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さて、前2本の記事のような1日を終わって家に帰ってきて、新聞やTVのニュースを見ると、どれもトップに福岡県で飲酒運転によって小さい子供3人が亡くなった事件の地裁判決が「危険運転致死傷罪を適用せず懲役7年6ヶ月」の判決である、というニュースが来ていた。
前にも一度書いたことがあるけど、最近のこの国の裁判をめぐるメディアや世論は、かなりおかしい。そして、この事件の報道をめぐってもやはりおかしいと思う。今日の判決を受けての、新聞やTVの報道の基本的トーンはこうである。「裁判所は法の適用のあり方に厳格であった」。そしてメディアは、この裁判所の姿勢を、否定的に報道している。はじめから、メディアにとって望ましい結論ってのが先にあるんだろう。
おいおい、いつからマスメディアは、裁判所に対し「法を拡大解釈しろ」「法を恣意的に運用せよ」と扇情的にあおる存在に成り下がったわけ? ぼくは、専門家でないからもちろん、今回の判決での危険運転致死傷罪の適用の是非について判断できるものは持ち合わせていない。しかし、それはわからなくても、「法の厳格な適用」それだけで、出された司法判断を否定できる根拠にはならない、ということぐらいわかる。それがまかり通るんだったら、本当にこの国は感情に任せた何でもありの国になってしまう。
多くの人は気づいている。なぜ、メディアがそんな報道をするか。やはり、あの3人の小さな子どもの生前の写真やビデオを必ず一緒に流す。「報道ステーション」を見ていて、そんな映像と一緒にこの事件を報道すれば心情的には見てる人はみんな被害者サイドの肩を持つのも当たり前だろ、と感じた。ああ、かわいそうな、という感情を刺激し、再生産させる。あんないたいけな子どもの命を奪った事故の張本人だ、法を超えてでも責任を取ってもらわなくちゃ、という世論を偽造しようとしている。
もしまったく、同じ事故で犠牲者がいたいけな3人の幼子ではなく、汚れた服装のホームレスだったらどうか、アジア系の外国人だったらどうか、日本の世論は、メディアは、まったく同じように反応すると言い切れるだろうか。
法律というのは、人によって運用が違ったら絶対にあかんやろ。「法の下の平等」ってやつだ。感情の赴くままに、「憎むべき犯人には極刑を」というのが大手を振ってまかり通る社会は、とっても怖い社会だ。そんな社会で生きていくのは、ココロが苦しい。
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大体は、ジョーさんと同意見です。
ただ、それが少数意見にしか過ぎないところが、慄然とする思いです。
2008/1/9(水) 午前 0:51 [ nagata ]
そういえば、自分のPNが「あさってのジョー」だということを忘れていました(笑)。 ryuuzeiさんのご意見、力強く思いますが、やっぱり、これって少数意見なのでしょうかねえ。
2008/1/9(水) 午前 0:59 [ com*o*882*00200* ]
違うかも。あちこちで見るブログでの書き込みで判決を非難するのは
、皆、匿名ですから。
サイレント・マジョリティは、彼らに反撃されるのを恐れているだけかも。
2008/1/9(水) 午前 1:08 [ nagata ]
同意見ですね。マスコミの質の低下、大衆迎合をあらゆる面で感じます。ブログなどの意見でも、同様の感情論が主流を占めていることに危機感を感じます。陪審員制度はこの国の幼稚な世論の上で正しく機能するのでしょうか。他の純粋な過失事故についての「人を一人ひき殺しておいて1〜2年くらいでのうのうと世に出てくるのか」「死刑にしてほしい」などの意見を見ると、「法治」という意味すらわからない陪審員に裁かれる危険性を感じます。陪審員制度自体は良い制度ですが、それを運営する国民のレベルを引き上げるようにマスコミは自覚すべきですね。
2008/1/9(水) 午前 3:51 [ Koji ]
そうですね。ほかに、山口県光市の母子殺人事件でもそうですね。メディアは、ひたすら遺族への同情と「被疑者」への憎悪を煽ることに奔走しています。こういうことが起こることが想定されるからこそ、刑事裁判は、当事者同士の感情的対決を避けるために、被害者に代わって第三者(といっても国家権力の一部だけど)である検察が一方の当事者となるのです。そして法廷がよって立つべき判断基準は罪刑法定主義と被疑者無罪推定の原則です。これらは学校でも習う基礎知識のはずだけど、メディアの記者たちはどれほどに身につけていることやら。
2008/1/13(日) 午前 1:01 [ com*o*882*00200* ]