神の業

聖母の出現を調べています

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この秋からまた一段と怪しげなことになりそうです。

イランを戦争に巻き込もうとする執拗な攻撃
教会のアマゾンでのシノド
天候不順、異常気象とそれにともなう経済活動への悪影響
地震と火山の活発化その他自然現象の不穏な傾向

ちなみに私は人為的な二酸化炭素放出が気候変動の主な原因であるとは考えていません。それはいくつかの研究者の成果によるもので素人である私の独断的な根拠によるものではありません。しかし、異常気象、極端な高温化や低温下と激しい現象が現れているとは考えています。もっとも、人為的温暖化説が政治化していてデータのねつ造もしていた実態も明らかになっているので、もはや本当の正確なデータ自体を期待することはできないのかもしれません。日本の経済データがねつ造されていたうえもはや失われた期間のデータの回復もできず、将来の歴史研究や検証の手段を奪った政治行政が平然と行われていた、という近代国家の建前からは全くあってはならず考えられないことがやられたことが明らかになったのに、それが受け入れられている、のはシンクロしていて興味深いことです。実に彼らは将来の検証を考えていないつまり過去の経済指数を検証するようなのんきな状況ではない異常事態が起きることを想定しているのかとすら思えてきます。

異常気象の原因は私にはもちろん正確にはわかりませんが、ネットで見ている限り、一つは太陽の黒点活動などの低下に伴う長期的かつ短期的な地球規模の寒冷化現象があり、他方では地球内部のマントルや火山の活動の活発化があり、先のものは上からの冷却であり、次のものは下からの加熱であり、これにより、海は下から温度を上昇させてCO2や水蒸気をはき出し、はき出された水蒸気は上から冷却されて極端な降雨などの激しい気象現象をもたらし、また、陸地は場所により乾燥させられる、という印象を受けます。

アマゾンシノドについては、まだ、よくわかりませんが、さしあたり次のような記事が参考になります。
https://www.lifesitenews.com/news/vaticans-former-doctrine-head-criticizes-amazon-synod-working-doc-for-false-teaching

上のことは別の書き方をすれば
人間の政治経済の堕落
精神の堕落
自然の怒り
となります。

何度も書いていますが、現在私自身はキリスト教徒の視点で預言に関連してブログを書いていますが、以上の3つのために人間社会が自滅に進んでいるという理解は、唯物論者の時代からのものです。ただ、以上の三つの背景に、聖書に書かれた人間の本当の姿や神の摂理があったことを知りそしてそれこそが全体を見るうえで正しいと考えを変えたために、その視点からブログを書いているつもりということなのです。

このブログは、スペインの小さな村である「ガラバンダル」で1961年から起きた聖母出現を扱っているため、「ガラバンダル」で検索して訪れる方がおられるようです。
現在、ガラバンダルの出来事については、日本語の本も出ていますし、ネットでも海外にはたくさんのサイトがあります。また、あるネット上のフォーラムである
では、ガラバンダルで聖母の出現を受けたコンチータという女性と連絡がとれるという、Glenn という人が、熱心にガラバンダルの情報を載せています。彼が提供してくれる情報を追っていけば、現在における最上の情報を得ることができるでしょう。

ところで、このMOGのフォーラムに参加しているある人が−メジュゴリエでの神秘体験もへてメジュゴリエでの聖母出現を信じているということなのですが−その人が、2021年を節目の年として、主張しています。
メジュゴリエでの聖母出現は、1981年から始まったのですが、それから40年目が、2021年だからです。つまり、出エジプト記で、出エジプトをしたユダヤ人たちが砂漠を放浪した年数が40年であることもあり、2021年を暗示されているというのです。

私も個人的なメルクマークとして、2023年4月13日を、ガラバンダルの奇跡があるかもしれない日の、一つの候補日と考えて待ち望んでいます。このよこしまな時代が早く終わってほしいからでもあります。

ちなみにガラバンダルのいう、永続して残る奇跡のしるし、とは、比較していうと、キリストの受難のときゴルゴダの丘への道の途上でベロニカが受け取った、キリストのその尊い面影を映し出した布のようなもの、ではないかと思っています。つまり、それは、暗黒の中でも消えることない神の愛の現れであり希望のしるしなのではないかと思えます。

それから、2023年から逆算すると、2022年ころに警告があることになります。警告のころは「最悪」と思われる時代だということなので、その数年前から徐々に最悪に向かうことになるだろうと思えます。もっとも、注意したいのは、ガラバンダルのこどもたちが告げていた「最悪」という出来事は、正しい位置にある聖徒からみた場合の言葉であって、「世」から見た言葉ではないといことです。つまり、聖徒の最悪のときは世が聖徒を弾圧している頂点を示すという意味です。しかし、警告と奇跡によって、聖徒には神の救いの手が伸びます。そして、おそらく、その後、「最悪」の事態は、こんどは聖徒ではなく「世」に対して起こることになっていくのです。それが黙示録が示す世界観であり、それと一致するガラバンダルが描く未来予測です。

 ついでいうと、聖徒にとって弾圧されることは、この世的には受難ですが、キリスト教的には恵みでもあります。現在の日本でも今のところ赦されるべきはずのご聖体を受けるときのひざまずきでつらい思いをした人たちは、実は小さな殉教を始めた人たちで、ある意味とても恵まれた人たちということだろうと思っています。たいへんだなという思いと先を越されているなあという思いとがあるのが実際のところです。天に宝を集めている人たちだからです。殉教は自力で勝ち取るものではなく神の恵みと説明されていますので、知らず知らずに殉教の手伝いをしている司祭様たちにも祝福がありますように。受難劇の傍観者役となってしまっているかもしれない周囲の人々にも祝福がありますように。もしかするとキリストの十字架の道行きから恵みをうけたベロニカのように受難者に寄り添って大いなる恵みを受ける人もいるかもしれませんが、そのような人たちはまことに大いなる祝福を受けますように。善の役も悪の役も明日は入れ替わりがあるかもしれませんので、誰もを憎まず、皆の祝福を願いたいものです。

そして、今や2019年で2022年の3年前となっています。
ガラバンダルの聖母の預言で有名なのは、警告、奇跡、天罰ですが、このうち、警告と天罰はガラバンダル以外での聖母出現でも多く預言されていますので、これらがあるだろうことはガラバンダルの真偽の影響は受けません。ただ、ガラバンダルの出現の地に奇跡のしるしがあるかどうかはガラバンダルの出現の真偽に直結します。ただし、グレンが指摘しているように信頼できる人たちもガラバンダルを真実の聖母出現と理解しており、私も、ガラバンダルの聖母のいう、救われたければ「善い人」であり「ご聖体」を大事にせよ、というそれぞれの言葉の意味を理解するための「旅」も旅の一つとしたことの先で、イエズス・キリストを理解したといえると思っています。

それから、聖書でめずらしく年数が記載されている預言として反キリストの活動期間があり、ダニエル書で、反キリストが登場してから7年間の友好的な活動期間がありその後最悪の3年半があるとされています。
ガラバンダルでの教皇の数と「終わりの時」の預言によると、ベネディクト16世退位後あるときからの7年間と3年半という計算もあり得ます。それは最も早ければ2023年から2024年にかけてのこととなります。もっとも、反キリストについては、ブラジルのバイーバでの聖母からの預言(と思われるもの)では、6月6日に何か決定的な顕現的行動が行われるとされていますが、今のところ、そのようなことには気がついていません。

もう一つ年数のことでいうと、イタリアのマンドリアでの聖母の出現(公的には否定されているもの)では、1976年から黙示録の時代に入ったと預言されました。理由は不明ですが、もしかすると、1975年ころから1978年にかけての、フランスや西ドイツ、イタリアの堕胎合法化と関係があるかもしれません。出エジプトの物語は、エジプト人によるユダヤの嬰児たちの殺害から加速されるのであり、無垢なる者の大量殺害は天の大いなる怒りを招く出来事だからです。それで、一つの出来事が大団円で終わるための年数を想像すると、それは50年という数字が考えられます。40は試練の数字であり、50は解放の数字だからです。それは、2026年を示します。

さて、しかしながら、これら年数問題は、私も含めて多くの者が推論をしていますがあくまで一つの推論であって多様な条件を考慮しきれているわけでもないので当てになるものでもなく井戸端会議のようなものであって、あまり、真剣に受け止めないようにしてください。それから直接的に年月日を指定する「預言」は偽物と考えるほうが無難でしょう。
ただ、最初に書いたとおり、この秋からなにやらまた一段と緊迫した状況に進んでいくようですので、日常的にも、霊的にも、いっそう注意していくべきだろうと思っています。

新約聖書のとおり、使徒たちは、再臨がはるか先の出来事としりながら、他方では、間近の出来事であるかのように考えるようにして生活をしていました。いうなれば、いつも、遠雷を聞きながら、いつ頭上に雷が来ても対応できるように、生活をしていました。その後の聖人たちにも自分たちが黙示録の時代またはその間近な時代を生きていると考えていた人がいました。やがて来る希望の預言を待ちわびて生きる民としての神の民の生き方はそのようなものだというのが最近の私の理解です。

それと、神の子らは、アダムのときも、アブラハムのときも、モーセのときも、神の未来への預言を信じてそれを希望にして生きてきたのですが、実際に、アブラハムは、神に、それはいつですか、と聞いて、神はそれに答えていますし、ペトロも、キリストに、神殿の崩壊と世の終わりはいつですかと聞いて、キリストはそれに答えています(そのうちの再臨の時期のみ誰もしらないと言ったのですが)から、私も、聖母に、「聖母の汚れなきみ心の勝利はいつですか」と聖母に尋ねてもよいし、聖母はそれとなく答えてくれるものと考えても、それほどおかしなことではないと思うのです。 

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