸びるのは判断がつかないほどの、「発展途上」の選手だ。今季の小笠原は、連続試合得点の大記録を更新したほか、連続試合出塁の球団記録も更新中(8月28日現在)だ。しかも、7年間にわたってイチローの「指定席」だった首位打者争いでもトップを走っている。パ・リーグの強打者にとって、首位打者獲得は「悲願」だろう。イチローのためにどうしても届かなかったこの勲章を、西武ライオンズの松井稼頭央をはじめリーグの強打者が目も色を変えて狙っているはずだ。

 そんな小笠原がなぜ、スポーツメディアから注目されないのか。彼が所属するファイターズがパ・リーグにあるためなのか。今季、チームが開幕からリーグ最下位の位置にあり続けているにしても、あまりに寂しすぎる扱いだ。さらに、かつて「ビック・バン」と称されたファイターズ打線の中で、今季も含めここ3年間でチーム最高の打撃成績を残している彼が、スラッガーの「指定席」である三番、四番打者ではなく、「恐怖の二番打者」(最近は一番打者)なのか―。ファイターズの熱心なファンなら知っているだろうが、筆者も含め多くのプロ野球ファンにとっては「謎」のままだ。

 どうしてこんなことになるのだろう。今季のプロ野球は、だれが見てもパ・リーグが面白い。セントラル(セ)リーグは開幕前、圧倒的な投打の戦力を誇ったはずの読売ジャイアンツが驚くほどの不振にあえいでいる。主砲・松井秀喜はスラッガーでもクラッチヒッターでもなく、平凡なアベレージヒッターの地位に甘んじている。

 セ・リーグに比べて今季のパ・リーグの野球は楽しい。福岡ダイエーホークス、近鉄バッファローズ、西武ライオンズが激しく首位争いを繰り広げている。本塁打のタイトル争いだけをみても、こんなににぎやかなシーズンはない。ライオンズのカブレラが前半、驚異的なペースで本塁打を量産すると、バッファローズのローズが猛烈な勢いで追い上げる。ローズの僚友、中村紀洋、ホークスの小久保裕紀、松中信彦、城島健司も華々しくアーチ合戦に加わる。首位打者のタイトルを狙う小笠原も、アベレージヒッターに甘んじる気持ちは毛頭ないようだ。しかし、パ・リーグのテレビ中継はほとんどない。関東圏ではNHK・BSがたまに放映する程度だ。スポーツ紙や一般紙も、小笠原がどれだけすごい選手なのか、紹介することなどほとんどない。

 先日、何気なくスポーツ新聞を見ていたら、巨人戦のテレビ視聴率が10%を切ったと大騒ぎしていた(8月18日付スポーツニッポン)。記事によれば、視聴率低下に危機感を抱いたテレビ局は、プロ野球中継にバラエティー、ワイドショー的要素を盛り込んで視聴率回復を狙うという。つまり、芸能タレントを動員しての「馬鹿騒ぎ」を加速させようというわけだ。何も分かっていない―。野球はプロ野球だけではない。高校野球、都市対抗など社会人野球もある。野茂英雄に続いて今季、イチロー、新庄剛志が大リーグに挑戦したことで、大リーグ人気にも火がついた。プロ野球にしてもセ・リーグ、読売ジャイアンツだけで成り立っているのではない。そのことを分かっていない野球関係者は近い将来、強い「痛み」を受け入れることになるだろう。

 日本のプロ野球の存続に関わる危機的状況の中で、だれがみてもセ・リーグより面白い今季のパ・リーグ野球を無視し続け、小笠原道大を「謎」の二番(一番)打者のままにしてしまうのは、あまりに情けないことだと思いませんか。(2001年8月30日)

 この世の中には本当のところ、「標準」などない。大量生産・大量消費が前提になっている社会が、便宜的に使い勝手のいい「道具」として利用しているだけだ。

 人間の体に関しても、そう思っている。誰もが独自の個性と体型をもっているのだから。女性たちが気にする「標準体重」などまがいものに決まっている。標準体重に比べ太りすぎていると考え、女性たちが極端なダイエットに走ったあげく、病的な体型と精神をもってしまうのは、ひどく贅沢でかつ異常な社会の中に生きているからだ。

 そうは言っても、誰もが憧れる「理想的体型」はある。女性の体型について言及するのは、ここでは避けることにしよう。古今東西、あまりに多くのことが語られてきたこのテーマについては、筆者のような不教養人の出る幕はない。

 そこで、カール・ルイスについて少しだけ語ることにする。ロサンゼルスからソウル、バルセロナ五輪にかけ圧倒的な実力、記録、人気を誇った陸上界最大のスーパースターだ。薬物に汚れたベン・ジョンソンとのソウルでの男子100メートルの対決は歴史的「事件」になった。カール・ルイスは別の意味でも歴史的存在になった。ヨーロッパの貴族社会から連綿として続いてきた「アマチュア」の概念を彼の力で吹き飛ばしたからだ。

 貴族社会はとうの昔に消滅したのに、その「精神」だけは残った。彼以前におけるアスリートは、「貴族」の使用人のような存在だった。彼らは走る、跳ぶ、投げる。しかし、だれのためなのか。貴族は消えたが、貴族の権益を引き継いだ者たちは存在する。そして彼らの権益はより以上に強まっていた。

 カール・ルイスは彼の実力、記録、人気によってその権益を選手の側に引き戻した。彼の存在なしには、サッカーやベースボールなど特別な競技以外では、アスリートのプロ化はなかっただろう。少なくともプロ化は10年以上遅れていたに違いない。

 ここで本題に戻ろう。カール・ルイスの人気にはもう一つの要因があった。それは、見る人を圧倒する彼の体型だ。仮にミケランジェロが現代社会に存在していたなら、どうしても「モデル」にしたかったはずだ。柔らかく強い筋肉、その上にかぶさる褐色の皮膚。そして、最も大事なことはすべての土台となる骨格の美しさだ。すべてにバランスがとれた体型。その体型が100メートルや200メートル、走り幅跳びで躍動する。現代社会は彼によって人間の体の美しさを「再発見」した。

 その彼の言葉の中に、印象的なものがある。少年時代、自分は「ちび」でそのことに悩み苦しんでいたというのだ。あの肉体美を誇るカール・ルイスが体型的な劣等感にさいなまれていたなんてことはにわかには信じられない。それが事実であれば、その言葉は秘められたある種の、しかもとても大事な意味を含んでいる。

 カナダ・エドモントンで開かれた世界陸上は、日本の男子選手にとってとくに実りの多い大会になった。男子400メートルハードルで、為末大(法政大)が47秒89の日本新をマークして銅メダルに輝いた。日本の男子選手がトラック種目でメダルを獲得したのは五輪、世界陸上を通じて初めて。男子ハンマー投げの室伏広治が銀メダルを獲得。室伏のメダルも、日本の投てき選手として五輪、世界陸上を通じて初のメダルとなった。

 日本陸連の資料によれば、為末は慎重170センチ、体重67キロ。選手が登録身長を高めに申告することはままあること。実際の身長はもっと低いのかもしれない。ほとんど間違いなく彼は、世界の一線級の中では最も身長の低い、かつ体重の軽いハードラーだろう。ハンマー投げの室伏にしても、実は「小さな鉄人」なのだ。彼の身長、体重はやはり日本陸連によれば187センチ、97キロ。日本の投てき選手としては大柄だが、世界の一線級に比べれば体格のハンディを背負った選手だ。

 室伏を小柄と言っては日本の常識からはずれてしまうが、それはあくまで日本の常識の範囲内での話だ。体型的に小さな彼らが、それまで日本人がどうしても越えられなかった「大きな壁」をさらりと乗り越えてしまった。そうした選手は為末や室伏のほかにもいる。次回はそうした選手たちに触れながら、そのことの意味について考えたい。(2001年8月12日)

 前回、コラムのタイトルを「小男が世界を制す」としたことに、半ば後悔している。世界陸上で銀メダルに輝いたハンマー投げの室伏広治(ミズノ)、銅メダルを獲得した為末大(法政大)にしてもまだ世界を制したわけではない。現段階では世界の一線級に並んだ、あるいは世界ナンバーワンへの挑戦権をつかんだにすぎない。五輪、世界陸上を通して投てき種目で初のメダルとか、やはり五輪、世界陸上での男子トラック種目で初のメダルといったマスコミの言辞にすこし興奮してしまったのかもしれない。後悔しているもう一つの理由は「小男」という言葉そのものだ。「大男」の反対語なのだが、この言葉にはあまりよくないイメージがまとわりついている。そんな気がしてならないからだ。

 だが、もう使ってしまったのだからしょうがない。しかもタイトルにまでしたのだから今さら取り消すわけにもいかない。それで、私自身のことを少し語ることにする。なぜ、「それで」なのかは、理屈に合わない気もするのだが。私は自分のことを「小男」だと思っている。身長は167センチほど、体重は56キロくらいだ。1950年代前半の生まれだから、少年時代は自分を小男だとは思っていなかった。けして背の高い方ではなかったが、私より身長のない仲間はいっぱいいた。当時の大人たちも概して大柄な男は少なかった。だが、時代は変わる。高度経済成長期以降、日本人の体格もどんどん大きくなった。年を重ねるごとに、自分の背が低くなる。そんな感じだった。

 体格に関して決定的に劣等感を感じたのは、地方紙の記者として、ある大企業に属する社会人野球の現役選手、OBと付き合いだしてからだと思う。例外なく巨大な体格を有する彼らは強靭な肉体をもつ。現役を退いて太ってしまったといっても、けしてみっともない体にはならない。強くて大きな骨格をもっていたからだ。一般的な社会人と実質的にはプロのスポーツ選手である彼らとを比較してもしょうがない。それは分かっていても、彼らの体格、筋肉、そして何より彼らの骨格に圧倒されてしまった。

 格闘技の世界では、体格、体重の差はほとんど絶対的な意味をもつ。軽量級の選手がどんなに素晴らしい技とスピードをもっていても、重量級の選手にはかなわない。だから、欧州や米国で発展してきた格闘技はすべて体重別にクラス分けされている。ボールを使う集団格闘技ともいえるラグビーで、日本代表がトンガなど小国にも勝てない決定的理由もそこにある。

 陸上競技でも体格差は、種目によってはほとんど決定的だといえる。背の低いハイジャンプの選手はどんなに素晴らしい素質をもっていても世界の一線級にはなれないだろう。逆に言えば、背の高さもハイジャンプの選手にとっては重要な「素質」だからだ。同じく投てき種目では体重の軽さは大きなハンディになる。短距離のハードラーは背が高い方が有利に決まっている。こえらはすべて物理の法則に従っている。

 世界陸上で銅メダルを獲得した、世界の一線級の中では恐らく「最小のハードラー」、為末には、自らの決定的ともいえるハンディを克服した「語られない秘密」があるはずだ。室伏の体重差を克服するスピードにもそうした「秘密」が隠されている。スポーツの素晴らしさは、圧倒的に不利な条件を克服しようと努め、実際にそれを乗り越えてしまう選手たちがいることだ。少し大げさに言えば、彼らは人間の新たな可能性、活動の領域を開拓し続ける「パイオニア」だ。

 そうした選手たちは陸上競技以外にもたくさんいる。スピードスケートでは、長野五輪500メートルの金メダリストで同種目の世界記録保持者、清水宏保だ。今もカナダの大男、ジェレミー・ウォザースプーンと短距離のチャンピオン争いを続けている清水は、為末以上に小柄な選手だ。彼のとんでもない太ももは、どんな大男より強力に氷を蹴りだす。水泳の山野井智広にも大きなハンディがある。彼のハンディは身長が175センチしかないことだ。この身長では2メートル前後の大男たちが争う水泳のスプリント種目では決定的に不利になる。50メートル自由形の日本記録保持者ながら昨年のシドニー五輪選手選考に漏れた。彼と妹、山野井絵理の五輪落選の背景には、千葉すず選考問題をめぐる日本水連の恣意的は判断があった。しかし彼は今年、福岡で開かれたの世界水泳で銅メダルを獲得。見事な「リベンジ」を果たした。何に対する、だれに対するリベンジなのかは、ここでは触れないことにする。

 海の向こうにも気になる選手がいる。全米プロバスケットボール(NBA)、セブンティシクサーズのシューティングガード、アレン・アイバーソンだ。2メートルを越す選手が当たり前のNBAで、彼の身長は170センチ台ぐらいだ。登録では183センチとあるが、とてもそんなに大きくは見えない。その彼が得点王を獲得、オールスターのMVPに選ばれ、今季のNBAファイナルではチームは敗れたとはいえ、NBA最大の巨人、シャキール・オニールとわたり合った。悪童と罵られてきた彼だが、新たなスタイルを持ち込んだ。ダンクシュート全盛の時代に彼は、レイアプシュートで観衆の喝采を浴びる。

 「小さな巨人」はあるテレビコマーシャルのキャッチコピーだが、そうではなく本当の意味での「小さな巨人」たちの可能性への挑戦に注目していきたい。彼らの挑戦はスポーツの、もっと言えば世間の「常識」を覆す力をもっているからだ。(2001年8月15日)

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