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新聞寸評―「後見人」が要る総理大臣って何なんだ?
小泉純一郎前首相から実質的に首相の座を「禅譲」された、安倍晋三氏が日本国の首相に就任して以来、「首相の後見人」という言葉が、メディアに頻繁に登場しています。「首相の後見人」とはどんな存在なのでしょうか。逆に言えば、「後見人が要る首相」とはどんな存在なのでしょうか。
□麻生外相、フィリピンに出発へ 首相続投を受け(見出し)
麻生外相は30日夕、国際会議に出席するため5日間の予定でマニラへ出発した。参院選惨敗で自民党幹事長の引責辞任を表明した中川秀直氏の後継候補として有力視される麻生氏だが、首相続投を受けて予定通り外交日程をこなすことにした。また、安倍首相の「後見人」である森元首相も8月1日から3日間、タイを訪れる予定。今後の政局を占うキーマン2人が不在という事態となる。
麻生氏は東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓による「ASEANプラス3」外相会議やASEAN地域フォーラム(ARF)などに出席する。同氏周辺では、国会会期延長で参院選投票日が当初の想定より1週間繰り下げが決まった際、「選挙直後は日本に残った方がいい」との声もあったが、麻生氏は中韓との交流活発化や北朝鮮外相との対話の可能性を重視。自民党惨敗を受け、外務省内では代わりに外務審議官を派遣する案も一時浮上した。
麻生氏は8月中旬には約1週間の日程でイスラエルやパレスチナ、ブラジルなどを訪れる計画もあり、当面は「日本外交の顔」として職務を淡々とこなす構えだ。(7月31日付朝日)
■「後見人」を無自覚、無批判に多用する政治家と政治メディア
もはや旧分聞に属する朝日の記事を長々と引用したが、この記事を精読していただく必要はありません。
この記事を引用したのは、記事中の1つのフレーズが気にかかったからです。もう1つの理由は、新聞社のホームページやそこから転載されるヤフーなどポータルサイトの記事は、極めて短い期間で削除されてしまうからです。
気にかかった1つのフレーズというのは、記事の冒頭部分にある「安倍首相の『後見人』である森元首相」という部分です。
安倍首相に関する政局関係の記事では、「首相の後見人である森元首相」「首相の後見人とされる森元首相」「首相の後見人を自認する森元首相」といった、決まり文句的なフレーズをよく見かけます。
しかしです。「首相の後見人」とはいったい何なんでしょうか。また、「後見人が必要な首相」とは、いったいどんな存在なのでしょうか。
「後見人」を辞書で引くとこう出ています。
「1 法律上、親権者のない未成年者または禁治産者を監督・保護する人。未成年者の場合は最後に親権を行う者が遺言で指定し、指定がなければ家庭裁判所が選任する。禁治産者の場合は配偶者、配偶者がなければ家庭裁判所が選任した人が行う。
2 一般に、ある人の背後にいて、その補佐や世話をする人。」(大辞林)
新聞記事に登場する「後見人」は「2」の意味で使われています。「ある重要な地位にいる人物が、未熟なためその人物の背後にいて、その人の補佐や世話をする人物」という意味でしょう。
同族会社の若社長が、実務経験や経営手腕が未熟なため、番頭役の役員が若社長の後見人役を引き受けるといったケースは、今でも数多くあることです。
しかし、そんなケースであっても、後見人役の必要な若社長は、褒められた存在ではありません。若社長がいつまでたっても自立できず、後見人役も自らの立場に長くとどまりたいと考えているとしたら、そんな会社の存続は到底望めないことになります。そんな会社の社員は、一刻も早く会社から逃げ出すべきでしょう。
ところで、安倍首相に関する政局関連の記事では、何故、「首相の後見人」というフレーズが頻繁に登場するのでしょうか。
それは、後見人を自認する森元首相の存在を、安倍首相が明確に否定しない、いやむしろ、首相が後見人に依存する存在であることを、自ら認めているからでしょう。
ですから、自民党や与野党の無自覚、無批判な政治家からこの言葉が頻繁に出てくることになります。そして、その言葉を政治メディアが無自覚、無批判に記事中に多用することになります。
「経験不足で政治手腕が未熟な首相」という存在は、国民にとっては本来、受け入れられない存在です。そんな人物に、国政のかじ取りを任せられると考える国民はいないはずです。
「安倍首相の後見人である森元首相」というフレーズに異議を唱えない安倍首相本人はもちろんですが、そういったフレーズを無自覚、無批判に多用する政治家と政治メディアもまた、国民にとって何とも頼りない存在だといえるでしょう。(2007年8月15日記)
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