今、思うこと

アラブに延べ8年間、また世界35カ国に駐在・滞在

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残念ながら、衝突は避けられないでしょう。
まだ民主主義が熟成されていない国民にとっては
過程はともかく、結果だけが全てです。

エジプトの政治は、軍事の歴史です。

1952年自由将校団が、クーデターで国王を追放、
共和制に移行。(エジプト革命)この時、ナセルは副首相です

1954年革命指導評議会が、首相を解任、ナセルが首相に。
ムスリム同胞団がナセル暗殺を企てると、ナセルは大統領を解任、
評議会議長に就任、56年大統領に就任します。

1970年ナセルの死去により、副大統領のサーダートが大統領代行に、
そして大統領に就任、イスラム主義運動を解禁します。
77年、イスラエルとの和平交渉を開始し、78年カーター大統領
仲介のもと、キャンプ・デービッド合意、79年には平和条約まで
締結。しかし、アラブ諸国と、イスラム教徒の反感を買い、
81年復興主義過激派ジハード団の兵士により暗殺されます。

変わって副大統領から大統領に昇格したムバラクは、対米協調を進め
イスラム主義を弾圧、強権独裁政権を20年間続けます。

つまり、ここまで、正式な選挙で選ばれたリーダーはなく、
常に、軍人が前任者を踏襲することによって、新リーダーが
決まる構図でした。

そして、2011年、周辺諸国の反独裁運動による民主化に
触発された民衆によって、また、軍が民衆支持に回ったことに
よって、ムバラク政権は崩壊、全権が軍最高評議会にひとまず移譲。
その後、エジプトの歴史で初めて選挙でリーダーが選ばれることに。
但し、この最終決戦でも票は真っ二つに割れ、結局、ムスリム同胞団が
推すモルシが大統領になります。
しかし、ムルシのイスラム色の強い政策、経済復興の失敗が、反ムルシ派
の反発を買い、それを支持した軍との対立を深めている構造です。

つまり、ここまで全く民主主義が存在せず、その方向に行こうとも
していません。国民が、民主主義の何たるかを、全く知らない
とも言えます。
まあ、アラブ人は一般にそうであるように、エジプト人も
本来の政治の在り方を、まだまだ学習していないと言えるでしょう。

彼らと仕事をしていても、およそ統制がとれておらず、日本の
会社組織とはかけ離れた形態です。集団として、結果を出すことの
基本的な姿勢がまだ、理解されていないということだと
思います。

今回のムルシ派も、指導者がいて行動をしているというより、
イスラムに忠実な民衆が集結しているだけでしょう。
従って、軍の排除にあっても、只々抵抗するだけで、「では、
その後」の行動に移れないでしょう。
ただ、対立する集団が、攻撃し合うだけの期間が相当に続くと
思います。

テロが横行し、経済は落ち込み、観光客は激減する、国民は
何とかしなくては、と思いながらも何もできない状態が
続くでしょう。

政治はルールです。まだ、彼らには、「ルールを守る」という
基本的なことが、できていないのです。

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エジプト・ムルシ派、厳戒態勢 「デモ隊排除」報道で- 
朝日新聞デジタル(2013年8月13日01時05分)

 【カイロ=杉崎慎弥】エジプトの治安部隊が12日にも
強制排除に向けた作戦に踏み切るとの報道を受けて、カイロ郊外で
1カ月以上座り込みを続けるムルシ前大統領支持派は、
厳戒態勢をとった。治安部隊は作戦開始命令が出ればすぐに
デモ隊を包囲する態勢を整えているとされ、緊張が続いている。

 ムルシ派のデモ隊の拠点のカイロ郊外ナスルシティーの入り口
付近には、治安部隊の車両の通行を困難にするための厚さ80センチ
高さ70センチほどのコンクリート製のバリケードが設けられた。

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