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			<title>憩いの田舎家</title>
			<description>日々の生活の煩わしさを忘れ、ほっとひと息入れる憩いの場です。気軽にお立ち寄りください。 
生きて行く上で悩み、苦しみは尽きることがありません。でも悩み、苦しみから逃げずに乗り越える勇気と智慧があれば生きてる喜びを味わい、幸せを掴むことができると私は自分の体験から信じています。憩いの田舎家が少しでも皆様のお役に立てることができれば幸いです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/cosmiceyes2004xyz</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>憩いの田舎家</title>
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			<description>日々の生活の煩わしさを忘れ、ほっとひと息入れる憩いの場です。気軽にお立ち寄りください。 
生きて行く上で悩み、苦しみは尽きることがありません。でも悩み、苦しみから逃げずに乗り越える勇気と智慧があれば生きてる喜びを味わい、幸せを掴むことができると私は自分の体験から信じています。憩いの田舎家が少しでも皆様のお役に立てることができれば幸いです。</description>
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		<item>
			<title>半身不随の身</title>
			<description>左半身不随になって直面した難儀は右手のみで生活することが如何に困難であるかということであった。靴下を履くにも、上下の下着、上着を着るにしても並大抵でない困難が伴い、。想像しなかったほどの時間を要する。食事、用便にして然りである。それに身の回りに杖のような身体を支えるものがないと体が直ぐに重心を失い、前のめりになり危険この上ない。生きることそのものがこれほど困難であることは体験して初めて知った。何故にこのような苦難に遭うのか。「放逸にして五欲に執着し」の釈尊の教えが胸に響く。仏教に縁する以前の若いころ飲酒も含め将来のことも考えず欲望のままに毎日振舞っていたことを悔いても詮無いこと。自分で蒔いた種の実は自分で刈らねばならぬと只管耐えてる。生きていればこそ子供や孫はお父さん」、「おじいちゃん」と慕ってくれる。生きて在ることの尊さも実感している。家内も仕事をこなしながら手厚く介護してくれる。有り難いことだ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/cosmiceyes2004xyz/40354883.html</link>
			<pubDate>Mon, 11 Feb 2019 08:30:13 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>ドッコイ生きています</title>
			<description>前回の日記まで遺言めいた内容の日記をしばらく続けたあと、突然絶筆したことで読者の中に筆者が他界したと推測された方もいらっしゃるのではないでしょうか。おっとドッコイ半身不随の身になりましたが、意気軒昂に生き永らえてるいますので何卒ご放念ください…パソコンはまだ右手しか使えませんので今日はこれで失礼れします。半身不随は癌の転移による脳腫瘍が原因です。。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/cosmiceyes2004xyz/40350120.html</link>
			<pubDate>Mon, 04 Feb 2019 13:49:54 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>苦あれば楽あり</title>
			<description>こんな苦労をするのなら&lt;br /&gt;
生まれてこなきゃよかったと&lt;br /&gt;
何度思ったことだろう&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
誰もが一度は胸にしたこの想い&lt;br /&gt;
それは己れ大事がさせたもの&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人のいのちの授かりしは&lt;br /&gt;
他人の益（えき）になる為ぞかし&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
苦労は厭えば苦になるばかり&lt;br /&gt;
己を育てる肥しと受け止め励むなら&lt;br /&gt;
豊かな実りは間違いなし</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/cosmiceyes2004xyz/40307908.html</link>
			<pubDate>Sun, 09 Dec 2018 04:58:07 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>我が人生の終末記（８）　感謝の念</title>
			<description>8月16日に日記を載せてから大分空白の期間があり、ご訪問下さった方のご期待に添えず申し訳なく思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今年6月新しく発症した脳腫瘍のガンマナイフ手術を６月１4日に受けたのに、7月23日、8月21日と術後2度もてんかん症状（具体的には左手の痙攣と麻痺）に見舞われました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨年６月15日に受けた初回の手術では、術後ほぼ一年安定していたのに、今回は術後2カ月ほどで二度もてんかん症状が出たことに不安を覚え、診察を受けることにしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
8月28日にMRI検査を受けた後、面談した医師によれば、MRI検査からは特に異常は見られないし、術後2カ月位までのてんかん症状はよくあることで心配はない、とのこと。念のために現在服用中のイーケプラ―錠朝夕各2錠を各3錠服用することになりました。同薬には身体がふらつく副作用があり、その所為か、日常生活で、それを意識させられることが増えました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二年前に神経内分泌ガンの治療で注入した抗がん剤アブラキサンの副作用と推定される足のむくみと手足のしびれは今も残っており、病気による身体機能の低下と老化による記憶力の低下と相俟って生活面の不便は歴然ですが、今、此処で息をしている自分の存在に「日日是好日」を覚え、深い感謝の念が湧いてきます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/cosmiceyes2004xyz/40251698.html</link>
			<pubDate>Fri, 21 Sep 2018 15:06:27 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>遠藤周作著「沈黙」に関する一考察</title>
			<description>１９６６年に書き下ろされ、新潮社から出版された「沈黙」は、発表された当時世間の大きな話題となり、当然筆者も目を通した。しかし、当時、宗教について関心も知識もなかった筆者には理解し難い点も多く、特に感動を覚えることもなかった。その後、五十歳を過ぎてから不思議な縁で佛教に帰依し、僧籍を得てからでも二十年になる。信仰について個人的に感じることもあり、最近、再読してみた。共鳴する点も多かったが、賛同しかねる点もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
筆者が特に注目した個所を先ず引用させていただく。（116ページから１１９ページまで）&lt;br /&gt;
「もらいたくもなき品物を押しつけられるを有難迷惑と申します。切支丹の教えはこの&lt;br /&gt;
押しつけられた有難迷惑の品によう似ておる。我等には我等の宗教がござる。今更、異国の教えを入れようには思い申さぬ。わしも神学校（セミナリオ）にて、パードレ（筆者註　司祭）たちのエンテンジメンを学んだが、はてさて、今更、われらに入用なるものとは一向に思いませなんだ」&lt;br /&gt;
「私たちは、考えが同じではないようだ」司祭は声を落として静かに言った。「でなければ、遠い海を渡って、この国を訪れはしない」&lt;br /&gt;
　これは彼が日本人と始めてやる討論だった。フランシスコ・ザビエル以来、このような言葉のやりとりから多くのパードレが、日本の仏教徒たちと討論をはじめたのだろうか。ヴァリニャーノ師は日本人の頭を馬鹿にしてはならぬ。彼等は論争の仕方をよく心得ていると言っていた。&lt;br /&gt;
「ならば伺おう」通詞は扇子を閉じたり、開いたりしながら、押しつけるように言った。「切支丹たちは”デウス“こそ大慈大悲の源、すべての善と悪との源と申し、仏神はみな人間であるからこれらの徳義は備わっておらぬと言うておるが、パードレ殿も同じお考えかな」&lt;br /&gt;
「ホトケも我々と同じように死を免れますまい。創造主とは違うのです」&lt;br /&gt;
「仏の教えをよう知らぬパードレ殿なれば、さよう思われようが、しかし、諸仏、必ずしも人間ばかりとは限っておらぬ。諸仏にはな、法身、報身、応化の三身があって応化の如来とと申すのは衆生を救われ、利益を与える方便のために八相を示されるが、法身の如来は、始めもなく、終わりもなく、永久不変の仏であられるから経にも如来常住、無有変易と説かれている。諸仏を人間とばかり思うのはパードレ殿、切支丹だけで、我々はさように考えてはおらぬよ」&lt;br /&gt;
　日本人はまるで、この答えを暗記したもののように一気に言った。おそらく彼は今日まで、&lt;br /&gt;
さまざまな宣教師たちを取り調べるうちにどのように相手を屈服させるかを考え続けたに違いなかった。だから彼は、ほとんど自分には理解できぬむずかしい言葉を選んだのだろうと司祭は思った。&lt;br /&gt;
「しかし、あなたたちは万物は自然に存在し世界には始めもなく終わりもないと」司祭は逆襲するために相手の弱点を狙った。「そう考えているとか」&lt;br /&gt;
「その通り」&lt;br /&gt;
「しかし命のないものは他物がそれを動かすのでなければ、自分から動くことはできぬ。ホトケたちはどうして生まれたのか。　またそのホトケたちは慈悲の心があるのは, わかりますが、しかしその前にこの世界はどうして創られたのか。　我々のデウスは自らを創り、人間を創られ、万物にその存在を与えたものだが」&lt;br /&gt;
「ならば切支丹のデウスは、悪人どもをも創られた、そう申されるわけか。しからば悪もデウスのなせる業じゃ」&lt;br /&gt;
　通辞は勝ちほこったように、小声で笑った。&lt;br /&gt;
「いやいや違うでしょう」司祭は思わず首をふって、「デウスは万物を善きことのために創られた。この善の為に人間にも智慧というものを授けられた。ところが、我々はこの智慧分別とは反対のことを行う場合がある。それを悪というだけだ」&lt;br /&gt;
蔑むように通詞が舌うちする音がきこえた。司祭も司祭で自分の説明が相手を説得したとは思っていなかった。こうした対話は、もう対話ではなく、むしろ言葉じりを掴まえて無理矢理に相手をねじふせるようなものだった。&lt;br /&gt;
「詭弁を弄されるな。百姓、女、子供ならともかく、わしは、さような釈明に惑わされはせぬ。まあいい、今一つ設問しよう。デウスにまこと慈悲の心があらば、なにゆえ天国（パライソ）に行く道に至るまで、さまざまの苦しみやむつかしき事を与えると思わるるか」&lt;br /&gt;
「さまざまな苦しみ？　誤解していられるようだ。もし人間がデウスの掟をそのまま実行するなら、平安にくらせる筈。我々が何かを食べたい時に、デウスは飢えて死ねなどとは決して命ぜられぬ。ただ創り主であるデウスを祈れ、これだけ守ればいいのです。また我々が肉の欲望を捨てることができぬ時はデウスは女を遠ざけよなどと強制されはせぬ。ただ一人の女をもちデウスの意志を行えと言われるだけです」&lt;br /&gt;
この返事は、うまく運んだと、語り終わった時、思った。小屋の暗がりの中で通辞がしばし言葉を失って黙りこんだのが、はっきり感じられた。&lt;br /&gt;
「もうよか。いつまでも水掛論じゃ」不機嫌に相手は日本語で、「こげん話ばしにここに参ったのではなか」　（引用終わり）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上記引用部分は仏教とキリスト教の根本教義に関わる部分で、小説の中でも重要な役割を果たしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仏教上のホトケについて筆者の得た知識によれば、法身仏（この世に働く真理・法）、報身仏（教化面で生み出されたさまざまな仏・菩薩など）、化身仏（修行の結果、現実に仏となられた釈尊。応身仏とも言う）の三仏が存在する。デウスはキリスト教での神（この世の創造主）。ウイキぺディアによればフランシスコ・ザビエルは日本での布教当初、大日如来に模してデウスを大日と呼ばせたこともあるが、程なくしてそれは正しくないと取り止めたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
キリスト教を禁教とした幕府に逆らって、デウスを信じた熱心な信仰者は火あぶりの刑、水磔刑、釜茹での刑、十字架に縛られ槍で突かれるなど極刑に曝された。苦痛に耐えいのちを落とす信仰者にデウスは沈黙するばかりであった。信仰とは何か、を問う書「沈黙」に、宗教者の一人として筆者も深く考えさせられるものがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信教の自由が保証されている今日、上記の法論に関して筆者の見解（個人的直観であるが・・・）を述べさせていただくと、法身仏とは、この世に働いている目に見えない大きな力で、その本質は慈悲であると筆者は信じている。人間がこの世に存在し得るのは、地球があってのことだが、地球と言う天体の誕生も、因があり、それが縁に触れて、果として有り得る（つまり「空」の法理により）と言えるのではないか。其処に生命が誕生する確率は10の4万乗分の1と云われており、正に奇跡に近い確率なのだそうだ。数多の天体の中で唯一地球のみに生物が存在する事実は、目に見えない大きな力の働きの存在と筆者は認めざるを得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人がこの世に生命を享けることは、我慾を充たすためでなく、自分の存在が他者の為に、また他者の存在が自分の為になる自他相和する目的が在るからと自ずと解釈されるのである。人間が幸せになる道（法華経）を、理を尽くして説かれた釈尊の存在が人類にとり如何に有難いことか、筆者は「沈黙」を読了して改めて感じている。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/cosmiceyes2004xyz/40223563.html</link>
			<pubDate>Thu, 16 Aug 2018 15:40:02 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>我が人生の終末記（７）不思議な体験</title>
			<description>ほぼ一週間前の7月20日（金曜日）、ご仏前で夕方の勤行を勤めていたときのことである。突然左手の人差し指が痙攣し、同時に周辺の指が麻痺する現象が現れた。この現象が生じたのは三度目である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一回目は昨年6月、市営プールのサウナを出た時で、それが契機で脳腫瘍の存在が判明し、放射線による手術を受けた。その後手足の麻痺が残り、10日間ほどリハビリ入院し、正常の生活に戻った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二回目は、今年6月1１日、午前と午後にやはり左手の同じ場所に痙攣と麻痺が再び現れ、診察の結果新たに小さな脳腫瘍が発見され、6月14日に再度放射線による手術を受けた。この時は、発見が早く、腫瘍も小さかったので、リハビリ入院もなく、直ぐに正常な生活に戻った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして順調に約一カ月が過ぎた矢先に三度目の発症であった。家内は留守で、救急車を呼ぶにも筆者の携帯電話は２階の私室に在り、取りに行くのも儘にならない。止むなく痙攣と麻痺した部分のマッサージを右手で五分ほど続けたが、状況に変化が見られなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後の手段として頭に閃いたことがあった。常日頃、筆者が信じていることだが、釈尊は出家後難行苦行して悟りを開かれた。筆者は出家後、自分なりに学び、釈尊の悟りとは、この世には目に見えない大きな力（法）が働いており、その本質は慈悲である。その力を釈尊の滅後は仏として私たちは敬っていると会得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「南無妙法蓮華経」と題目を唱えるということは、法華経に説かれている、三法印（諸行無常、諸法無我、涅槃寂静）（もしくは一切皆苦を加えて四法印）、四諦、十二因縁、六波羅蜜などの教えを自分の身に教え込み、自分を限りなく仏に同化させること、と解釈していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その考えに立って、題目を唱えれば、仏と感応道交し，宇宙に働いている大きな力（それは私の心臓をも動かしている）に働きかけ、心臓の血流を強くし痙攣と麻痺を癒すに違いないという直感が閃いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
筆者は左手の痙攣と麻痺した部分を右手で強く押さえつけ、今述べた特別な思いを込めて題目を一唱した。その途端、痙攣と麻痺は、はたと消え、左手の機能は正常に戻った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
奇跡とも思える出来事に筆者自身驚いた。何よりも筆者の信仰の姿勢は間違っていなかったという証を得た思いがした。一度の体験で、信仰の姿勢うんぬんすることは、思い上がりかもしれない。しかし、他になすべき道もない絶体絶命の状況の中で、救われたことに大変大きな意味が込められていたと筆者は感じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
因みに呪い（まじない）か何かのように現世利益を願って安易に題目を唱える信仰を筆者は忌避している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（事後報告）当面、痙攣と麻痺を解消できたが、今後のこともあり７月２３日（月曜日）担当医に会って状況を報告し、今後の対処法を相談した。夜に摂取する薬（イーケプラ錠）の量を１錠から2錠に増やすことで様子を見ることになった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/cosmiceyes2004xyz/40208271.html</link>
			<pubDate>Sat, 28 Jul 2018 23:20:10 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>我が人生の終末記（６）　我が愛する歌詞　（その二）</title>
			<description>「The Impossible Dream　見果てぬ夢」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To dream the impossible dream &lt;br /&gt;
見果てぬ夢を夢見&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To fight the unbeatable foe&lt;br /&gt;
敵い難き敵と戦い&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To bear with unbearable sorrow&lt;br /&gt;
耐えがたき悲哀に耐え&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To run where the brave dare not go&lt;br /&gt;
勇者も敢えて往かぬとこへ往く&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To right the unrightable wrong&lt;br /&gt;
正し難き悪を正し&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To love pure and chaste from a far&lt;br /&gt;
遠く離れて純愛と貞潔を保ち&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To try when your arms are too weary&lt;br /&gt;
疲れ果てても務めて腕を振るい&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To reach the unreachable star&lt;br /&gt;
届かぬ星を掴もうとする&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
This is my quest to follow that star&lt;br /&gt;
これぞその星を得んとする我が希求&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
No matter how hopeless, no matter how far&lt;br /&gt;
如何に望み薄く、如何に遠くとも&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To fight for the right　&lt;br /&gt;
正義の為に戦う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Without question or pause　　&lt;br /&gt;
問いも思案もなく&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To be willing to march　　　　&lt;br /&gt;
勇躍前進する&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Into hell for a heavenly cause　&lt;br /&gt;
天の義のため地獄へも&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
And I know if I’ll only be true　&lt;br /&gt;
そして知るのだ　もし自分が真実で有りさえすれば&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To this glorious quest&lt;br /&gt;
この栄光ある希求に&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
That my heart will lie peaceful and calm　&lt;br /&gt;
わが心は平穏に横たわれるのだ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
When I’m laid to my rest&lt;br /&gt;
埋葬された時に&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
And the world will be better for this　&lt;br /&gt;
これによりこの世は良くなり&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
That one man, scorned and covered with scars　&lt;br /&gt;
蔑まれ傷に覆われた一人の男は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Still strove with his last ounce of courage&lt;br /&gt;
最後のひと絞りの勇気を依然と奮った&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To reach the unreachable star　&lt;br /&gt;
届かぬ星を掴もうと&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To fight the unbeatable foe　&lt;br /&gt;
敵わぬ敵と戦わんと&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
To dream the impossible dream&lt;br /&gt;
見果てぬ夢を見ようとして&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
註（１）ラ・マンチャの男より　　　　拙訳　筆者&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
註（２）「見果てぬ夢」で検索すると多くの歌手の歌が聞けます。筆者が愛するのはトム・ジョーンズの歌です。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/cosmiceyes2004xyz/40197522.html</link>
			<pubDate>Sun, 15 Jul 2018 02:36:40 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>最も幸福な国フィンランド</title>
			<description>枕元に置いてあった未読の英字新聞Asahi Weekly（２０１８・０４・０３）の記事に気が付いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヴァチカン　シティー発ロイター通信によれば、2018年世界で最も幸福な国はフィンランドで、アメリカでは国は豊かになっているものの人々の幸福度は下がっているという。2017年フィンランドは5位であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国連の関係機関が毎年実施している世界幸福度調査は国民一人当たりのGDP、社会的な保障、健康寿命、社会的な自由、人々の寛大さ、政治的腐敗の欠如を対象にしている。北欧の国々がいつもながら上位10位を独占している。米国は18位で、前年14位から下がっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、米国の一人当たり収入は増え続けているのに、弱体化した社会維持ネットワーク及び公共機関に対する信頼度低減で幸福度は下がっていると、識者は指摘しているそうだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
気候面で決して恵まれているとは言えない北欧が、幸福度で高い地位を占めている事実は、何を物語るのであろうか。人々が皆共に等しく幸せに生きようする意欲が強く意識の底に働いているからと筆者に思えてならない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/cosmiceyes2004xyz/40179411.html</link>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2018 01:19:20 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>我が人生の終末記（５）　好きな台詞　（その一）</title>
			<description>Out, out, brief candle!　&lt;br /&gt;
消えろ　消えろ　短い蝋燭&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Life&amp;#039;s but a walking shadow, a poor player　&lt;br /&gt;
人生は歩きまわる影法師に過ぎない、哀れな役者&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
That struts and frets his hour upon the stage&lt;br /&gt;
舞台では精一杯出番を果たすが&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
And then is heard no more.&lt;br /&gt;
終わればそれまで&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
It is a tale told by　an idiot full of sound and fury &lt;br /&gt;
声高く猛々しく語られる痴者の話&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Signifying　nothing&lt;br /&gt;
意味なんて何も在りはしない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（シェークスピア　マクベス　　拙訳　筆者）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/cosmiceyes2004xyz/40176764.html</link>
			<pubDate>Mon, 18 Jun 2018 02:44:18 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>我が人生の終末記（４）　新たな脳腫瘍</title>
			<description>ちょうど一か月前のこと、5月13日（日曜日）夕刻、正座して20分ほどの勤行を終えた時、左手人差し指の痙攣が生じた。止めようとしても止まらない。引き続いて、その後左半身麻痺により畳の上に転倒した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事態に驚き、家内は救急車を手配。駆け付けた救急隊員に助けられ救急車内のベッドへ。&lt;br /&gt;
その状態で、手足の運動状況の検査を受けたが、痙攣も麻痺も治まっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大事を取り、普段罹り付けのB病院へ救急車で搬送された。筆者を担当する脳外科医のY先生は日曜日で休勤。当直の若い医師の指示で、CT検査、心電図検査を受けたが、異常なしとのことで、点滴のみを受けて帰宅した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（その3，4日前にも左手人差し指の同様の痙攣があったが、右手でマッサージしていると2，3分で痙攣は治まった。昨年6月に浦和市S病院で、脳腫瘍の放射線治療（ガンマナイフ）を受けて以来初めての出来事であった。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌14日（月曜日）B病院と同系列のBクリニックで脳外科医Y先生に状況を報告し、先生の意見を求めた。（Y先生は昨年6月最初の痙攣発生時に、浦和市S病院での放射線治療を薦めてくれた方である。）先生の指示で、その場でMRI検査を受けた結果、「症候性てんかん」と診断され、その日以来朝夕一錠づつイーカプラー錠５００ｍｇ（抗てんかん薬）を他の薬（お薬手帳によれば十数種類）と共に服用してきてほぼ一カ月になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが一昨日（6月１1日）午前11時半ごろ、と午後2時ごろの二回、左人差し指の連続痙攣が生じ、二回目は痙攣する人差し指を含む周辺までが麻痺する症状が現れた。いずれも5分ほど右手でマッサージしていると、症状は消滅した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一日に2回も痙攣や麻痺が生じることは、これまで経験したことはなく、明らかに異常である。インターネットで調べると脳卒中の恐れもあるようだ。Y先生は月、木、土の午前中のみ在勤で、三日後でないと、診察してもらえない。筆者は思い切って昨年ガンマナイフによる手術を担当してくれたO医師に電話した。O医師は12日の診察に応じてくれた。診察時、筆者の訴えを聴き、同日夕刻６時からMRI検査となった。昨年手術した場所に隣接して新しい小さな腫瘍の存在が歴然としていた。そして１4日朝一番の手術が決まった。&lt;br /&gt;
手術の結果次第で、前回そうであったように、術後１０日から二週間のリハビリのための入院を要するとのこと。&lt;br /&gt;
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それにしても次から次へと筆者に降りかかる難事は何故か？と自問してしまう。そして得る答えはいつも、至らない自分に原因があるということだ。謙虚に現実に向き合うしか道はないのだ。&lt;br /&gt;
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自身の仕事を持ちながら嫌な顔もせず、車の運転を含めすべてについて対処してくれる家内には頭が上がらない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/cosmiceyes2004xyz/40173080.html</link>
			<pubDate>Wed, 13 Jun 2018 08:19:27 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
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