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東日本大震災に伴う原発事故以来

日本はもとより世界各国に原発反対の風潮が広がっている


まぁ他国の反応はとりあえず置いておいて

国内のことを考えてみたい


つい先日も関東で原発反対のデモが行われているニュースを見た

皆一様に「原発反対!」「原発反対!」と大声をあげていた

そんな人たちに聞いてみたい疑問が1つ

原子力発電を危険性の観点から反対するのは問題ないと思う

しかし現在国内の総発電量の約1/4を担う原発を否定して

失う1/4をどうすればいいと思っているのでしょう?

それは電力会社が考えろとでも言うつもりなのでしょうか?

もしそうならば、それはあまりにも無責任というものでしょう

自分たちは今まで何もしないで原発の恩恵に与ってきたことは

無かったことになってるんでしょうか?

大声で原発を否定するのならそれに代わる代替案も

しっかりと提示しなければならないのではないかと思う


僕自身は電力会社で働いている訳でもないし

原発はできることなら無い方がいいと思ってますが

どうも一時的な感情論で原子力発電が一方的に悪者になっている現状が

いまいちピンときません

確かに政府や電力会社の対応の悪さは

国民の信用を損なうには十分でしたが

それと原子力発電の存在意義は別の事ではないかと思っています

皆さんはどうでしょうね?


 

「いのちの心得」

1.命は、命あるものからしか生まれません

 命というものは、命を持った存在からしか生まれる事はありません。
 ただの無機物から、命を持った存在が突然ひょっこりと生まれる事はないのです。
 命というものがはるか昔に生まれ、一度も途切れる事なく僕たちの世代までつながっているからこそ、こうして今ここに、僕たちが存在しているのです。

2.僕たちは、他の命をいただくことによって生きています

 人は、他の"命あるもの"をいただかなくては、生きて行く事はできません。
 動物だったり植物だったり、種類に違いはあったとしても、皆、生きて命を持っている存在なのです。
 ご飯を食べる時に、「いただきます」と言うのは、"命をいただく"という、食べられる命に対しての感謝を込めた言葉です。

3.それぞれの命は、それぞれが与えられた命の中で精一杯生きています

 それぞれの命は、人間に食べられるために存在しているわけでも、人に利用されるために存在しているわけでもありません。
 それぞれが、生まれ持った命の形を持って、自分が置かれた環境の中で、自分なりに精一杯生きている命です。
 人間が生きるということは、けして当たり前のことではありません。
 自分達がこの世で生きる事は当たり前で、他の命を奪う事も当然だと思ったら、それは人間の傲慢です。

4.僕たちはひとりで大きくなる事はできず、ひとりで生きて行く事もできません

 僕たちは、他の命とのつながりの中で生きています。
 他の命をいただきながら、他の命に支えられて生きています。
 また、人が生きて行くという事は、いろんな人が暮らす社会の中で、他の人たちともつながり合いを持ちながら生きて行くという事でもあります。
 自分以外の存在とのつながりを否定して生きて行くという事は、誰にもできません。

5.僕たちは命のリレーの中に生きています

 僕たちは、命を授かり、自分達の生を送っている一方で、次の世代へ生と命を受け継ぐという役目も果たさなければいけません。
 自分達が面白おかしく暮らす事ができれば、あとはどうなろうが知った事ではないというのではいけません。
 僕たちは、はるかな過去から連綿と続けられて来た、「命のリレー」の中にいる存在です。
 僕たちは、自分達が受け継いだものを、僕たちの代で台無しにしてしまわないよう、よりよい形で、次の世代に渡してあげなげればいけません。

6.命というものの向こう側には、「命を大切に思う心」があります

 人は心を持った生き物です。
 その心は、「命を大切にしたい」という思いを持ち、その思いは「命の大切さ」ということの土台となっています。
 なぜ命が大切なものなのかと問われれば、僕は「命を大切に思う気持ち」が人の心にあるからだ、と答えます。
 「命を大切に思う気持ち」は、社会の中で生きて行くための最低限のルールであり、人として最も大切なものです。
 他人の生命と財産を、自分の欲望のために平気で傷つけるような人間には、社会の中に存在している資格はありません。

7.与えられた命を"どう生かすか"は、自分次第です

 何を目指し、どう生きるかという事は、それぞれの人が、生きる過程でそれぞれ見つけて行くしかありません。
 生まれる前から決まっているものではありませんし、誰かから強制されるようなものでもありません。
 自分で探し、見つけるという事は大変な事ではありますが、その分、自分なりの目標を見つけ、それをかなえていくという過程は、とてもやりがいのある事だと思います。
 また、生きていれば、悩んだり、迷ったりすることはたくさんあります。
 でも、思い悩むということは、一生懸命生きているということの証であり、それはけして無駄にはなりません。
 今は悩み苦しんだとしても、懸命に悩んだその向こう側に、きっと光が見えてくるはずです。

8.生きているものはみな、やがて死を迎えます

 命あるものは年を取れば、いずれ死を迎えます。
 この世に命を授かるという事と、最後に死を迎えるという事においては、全ての存在は一律に平等です。
 死を迎えない命と言うのは、この世には存在しません。
 やがて死ぬ時が来ると言うのは、命を授かったものが、生まれた瞬間から背負わされている宿命です。

9.なくなった命は、元に戻る事はありません

 命は、失ってしまうと元に戻す事はできず、リセットをする事もできません。
 すべての命は、一度きりのものです。
 失われた時間と命を、元に戻す事は誰にもできません。
 一度きりの命をどう生かすかは人それぞれです。

10.それぞれの命は、それぞれが世界でたったひとつの存在です

 それぞれの存在は、取り替えのきかない、それぞれが異なる存在です。
 同じように見えたとしても、まったく同じ命と言うのは、どこにも存在しません。
 生命誕生を最初から繰り返したとしても、今の命の形になるとは限りません。
 それぞれの命は、今という瞬間に、ここにしかない、オリジナルの存在です。
 自分が自分として生を受けたということも、大切な誰かと出会えたということも、それ自体が二度と繰り返すことのできない奇跡なのです。


※LUPO先生の「妊娠の心得」にインスパイアされて書いた、「いのちの心得」です。
 「妊娠の心得」はすばらしい文章ですので、みなさん是非ご覧下さい。
 えらそうな事を語れるほどの人間ではありませんが、自分なりに日頃考えていた事を十か条にまとめてみました。
 多くの方に転載、リンクしていただけますとうれしく思います。

大局を見据えよ!

何と愚かなことか・・・

皆さんは車に乗られるでしょうか?

以前も車に乗る時のマナーについて触れたことがあるのですが

最近もちょいちょいイラついてます・・・

というのも、僕は基本的にブレーキを踏むのがあまり好きではありません

特に急ブレーキは車にも体にも良くありませんしね

また他人を乗せてる時に踏むブレーキは、止まる瞬間の最後の反動を極力感じないよう細心の注意を払います

これがブレーキの美学だと自分の中で勝手に思ってます (あくまで勝手に思ってるだけです、ハイ)

なので、信号などはかなり遠目で確認し、状況に応じてアクセルワークで止まらなくて済むようにしたり

どうしても止まる必要があるときは上記のような止まり方をします

ということは、普通に走っている状況から場合によっては信号のかなり手前から減速することもあります

すると自然と前の車との車間距離が空きますよね

そうしたらですよ!

隣を走ってた車がその空いたスペースにここぞとばかりに飛び込んでくるわけですよ!


まぁ僕はすました顔して、「コラコラそこは君を入れるために空けたんじゃないよ〜」

と呟きながら

心の中では・・・

・・・

・・・

・・・以下マル秘 
くぉおらあぁぁ!
そこはてめぇを入れるためのスペースじゃねぇんだよ!
スムーズな走行及び停止のために意図的に作った空間なんだよ!
目先の事しか見えてねぇ奴がノコノコ入って来てんじゃねぇぞ!
こるぁあああ!

なぁんて、ちょっとヤンチャなことを思ったりする訳でして (๑≧♉ฺ≦)テヘッ

おかげでこっちは踏まなくていいブレーキを踏まされるんですよ

で、ちょっと隣の車線が空いたら戻っていくんです

そして、その行為によって得られたものは、ほんの僅かな距離

進み具合によってはまた隣に来るんですよねぇ・・・

愚か者め・・・

某アイドルの往年の名曲が聞こえてきそうです

じゃあ始めからそっちに居やが・・・もとい、居たらいいのにと言いたくなる訳でして


っとまぁ、こんな風に目先のほんの少しのことしか見られない輩が近頃増えてる気はしますね

こういう人間が増えてることも、社会が歪んでる一因ではないのかなという気もしないではないですが

もっと物事の流れの全体、すなわち大局を見られるような人間になりましょう

まぁ偉そうなこと言ってる僕自身も、そんなに出来た人間ではありませんけどね

少なくとも自分で言った人間像に近づけるよう心掛けてはいるつもりです

皆さんはどのように感じますでしょうかね?
どうかしてるよ、ホント・・・

最近家でテレビを見ることがあまり無いので、日々ネットでニュースを読むことが日課なのですが

ちょっと信じられない記事がありましたね

それが『110番件数の増加』という記事

これだけだと、まぁ最近物騒な世の中だからなぁと思ってしまいそうなんですが

問題はその通報の内容・・・

とある県警では、110番を受理したら「ゴキブリがでたから何とかしてくれ」

・・・

・・・

・・・

はぁ??って感じですよね!

警察は何でも屋じゃありませんよ

こんな通報をする人間の人間性を僕は疑いますよ!

ちょっと常識が無さ過ぎやしませんか?

イタ電でなければ、頭がおかしいのかと思うほどです!

もちろん警察も一旦はそれは警察の仕事ではないと断ったそうですが、しばらくすると再度同じ内容の入電

仕方なく駆けつけると、若いカップルがゴキブリの前でオドオドしていたそうな・・・

はっきり言って、あきれて物も言えません!

他人のことをあまりとやかく言いたくはありませんが、そのカップルの男の人も

ゴキブリ一匹どうにかできないで、いざって時に自分の彼女守れるんですか?

また別の県警では、恋愛相談に30分以上も付き合わされたとか・・・

『110番』 『119番』は基本的に緊急用の回線なんですよ

そして回線は無限ではないんです!

警視庁などでは週に一度は回線がパンク状態に陥るそうですが

パンク状態の時に、ホントに急を要する入電があって繋がらなかったらどうするんですか!

その僅かな時間の差が、事態の明暗を分ける事だって少なくないんですよ

あまりに悪質な場合、威力業務妨害となる可能性だって含んでいます(無言電話や数百回かけたりするなど)

警察も過去にストーカー被害の相談を受けていたにもかかわらず

痛ましい結果を招いてしまった事件がありますので

市民の声に対してできる限り誠意をもって、丁寧な応対をするようになってるそうですが

110番をする側も、常識と節度のある通報を心掛けるべきではないでしょうか?

まぁこんな記事にここまで食いつくのは、自分が元・警察関係者だからかもしれませんが


だからといって、警察の味方ということではないのであしからず


これはあくまで社会倫理という観点からの意見です





※ちなみに、『110番』は事件・事故など緊急を要する場合の回線ですが

緊急を要さない事柄で、警察に相談したいことがある場合(DVや子どもの非行、ストーカー被害等)は

局番なしの 『#9110』 という番号がありますので


よかったら知っておくと良いかもしれません

さて、こんな稚拙な文章に最後までお付き合いただいたあなたは、どんな風に感じましたでしょうか?

皆様が何かを考えるきっかけになれば、これ幸いに感じます

その他、御意見・御批判があれば遠慮なくどうぞ!

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最近の騒動・・・

悪いのは当事者だけ・・・?

最近、例のボクシングの世界戦の一件で世間がやたら騒いでますね

まぁ僕はもともとあの一家が死ぬほど嫌いなんで

いくら叩かれてもどうでもいいと思ってるんですが

1つ気に入らないのが、今までさんざん持ち上げて煽ってきたメディアが

ここにきて、手のひら返すように叩き始めるのはいかがなものかと・・・・・・

あんたたち今まで何やってたの?

一緒になって間違った盛り上げ方してきたんじゃないの?

あの態度を常に抑制しようとしてきた者が、批判を口にするのは納得いきますが

そうじゃない者がここで批判を始めるのは卑怯です

むしろあなたたちも責められる側でしょう!といいたいものです

どんな世界でも一流と呼ばれる人たち程、礼節をわきまえてるものです

そういう意味では、亀田家の長男・興毅選手は元WBA世界王者ですが

ボクシング選手としては強いかもしれないけれど、アスリートとしては3流以下だと思ってます



ある方面では、父親、つまり親が悪い!と言う意見を聞きますが

テレビを見て腹を立ててる親達は、自分の子どもに対して

他人に誇れるような躾をしてる自信がおありでしょうか?

最近特に思うんですが、最近の親は度が過ぎるほどの過保護か

極端に無責任のどちらかに寄っているような気がします

過保護で言えば、近年、学校での暴力行為が取り上げられる機会が数年前よりも大幅に増えたように思います

息子が教師にちょっと殴られたから、学校に文句?

そりゃあ理不尽な制裁を受けたのなら、抗議もわかりますが

明らかに子どもが悪い事をした場合に、怒られたからって文句を言うんですか?

僕はこれを『暴力』『体罰』とはあまり呼びたくありませんね

そういう親達は家に帰って自分の子どもをちゃんと叱りつけるんですか?

あ、ちなみに僕は学校側の味方でもなければ、世間の親達の味方でもありませんのであしからず

実際に僕は小・中と結構な悪ガキで義務教育の間に、教師に殴られた回数なんて数え切れませんよ(笑)

でも別に恨んだこともないし、殴られた教師の中にもすごく仲の良い方たちもたくさんいますから

ただ殴られたという行為だけを見るのではなく

状況判断というものをしっかりして欲しいものですね

ただし、おかしな教師が増えていることも紛れも無い事実です

理不尽な制裁に対しては、お子さんを守って断固戦うべきですよ



他にも、公共の場で自分の子どもが騒いでいるのに注意しない親や

子どもが注意されれば、注意した人に文句を言う親・・・

悪いことを悪いと一番身近な親が教えてやらずに誰が教えてあげるんでしょうね



個人的なことを言えば、親に怒られて家出した事が何度あったことか・・・

先輩の部屋にお世話になったことや、神社で寝泊りしたことも・・・

うちの親は、普段は何をしてても大して口を挟みませんが

ひとたび他人に迷惑をかけようものなら、鬼のように豹変しましたからね

小学生の頃は剣道をやってましたから、家には竹刀もあったし

柱に半日くくられてたこともあります(A´∀`;)←僕がそれだけのことをやったからですが・・・

親には言ったこともありませんし、一生言うつもりもありませんが

おかげで人としての最低限の礼儀というものは、親に教わったという実感を持ってます

要は、いかに親が自分の子に対する躾に責任感というものを持つかという事ではないでしょうかね


もちろんすべての親がそうだと言ってるわけではありませんので誤解のないよう・・・

素晴らしいと思える親の方々も大勢知ってますし

あくまで、一部にはそういう人たちもいるというだけの話です



古来より大切にされてきた日本の『礼』の精神というものは、世界に誇るべきものです

皆で大切にしていきませんか?



と、まぁ勝手なことを長々と語ってきましたが、あくまで個人的な意見ですので、適当に聞き流してくださいね

その他批判、御意見、大歓迎です

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