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子供のころから身近に2つの禅寺があった。1つは臨済宗の善住禅寺、もうひとつが曹洞宗の龍源禅寺だ。以前、臨済宗と曹洞宗の坐禅の作法の違いについては書いた。
善住寺の方は、小学校時代に習字を習った寺で今もその時の先生が老僧として健在だ。帰郷してからここで100日間坐禅をしたときは、この老僧に指導をしていただいた。最近も時間があれば、坐禅をする習慣がついたのもこの老僧の指導のおかげだと感謝している。
だいたい朝の6時には本堂が開放されているので、我が家のごとく上がりこんで勝手に坐っている。
老僧は京都の生まれだが、縁あって20代でこの寺にこられた。小さな山寺だったが、今では20年ほど前に多額の寄進があって建物や庭も整備された。明るくて気持ちのよい雰囲気があり、ついつい足が向いてしまう。
10年ほど前から2度ほどこの寺の案内パンフレットを作らせていただいた。全山赤紫に染まるコバノミツバツツジはじめ、花の多い寺で表紙には「心やすらぐ花の寺」というコピーを入れさせていただいた。
もう、1つの龍源寺の方は家の先祖代々の菩提寺で、住職は1歳年上で子供のころから知っている。
こちらの案内パンフレットも作らせていただき、今最終の校正段階に入っている。開山和尚の木造、黒門、柱杖などが県指定の文化財になっている山寺で、戦前までは修行僧もいたようだ。
文化財の指定は受けてないものの、木造や石造の羅漢の多い寺で、案内パンフレットの表紙には「羅漢さんの寺」というコピーを入れさせていただいた。
同じ禅宗であるのに微妙に教えが異なる。臨済宗は座禅のほかに公案という言葉による禅の修行があるが、曹洞宗は、只管打坐といい公案はない。
兄や叔母は洗礼を受けてキリスト教徒になっているが、僕は仏教徒のままでよい。先祖を供養するのに先祖と違う宗派になったら、あの世でご先祖さまらも苦笑してしまうだろう。
30年以上、ゾロアスター教にこだわり、ジャイナ教の本も書いたが、仏教はすぐれた宗教だと思う。だが、考えてみればキリスト教やイスラム教のようにエホバやアラーなどの唯一神がいるわけではない。この意味では宗教というより哲学に近いかもしれない。
西田哲学の西田幾太郎などは、有名な「善の研究」を書いた時には、ほぼ毎日坐禅をされていた。絶対矛盾の自己統一など、禅から生まれた思想かもしれないと思っている。
死後の世界については、バラモン教と同じで輪廻転生の立場だが、この輪廻から逃れることを解脱、悟りなどという。死後の世界については釈迦自身は、無記という表現で、知りませんということだ。今の日本の仏教を釈迦が知ったらビックリするくらい形も内容も変わっている。
今回のパンフレットに羅漢の説明を書いた。
羅漢さんは、釈迦について最高段階まで達した修行僧のことで阿羅漢の略。十六羅漢、五百羅漢などがあるが、いろんな表情だ。釈迦の十大弟子の下にランクされ、悟りは開いたものの個人的なもので、まだ人にその教えを説くまでの法力はないとどこかで読んだ気がする。
80代で数年前に亡くなられた孤高の彫刻家・鈴木政夫の展覧会を岡崎の松坂屋で見たことがある。このときは書も珍しくでていて、「せめてなりたや羅漢のように」と書かれた作品があった。
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釈迦が、死後の世界は「無記」と、初めて知りました。勉強不足でした。勝手な思い込みもしていたようです。尋ねてみようと思います。長らく「成仏」という意味が解かりませんでした。今もほんとは(奥低から)解かっていないのですが「幸せになること」が成仏だと聞きました。また、悟ることなど凡夫の人間にできようはずが無いと思います。自分にとっての「幸せになること」とは・・・
2008/10/2(木) 午後 6:47 [ のんこちゃん ]
「成仏」は、「迷わないで成仏してください」というように、生と死の幽界にとどまることなく、仏の世界にすみやかに行ってほしいということですね。しかし、「人間、本来仏なり」とも言いますから、自己発見ということかも知れませんね。
2008/10/4(土) 午前 8:51 [ cos*ora*a7*72 ]
「仏界の生命は、各々の中にそなわっている」と言われております。今日も尋ねてみました。彼女は「自分にとっての生きてきた証しである」と言ってました。別な方にまた尋ねてみます。「成仏とは何ぞや」当分尋ね歩きの旅が続きそうです。お返事ありがとう御座いました。
2008/10/4(土) 午後 6:48 [ のんこちゃん ]
絶対矛盾の自己統一・・・「これでいいんだ」ど思うところまでは来たみたいです。
先日 亡くなられた『緒方拳』さんが老いや病について
「寄り添って生きる」とコメントされていたことから
「死はあたりまえにやってくる」と新鮮な感覚で学ばせて頂きました
2008/10/8(水) 午後 11:07 [ - ]
日本羊さん、こんばんは。あまり成仏について考えたことはないですが、悔いのないように生きればようのではないですか。なかなか、そうはいきませんが・・・今のまま、このままでよいとという肯定的な自己発見も成仏でしょうか・・・。
2008/10/9(木) 午前 0:41 [ cos*ora*a7*72 ]
絶対矛盾の自己統一は、神風や9.11などの自爆テロの人が死後の世界を見ることができないのに実行する時に心のやり場をどこに置くかということにも関係しているようです。「これでいいんだ」と思えたらいいですね。
2008/10/9(木) 午前 0:44 [ cos*ora*a7*72 ]