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■スポーツ界の反省のなさに驚き TARO
数十年前からこの種のことは時々聞いていましたが、いまだに実情は同じなんですね。スポーツ界の反省のなさに驚きます。野球とかサッカーなどのもっと有名なスポーツではさらにひどいことが続いているのでは? と思わずにはいられません。
■部員全体が監督のマインドコントロールに yosihiro
このような問題は中学にも及んでいます。そして、バレーボールの監督のようなやり方を支えているのまさに父兄でもあるのです。もう15年以上も前、私の娘が中学のテニス部に在籍していた時のことでした。テニス部の監督が、放課後の練習後、夜7時に親に送ってもらってまた学校に出てくるように指示がありました。そして9時半まで練習をするのです。地区別のPTAで、中学生のような体力が完成していない者に、このようなやり方は健全ではないと意見を述べたところ、教頭は「部活については各々の部の監督に一任していますから、監督と話し合ってください」といって逃げます。
そして驚いたことに、同じテニス部員の親から、先生だって疲れているのをおして練習をしてくれているのにそんなことを言うのは失礼だとの意見がまかり通り、それがいやなら部をやめたらいいとまで言われました。熱が出たため練習を休むと監督に伝えると、「ああ、休め、休め。その代わりレギュラーから落ちても知らんからな」といわれ、娘は親の忠告を振り切って練習に行っていたことを思い出します。夏に帰宅して、高熱が出て、嘔吐を繰り返し、熱中症の一歩手前までいったこともありました。
高校に入ってやっと、この馬鹿げたやり方を娘は客観的に批判することができるようになりましたが、中学時代はまさに部員全体が監督のマインドコントロールにかかってしまっていたようでした。たまりかねて辞めていく友人が友達を失っていくのを見て、残ったものはますます監督の言うことを聞かざるを得ないという状況でした。また教師は教師で自分の部が地域でよい成績をおさめなければ、教師としての存在価値が学校で認められないという、哀れな存在でもあるのです。成長過程にある青少年が、楽しみながら、心身の健康増進のためにスポーツを行うという、本来の目的が見失われてしまっているのです。春・夏の高校野球の華麗なマスコミ報道の影にも、昔の一種のファッショ的な狂信が隠されているようないやな気がしてなりません。
■教育優先が基本 elee
高校生バレー児のあこがれの舞台を「春・高(しゅんこう)バレー」と呼び、我が児の高校のバレー部も県大会でいい所までいき、代表を狙っていました。我が家の年子の2人の子供は野球部で当然「甲子園」をめざしているのですが、違う高校なので、兄弟対決もあり親としてはどっちに応援に行くかなどさまざまな悩みもありました。
3年間2人の対照的な監督を見てきて思う事は、筆者の言われる高校レベルでの「育成」と「勝利への意思」がどちらも「教育」が優先することが基本だということです。長男の監督は子供の動かし方・接し方が非常に上手く親として「この監督にあずけて良かった」と思い、次男の監督は、怒鳴りつけ萎縮させ・・・「監督を殴りつけたい」と何人かに言わせしめる人です。(それもまた「教育」か!?・・・・私は社会の不条理を学ぶ事も教育の場にあると思っている者なのですが・・・)その結果は両校とも2回戦まで進みましたが、同時に彼らの夏が終りました。
要は「監督=教師」の人格の問題です。
2人の監督を決定的に分けたのは、長男が体の故障で「退部」を申し出た時、次男が戦外通告を受けた時です。一方は「他にやれる事は一杯ある。顔を洗って出直して来い!」といわれ、一方は「2軍残留か退部か選べ!」といわれました。「教育的な配慮」はどっちなのでしょうか。それともそんな事を部活に求めるほうが無駄なのでしょうか。部活には例の事件が発生するような下地は充分に存在するのです。
■管理された人間に独創的プレーはできない 村上 彰夫
管理された人間には、ロボットのようなプレーは強要出来ても、人を感動させるような、独創的なプレーは期待出来ません。日本的な教育の相似形かも知れません。
■マスコミも背景を記載すべき 綾部 衛
このような事件がおきると、マスコミは決まって一点だけをみて加害者(?)を総攻撃し、教育委員会と学校は簡単に処分してしまう。(コラムを読んで)事件の背後が良く判りました。マスコミもこうした背景を記載すべきであると思います。。(2004年6月)
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