豊かな実りのある種

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「ある」という錯覚→知識→役に立たない→失敗

我々が持っている「花が(変わらずに)ある」という認識は「錯覚」です。
この錯覚が「知る」ということになって、自分の「知識」となるのです。
つまり、「ある」という錯覚→知る→知識です。
 しかし花は変わり続けるので、知識は常に過去のものです。
「花を知っている」といっても、その花はとっくに変わってしまっています。
 したがって知識は過去のもので、役に立ちません。
だから知識をあてにすると失敗するのです。

「知識と失敗に何の関係があるの?」「何が問題なの?」と思いますか?
あなたが一年前にAさんに会って、大喧嘩したとします。それで「Aさんは
嫌な人だ」という知識が生まれます。それで久しぶりにAさんと会ったら、
「あ、嫌な人と会ってしまった」と思うでしょう。
 一年のうちに、Aさんは変わっているかもしれません。
けれどもあなたが「Aさんは嫌いだ」と思って接すると、Aさんは嫌な反応を
するでしょう。するとあなたは「やっぱりAさんは嫌な人だった」と思うのです。
本当は自分のせいなのに。このように「知識」が失敗を招くのです。

知識は錯覚の寄せ集め

「変化→知る」が正しいのです。
それなのに人間は「知る→ある」と錯覚してしまうのです。
順序が逆だし、変化にも気づかないのです。
「知識」のひとかけらひとかけらには、
こうした「花がある」「音がある」「人がいる」というった錯覚が入り込みます。
この錯覚がすなわち「固定概念」です。

 我々の知識は錯覚です。客観的な事実、真理ではありません。
「知識がたくさん=錯覚がたくさん」なのです。
「知識、知識、知識」「錯覚、錯覚、錯覚」なのです。


「無常の見方」より抜粋

スリランカ初期仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラ

アジア系の人と欧米人とではコミュニケーションの取り方に違いがある。

verbal表現とnon-verbal表現という言葉をご存知だろうか?

verbalとは「音声言語の」という意味。

日本人のみならずアジア系はnon-verbal表現に頼る傾向がある。

欧米なんかは専らverbal表現に傾倒したlow-context文化だから、阿吽の呼吸といった類のコミュニケーションは通じない。

日本で今まで暮らしてきて感じるのは、high-context前提のコミュニケーションが当たり前で、low-contextなコミュニケーションは受け入れられていないように思える。

親の代も、その親の代も、代々伝統的にその文化を引き継いできているから無理もないが、外国人が増え、混血も増えた昨今、今やhigh-context一辺倒っていうのは時代錯誤だと言えるのではないだろうか。

確かに良し悪しはあるだろう。

ただ、私の拙いコミュニティを見渡す限り、high-contextだと感じる。

もう少しlow-context文化に理解を示しても良いのではないかと思う。

最後に、勘違いして欲しくないのだが、飽くまでここで記述した内容は私見であるので批判がある方は相対的な見解で意見を下さると有難いです。

各々、考え方や認識に相違があるのは当然であると考えるので、その相違を認めて高い次元での議論を致しましょう。

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