成田好三のスポーツコラム・オフサイド

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02年のコラム

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 6月はサッカー・ワールドカップ(W杯)の季節だ。開催国の日本、韓国はもちろん、世界中の人々がこの不思議な競技に熱狂するだろう。ボールゲームにはいろいろあるが、人間の最も人間らしい「部品」である手(正確には腕を含む)を使うことを禁じた競技はサッカーだけだ。この競技は人気、金銭的な利益などあらゆる面でボールゲームの、いや全スポーツの頂点に立つ。

 ジダン(フランス)、ベッカム、オーエン(イングランド)、ラウル(スペイン)、フィーゴ(ポルトガル)、ロナウド、リバウド、ロベルトカルロス(ブラジル)、バティスツータ(アルゼンチン)、チラベルト(パラグアイ)――。素人の私でも数え上げたらきりがないほどのスーパースターがやって来る。しかも顔見せではなく、彼らは名誉と金銭的利益のために本気のプレーを見せてくれる。

 6月、日本のスポーツ界はW杯に『敬意』を表して変則日程を取る。サッカー・Jリーグは国際的慣例に従って長期の休みに入る。プロ野球もW杯に『遠慮』して試合数を減らす。プロ野球機構としては賢明な判断だろう。W杯の熱狂には勝てるはずもないからだ。

 日本は、スポーツ界ばかりでなく社会全体がW杯一色に染まってしまうだろう。よほどの突発的な『大事件』、つまり戦争か巨大なテロでも発生しない限りは、間違いなくそうなる。日本のメディアはその特性を遺憾なく発揮して、紙面やテレビの放送枠の限界を超えてまでW杯関連のニュース、話題で埋め尽くしてしまうだろう。そして、そのほかのあらゆるニュース、話題は不当な『評価』を得るか、『抹消』されてしまう。

 6月にはW杯以上に注目しているスポーツイベントがある。7、8、9日に金沢市で開かれる日本陸上選手権だ。しかし、注目しているのはたった1種目、男子100メートルだけだ。「あれから4年も待ったのだから、そろそろ扉を開けてほしい」。そう願っているからだ。

 人類が初めて100メートルを9秒台で走ったのはメキシコ五輪優勝のジム・ハインズ(米国)だ。記録は9秒9だった。記録はその後、電気計時の9秒95として公認された。現在の世界記録はモーリス・グリーン(米国)の9秒79だ。――『9秒79』は、ベン・ジョンソンがソウル五輪で記録し、その直後に薬物違反により抹消された記録と同タイムであることは忘れてはいけない――

 100メートルの記録が9秒台に入って以来、記録更新は全て黒人選手によって成し遂げられた。逆の言い方をすれば、黒人選手以外で100メートルを9秒台で走った選手はいない。黒人選手、白人選手、黄色人種の選手といった『色分け』は好きではない。スポーツにおいても『人種差別主義』には、新たな問題になってきた『過剰なナショナリズム(国家主義)』以上に嫌悪を覚える。しかし、ジム・ハインズがメキシコで9秒台に突入して以来、記録を更新してきたのは黒人選手だけだという事実は覆い隠せない。

 ――ソ連と東ドイツなど東欧の共産主義体制が1980年代に崩壊しなければ、9秒台で走る白人選手が誕生していただろう。スポーツ界の薬物汚染はソ連と東ドイツなど東欧諸国の『ステートアマ』体制によって生まれた。共産主義体制においては、スポーツ選手は『特別な兵士』だった。彼らは『国威発揚』のために西側諸国の選手と戦った。戦争には基本的にルールはない。『勝てば官軍』だ。だからあらゆる『道具』を駆使する。薬物もその道具のひとつだった。薬物はその後、西側諸国に持ち込まれ蔓延した。それは現在もスポーツのプロ化、ビジネス化の代償として拡大し続けている――

 黒人選手以外で9秒台に最も近い走りをした選手がいた。日本の伊東浩司だ。1998年12月のバンコク・アジア大会。熱帯のうだるような暑さの中で伊東は、特別の走りをした。速報は9秒99。だがその直後に速報は訂正され、公式記録は10秒00に変わった。たった100分の1秒差だ。その差はゴールでの伊東のあるアクションによって生まれた。ゴールで伊東は両手を突き上げた。日本流でいえば、『万歳』をした。そのアクションが100分の1秒差になった。私は勝手にそう思っている。

 伊東の意識の中では、両手を突き上げるアクションはゴール後だったろう。だが、人間があるアクションを起こすためには脳の中で準備作業(準備時間)が必要になる。伊東は無意識のアクションによって黒人以外では初の、100メートルを9秒台で走る選手という『栄冠』を失った。(2002年5月23日)

そのガラスの器については何も知らない
ただ一服の茶をもらっただけだから

そのガラスの器がだれの作かなんて知らない
うす緑色のまっ茶があわ立っていただけだから

そのガラスの器がどんな形をしていたかも知らない
一服のあと両手でなで回していただけだから

半透明の青色の底にうす緑色の影がしずむとき
ぼうぼうと風が吹く野っ原があらわれた

そこにひとつのガラスの器があった
                    (2002年5月27日)

完璧な動作を身に付け
完璧な照明のもとでパフォーマンスする
完璧な肉体は何故か
無機質化する

だから
完璧な動作を身に付け
完璧な照明のもとでパフォーマンスする
完璧な肉体には
「小道具」が必要になる

下着のたぐいだったり
ある種の拘束具だったりするが
それは一般に理解されることとは違い
無機質化への対抗手段として使われる

かなしみは
そこにあるものの不具合によってではなく
かなしみは
そこにあるもののあまりの完璧さによって表出される

やわらかい肉の表面は
完璧な形と動作と
そしてなにより、絶対的な色彩の添付によって
鋼のかなしみにかわる

ムーランルージュの踊り子たちよりかなしいのは
コンピュータによって切りとりえぐられた
植物の部品たちのかたちと色である
半分しおれたざくろであり、ひびわれたすいかである

この世界のなかで植物の種ほど根源的な存在はない
極小の存在でありながら全体でもあるからだ
コンピュータの透明な台紙のうえにばらまかれ
踊り子たちよりもっと乾いた視線にさらされる

植物の種たちはざくろやすいかのようには
しおれたり干からびたりすることもできない
最も根源的な自然が部品として切りとりえぐられたとき
それは鋼よりも無機質のかなしみに変わる

                    (2002年5月21日)

 ※およそ30年ぶりに「詩のごときもの」を書きました。3月に笠間日動美術館で、アントワーヌ・プーペルの写真展を見て即興的にメモしたものです。しらく放っておきましたが、「オフサイド」の番外編として収録しました。

 1988年のソウル五輪は、日本人にとって印象の薄い大会だろう。招致合戦で名古屋が敗れてしまった上、お家芸と言われた柔道は惨敗の連続で、大会最後の種目になった男子無差別級で斎藤仁が何とか唯一の金メダルを手中にし、日本柔道界は「責任」を回避した。表彰台の上での、斎藤の涙はテレビ画面の上で大写しになった。斎藤の涙が競技団体幹部の責任まで洗い流してしまった。――ソウルでの「責任回避」は、日本柔道の、後の「国際的な孤立」につながった。柔道着のカラー化を拒否して敗れたことと、シドニー五輪での篠原の敗戦には、同根の原因がある――

 金メダルを期待された陸上・男子マラソンは、中山竹通が4位入賞したが、だれも彼を評価しなかった。悲しいことだが、それが日本と日本人の現実だ。――氷雨の福岡国際で、スタートから突っ走った中山のイメージは多くの日本人の心から消えてしまった。疲労困ぱいしていた中山は競技場に入る直前にコースを間違えそうになった。代表選考レースの福岡国際(同じ年ではない)をけがのため欠場、びわ湖国際で「政治的」に出場を決めた瀬古利彦はまったくの圏外だった――

 日本と日本のメディア(つまり日本人)は、全てを競泳・男子100メートル背泳の鈴木大地に託した。もっと正確に言うと、彼の「バサロ」スタートに託した。彼は、中山や瀬古とは違い、日本人の期待に応えた。その報酬として彼はソウルにおける日本人唯一の『スター』になった。

 ソウル五輪は日本と日本人を埒外において、人類がとてつもない記録を打ち立てた大会として長く記録、記憶される大会になるはずだった。それは近代スポーツにおいて最も根源的競技であるレスリングと陸上競技のうち、陸上競技の基本中の基本である、男女の100メートルで成し遂げられたはずだった。だが、ソウルは『不幸な五輪』へと突然暗転した。

 女子100メートル決勝。米国のフローレンス・グリフィス・ジョイナー。長大な身体に口ひげ―筆者にはそう見えた―まではやし、長い爪に「ネールアート」をほどこした彼女は、極めて不自然な笑顔でゴールに飛び込んだ。記録は10秒54。彼女がその年、米国予選でマークした『10秒49』(世界記録)には及ばなかったが、とてつもない記録であることには変わりはない。彼女はソウルの200メートルで『21秒34』の世界記録を出した。あれから14年たった今も、彼女の記録は破られることがない。もっと言えば、ほとんど「更新不能」の記録だ。

 彼女は、東側、つまり旧ソ連や東ドイツに対抗するために西側が生み出した『最終兵器』なのかもしれない。『10秒49』の成立とソウルでの勝利のすぐ後で、彼女は競技生活を止めてしまった。しかも彼女は40歳を前に急死してしまった。誰も彼女から『真相』を聞き出すことはできない。

 男子100メートルの結果は、もっと明瞭に表れた。人類を代表する二人の『スーパーヒーロー』の対決になったからだ。カナダのベン・ジョンソンと、アメリカのヒーロー、カール・ルイス。『人類最速のランナー』は、同時に二人必要としない。だからこそソウルは『特別の大会』になるはずだった。

 ソウルでの男子100メートル決勝の映像は、いまも鮮明に筆者の脳みそに焼き付いている。圧倒的な速さでゴールを駆け抜けたベン・ジョンソン。遅れをとったカール・ルイスはゴール直後に、右前方にいたベン・ジョンソンを『驚きの表情』をもって一瞥した。ゴール後、カール・ルイスはしばらく間を置いて、意を決したようだった。ベン・ジョンソンに近づき握手を求めた。握手には応じたが、ベン・ジョンソンはカール・ルイスと目を合わせなかった。二人をアップで追ったテレビカメラはベン・ジョンソンの異様に赤い目、つまり充血した目をとらえていた。――記憶だけで書いているので、詳細については事実と違うかもしれない。しかし、筆者の脳みその中では、いま書いたようなイメージが焼きついていて、どうしても離れてくれない――

 陸上競技の100メートルは『特別な種目』だ。それ自体が『競技』として独立しているかのような意味をもつ。それは、男女とも『人類最速のランナーを決める『種目』、もっと言えば陸上競技から独立した『競技』だからだ。

 ベン・ジョンソンの栄光はすぐに終わった。翌日か翌々日朝、彼はソウルのホテルを逃げ出した。IOC(国際オリンピック委員会)がドーピング違反を認定したからだ。彼はメダルを剥奪され、ソウルで記録したとてつもない世界記録『9秒79』も抹消された。

 2000年のシドニー五輪。女子は米国のマリオン・ジョーンズが、期待された5冠はならなかったものの100メートルを含む3冠を達成した。しかし100メートルの記録は『10秒49』には遠く及ばなかった。男子はモーリス・グリーンが優勝した。しかし彼はベン・ジョンソンの『汚辱の記録を』超えられなかった。モーリス・グリーンはシドニーの前年、19999年に世界記録『9秒79』をマークしていた。いまも世界陸連の公式記録はモーリス・グリーンが持つ。だが、彼の記録は『人類最速』ではない。『人類最速タイ』である。――モーリス・グリーンと400メートルの王者、マイケル・ジョンソンは米国メディアに踊らされる形で、シドニー五輪前に不思議な『確執』を演じた。それが『特別な記録更新』の妨げになったとしたら、何とも情けないことだ――

 世界最速の記録は男子において正確に言うと『タイ記録』でしかない。女子においては『闇の中』をさまよっている。国際陸連がベン・ジョンソンの記録を『不正な記録』として抹消しても、人々の『記憶』には残る。筆者の脳みその中では、ベン・ジョンソンの『残像』がいまも消えない。ベン・ジョンソンの『残像』、もって言えばフローレンス・グリフィス・ジョイナーの『残像』も消し去らなければならない。その時はいつ来るのだろうか。(2002年5月19日)

 ※『9秒79』があまりに長くなってしまったので、日本人最速ランナー(あるいは黒人選手以外の最速ランナー)については、次回に書きます。

 ソ連邦最後の大統領、ゴルバチョフと二人三脚で「新思考外交」を展開していたシェワルナゼ外相は議会で突然、「『独裁』がやって来る」と演説して外相を辞任、故郷のグルジア(共和国)に帰ってしまった。

 シェワルナゼの言った『独裁』の意味を巡ってさまざまな憶測が飛び交ったが、真相は今もやぶの中だ。シェワルナゼ氏自身、その意味を解説しなかった。しかし、外相辞任以降、ゴルバチョフ氏の権威は失墜し、世界を二分した東側の超大国であったソ連邦は、音を立てるように崩れていった。
 シェワルナゼの『独裁』は、自身とゴルバチョフ、そしてソ連邦、ソ連邦を実質的に支配するロシア(ロシア人)に対する『警告』だったことは確かだ。公式の場では明確にできない、極めて深刻な『事態』について、政治的に最も刺激的な言葉、『独裁』を使って表現したのだろう。

 『独裁』とは特定の個人、団体、組織、階級が合理的理由なしに他者を支配する権力をもつことだ。その権力が極端にある個人に集中する場合、彼は『独裁者』になる。

 『独裁者』には遠い昔、『超人』のようなイメージもあった。マケドニアから東方を目指したアレクサンダー大王、ローマ帝国のカエサル(シーザー)、逆に西方を目指した蒙古のチンギス・ハン――。『独裁者』は英雄の別名でもあった

 だが、ヒトラーの出現以来、『独裁者』のイメージは逆転した。――第一次世界大戦の敗戦国であるドイツで、ヒトラーはゲルマン民族の『優位性』を煽り立てた。ゲッペルスの天才的『宣伝能力』がそれに拍車をかけた。ドイツ人はヒトラーにすっかり騙され、のみこまれてしまった――

 ヒトラー以後も『独裁者』は次々と生まれてきた。ソ連邦を恐怖による統治の国家にしたスターリン。イラクのサダム・フセイン大統領も彼らの系譜につながる人物だ。「イライラ戦争」と揶揄されたイラン・イラク戦争以降だけを考えても、彼はどれだけの期間、自国と周辺諸国の人々に苦渋をなめさせたのか。
 第二次世界大戦後に相次いで独立したアフリカ諸国では『独裁者』が次々と表れては消え、また生まれた。アジアでは『開発独裁』という奇妙な言葉が、インドネシア・スハルト大統領の退陣まで生き延びてきた。

 ヒトラー以降の『独裁者』の系譜をたどってみると、唯一ある共通項に出くわす。彼らが次第に『矮小化』されていくことだ。ヒトラーも、スターリンも、サダム・フセインも、そしてインドネシアのスハルトも、実のところ極度に小心で臆病な、一人の『裸の存在』としては『矮小』な人間であることが分かってきた。

 それはたぶん、彼らの『矮小化』はもちろんだが、彼らを見る側である一般人の『視覚の精度』が向上したためだろう。

 現在の日本には『独裁者』はいない。多くの人はそう思っている。だが本当にそうだろうか。組織、団体、機関、それらの意思決定は、臆病で小心で矮小な人間に委ねられてはいないのか。この国は『ミニ独裁者』で満ちあふれている。そうは思えないだろうか。

 この国の外務省は、鈴木宗男が『ミニ独裁者』であることを許容した。東大卒業の肩書より、在学中に外交官試験に合格したという『ステータス』を選択した外務省キャリア官僚は、東大中退という『特別な肩書き』を手に『永久雇用』の外務省に入った。そんな彼らは『たたき上げ』の鈴木宗男の権謀に何ひとつ対抗できなかった。誇り高いドイツ人が『ゲルマン民族の優位性』にすっかり騙され、のみこまれてしまった構図とどこが違うのか。

 中国・瀋陽の亡命事件で、外務省の見解をまともに信じる日本国民は誰もいないだろう。外務省が自らの調査結果を『公表』するたびに、中国側から『具体的事実』を伴って反論される。反論に再反論するとまた『新たな事実』を突きつけられる。それ以前に、瀋陽領事館で、門扉にしがみつく母親たちの姿に悲しみ、悲鳴を挙げ、泣き続け、そしてついに一切の表情をなくして立ち続けた幼女の『映像』の前では、全ての『えせ合理的な説明』は意味を失う。

 中国の武装警察官に帽子を渡す外務省官僚の姿――。彼らを容認することは、鈴木宗男的『ミニ独裁』を許すことと同じではないか。

 5月17日、サッカー・ワールドカップの日本代表23人の名前が発表された。日本のメディアはほとんどすべてトップニュースとしてこの発表を報道した。しかし、その席に決定権者は座っていなかった。彼は、彼の欠席を事前に通告して、その座に座ることを拒否した。彼のわがままを許したのは、『独裁』に対し、何の意識もない、日本サッカー協会幹部たちだ。それは日本のメディアも同罪だ。言葉は、単なる記号としてではなく、それを語る個人の意思によって意味を増幅させる。活字の上で、あるいは映像の上でも言葉が言葉自身を語ることは出来ない。

 W杯日本代表発表の席には、日本サッカー協会の木之本興三氏が、緊張のあまり「頬を薔薇色に染めて」登壇した。これはこっけいの極みである。「頬を薔薇色に染めて」は、ディラン・トーマスの、ある有名な詩の最初のフレーズである。その高貴なフレーズを、『ミニ独裁』を許した彼と日本サッカー協会に贈る。(2002年5月18日)  


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