|
いま仕事が猛烈に忙しいが気分転換に少し書いてみる。本来なら「ゾロアスター教との出会い」を仕上げるべきだが「恋愛と性」のほうが資料も必要なく軽く書けそうなので、こちらを選択した。
女性はダイレクトな性表現をされると、ある種の嫌悪感を持つようである。「Hな話はお断り」という注意書きのあるPFも多い。最終的には彼女らも、いざHとなれば快楽を貪るだろうが、誰とでも遊び感覚でしたくないという自己防衛本能からきている態度だと思う。性は聖にも通じ、生命の誕生にも関わる神聖な行為という一面と、猥褻とか本能という動物的行為の狭間に位置している。
妻帯や性行為を禁止してる宗教も多い。禅宗は明治維新まで妻帯禁止だったし、カソリックの神父さんは現代でも妻帯禁止だ。日本の宗教の場合は比較的性に寛容で、遊んでいるお坊さんは多いことだろう。
空海の創始した真言宗は、日本の仏教の中で唯一加持祈祷のできる宗教だが、その最高経典の経文の一節に「男女の接合の快楽は悟りの境地、極楽の境地」という箇所があるが、誤解も多いためあまり知られていない。チベットのラマ教などの本尊には歓喜天といって対面座位でH中の姿の仏様が多い。インドのバラモン教やヒンズー教の遺跡にも石に浮き彫りにされた男女の接合場面は多い。
仏教の悟りとは「とらわれない心」という一面があるが、性の快楽で極楽昇天できれば人生は楽しいだろう。お釈迦様は30歳まで(29歳かもしれない)妻帯、妾までいて息子さえ作っておられる。ところが悩みや苦痛の根源を、すべての欲望と考えて、家族も財産も捨てて出家。禁欲生活に入られた。
お釈迦さんはHも経験されて妻子を捨てたが、一生妻帯されない人は、本当に性欲を克服できているのか、何かの機会があったら神父さんにでも伺ってみたいものだ。
キリスト教における妻帯禁止は、神のみを愛する生活をするのに妻子を持つと愛情がそちらに分散する可能性が大きいからという。だが、同じ生身の人間として純粋にそんなことは可能であろうか、理解に苦しむ。あるキリスト教の派では、セックスに快楽がともなうことが許されず、子づくりのために男女の性器の部分にだけ穴のあいた貫頭衣を着て生殖本位のセックスをしていたという話をどこかで読んだ記憶がある。
キリスト教、仏教、ゾロアスター教がミックスされたマニ教(3世紀ごろ)では、セックスを禁止していたようだが、これでは子孫が残せない。また、人間社会の混乱は妻子や財産への固執からくるものだと妻子や財産を国民の共有財産として乱交が行われた時代(中世の中央アジア)もあったが、長続きしなかったようだ。
日本の仏教の中では浄土真宗の親鸞や蓮如は、何度も妻帯したり女性との関係も激しかった。妻帯禁止の禅僧・良寛は異色で、62歳を過ぎてから性に目覚め、盲目の30代の美人尼僧と連日Hに明け暮れ、日記に毎夜のHの回数まで記されているが、ほぼ連日3回以上射精していた。禅の難しい教えに「善も悪もなくあるがまま」というのがあるが、良寛さんはその境地だったかも知れない。一歩間違うと日本社会を震撼させたカルト集団のような行動にも通ずる危険な教えで正しく理解をしなくてはならない。
ここで結論はださないが、「恋愛と性」を考える上での一つの材料(エピソード)にしていただけたらと思い書いてみた。
|