この記事を書く上で僕に文才があればもっと昨日のことを強く伝えられるのだが、、、
己の才のないことを恥じる。
昨日12日は横浜市立大学医学部付属病院 看護の日実行委員会が主催する「看護の日・ハートフルコンサート」に参加した。
市大病院での看護の日、20周年目のイベントでもあった。
この5月12日は近代看護にとっいて重要な日でもある。
それはこの日実行委員会の作成して下さったパンフレットの裏表紙に書かれている。
僕達は(相方のピアノ、林あけみ)この日のボランティアコンサートが14年目となる。
これは僕が癌から勝利して14年目を迎えた戦勝記念日でもある。
闘病記をHPに書いているところだが、1997年12月から1998年5月までの横浜市大病院における半年間の入院生活は昨日のように覚えている。
それだけ僕にとってはショッキングな半年だった。
この病院を生きて出ることが最大のテーマだった。
当時のS看護婦長さんとはそれからの縁。
僕が退院する予定の頃に「看護の日」のイベントが組まれているのを知った。
手術して一月後から特別の許可を得て夜、ホールで楽器の練習を始めたのだが1秒も音が出なかった。
音を出す瞬間腹部に物凄い痛さを感じてうずくまってしまったのである。
しかしそれから1月ほどのリハビリによって30分ぐらい吹けるようになった。
その後2回目の抗がん剤治療。
きつかった、、、。
4月中期にリハビリ再開。
この2週間のリハビリでほとんど元に戻っていた。
1秒も音の出ない状態から考えると自分ながら驚きのリハビリだった。
S婦長に、看護婦さんとドクターチームに感謝の気持ちとして看護の日にコンサートを開きたいと相談した。
ホールにはグランドピアノもある。
相方にその意味を知らせるプログラムを作ってもらった。
プログラムの下に担当医教授、担当医、そしてすべての泌尿器科の医師及び看護婦さん達に感謝のメッセージを書いた。
60分のコンサートだったが無事最後まで続けることができた。
忙しいドクターや看護婦さん達も時間を作ってそれぞれ聴きに来てくれた。
おまけに新聞社まで取材に来た。
それ以降月に一度のコンサートが病院ホールで開かれるようになった。
僕は年2回、病院側が主催するコンサートに参加している。
それが14年目となった昨日のコンサートです。
ご存知のように大学病院で入院治療してる方は重病の人が多い。
客席も車椅子やベッドで病室から移動されてくる。
前のほうにも重症の方が車椅子で聴いてくれている。
体の自由が利かない方らしい。
横で奥さんだろう、、、
しっかり旦那さんの腕をとってリズムに合わせて動かしている。
ぼくの1,5メートル先。
後ろのほうでは点滴台の林。
いつものように2〜300人の人がおしゃべりひとつせず聴いてくれている。
曲が終わるとともに拍手。
さとうきび畑〜涙そうそう。♪
入院生活の話と患者さんにエール
男と女♪
ひまわり♪
頂いた花束にひまわりがあったのはもしやして、、、、
曲目は既にパンフレットの中に書かれていたので。
再び入院生活のはなし。
そして治療の成功を信じるはなし。
雨がふっていたので
雨降りお月さん♪
この道♪
ゆりかごの歌♪
入院中酒が飲みたくても飲めなかった悔しさから
ウイスキーがお好きでしょ♪
川の流れのように♪
明日があるさ♪
以上の曲目
僕達の前に
6の1病棟看護師による合唱
このようなパフォーマンスは素敵です。
そして患者さんから受けがいいです。
医学部学生によるピアノソロ
一人女性で絶世の美女がドビッシーを弾いた。
3人の医学生の方ピアノ上手です。
音大に行くなら間違いなく受かっていたでしょう。
医学部で正解です。、、、、、?
将来がある!!!
この14年前のコンサートから僕はボランティアに積極的に参加するようになった。
従兄弟が公務員として働いていた最重度障害者施設や家庭内暴力で強制的に隔離された施設への演奏。
しかも僕の生徒さんやプロの仲間達も積極的に参加協力してくれるようになった。
ありがたいことです。
若い時の心の狭さから社会的な奉仕というのが偽善に見えた時期もあった。
しかし例え偽善でもアクションを起こすのが大事だと遅まきながら気がついた。
横から何もしないで偽善者、偽善者と騒いでいる人間よりは、、、、、。
S婦長殿は鹿児島出身である。
僕の母方は鹿児島の名家である。笑
自分で言ってれば世話がない。
僕も鹿児島に住んでいた。
当然鹿児島弁を喋っていた。
いたはずである。
今は喋れない。
しかし、、、
鹿児島の人はいくら隠しても鹿児島弁のなまりがでてくる。
母もそうだった。
そして僕も(ほんとに時々、、、なんだこれはと思うときがある。)
S婦長殿も出てくるぞ。
演奏後久々に飲んだ。
楽しかった。
ナイチンゲールの話
近代看護のはなし
鹿児島のはなし
多々。
婦長殿は細身で美人ながら修羅場という修羅場をくぐっている。
僕達の演奏中一人の車椅子の患者とその横にいる両親を見つけた。
直ぐ気がつきその家族の所に駆け寄った。
それはもう17年前のこと。
婦長殿が小児科勤務の時代に小児科の患者としてお世話したTちゃん。
詳しくは個人的なことなので聞けなかったがとても重度の病気とのこと。
17年前のことだから覚えているかどうかわからないが寄っていったらしっかり覚えていてくれた。
Tちゃも覚えていてくれて、不自由な体を動かし出ない声をふりしぼって嬉しさを表現してくれたという。
婦長殿はプロ中のプロ。
通常この病気の命の時間を知っている。
この奇跡的な時間の維持はその両親の懸命な介護にあると知っている。
すなわち 愛。
修羅場という修羅場を潜り抜け、プロ中のプロの婦長殿が泣いた。
むしろプロだからこそ泣かれたのだろう。
それほど両親の愛は深かった。
僕に文才があればもっとうまく書けるのだが、、、、
ごめん。
いつものように打ち上げの料理。
生ビール、数えられないぐらいたくさん
焼酎お湯割り
金目鯛のにつけ
牛たたき
ごぼう揚げ
なんこつ揚げ、、、軟骨は消化に悪そうでその周りの肉だけ喰らいついて軟骨をのこしたらブーイングにあった。
たこわさび
しまあじ刺身
以上