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 東京五輪の陸上100メートル金メダリスト、ボブ・ヘイズが死んだ。新聞の片隅にそう書いてあった。テレビは彼の死を無視した。40年近くも前に一瞬だけ脚光を浴びた、昔のスポーツヒーローの死など、取り上げる価値もない訃報だと判断したのだろう。

 新聞にしても最も小さな扱い、つまり「ベタ記事」扱いだった。顔写真を添えた記事もあったが、どれも古い写真、若いころの写真だった。彼に関するサイドストーリーや評伝を掲載した新聞はなかった。掲載面もスポーツ面ではなかった。

 どの新聞も通信社の配信記事をそのまま使ったか、若干手直しした程度だったのだろう。記事の内容はほとんど同じだった。通信社の若い記者は、B・ヘイズ死亡の現地報道に接すると、あとは自社のデータベースを検索して、簡単に彼の経歴を書き移して記事にしたのだろう。

 記事はこんな内容だった。1964年の東京五輪、陸上男子100メートルで、当時世界タイ記録の10秒0で優勝したB・ヘイズが9月18日、米国フロリダ州ジャクソンビルの病院で死去、59歳。死因は肝臓、腎臓の疾患や前立腺がん。東京五輪後はアメリカンフットボールに転じ、ダラス・カウボーイズのランニングバックとして「スーパーボール」を制した。五輪とスーパーボールをともに制したのは彼一人だけだった。

 アルコールと麻薬におぼれて生活が乱れ、逮捕歴もあり「プロフットボールの殿堂」入りはできなかったと、引退後について簡単に触れた記事もあった。

 日本のメディアは、「組織」としてしか存在しない。組織には人の生き死にを論じる資格はない。人の生き死にを論じることができるのは、自らも死ぬべき存在である「個人」だけである。B・ヘイズの死に関して、日本のメディアがデータベースに保存してある情報内でしか書かなかったことは、逆に幸いなのかもしれない。人の生き死には、もっと個人的にしか語りようがないからである。

 B・ヘイズは筆者にとって特別なスポーツヒーローである。その訳は二つある。一つは、自ら選び取った最初のヒーローであることだ。

 東京五輪当時、筆者は田舎の学校に通う小学6年生だった。それ以前にもヒーローはいた。プロレスの力道山であり、大相撲の大鵬だった。プロ野球の長嶋茂雄、王貞治もそうだった。彼らはしかし、筆者が自ら選び取ったヒーローではなかった。彼らを選び取る必要はなかった。周囲の大人たちや小学校の仲間たちの多くは彼らの熱烈なファンだった。そう気づく前から筆者も彼らのファンになっていた。

 B・ヘイズだけは違った。東京五輪以前には、彼に関する知識は皆無だった。当時の白黒テレビで彼の走りを見ただけだ。その映像だけで彼を自らのヒーローとして選び取った。

 特別なヒーローであるもう一つの訳は、ヒーローである理由が東京五輪の「10秒0」の時間内とその映像イメージにだけにあることだ。

 B・ヘイズに関する知識は、東京五輪後も深まることはなかった。知識を得たいとも思わなかった。筆者の記憶には決勝レースでのB・ヘイズの走りしか存在しない。スタート前のイメージも、ゴール後のイメージも記憶にはない。ただ「10秒0」の時間と彼の走りのイメージだけが、記憶の奥深いところに焼きついているだけだ。

 B・ヘイズがその後、アメリカンフットボールに転じたこと、ダラス・カウボーイズの快速ランニングバックとして活躍したこと、スーパーボールを制したこと、引退後はアルコールと麻薬におぼれたことも断片的な知識としては知っている。

 しかし、東京五輪後のB・ヘイズについては基本的に関心はなかった。B・ヘイズは筆者が初めて選び取ったスポーツヒーローとして、「10秒0」の時間内だけで、筆者の記憶の中で生きてきた。それだけである。それ以上でもそれ以下でもない。しかし、あるいはそれゆえにB・ヘイズは筆者にとって特別なヒーローとして、記憶の中でこれからも生き続けていく。(2002年9月30日)

 「時間の連続性」ほど、ひとにとって大切なものはない。ひとは生まれてから死ぬまで、長い場合は100年にもわたって、時間の連続性の中で生きている。あるいは時間の連続性を信じることによって生きている。

 人生の三分の一が眠りの時間であっても、ひとは眠りを時間の連続性の「切断」だとは意識しない。眠りもまた、時間の連続性の枠内に存在する。特別な病気の場合を除いて、ひとは眠りに対して「恐怖」を感じないのはそのためである。

 だからこそ、時間の連続性の切断は、ひとの脳みそに強烈なダメージを与える。交通事故や急病で近親者や近しい友人を失ったとき、ひとは茫然自失する。それは、そのひととの関係の連続性が突然、無理やり、理不尽に、不条理にも断ち切られてしまったと感じるからだ。

 戦争や巨大な自然災害がひとの脳みそに刻み込むダメージもそういうことだ。個人的なひととの関係ばかりか、社会的関係、自分を取り巻いていた自然との関係、文化、伝統との関係まで切り刻まれ、打ち捨てられ、抹殺されてしまったと感じるからだ。

 ところで、現代社会で最も影響力のある存在はテレビである。もっと正確に言うと、ひとの脳みそに決定的な影響を与えるのはテレビ映像である。いまの子どもたちは、生まれたときからテレビとともに生きている。テレビゲームにのめりこむ子どもたちは、いまそこにある現実よりテレビゲームの中になる「仮想現実」の方がよりリアリティーを感じるのだろう。自閉症の子どもたちの一部には、最も身近にいる親たちよりも、テレビ画面の中に近いしみを感じる者もいる。

 社会的にみてもそうだ。ソ連、東欧圏における共産主義体制の崩壊にはさまざまな理由があるが、西欧諸国から流れてくるテレビ映像を無視しては語れない。ソ連や東欧圏の一般庶民が英語、ドイツ語、フランス語を理解できなくても、テレビ映像はストレートに受け止められる。番組制作者が意図しないもの、その国の視聴者にとっては注意を払う必要のないありふれた光景こそが、文化や生活程度のまったく違う他国の視聴者にとっては関心をひく材料になる。

 戦後しばらくの間、アメリカのテレビドラマ、特にホームドラマは、この国では製作者の意図とは違う見方をされた。製作者にとっては単なる小道具にすぎなかった大きな車、家庭の台所にあるキッチンや冷蔵庫、電気掃除機は、豊かなアメリカ文明の象徴として受け止められた。食うや食わずの生活からようやく抜け出したばかりのこの国では、ホームドラマの小道具こそ、アメリカ文明からの強烈なメッセージだった。

 東欧諸国の人々にとって、西側諸国のテレビから流れる映像はもっと強烈なメッセージをもっていただろう。たった数十年前までは同程度の生活をしていた、陸続きの、肌の色も同じ人々が、自分たちとは比べようもないほど豊かな生活をしている。テレビから流れ出る映像は、生活程度と生活における自由度のあまりの違いを鮮明に映し出した。『東西の壁』を破壊させた根本原因の一つは間違いなくはテレビ映像にある。

誰もが予想しなかった東側の崩壊をもたらすなど、テレビ映像は20世紀後半から21世紀初頭にかけて、強烈なパワーを手中にした。もはやテレビ映像を無視して存在できると信じる政治権力者はいなくなった。現代社会に残る独裁者、イラクのサダム・フセインも、北朝鮮の金正日も、テレビ映像を狡猾に利用する。逆に、独裁者だからこそテレビ映像の『価値』を最も深いところで理解しているのだろう。

 テレビ映像を無視できないのは政治ばかりではない。経済も、文化も、そして軍事でさえもそうだ。企業経営者も芸術家もテレビ映像なしには権威付けできない。テレビ映像によって彼らの権威は増幅される。そして、現代の戦争はテレビカメラの前で展開される。テレビ映像はそのまま『権力』になった。権力には自制とコントロールシステムが必要になる。そうでなければ、権力はそれ自体の性質として『暴発』してしまうからだ。

 日本のテレビメディアにはそうした自制心と自己コントロール機能が欠落している。現在の日本では、毎日、毎分、いや毎秒ごとに、ほとんど無限といってもいいほどの大量の情報が巻き散らかされる。有益な情報、害毒のある情報、好ましい情報、嫌悪すべき情報、おぞましい情報――。そうした大量の雑多な情報が吐き出され、垂れ流され続けている。日本のテレビメディアはすでに「価値」の概念を失ってしまった。どんな情報に価値があり、価値がないのか、彼らは判断しない。あるいは判断する機能を持たなくなった。価値はもはや、テレビメディアの範疇には存在しない。

 随分と、何とも長たらしく、屁理屈をこねたような文章を書いてしまった。こんなことを恥ずかしさも忘れて書いてしまったのには訳がある。筆者があるテレビ映像に強い刺激を受けたからである。そして、同時に強い嫌悪感を覚えたからでもある。

 そのテレビ映像について直接触れる前に前置きを書く。前置きなしには筆者の真意が伝わらないと感じるからだ。少し長くなるが、お許し願いたい。

 9月に行われた大相撲秋場所は、文字通りの劇的な展開になった。超一流の脚本家と演出家が共同作業をしても、あれほど見事な「芝居」は完成しないだろう。昨年の夏場所、千秋楽。優勝をかけた武蔵丸との直接対決でひざに重症を負った貴乃花は、故障をおして出場した優勝決定戦での勝利と引き換えに、その後は史上最多の7場所連続で休場した。しばらくは同情的だった相撲界も、休場が長引くにつれ、貴乃花の「決断」を迫る雰囲気に変わった。

 相撲界からの最後通牒ともいえる、横綱審議会の「出場勧告」を受け出場した秋場所の貴乃花は、序盤に2敗を喫し早くも窮地に追い詰められた。「若貴ブーム」が去り、一方の主役であった若乃花の引退後は、長期低迷が続く大相撲人気だが、秋場所に限っては異様なほどの熱気に包まれていた。序盤から連日、それまで足が遠のいていた多くの相撲ファンが国技館に戻って来た。それはそうだろう。その日その日が「平成の名横綱」の最後の取り組みとなる可能性があったからだ。

 貴乃花はしかし、中盤から立ち直った。13日目の千代大海戦では立ち会いに変化を見せた。現役続行と、ほのみえてきた優勝への執念をあらわにした。――秋場所の貴乃花はあるアドバンテージをもっていた。窮地に追い込まれた貴乃花に対し、立ち合いであからさまに変化する勇気をもった力士はいなかったことだ。立ち合いに変化して勝ったとしても、相撲ファン、いや世論のごうごうたる非難を浴びることは明らかだった。予期せぬ立ち合いの変化は、逆に貴乃花が利用した――。千秋楽は昨年夏場所の「再現」となった。横綱決戦では武蔵丸に完敗したものの、貴乃花は12勝3敗で準優勝を果たし、引退の危機を脱した。

 秋場所には卓越したサイドストーリーもあった。長く名脇役として大相撲人気を支えた寺尾、貴闘力の両関脇が力尽きて引退した。彼らの引退は、貴乃花の復活劇をさらに引き立てる「演出」になった。

 相撲協会と同様、あるいはそれ以上に、貴乃花の引退を心底危惧し、復活劇に歓喜したのはNHKだろう。大相撲中継から民放が撤退し、NHKの独占中継になって、もう何十年たつだろうか。この間、相撲協会とNHKは「運命共同体」になった。相撲協会にとって、総合テレビとBS放送で全国中継するNHKを抜きにしての大相撲工業は成り立たない。NHKにしても、そこまで肩入れしたいまでは、相撲人気が長期低迷しても、そう簡単には大相撲中継から撤退することなどできない。

 大相撲に関する圧倒的な情報量、それを支える取材力をもちながら、逆に言えばそれゆえにNHKは相撲協会と力士のスキャンダルをまず放送しない。放送する場合でも、全メディアの最後に「後追い」する。両者は「運命共同体」だからである。

 前置き、あるいは前置きの前置きがやたらと長くなってしまった。申し訳ない。そろそろ本題に入ることにする。
 
 大相撲秋場所が始まった9月8日から16日まで、NHK総合テレビの夜7時台のニュースは、冒頭のヘッドライン部分である「同一パターン」の映像を流し続けた。9月17日にはそのパターンをやめた。その日は小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問して金正日総書記と会談、日朝共同宣言に署名するとともに、北朝鮮による日本人拉致被害者8人死亡という衝撃的な情報を持ち帰った、歴史的に特筆すべき日だったからだ。

 夜7時台のニュースでNHKは9月16日まで――その後は注意して見なかったので知らない――、冒頭のヘッドラインで連日、「きょうの貴乃花情報」を流した。それ自体に文句をつける気はない。貴乃花の勝敗は相撲ファンばかりでなく、国民的な関心事だったからだ。しかし、やり方はひどかった。NHKはそれまで「公共放送」として固く封印してきた「禁じて」に、ついに手を染めてしまった。

 ヘッドライン部分でNHKは、短いコメントとともに貴乃花の取り組み映像を流す。それまではいい。しかし、取り組みの結果が判明する直前に映像とコメントは中断する。勝敗が決する瞬間の1秒か何分の1秒か前に映像の連続性は突然、切断される。あとは、何十分か後のスポーツコーナーまで待てというわけだ。NHKはそのやり方を連日繰り返した。

 この「禁じて」は民放ではいまや常套手段にまでなってしまった。バラエティー番組では特にそうなっている。ある連続性のあるシーンが放送される。間もなく結果が表れる。視聴者の誰もがそう思い、結果を注視する態勢をとった瞬間に、映像は切断される。そしてCMが入る。CMの後は同じナレーションとともに切断前の映像が再放送され、ようやくにして結果が視聴者の前に表れる。

 この手法をえげつないまでに活用したのが、収録中の人身事故のため放送中止になったTBSの「筋肉番付」である。プロ野球やJリーグなどの有名スポーツ選手と体力、運動能力自慢のタレントを集めたこの番組はかなりの視聴率を稼いだ。「定番」の跳び箱では特に「禁じて」を多用した。古館伊知郎の扇情的なナレーションとともに有名スポーツ選手やタレントが助走を開始する。踏み切り板を蹴り、両腕が跳び箱上部にタッチする。そのまま上半身を持ち上げて跳び箱を越えるかどうか―。その決定的瞬間の直前に映像は突然切断されて、CMに移行する。そんな場面が何度も何度も繰り返される。

 この「禁じて」は、CM時間中は視聴者がテレビの前から離れてしまうと文句を言う番組スポンサーにおもねるテレビ局が考案したアイデアだろう。日本のテレビ番組は何でもアメリカの真似をするから、この手法もそうなのかもしれない。しかし、筋肉番付など民放のバラエティー番組を見ていると、番組製作者の「加虐性」を感じてしまう。彼らは無意識のうちに視聴者をいたぶることに喜びを感じているのではないか。あるいは、一部の番組製作者は意図的にそうしているのではないか。彼らの手法が次第にエスカレートしていくからだ。

 前述したように、現代社会においてほとんど絶対的とも言える「権力」をもったテレビメディアが、こうした手法を行うこと、それも何度も何度も繰り返し行うことは、いわば「映像の暴力」だ。大人相手ならまだしも――筆者は我慢できないが――、まだ脳みその柔らかい幼児や子どもを対象に行うことは、「幼児・少年虐待」と同様の犯罪行為に近い。

 冒頭で書いたように、時間の連続性が突然、無理やり、理不尽に、不条理にも断ち切られてしまうことほど、ひとの脳みそに強烈なダメージを与えるものはない。民放のバラエティー番組に加えて、NHKがもっとも重要視するニュース枠、なかでも特別扱いしている総合テレビ夜7時台のニュースで「禁じて」に手を染めたことは黙殺してはならない。NHKが「運命共同体」である相撲協会とその屋台骨を背負う貴乃花の危機に、舞い上がった結果だとしても、それは「悪い言い訳」にしかならない

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 NHKのある「ミス」が大きなニュースになった。看板番組である、朝のテレビ小説「さくら」で、総合テレビが一話飛ばして翌日分を放送してしまった。担当者がテープを取り違えたのが原因だという。NHKには、その日夕までに7000件もの苦情や問い合わせが殺到したそうだ。

 その日の午前中、仕事場でテレビをつけたら、NHKの男性アナウンサーが何やら深刻な表情で「おわび」のメッセージを伝えていた。毎朝、「さくら」を見る習慣はない。最初は彼が何を言っているのか分からなかった。

 別の時間帯にも「おわび」が流れていたので、注意して聞き直した。同じアナウンサーだった。彼はNHKの全責任を一身に背負ったような表情、仕草で前述の放送ミスをわびていた。官僚的とも言っていいほど強固に組織化されたNHKでも、こんな単純ミスを犯すこともあるのか。そう思うと、何故か笑い出したくなった。

 夜、家に帰ってこのことをかみさんに話した。かみさんにも「さくら」を毎朝見る習慣はない。同じNHKの「ロッカーのハナ子さん」を毎週末の朝、BS放送で1週分まとめて見るのを楽しみにしている。そんなかみさんがこう答えた。「いいんじゃないの。何ひとつ間違いなく物ごとが進むなんてかえって変じゃないの。一話飛ばしたくらいで大騒ぎするマスコミの方がおかしいのよ」

 かみさんの言う通りなのかもしれないと思った。電車やバスは定刻に必ずやって来る。会社や学校は定時に始まり定時に終わる。銀行の現金預払機が定刻に動き出さないと騒ぎ出す。そん風に、何ごとも決められた通りに動いている。そう信じている方が間違っているのかもしれない。かみさんの言う通り、NHKはこのミスによって信用を失墜させたわけではない。2、3日すれば誰もが忘れてしまう話だ。好事家だけが密かに記録に残す。それだけの話である。

 同じ放送ミスでも「おわび」では済まないミスがある。ある民放キー局のことを言っている。この民法キー局は週末のスポーツ生中継番組で、2週連続で致命的とも言えるミスを犯した。そればかりか、二度とも「おわび」の放送さえしない。自らのミスをミスとさえ認めてはいない態度を取っている。
 
 それ以上に問題なのは、こうした放送局としては致命的なミスを他のメディアが論評しないまばかりか事実関係さえ伝えないことだ。他の民放キー局は完全に無視する。新聞も一切、事実関係も伝えず、論評もしない。この国では、メディア間の相互批評はいまだに存在しないのだ。
 
 2週連続で致命的な放送ミスを犯したのはTBSである。TBSは、9月16日(敬老の日の振替休日)、横浜国際総合競技場で開かれた「スーパー陸上」を生中継した。トラックに水が浮いてしまうほどの強い雨の中で、競技は続けられた。今回のスーパー陸上は「気の抜けたビール」のような大会だった。大会前々日の9月14日には、今季の陸上界最高のイベント、国際グランプリファイナルがパリで開かれたからだ。この日程では海外の超一流選手が来日するはずもない。

 国際グランプリファイナルを欠場したモーリス・グリーン(米国)は男子100メートルに出場したが、朝原宣治にも及ばない走りだった。スポンサーや大会主催者との契約からの、「顔見せ」出場だったのだろう。M・グリーンはパリの国際グランプリファイナルをけがのため欠場、そのレースで自身のもつ世界記録、9秒79をティム・モンゴメリ(米国)に100分の1秒塗り変えられたばかりだ。圧倒的な走りなど望めない状態だった。

 国際グランプリファイナルで日本人初の種目優勝を果たした、男子ハンマー投げの室伏広治も出場したが、体調不良で3投目以降を棄権した。余談になるが、最近の室伏の強行日程はどうしたことか。今回もパリからとんぼ帰りした。6月の日本選手権でも、欧州転戦から直前に帰国、時差ぼけの直らないままで出場、優勝した。室伏はいま、世界でベスト3に入る実力者だろう。しかし、こんな強行日程を続けていたのでは、2004年のアテネ五輪までもつのだろうか。強行日程がプロ化のためならば、それは見逃しにはできない問題だ。

 世界のトップ選手の強烈なパフォーマンスも望めず、強雨のため好記録も期待出来ない。そんな状況下で開かれた今回のスーパー陸上のハイライトは女子5000メートルだった。大会最後の種目になったこのレースでは、今季、長距離の日本記録を次々と塗り替えてきた新星・福士加代子が外国選手に挑んだ。トラックをたたきつける雨の中で、福士はいつものように積極的なレース運びをしていた。

 そして、福士も先頭グループに入った状態でラスト1周の鐘が鳴ったとき、生中継していたTBSのアナウンサーが突然、とんでもないことを言い出した。――大変残念ですが、レースを最後までお伝えできません――。あと1周というところで中継は途切れてしまった。そのまま中継は終わってしまった。

 スーパー陸上は強い雨の中で行われていたから、大会運営の時間設定もずれ込んだのだろう。あと1週で中継を打ち切った全責任がTBSにあるかどうかは分からない。しかし、こんな中途半端な終わり方をして、「おわび」もしないTBSの姿勢には腹が立った。
 
 それだけだったらまだいい。翌週末、9月21日(土曜)の午後、TBSはJリーグ、鹿島アントラーズ―柏レイソル戦を生中継した。極度の不振に苦しみ、4月20日のヴィセル神戸戦以来勝ち星のない柏と、第2ステージで既にジュビロ磐田に敗れ、優勝するためにはもう負けられない鹿島との対戦は、選手がピッチ上で激しい接触を繰り返す「ガチンコ」ゲームの展開になった。柏が後半早々に挙げた1点を守りきれるか。13試合ぶりの勝利に執念を燃やす柏ディフェンスを鹿島が突き破れるか。

 ゲームは白熱したまま最終盤に突入した。「ロスタイム3分」が表示された後だ。TBSはまたも中継を突然打ち切ってしまった。ゲームの結果は後続のニュース番組で確認しろと、アナウンサーは冷静な声で視聴者に伝達する。中継が終わった後は、延々とCMが続き、ニュース番組はいつまでたっても始まらない。もうチャンネルを切り替えるしかない。

 サッカー中継の打ち切り方は、スーパー陸上の場合よりひどい。サッカーは前後半合わせて90分間で行われる。ロスタイムも3−6分間あるのは常識の範囲だ。その枠内で進行しているゲームを最後まで中継できない放送局、あるいは最後まで中継する意思のないテレビ局の姿勢は厳しく問わなければならない。

 民放のスポーツ中継は、いつもゲームの途中で始まり途中で終わるプロ野球中継の「悪しき習慣」がしみついてしまったのだろう。ゲームがいつ始まりいつ終わろうが彼らの知ったことではない。テレビ局は自らが設定した時間枠内だけ放送すればいいと考えているのだろう。たまに延長する場合は、スポンサーの『厚意』によるものだという。視聴者を無視するテレビ局はスポーツ中継の場から撤退すべきだ。(2002年9月22日)

 読売巨人軍の主砲、松井秀喜がまたも東京ドームの天井に打球をぶつけた。9月16日の横浜ベイスターズ戦だった。たまたまこの試合はテレビ観戦していた。7回裏、先頭打者として打席に立った松井は、横浜の2番手、森中聖雄のストレートを振り切った。打球は右翼スタンド方向に大きな放物線を描いた。テレビカメラはドームの天井に当たった打球の軌道を正確にとらえていた。打球は――松井にとっては幸いにも――天井にこするように当たったため、推進力を急激にとめられることはなかった。打球は右翼スタンドに落ちた。三冠王を目指す松井は、この本塁打で自己新記録となる43号本塁打を記録した。

 それにしても松井は東京ドームの天井によく打球をぶつける。そう思っていたら、翌17日のスポーツ紙「スポーツニッポン」に面白いデータが載っていた。松井が東京ドームの天井に打球をぶつけたのは、これで6回目だという。

 以下、そのデータを書き写す。1回目は1996年9月3日の横浜戦。右翼の天井に当たる右飛で、松井にとって初の天井直撃弾。この年は1本差で本塁打王を逃した。2回目は1998年8月20日のやはり横浜戦。天井をこすって右翼席上方の照明を越える150メートルアーチ。3回目も横浜戦だった。1999年8月24日。天井にぶら下がる撮影用カメラを直撃する当たりを放ったが、マウンド右に落ちて投手内野安打になった。

 2000年9月8日のヤクルトスワローズ戦では、打球が天井に当たり40号逆転3ランになるはずが右犠飛に。これが4回目。5回目は今年7月18日の、またも横浜戦。相手投手はやはり森中だった。打球は右翼上方の天井のすき間に入って落ちてなかった。東京ドームのローカルルールで二塁打になった。そして今回、またも森中から放った打球が6回目ということになる。

 横浜戦がやたらと多いのはどうしたわけなのだろう。それはさておき、スポーツニッポンのデータによれば、松井の放った天井直撃弾6本のうち本塁打になったのは2本だけだ。残る4本は右飛、投手内野安打、右犠飛、2塁打になった。4本すべてが本塁打になるべき当たりだったかどうかは分からない。しかし、松井の放った打球のうち何本かは、東京ドームの天井によって本塁打になることを阻止されたことは間違いない。

 松井は明らかに東京ドームでプレーすることを嫌っている。足腰に負担のかかる人工芝は嫌だと公言している。試合開始前からひと時も鳴り止まない「ドンちゃん騒ぎ」も好きではないはずだ。打球音によって打球の強さ伸び具合を図る、外野手にとって最も大切な感覚を封殺されてしまうからだ。試合の流れとは関係なしに続く「騒音」は、打席での集中力にも影響を与える。おまけに、こう何度も本塁打性の打球がドームの天井にぶつかってしまうようでは、嫌にならない方がおかしいくらいだ。

 松井がドームの天井に打球をぶつけた翌日、ある一般紙のスポーツ面の記事にこんな表現があった。松井の本塁打を「ドームの天井が低すぎるかのように――」と形容していた。冗談ではない。「低すぎるかのように――」などと言っている場合ではない。現実問題として、東京ドームの天井はプロ野球の試合会場としては低すぎるのだ。

 日本初の屋根付き球場、東京ドームは1988年に完成、その年からプロ野球の読売巨人軍、日本ハムファイターズの本拠地となった。その2年後には、打球が天井にぶつかっている。1990年6月には近鉄バッファローズのラルフ・ブライアントの打球が天井から吊り下げられたスピーカーを直撃。東京ドームのローカルルールにより認定本塁打になった。当時の新聞記事によると、ブライアントはその前日にも、天井に打球をぶつけたという。

 東京ドームの天井に打球をぶつけたのは、ブライアントや松井だけではない。大阪近鉄(近鉄改め)のタフィー・ローズや西武ライオンズのアレックス・カブレラの打球も天井を直撃した。手元に資料がないので正確には言えないが、松井以外の日本人選手でも、大阪近鉄の中村紀洋、日本ハムの小笠原道大たち、外国人以上のパワーヒッターなら天井を直撃することなど当たり前のことだろう。
 
 東京ドームは日本の大手建設会社が施工した。米国の屋根付き球場を参考に、人間の能力ではそれ以上打球は高く上がらないはずだと、天井の高さを計算して設計したという。868本の本塁打を放った王貞治の弾道を参考にしたとも聞く。王は確かに本塁打は量産したが、とてつもない飛距離を記録した打者ではない。飛距離だけなら、「アーチスト」と評された田淵幸一の打球の方が上だったのではないか。田淵の打球は高々と舞い上がった。大きな放物線を描くその打球の滞空時間は実に長かった。それはともかく、優秀な設計士の計算や彼が計算の根拠にした過去のデータなどあざ笑うかのように、打球は完成後から天井に当たり続けてきた。

 あらゆるスポーツは戦う「場」を限定し、その中でルールをつくる。そうしないとスポーツにならないからだ。テニスはコートの枠内でのゲームである。相手コートにバウンドもせずに観客席に飛び込んでしまうボールに意味はない。世界的に言えば野球以上に人気のあるサッカーも、テニスに比べてプレーする空間は広いが、ピッチに限定されたゲームである。ゴールの枠をはずれ、観客席に飛び込んでしまうボールは、観客のため息と安どの声を誘うばかりだ。野球も通常は内野、外野に限定されたゲームである。しかし野球だけはそうした限定を超越する瞬間と空間がある。それが本塁打だ。限定されたスペースを超え、ゲームの時間を止める。

 野球には本来、外野スタンドなど必要ない。いや、邪魔なものだ。外野の『外側』は、本塁打のためにのみ存在すべき空間だ。人間が勝手に設定した『枠』を超え、いまある現実とは別の『空間』に消えていく。それが特別な安打である本塁打のもつ本当の意味である。また、野球はそうした意味をもつ本塁打を許容することで、サッカーなど他のボールゲームとは異質なスポーツになった。

 松井の天井直撃の打球は、屋根付き球場という概念そのものへの疑問を示している。長距離打者は打球の飛距離を追い求める。そのためには高い弾道が必要になる。人間の能力の限界を超えようとする挑戦だ。しかし彼らの挑戦は、同じ人間がつくった「限界設定」に阻止される。「それ以上、打球は高く上がるはずはない」「計算上、この高さで十分だ」という、思い上がった設定だ。野球本来の持つ、「より遠く、そのためにより高く―」への憧れはドームの天井と壁に封じ込められる。

 スポーツは、人間の能力の限界への挑戦を、肉体を通して表現することだ。そうした挑戦が、同じ人間が考え出した限界設定、つまりドームの天井によって阻止されてしまう。それは何とも理不尽なことだと思えてならない。(2002年9月19日) 

 2002年9月14日、陸上競技の男子100メートルで世界記録が更新された。共同通信の記事によると、陸上の国際グランプリ(GP)ファイナルは14日、パリで行われ、男子100メートルでティム・モンゴメリ(米国)が9秒78の世界記録をマークし優勝した。従来の記録はモーリス・グリーン(米国)が1999年にアテネでマークした9秒79。これを0秒01更新した。T・モンゴメリは(記録公認の)許容範囲ぎりぎりの追い風2メートルと、条件にも恵まれた。

 T・モンゴメリの世界記録更新は、時差の関係もあって、地方に配送される翌15日の新聞にはほとんど間に合わなかった。新聞各社のホームページで確認したが、各社とも大きな扱いはしていなかった。同じ大会の男子ハンマー投げで優勝、日本人初の種目別優勝を果たした室伏広治と同格の社まであった。テレビもスポーツニュース枠で取り上げただけだった。

 日本のメディアの姿勢に対し疑問がわいてきた。T・モンゴメリの世界記録更新はそんな扱いで済むニュースなのだろうか。陸上の男子100メートルの世界記録は「別格」の記録である。しかも従来の記録9秒79には、スポーツにとって極めて重い「負の刻印」が深く刻み込まれていたからだ。以下、そのことについて語りたい。

 スポーツは「記録」より「記憶」だという言い方がある。どんなにすごい記録より、競技者のパフォーマンスの記憶にこそ価値があるという考え方だ。プロ野球、読売巨人軍の全盛期、ともに主軸打者として活躍した王貞治、長嶋茂雄を対比させるために生まれた言葉だろう。こんな使い方をしたと思う。868本の本塁打を放ち、2度の三冠王に輝いた王より、記録では劣る長嶋のパフォーマンスの方により価値がある――。熱烈な長嶋支持派による負け惜しみのような言い方だが、スポーツの本質に触れる言葉でもある。

 スポーツは「記録」と「記憶」によって成立している。記録のないスポーツは存在しないし、記録とともに人々の心の底に深く刻み込まれる記憶なしには、語り継がれることはない。スポーツは記録と記憶の相互作用、あるいは化学反応によってその輝きを増す。そして次の世代へと受け継がれていく。

 スポーツにはまた、特別の競技がある。陸上競技、水泳(競泳)、それに格闘技を代表するレスリングはそうした競技だ。これらは歴史的に見てもスポーツの原点のようなものだ。これらの競技はまた、人間の基本的な身体能力を表現する。陸上競技の場合は、「走る」「跳ぶ」「投げる」という、陸上生活における人間の最も基本的な動作を競う。

 陸上競技の中でも特別な種目は100メートルだろう。男子100メートルの世界記録保持者は「人類最速のランナー」という栄冠を手に入れる。そして、彼の記録はその時点での人類の「到達点」として位置付けられる。五輪や世界選手権でも男子100メートルの勝者は他の種目の勝者とは違う、特別な扱いを受ける。

 T・モンゴメリがパリで記録を更新するまで、男子100メートルの世界新記録はM・グリーンが1999年にアテネでマークした9秒79だった。国際陸連のデータブックにもそう書いてあるし、疑う余地はない。しかし、M・グリーンの9秒79は厳密に言うと、「世界新記録タイ」でしかなかった。1988年・ソウル五輪の決勝で、ベン・ジョンソン(カナダ)がマークした記録と同タイムだからだ。B・ジョンソンはドーピング(薬物)違反が発覚し、金メダルをはく奪され、陸上界から追放された。彼の世界記録も抹消された。

 国際陸連は競技者としてのB・ジョンソンと彼の記録を公式記録から削除した。しかし、記録は抹消できても人々の心の中に深く刻み込まれた記憶は抹殺することはできない。そういう意味で、M・グリーンの9秒79は国際陸連のお墨付きをもらった世界タイ記録にすぎなかった。人類は、T・モンゴメリがパリで9秒78をマークするまで、実に14年間も、B・ジョンソンによる薬物にまみれた、「汚れた記録」を塗り変えられずにいたわけだ。

 ロス五輪以来、長く世界の陸上短距離界に君臨してきたスーパースター、カール・ルイス(米国)と、異常なほどに筋肉を鍛えあげ「黒い弾丸」と形容されたB・ジョンソン。それまで直接対決を避けてきた両雄がついに激突したソウル五輪。まさに「人類最速のランナー」を決めるレースだったはずだ。男子100メートル決勝のテレビ映像はいまも鮮明に覚えている。

 筆者の記憶からレースを再現してみる。米国東部時間のゴールデンタイムに合わせて設定された決勝は、現地時間の早朝に行われた。テレビカメラはスタート前の両雄の表情をアップで映し出す。普段のレースではほとんど感情を表さないルイスの表情は硬い。緊張のためか唇を何度もなめる。B・ジョンソンはまったくの無表情。濃い褐色の顔の中で、両眼だけが真っ赤だ。充血して赤いという範囲は超えている。白目の部分が真っ赤に染まっている。まるで、彼の脳みそがいますぐに、そこから飛び出してしまうのではないかと思えるほど、異様に赤く輝いていた。

 レースはB・ジョンソンがスタートから飛び出した。スタートで出遅れても中盤から加速するはずのルイスは伸びない(そう見えた)。差は開いたままゴールに飛び込んだ。スローモーションで再生された映像は、ゴール直前のルイスの表情をとらえていた。斜め前方でゴールするB・ジョンソンを見やったルイスの表情に一瞬、『驚き』が走った。

 レース直後もB・ジョンソンは無表情だった。真っ赤に染まった両眼は宙を見据えていた。しばらくたって(ほんの数秒後だろう)、ルイスが勝者に握手を求めた。B・ジョンソンはルイスを正視しなかった。このレースでB・ジョンソンは9秒79という、驚異的な世界記録をマークした。2位のルイスの記録は9秒92だった。

 B・ジョンソンの栄光はしかし、レース後たった3日で終わった。国際オリンピック委員会(IOC)は薬物使用によりB・ジョンソンの金メダルをはく奪した。9秒79の世界記録も抹消された。B・ジョンソンは五輪を追放され、代わってルイスに金メダルが与えられた。世界記録はこのレースでルイスが出した9秒92が公認された。

 ソウル五輪の男子100メートル決勝は、スポーツ史に永遠に残る名シーンとして刻印されるはずだった。しかし、薬物違反の発覚によってすべては違ったものになった。人類の『未知の領域への挑戦』を象徴するシーンは、薬物という『怪物』の恐怖とそれから逃れられないスポーツ界の『現実』を象徴するシーンへと暗転した。

しかし、記録は抹消できても記憶は残り続ける。人類があれから14年もたってようやく、薬物まみれの『汚辱の記録』を超えたとしても、記憶は深く刻印されるべきである。しかし、日本のメディアは、最も目をそらしてはいけない記憶を無視し続けている。抹消された世界記録に触れずに、日本のメディアは何を語ろうというのか。ソウル五輪でのB・ジョンソンの栄光と3日後の暗転は、けして忘れ去られてはいけない記憶である。(2002年9月16日)

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