芸術と与太話・・・あと、クラッシュジーンズも

小田和正をピアノで弾き語りしようとしている、無謀な者

評論

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以前サザンの桑田佳祐さんがあの独特の歌い方は抑揚観やメリハリをつけるために英語のアクセントをアクセントのない日本語にあえて取り入れたというのを聞いたことがあります。

発声言語としての日本語は母音の数(基本的にはあいうえおの5つ)が他の外国語に比べ極端に少なく英語のアクセントに似た表現方法もほとんどなく、話すときの口の動きもほとんど変化がありません。
英語圏の国(アメリカ、イギリスetc)で日本人の話す英語は眠っているように話すとといわれるほど評判が悪く、他のアジア諸国(中国、韓国、インド)の人たちの話す英語に比べても劣っているのです。

音楽で歌手など人の声も楽器として考えた場合、英語の発声言語としてのバランスの良さが英語圏以外でもCDが売れる要因のひとつ(大きな)として考えられ(例えばドイツ語は濁音が多すぎるとか)、また英語を話すこと自体がボイストレーニングになっており歌のうまい歌手(下手でもなれるのは日本ぐらい)がたくさんでてきます。
日本では美空ひばりが昭和の歌姫として歌のうまいNO1歌手といわれていますが、あのレベルならデヴィッド・リー・ロス(元ヴァンヘイレンのヴォーカル)みたいなとっぽいアンちゃんのほうがはるかにうまく、例えばヤンキーローズという好きな曲がありますが、日本でまともにこの曲を歌える歌手はいないとおもいます。

最初に言ったデスノートを見たときの違和感は平板な発声言語としての日本語が作る我々の日常生活での空間を逸脱しており、それゆえの無理な台詞回しに違和感を感じたものとおもいます。
小津安二郎、山田洋次といった監督の造った作品(たとえば寅さん)に違和感を感じないのは空間の逸脱がないためです。

ただ物事には常に良し悪しが表裏一体にあり虫の音を左脳で聞き分ける(発生言語として劣っているため)特異な脳の構造が日本の文化形成に影響を及ぼし、世界に誇れる多数の文化を輩出していることを考えてみると痛し痒し(物事にはおいしいどこどりなどはない)と割り切るしかありません。

次回のブログでは日本人のアイデンティティーを残したままうまく英語がしゃべれる方法がないか考えてみます。

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「デスノート」で得られた違和感は、なにも言語の空間属性からの逸脱による違和感という高尚なものではなく、単にお寒いクソCG映画だったというだけの話だと思います。小津・山田作品と比べる自体、巨匠に失礼です。

2007/3/10(土) 午前 5:35 [ - ]


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