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日本のスポーツは長く企業と学校が主体となって発展してきた。このため学校を卒業すると、スポーツに接する機会は急激に減る。また、企業に属さない人、企業を離れた人も同様になる。スポーツは企業、学校の枠内に位置付けられ、良くも悪くも「上位組織」に従属してきた。しかし、急激な社会の構造変化により企業も学校も組織の枠内で従来型のスポーツを維持し続けることが難しくなってきた。 |
01年のコラム
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2000年秋、日本のスポーツ史に長く刻まれるであろう「事件」が相次いでおきた。実業団スポーツ界をリードしてきた新日本製鉄が、会社に所属するスポーツ部のクラブ化を発表。奇しくも同じ日に、女子バレーボールで輝かしい歴史をもつ日立製作所がバレーボール部の廃部を発表した。新日鉄のスポーツ部は、大阪・堺市に拠点をおくバレーボール部や岩手・釜石市のラグビー部などが、地域密着のクラブとして再スタートを切った。陸上競技の分野でも、リクルートランニングクラブの金哲彦監督が、特定企業だけに依存する形態ではない、地域とともに育つ新たなクラブを立ち上げようと奮闘している。 |
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1999年5月から本紙スポーツ面に書き続けてきた、スポーツコラム「オフサイド」は、今回で最終回となりました。本来ならば3月末に、読者にお別れとお礼の意を込めた最終コラムを書かなければならないところでしたが、忙事にかまけてしまいました。失礼をおわびします。 |
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イチローがさっそうとアメリカ・大リーグにデビューした2001年3月末から4月にかけて、あるコラムを書きたいと思っていた。タイトルは決まっていた。「それでも野茂英雄は特別だった」。このコラムは以下の二つの理由によって、書くことができなかった。一つ目の理由は簡単だ。筆者がスポーツ取材関係の業務(デスク)を離れたため、紙面での発表の場を失ったためだ。 |
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イチローの大リーグ挑戦に難癖をつけ続けてきた「専門家」たちがあおざめている。彼らは何年も前からイチローの大リーグ挑戦に何かと難癖をつけてきた。いわく、「年間162試合を戦う体力がない」「大リーグの投手の速球に対応できない」「時差を伴う長距離移動に耐えられない」―などだ。多くの専門家、つまりプロ野球解説者たちは、こうした「危惧」や「疑念」を、テレビなどマスメディアを通して流し続けた。 |



