成田好三のスポーツコラム・オフサイド

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02年のコラム

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 テコンドーの釜山アジア大会(9月29日開幕)への選手派遣が中止になった。競技団体である日本テコンドー連盟の内紛、組織分裂のために、日本オリンピック委員会(JOC)が選手派遣を取りやめたためだ。

 テコンドーについては、空手によく似ているが足技に特徴がある韓国発祥の格闘技であること、2000年シドニー五輪から五輪競技として正式採用されたこと、シドニー五輪で日本人女子選手が銅メダルを獲得したことぐらいしか知らない。選手層やファン層がどのくらいあるのか分からない。ましてや競技団体である日本テコンドー連盟の内情など知る由もない。

 競技団体の内紛、組織分裂の原因も知らない。ただ最近の格闘技人気の中で、競技団体幹部が選手を無視して自分たちの利益のために突っ走ったことで内紛、組織分裂分裂に至ったことは、容易に想像できる。

 競技団体の分裂によるアジア大会派遣中止を報じた読売新聞の記事(8月13日付)の中に気になる『言葉』があった。「視点」というタイトルの解説的記事(松本浩行記者の署名入り)で、松本記者は選手を無視いて内紛、分裂に走った競技団体を批判した上でこう書いている。

 「――関係者によれば、人間関係、金銭問題、組織論の違いなど組織が分裂した原因とされる問題は確かにいくつもあったようだが、ただ一つ確実に言えるのは、いずれも選手本人とは無関係ということだ。両派とも『競技団体の最大の財産は選手』という視点が欠落しているのが悲しい。――」

 記事は末尾近くで「テコンドー関係者は『主役は選手』という基本に立ち返り、組織の抜本的改革に取り組んでほしい」と競技団体幹部たちを諌めている。

 松本記者の見解に異論はない。しかし、『主役は選手』という言葉には共感できるが、『競技団体の最大の財産は選手』には強い違和感を覚えた。読者の多くは、『競技団体の最大の財産は選手』も、『主役は選手』も同じ趣旨を別のサイドから表現しているだけにすぎないと思うかもしれない。だが果たしてそうだろうか。

 『競技団体の最大の財産は選手』という言葉の背景には、この国のスポーツ界がほとんど前提なしで共通認識にしている、ある概念がある。競技団体と選手の「序列」、あるいは「上下関係」の認識だ。

 この国のスポーツ界では、選手は個人として、あるいは一人格としては、ほとんど無視される存在である。残念ながら『主役は選手』は、試合においてのみ意味をもつ言葉でしかない。

 高校野球の監督はほぼ例外なく選手を「子どもたち」と称する。硬式野球ほど世間の注目を集めない他の高校スポーツにしてもそうだ。高校スポーツは年少者に対する教育の一環なのだそうだから、そういう言い方もあるいは許されるのかもしれない。だが、監督たちがその意味を考えることもなく口にする「子どもたち」とはどんな存在なのだろうか。

 W杯サッカーでNHKのTV解説者を務めた、元日本代表監督でJリーグチームの監督経験者でもある人物は、解説の中で自らを「指導者」と位置付けていた。プロリーグにおけるプロの監督は果たして「指導者」なのだろうか。

 高校野球の監督とサッカーの元日本代表監督の立場は大きく違うが、両者の意識にはある「共通項」がある。未熟な年少者、あるいは選手たちを教え諭す「教育者」の意識である。

 選手は試合以外では無視されるべき、監督の庇護が必要なほど危うい、弱々しい存在なのだろうか。そうではないはずだ。スポーツはまず選手自らのために存在する。次に選手のパフォーマンスを楽しむ観客のためにある。監督は選手を補佐することが本来の仕事のはずだ。競技団体はその競技における最大のサポーターである。

 しかし、この国では長く、選手と監督、競技団体とが「倒立」した関係にあった。選手より監督が偉く、その上にチームの上層部があり、競技団体はさらにその上に君臨する存在だった。こうした関係は本来の姿ではない。

 読売新聞の記事に立ち戻って言えば、『選手は競技団体の財産』ではなく、選手あってこそ競技団体は存在できる。選手をサポートする立場であることを忘れ、選手を無視して内紛、組織分裂に至ったテコンドーは「倒立」した競技団体の極端な例だろう。

 アジア大会派遣に絡んでテコンドーの競技団体の内紛は、この春あたりから何度か新聞に取り上げられてきた。大きな扱いではなかったが」、新聞は節目ごとにその内紛の経過を追ってきた。しかし、本来「主役」であるはずの選手の意見をメーンに取り上げた記事は知らない。新聞がそうした取り上げ方をしなかったこと、選手も大きな声を出さなかったこと、その両方の結果だろう。

 テコンドーの内紛、組織分裂の問題は、極論を言えば、選手が競技団体に対してはっきりと選手の立場を主張することなしに解決はしない。アジア大会に参加できないこと、さらには2004年のアテネ五輪参加も危ぶまれる事態を招いたのは誰の責任なのか。その責任を問えるのは、最大の被害者である選手だけだ。そのためには選手の「自立」が前提条件になる。(2002年8月16日)

 スポーツは嫌いである。少なくとも、いまある「かたち」の日本のスポーツは嫌いである。

 スポーツは、第一義的にプレーする選手(チーム)自身のためにある。次いで彼らのプレーをさまざまな意味で享受する観客のためにある。監督やコーチなど「指導者」のために、スポーツがあるのではない。競技団体幹部や、選手やチームが「従属」する企業の社長、ましてや総務部長、勤労部長の中に存在するものではない。

 日本の戦後社会は、スポーツを「文化」としてではなく、「道具」として扱ってきた。「文化」は自らとそれを共有する人たち「意思」によって存在し発展していく。一方、「道具」は自らのためではなく、誰かの何かの「目的」のために存在する。

 日本におけるスポーツはいつも、何かの、誰かのための「道具」でしかなかった。「目的」のための「手段」の一つである「道具」は、その役目を終えれば切り捨てられる。それは、「道具」としては当然のことだ。役目を終えた、あるいは時代に合わなくなった「道具」を、経済活動の「手段」として使い続ける人や組織はない。「骨董品」としての、特殊な目的以外には、もはや誰にも見向きしなくなる。

 日本のスポーツは学校と企業にが支えてきた。学生スポーツとともに、長く日本のスポーツを支えてきた企業は、いまや彼らの「道具」であったスポーツを切り捨てようとしている。日本を代表する企業は、われ先にと自らが「所有」するスポーツ部の廃部(休部)を発表し続けている。特別な企業の特別なスポーツ部の廃部以外は、もはやメディアは二ユースとしての価値を認識してはいない。

 
 学生スポーツも、企業スポーツ部の廃部によって大きな影響を受けることは明らかだ。卒業後の競技者の受け皿がなくなってしまうからだ。卒業後に自らを受け入れる体制のない「道」を、しかも極めて困難な「道」をあえて選択する若者がどれだけいるだろうか。しかも、学生スポーツは少子化によってさらに深刻な影響を受ける。

 戦後日本のスポーツを半世紀以上にわたって支えてきた企業スポーツはいま、その役割を終えて舞台から退場しようとしている。そのことは、良いとか悪いとかの問題ではなく、歴史的な流れである。

 日本の戦後社会は、スポーツだけでなく、ほぼすべてが企業を中心に構成されてきた。学校を卒業した若者は自らのすべてを企業に従属させた。企業は彼らに終身雇用と年功序列賃金でこたえた。高度経済成長そうしたシステムを根底から支えてきた。企業も社会も常に拡大再生産(成長)を繰り返すことが前提になった。しかし、そんな幸福な社会システムはバブル崩壊後、とうの昔に終わってしまった。それでも日本社会は役割を終えたシステムを新しいシステムに切り替えられずに、いまももがき続けている。

 日本の戦後社会特有のシステムである企業スポーツもバブル崩壊とともに終わってしまった。企業はもはや、企業の内部目的のために選手やチームを企業内に丸抱えする目的を失ってしまったからだ。

 しかし、このことはスポーツが誰かの何かのための「道具」ではなく、文化として自立するためには避けて通れない道だとも言える。冒頭にも触れたが、スポーツは第一義的に選手と選手のプレーを享受するファンのためにある。だから、スポーツは、選手とファンを主体として再構成されなければならない。

 企業は、再構成されたスポーツとその主体をサポートする新たな立場に就くべきだ。これまで企業まかせで、ろくに金も知恵も出さなかった国家や地方自治体は、彼らが担うべき役割を認識し、そのことにきちんとした責任をもつべきだ。

 スポーツを丸抱えしてきた企業が相次いでスポーツの舞台から退場し続けるいまこそ、日本のスポーツが生まれ変わる絶好の機会だろう。この機会を逃したら、日本のスポーツは壊れてしまう。そうしないためには、スポーツを「道具」としてではなく、選手やファンを主体として再構成し、かけがえのない「文化」として自立させなければならない。(2002年8月3日) 

 この国の社会システムで最も問題なのは、権力交代のシステムが存在しないことだ。それが言い過ぎだとしたら、権力交代のシステムが極めて未発達で未成熟だと言い換えてもいい。

 地方新聞の記者をとして長く市町村行政や市町村の選挙を「観察」してきた。その結果、少なくともひとつのことだけは「確信」をもった。

 市町村長など権力者は、けして自ら進んで権力を手放すことはない、ということだ。3期、4期、5期と、つまり12年、16年、20年と市町村の首長を務め、誰が見ても引退するのが当たり前と思えても、自らの判断により、きっぱりと引退する首長は極めて稀である。

 彼らは「仕事は十分やった」「未練はない」などと言いながらも、最後の最後、ぎりぎりまで追い詰められるまで、再選への道を模索し続ける。いや、もがき続けると言ってもいい。

 彼らの引退は、他者から有形無形の圧力を受け続け、ついには「引導を渡される」という形でしか、まず成立しない。いったん権力を手中にした権力者は、ほぼ例外なく権力にしがみつく。それが現実である。

 一方、権力者は彼個人だけでは存在できない。観力者の周囲には常に、多くの人たち、権力のおこぼれに預かろうとする人たちが群がる。

 高潔な精神をもって初当選した首長がいたとしても、彼らが3期、4期、5期と長期政権を継続する中で、権力のおこぼれに預かろうとする多くの人たちに取り囲まれる。その中には暗黙のうちに権力者を自在にコンロロールしようとする人たちも交じる。

 権力の利害得失とは別に支援した人たちは次第に遠ざけられる。あるいは、そうした人たちも時間とともに「変質」していく。

 そして、権力者と権力者を取り囲む人たちは「運命共同体」化していく。権力者は彼を取り巻く人たちがいなければ存在し得ないし、権力者を取り囲む人たちは、権力者なしには権力の分け前を得られない。彼らの「サークル」は極めて強固なものになっていく。それと裏腹の関係として、彼らは他者への排除を強めていく。

 しかし、権力者もいずれは退任するときがくる。高齢、病気、スキャンダル――。理由は様々だが、権力者も生身の人間だから、そのときが来ることは避けられない。だが、権力者が退席しても、権力者を取り巻く人たちが同時に退席することはまずない。

 彼らは既に強固な「権力維持システム」を構築してしまったからだ。このとき、権力者は生身の人間ではなくなっている。「システム」と一体となった「機関」に変貌している。

 彼らは、彼らの権力を維持するために新たな権力者を探し出す。「後継者」である。最も摩擦の少ない選択肢は、二世候補など権力者の身内からの擁立になる。一度、権力を手にした権力者を取り囲む人たちは権力の「連続性」「継続性」を確保する。こうして、権力者個人は代わっても権力を支える構造はなんら変わることなく続く。

 この国で戦後半世紀以上も続いてきた、こうした権力構造がいま、社会を動かすシステムとしてどうにも動かなくなってきた。「制度疲労」が限界に達したのだ。しかし、あまりに強固に結びついてきた権力構造は、通常の社会変化では壊れない。

 地方政治も国政も、経済社会も、基本的には同じ権力構造から「脱皮」できないでもがいている。

 日本のスポーツ界を支配する権力構造も、これまで述べてきたことと同じだ。いや、どうにも「脱皮」できない権力構造の典型がスポーツ界だと言ってもいい。

日本体育協会(日体協)、日本オリンピック委員会(JOC)をはじめ、各競技団体の「長」 について少しでも考えて見ればいい。彼らはどんな人物なのか、どうして「長」に選出されたのか、その選出方法はどんなものなのか、彼らの「後継者」はどんな人たちが、どんな方法で選出されるのか――。

 何ら変わりようのないシステムの中で「長」、つまり権力者たちは再生産されていくだけだ。権力交代のスステムが存在しない弊害は、スポーツ界においていま、最も端的に表れている。(2002年8月3日)

 小学校時代の「校庭と芝生」に関する記憶について語りたい。何とも奇妙で不思議な記憶なので、今でも筆者の脳みその片隅に焼きついたように残っている。

 その前に、その小学校について少し触れておきたい。1960年代初頭の、純農村地帯の小さな学校だった。小学校は、中世には山城があったと伝えられていた小高い丘の上にあった。何の変哲もない木造校舎と校庭(グラウンド)だった。校庭の中央近くには何故か松の巨木が一本だけ立っていた。今にして思えば、山林を切り開いて学校にした村人たちは、その山の「主」のような、この巨木だけは切れなかったのだろう。

 校庭は当然のごとく「土」だった。しかし、ある時から校庭の一部は「芝生」に変わった。先進的な考えをもつ校長が赴任したからだ。彼は長年あたためていただろう斬新なアイデアをこの学校で実現させた。村長や教育長、父母たちを説得したのだろう。校庭の一部、松の巨木を境にして半分ほどに芝生を植えさせた。1周200メートルほどのトラックの中(陸上競技場でいうフィールド部分)とトラックの外側は芝生で覆われた。作業は父母の「勤労奉仕」によって行われた。

 子ども心にも「芝生はきれいだな」と感じた記憶が残っている。子どもたちは芝生の上でかけっこをしたり、松の巨木を拠点に鬼ごっこをしたり、ソフトボールやドッジボールで遊んだりした。

 1960年代初頭の社会状況を考えれば、芝生の上で遊んだ子どもたちは「特権階級」だった。あのころ、都会の、高額所得者の子弟が通う私立小学校でも、芝生で覆われた校庭で自由に遊んだ子どもたちはどれだけいただろうか。

 21世紀に入った今でさえ、校庭を芝生にしている学校などほとんどない。校庭は1960年代はもちろん2000年代も「土」で覆われている。それが変わらぬ日本の「常識」である。

 しかし、子どもたちがその「特権」を享受できたのは、そんなに長い時間ではなかった。1年後か2年後だったか、校庭の芝生は突然、「立ち入り禁止」区域になってしまった。半円形の竹ひごのサークルで囲い込まれた。芝生の中では遊べなくなってしまった。

 たぶん、先進的な考えをもった校長が転任したのだろう。あるいは心がわりをしたのかもしれない。子どもたちが勝手に遊べば芝生が傷む。校庭の芝生は「遊ぶところ」から「眺めるところ」に変わってしまった。目的が変わってしまった後も、父母たちの勤労奉仕作業は続いていた。芝生を維持するには絶えざる手入れが必要だったからだ。

 この国では長い間、芝生はその上で遊ぶためではなく、眺めるためのものだった。校庭は今も昔も変わらず土で覆われているし、公園の芝生もつい最近までは「立ち入り禁止」だった。

 日本人の「芝生観」を変えさせたのは、バブル期のゴルフブームとサッカーのプロリーグ・Jリーグの誕生だった。バブル期のゴルフブームはスポーツとしてのゴルフとっては、ほとんど致命的な傷跡を残した。しかし、芝生の上で遊ぶことの楽しさを教えたのはゴルフブームだった。だが、大人たちにとって芝生の上での遊びはよほどの高級感を伴っていたのだろう。校庭に芝生を張り、子どもたちに芝生の上で遊ぶことの楽しさを教えるなどという、贅沢なことは考えもつかなかった。

 Jリーグも大きく貢献した。1993年の開幕当時は、競技場の荒れた芝生に緑色に着色した砂をまき、テレビ映りをようくしようとしたことさえあった。それが今では、Jリーグの会場は年間を通して緑の芝生に変わった。

 Jリーグ誕生前、冬の国立競技場で開催された、クラブ世界一を決めるトヨタカップは、冬枯れの高麗芝の上で行われていた。枯れた芝の上での世界一決定戦を世界中の人たちがテレビをと通して何度も何度も観戦した。高麗芝は冬には枯れるなどということを知らない、欧州や南米の人たちは、世界一決定戦を何故こんなひどい競技場で行っているのだと、不思議がっただろう。

 2002年の日韓共催ワールドカップによって、この国には世界レベルの芝生をもった巨大の競技場と、もっと多くのサッカー用練習場がつくられた。国内10開催都市のスタジアムと、キャンプ地誘致を見込んだ各自治体の施設だ。特にキャンプ地誘致のためにつくられた施設は、全国にどれだけの数があるのだろうか。

 巨大なスタジアムやサッカー用練習施設は、これからどう使われるのだろうか。巨大スタジアムの運営赤字の問題はメディアでも取り上げられたが、練習施設の利用計画はあまり聞かない。W杯用につくったはいいが、その後の利用計画は後回しというのが現状ではないか。

 これらの巨額な税金を投じた施設をどう国民のために利用していくのか。その一点だけを考えても、既に時代遅れになった企業・学校スポーツに変わる新しいスポーツの形態を考える必要性が理解できるのではないか。これらの施設、とくに全国の自治体が争うようにつくったキャンプ地用練習施設は、企業・学校スポーツの枠内で使いきれないことは明らかだ。ならば、総合型地域スポーツクラブの拠点としてなどの利用方法を早急に検討すべきだ。それも役所だけで考えるのではなく、それを使う市民が主体となって考えていかなくてはならない。

 1960年代初頭の小学生たちはたった1年か2年でその「特権」をはく奪された。しかし、彼らは短い期間だったとはいえ特権を享受できた。しかし、巨大スタジアムや練習場を何の利用策も考えないで放っておくことは、膨大な税金の無駄使いにしかならないばかりか、危機的状況にある日本のスポーツの未来を、さらに不透明にさせるばかりだ。(2002年7月27日)

 W杯サッカーがついに終わった。期間中、NHKや民放各局は大騒ぎをした。日本戦の高視聴率は予想されていたが、外国勢同士の試合も軒並み30―40パーセント台の視聴率をたたき出したからだ。

 各局の中で特にはしゃいでいたのはNHKだった。W杯番組のメーンキャスターには、「ニュース10」を降板したアナウンサー、堀尾正明を抜擢。通常ニュースのメーンアナウンサーも、解説者といっぱしのサッカー通のようなやり取りをしていた。

 堀尾がかなりの芸能通だとは知っていたが、サッカーに関しても並外れた知識と見識を備えていたとは気付かなかった。通常ニュースのアナウンサーもサッカーに詳しい人ばかりのようだ。さすがにNHKは「人材の宝庫」だ。――以上は皮肉です――

 NHKや民放各局のW杯中継とその関連番組を見て、「日本にはこんなに多くのサッカー解説者がいたなんて知らなかった」と、自らの不明を恥じた人も多かったのではないか。――私もその一人です。これも皮肉ですね――

 なかでもNHKの「大量投入」はすごかった。W杯中継、関連番組から朝夕の通常ニュースまで、ほとんどとっかえひっかえといった具合に、解説者を並べ立てた。しかし、そのほとんどは「にわか解説者」だった。多くはNHKの描いたシナリオの枠内で解説役を演じたにすぎない。

 そのなかで、ひとりだけ新鮮な解説者がいた。名古屋グランパスなどで攻撃的MFとして活躍した元日本代表、浅野哲也だ。全国的な知名度は高くないが、その明るさとすがすがしさは、本格的な解説者としての未来を感じさせた。
 
 「物量作戦」にでたNHKで特別扱いされた解説者が2人いた。日本が初出場を果たした1998年のフランスW杯直前まで代表監督を務めた加茂周と、加茂の下で代表コーチを務め、加茂の解任後は代表監督に就き、フランスW杯本番を指揮した岡田武史である。

 加茂の解説は彼なりにすっきりしていた。日本人初のプロサッカーコーチである彼は、プロコーチの眼で試合の流れをとらえていたと思う。

 岡田の解説には少なからず疑問がある。試合の本筋とは違う、欧州の有名選手や名のある監督との交流の深さをひけらかしていたように感じた。何か言外に、「私もトルシエ後の代表監督候補です。お忘れなく―」とアピールしているようにも聞こえた。

 それはともかく、岡田が解説の中で繰り返し使っていた、ある『言葉』にひっかかった。「私たち指導者は―」「指導者としては―」という言い方だ。

 代表監督辞任後も昨年までJ1・コンサドーレ札幌の監督を務めていた岡田氏は、『指導者』なのだろうか。

 サッカーもプロ化する前、日本リーグ時代には監督、コーチは『指導者』だった。高校野球や大学野球の監督、コーチをそう呼ぶのとのと同じ意味でだ。しかし、同じ野球でもプロ野球では監督、コーチを『指導者』とは呼ばない。彼らはプロの監督、コーチだからだ。サッカーもJリーグの監督、コーチはそう呼ばなくなった。

 『指導者』は日本的、かつアマチュア的概念を内包した言葉である。広義の「教師」「先生」の意味をもつ。より上位の者が未熟な下位の者を教育する。そういう意味合いのある言葉でもある。それぞれ独立したプロの監督、コーチとプロの選手が互いの立場を理解した上で対峙する。そういう世界には似つかわしくない言葉である。

 しかし、岡田は自らを『指導者』と位置付けている。彼はいまだに日本的、アマチュア的概念を捨てきれない、あるいはそうした概念に引きずられた精神構造をもった人間であることが、無意識的に発した『指導者』という言葉に表れている。

 日本サッカー史に残る、ある「事件」を思い出した。その事件はW杯フランス大会の直前に起きた。事件の主役は岡田だった。もう一人の主役は、当時の日本サッカー界の「王様」、三浦知良だ。W杯本番直前、フランスでの最終合宿後に岡田は3人の代表候補を切った。三浦と北沢豪、それに今大会に出場した若手の市川大祐だった。市川は代表に同行したが、三浦と北沢は岡田の同行依頼をけって帰国した。

 あの「事件」により、日本は大会前にチームとして「致命傷」を負った。当時は理解されなかったが、日本、韓国共催のW杯を経験した多くのファンにとって、「致命傷」の意味を理解することはた易い。チームの「柱」を大会直前に切り捨てることの危険性の認識が深まったからだ。

 トルシエが自分と対立した中田英寿を切り捨てたら、日本の決勝トーナメント進出はなかった。さらにトルシエは最終選考で、それまで相手にもしなかった中山雅史と秋田豊を招集した。それが日本とトルシエの「成功」につながった。

 本番直前にチームの「主役」を切り捨てることがどんなに危険なことか。岡田には理解できなかった。それは、チームはもちろん、サポーターやもっと広範囲な層であるファンに大きな動揺を与える。今大会前、ブラジルのフェリペ監督は、多くの国民が望むロマーリオを切った。だが、大会直前までロマーリオを引っ張り回すなどという愚は犯さなかった。監督の権限と責任とでロナウド中心のチーム構成を決めていたからだ。

 岡田はフランス大会前に、中田英寿と城彰二をチームの軸にすえることを決めていたはずだ。だとしたら、もっと早い段階で三浦と北沢には引導を渡すべきだった。しかし、彼にはそれができなかった。迷いに迷った挙句、本番直前に2人をはずした。しかし、それは最悪の時期での決断だった。当時、プロ中のプロであった三浦は、岡田の決断、いや決断の時期をけして許さないだろう。

 岡田の迷いと決断の背景には、未熟さとともに彼のアマチュア意識があった。上位の『指導者』は下位の立場にある『選手』を恣意的に扱えると言う意識だ。それが大会直前の『追放』という、最悪のシナリオにつながった。

 トルシエにも岡田と同様の精神構造がある。トルシエはプロのサッカー監督だ。だが、彼は代表(候補)を本質的な意味でプロとして認めていなかった。彼は代表(候補)を「息子」と呼んでいた。高校野球の監督たちが選手を「子どもたち」と呼ぶのと同様の精神構造である。彼は御雇外国人として後進国を『指導』するために極東の島国にやってきた、という意識がある。お調子者の日本のメディアは代表を「トルシエの息子たち」と形容したが、それは、いわば後進国の自虐趣味の反映でもある。

 トルシエと中田英が激しく対立した原因は、極論すればプロ中のプロである中田英が「トルシエの息子」になることを拒絶したことによる。

 この原稿を書いている7月上旬に、次期代表監督は鹿島アントラーズ総監督のジーコでほぼ固まった。岡田の代表監督の目は完全に消えた。それはいまの日本サッカー界にとって良いことだろう。W杯を経験した選手はいまよりもっと強いプロ意識をもつことになる。日本的、アマチュア的概念、『指導者』の意識をもった代表監督はもう必要ない。
 
 プロ中のプロである代表監督と、自立したプロである代表選手、さらにプロ意識をもってサポートする日本サッカー協会。その三者が「ハーモニー」を奏でるのではなく、「コラボレーション」を行う。そうした関係が成立しなければ、日本サッカーの飛躍はあり得ない。(2002年7月5日)


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