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日本の道100選 京都市哲学の道(57番)
〜哲学の道〜
久しぶりの道の話題です.
表題の哲学の道は,京都市左京区の東山の山麓を
南の若王子神社から北の銀閣寺付近まで,
ちょうど琵琶湖疏水に沿って続いている全長1.5キロメートルの道です.
哲学の道の入り口 琵琶湖疏水沿いの道 京都は794年の開都以来1200年以上の歴史を誇る街ですが,
この哲学の道の歴史は新しく,明治23年に琵琶湖疏水の管理道路として
作られたのが始まりとされています.
当時は簡素な道だったようですが,徐々に歩く人が多くなり,
特に京都帝国大学の教授となった哲学者,西田幾多郎がこの道を歩いて思索にふけったことから,
いつしか哲学の道と呼ばれるようになりました.
西田幾多郎の碑 猫がいました 私が訪問したのは2014年5月12日,ちょうど京都での学会のついででした.
北の慈照寺(銀閣)を拝観したあと,この道を南に向かって散策してみました. 近年は沿道の喫茶店が廃業した後に住み着いた猫も話題になっているという話だったんですが,
たしかに猫の姿が見えました.
この日は朝から曇り空だったんですが,散策中に小雨模様に.
まあ,思索にふけるにはカンカン照りよりこっちの方がいいんだろうと思ったのでした.
思わず思索したくなる風情です 若王子神社付近まで来たら雨が本降りに.
ちょうど小腹がすいたので近くのお蕎麦屋さんに入りました.
哲学の道沿いのそば屋ということなのか,
メニューに哲学そばの文字が… これを注文したのはいうまでもありません.
山源というお蕎麦屋さん これが哲学そば 顕彰碑 訪問日 2014年5月12日 顕彰碑の場所 道の途中,茶房小径という喫茶店の前にあります.
散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 絶好の散歩コースです.
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日本の道100選
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日本の道100選 新ひだか町二十間道路(4番)
〜二十間道路桜並木〜
今日は日本の道100選の話題です.
今回のテーマは北海道新ひだか町静内にある二十間道路,
この名前は道幅が二十間(36メートル)であることに由来しています.
二十間道路の入り口 新ひだか町の中心である静内の中心部から約6キロ北東に離れた田原〜御園地区にあります.
周辺には広大な牧場が広がり,背後には日高山脈がそびえ,
その中をまっすぐな道路が伸びていく様は,本州以南には見られない,
北海道的な異国情緒に満ちた風景となっています.
新ひだか町二十間道路 北海道の多くの部分は明治以降(19世紀後半)に開発が行われたわけですが,
この二十間道路はそうした北海道のインフラの中では歴史が古く,
その始まりは明治5年(1872年)にさかのぼります.
当時の北海道開拓使の長だった黒田清隆(まだ次官だったが長官不在のため事実上のトップ)が,
日高地方が馬の品種改良や飼育に適していると判断し,
当地の野生馬の飼育・改良や皇族が使用する優良馬の育成を目的として, この地に種畜牧場を創設したことに始まりました.
エゾヤマザクラ ソメイヨシノよりもピンクが濃いです 牧場は順調に発展していましたが,この地を皇族が視察する際の行啓道路として
明治36年(1903年)に造られたのがこの二十間道路となります.
全長二里(8キロ),幅二十間(36メートル)の当時としては立派な道路でした.
そして大正年間に入ってから,牧場職員によって
近隣の山野からエゾヤマザクラの植樹が行われ,今に残る桜並木が完成しました.
祭りメイン会場には車がたくさん 露店も出ています(平日のため人では少な目) 北海道の桜の開花時期は本州以南よりもずっと遅く,例年ゴールデンウィーク明けになります.
この地でも毎年5月上旬に桜まつりが開催されています.
せっかくこの道路を見に行くのであれば,当然桜の時期に見てみたいということで,
GW明けの最初の金曜日に年休をとってこの地を訪問しました.
龍雲閣 内部です 新千歳空港からレンタカーで向かいます.
途中の苫小牧を過ぎて国道235号線に入ったあたりから周囲には牧場が見え始めました.
しばらくは右手に海を見ながらの快適なドライブです.
静内から内陸に入って10分ほどで二十間道路の入り口に到着しました.
これまでに訪問した日本の道100選はすべて徒歩で廻ったわけですが,
今回は公共交通機関のまったくない片道8キロです.
これをすべて歩くのはさすがに厳しいので,車で往復を基本としてメイン部分のみを歩くことにしました.
さて肝心の桜ですが,今年は例年よりも開花が早めだったとのことで,
残念ながらこの日はピークを2日ほど過ぎたところでした
(本州以南のソメイヨシノと違って北海道の桜は花が咲いている期間が短い). とはいえ,まだ残っている花も結構あったのでそれらを鑑賞しながら散策しました
(駐車スペースは各地にある).
二十間道路の終点には明治42年に建てられた龍雲閣と呼ばれる建築物があります.
これは皇族がこの地を訪れた際に宿舎として使われた建物で,
実際に大正天皇や昭和天皇がそれぞれ皇太子時代に訪れた記録が残っています.
さすがに現役では使われてはいませんが,桜まつりに合わせて内部が一般公開されていました.
顕彰碑 訪問日 2014年5月9日
顕彰碑の場所 道路の入り口,エントランス広場の近くにあります.
散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地でよく整備された散歩コースです(ただし距離は長いです).
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日本の道100選 鎌倉市若宮大路(33番)
〜鎌倉幕府の遺跡〜
久しぶりに日本の道100選の話題です.
今回のテーマは神奈川県鎌倉市の若宮大路です.
若宮大路,南の起点滑川交差点 日本史上最初に武家として政権を握ったのは平清盛の平家ですが, それを打ち破り京都以外の場所を拠点として本格的な政権を打ち立てたのは 源頼朝の鎌倉幕府ということになります. 若宮大路南側,一の鳥居が見えます 頼朝が鎌倉に幕府を置いた大きな理由はそこが父義朝の基盤だったこともありますが, なんといってもそこが要害の地だったからです. 鎌倉は南は海に面しているほか,東西北には山が連なり, 街に入るためには山を切り開いた切通しと呼ばれる狭い通路を通るほかはなく 防御に非常に適した地形だったからです. 歩道橋の上から鶴岡八幡方面を見ます そんな鎌倉のメインストリートだったのが若宮大路です. 由比ヶ浜の海岸から北上し,北の鶴岡八幡宮に至る1800メートルの参道で, 頼朝が都市としての鎌倉建設の第一歩として自ら陣頭指揮にあたって造営したといわれています. 途中に3か所の鳥居があり,由比ヶ浜方向からそれぞれ一の鳥居,二の鳥居,三の鳥居と呼ばれます. 二の鳥居 そんな若宮大路の道路としての特徴が段葛(だんかずら)と呼ばれる構造で, これは道路の中心を一段高くしてその両側に堤を築いて石を置いた道のことです. 元々は一の鳥居から三の鳥居までずっと,この段葛になっていたようですが, 後世の地震や津波等で破壊され,現在残るのは二の鳥居から三の鳥居までの部分です. 段葛の中央部分は遊歩道になっています 段葛はこのように石段で区切られています 現在の若宮大路は鎌倉の目抜き通りとして鶴岡八幡宮参拝の観光客でにぎわっています. 特に二の鳥居から三の鳥居間は沿道に土産物屋や飲食店などが立ち並ぶ一方, 道路の中央部段葛部分は花が飾られた遊歩道となり,人々を楽しませています. 三の鳥居,この北は鶴岡八幡宮です 鶴岡八幡宮の本殿です 一方で二の鳥居から一の鳥居の部分は古くは琵琶小路と呼ばれた部分で, 街路樹が植えられ比較的落ち着いた通りとなっています. ちなみに琵琶小路の名前は,道筋に弁財天を祀る祠があり, それを避けるように通っていた道の曲りが琵琶の曲線に似ていたからとも言われており, 途中には琵琶橋という名の橋が架かっています(かつては川に架かっていましたが現在は欄干のみ). 顕彰碑 訪問日 2014年4月26日 顕彰碑の場所 JR鎌倉駅にほど近い場所にあります.
散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地でよく整備された散歩コースです.
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日本の道100選 盛岡市寺町通り(8番)
〜現代と調和する歴史的道〜
江戸時代,今の北東北の半分以上の地域に広がっていた 南部藩20万石の城下町が盛岡です. 北上川,中津川,雫石川と3つの川の合流点に城が築かれ, その周辺に城下町が広がっているため, 今でも市街地にたくさんの橋があることで知られます (ほとんど戦災を受けなかったこともあり,今でも狭い道路が多く, 橋のところで慢性的な渋滞が発生することが問題になっています). 盛岡市の寺町通り そんな城下町盛岡には寺院も多いんですが, 藩政時代大きな寺院が市街地の北部に集められてできたのが北山地区です. そしてそこを貫くように通っているのが寺町通りになります. 現在でも20を超える寺院が集中する寺町で,県庁や市役所の北側, 住所でいうと名須川町というところになります. 清養院周辺 赤喜商店というお蕎麦屋さんです 片側一車線の道路で両側に歩道も整備され, 周囲にはお寺の土塀や老舗のお店が並ぶ落ち着いたずまいとなっています. 通りとしては400メートルほどと短い区間ですが, 周辺には国の天然記念物に指定されている龍谷寺のしだれ桜や, 岩手という名前の由来となった鬼の手形がある三ツ石神社などの名所があります. 鬼の手形がある三ツ石神社の大岩 龍谷寺のしだれ桜 三ツ石神社にある大岩に関しては, ”昔羅刹というなの鬼がこの地にいて悪行を重ねていた. 人々が三ツ石の神に祈ったところ,鬼は捕えられ大きな岩に縛り付けられた. たまりかねた鬼がもう悪さはしない,ここには来ないと約束して逃がされた. この時に約束の証として鬼の手形が押された岩がこの神社にあり, それが岩手という名前の由来とされる” という伝承があります. この寺町通り,現在は国道455号線の一部となっていますが,
この道は盛岡を北西に進んで早坂峠を越えて,岩泉町から太平洋に至る道で.
江戸時代には沿岸部から塩を運ぶ大事なルート(野田街道)として活用されていました.
顕彰碑 訪問日 2014年4月20日 顕彰碑の場所 東顕寺の前にあります.
散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地でよく整備された散歩コースです.
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日本の道100選 中央区中央通り(29番)
〜明治近代化のシンボル・銀座の道〜
江戸幕府の土台を築いた徳川家康は江戸を中心とする街道の整備に力を注ぎましたが,
その起点とされたのが日本橋でした.
その伝統は今に続き,現在でも本州の主要国道
(1号,4号,6号,14号,15号,17号,20号)の起点は日本橋であり,
橋の中心には道路元標が埋め込まれています.
道路元標のレプリカ こちらが本物,正面からの撮影は命がけです そんな日本橋を中心として,北は上野から南は新橋まで延びているのが中央通りです.
この界隈は明治以降日本が近代化していく中でいち早く繁華街として発展していった地域で,
まさに日本の近代化を見守ってきた道と言えます.
またこの道路の地下には日本最古の地下鉄である銀座線の線路が敷設されています.
この日は北端の上野駅から南下して新橋まで歩いてみました.
中央通りの北端上野駅前交差点 上野駅正面の交差点から中央通りは始まります.
まずは西に向かい山手線・京浜東北線のガードをくぐり,
左手にアメヤ横丁(アメ横)を見ながら道なりに左に曲がっていきます.
この界隈はカラオケ店や居酒屋など商業施設が立ち並ぶエリアで大勢の人でにぎわっています.
アメヤ横丁 上野広小路を過ぎるとしばらくはビジネス街になり人通りも減りますが,
すぐにカラフルな建物が目立つようになります.
ここが秋葉原地区で電気ショップやサブカルチャー系のショップが立ち並ぶ地域です.
土曜日ということでここにも外国人を含む多くの観光客が歩いていました.
秋葉原界隈 痛車です 秋葉原地区の南端に位置するのが神田川に架かる万世橋,
江戸時代からの伝統を誇る橋ですが,ここを渡ると周辺は再びビジネス街になり,
土曜日なので人通りが少なくなります.
その後すぐに中央線のガードをくぐって,中央通りはJR駅の東側に出ます.
ここから日本橋までの界隈は地方銀行の東京支店が立ち並ぶ金融街となっています.
万世橋と神田川 手前に岩手銀行,その向こうに宮崎銀行が見えます しばらく歩いていると通りの右側に日本橋三越本店が現れ,そのちょっと先が日本橋です.
日本橋は現在も日本の道路の起点となっている橋です.
歌川広重の東海道五十三次にも描かれている有名な橋ですが,
今はその頭上を首都高速が走っているため,景観的には残念な状態になっています (+o+).
日本橋三越本店です 日本の道路の起点日本橋 日本橋の南側も基本的にビジネス街が続きます.
そして京橋を過ぎて首都高をくぐった先,
銀座通り口交差点からが東京を代表する繁華街銀座になります.
周辺にはブランドショップや百貨店,伝統ある専門店などが立ち並びます.
この日は土曜日のため歩行者天国になっていて,大勢の買い物客や観光客でにぎわっていました.
東京を代表する繁華街銀座 銀座のシンボル和光の時計台 そのまましばらく南下,またまた首都高をくぐって外堀通り&昭和通りとの交差点で中央通りは終了,
ここはもう新橋駅のすぐそばです.
全線5.7キロ,この日は写真を撮りながら2時間で歩きました.
顕彰碑 訪問日 2014年4月19日 顕彰碑の場所 日本橋のそばにあります. 散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地でよく整備された散歩コースです.
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