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東海道五十三次の御油と赤坂の宿場の間の松並木が、今も国の天然記念物として残っている。この付近では藤川や知立あたりの旧東海道にも少し松並木が残っているが御油・赤坂ほどは完全な姿ではない。
知る限りでは小田原や三島、静岡にも松並木が残っているが、こちらは旧東海道がそのまま国道1号になったために見られるのだと勝手に判断している。御油・赤坂は国道1号と並行して延びでいる。
江戸から御油が35番目、赤坂が36番目で、この御油・赤坂間は五十三次の中で最も距離が短く、1.5キロとも2キロ足らずとも言われている。現在残っている松並木は約600メートルで、その数は270本ほどだ。
江戸時代に参勤交代で大名行列が通ったり、お伊勢参りや商業の荷役の往来で賑わったという。江戸から赤坂までは約300キロ、赤坂から京都までは約200キロだ。正確には江戸と京都の距離は508.9キロというが、約500キロと考えていいだろう。
松の寿命は約200年という。永くて400年だそうだ。従って松並木が造られた当時の1600年代の松はほとんどないと言える。赤坂は今では地方の田舎町だが、江戸時代は三河の国の代官所のあったところで、今とは比べ物にならないくらい栄えていた。
五街道の松並木で国の天然記念物となっているところは、この御油のマツ並木だけだ。なぜか松並木ではなくマツ並木として登録されている。
今年、この600メートルの区間の所々が石畳みとなり、その部分は両サイドにポールが立てられ車がスピードをだすことができないようにした。見学客も多く事故を気遣ってのことだろう。一時はバイパス道路の建設の声も聞かれたが、周囲は人家が多く土地の買収の目処が立たなく、このような道路にしたと思われる。
今回の台風18号でこの御油のマツ並木の松が6本倒れたようだ。もう台風から1週間が過ぎたが、台風当日(8日)の昼ごろ赤坂側から松並木に入ろうとしたが、「倒木の恐れ。通行止め。回り道」の看板が入口にあり、全面通行止めになっていた。
看板の近くに車を止めて歩いて松並木に入ってみた。ほとんどの落ち葉がすでに掃かれていたが、作業車が倒木の処理をしているのが見えた。(写真参照)
普通の日でも入口に「倒木に注意」の看板がでているが、いきなり松の大木が倒れてきたらどうすることもできないと感じていた。
それにしても一番風の強い午前4時過ぎにバイクで新聞配達の人がきた。今回の台風は風は強かったものの雨はこの辺りは少なかった。昨日、新聞配達の人に、倒木や枝葉が舞い落ちて危険ではなかったかと聞くと、それより民家の密集したところのほうが車庫の屋根が飛んでくるのではないかと思い怖かったという。
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火事を出さずによかったですね。
昭和7年11月14日の大台風は茨城県、鯨ヶ丘と呼ばれている常陸太田の坂の町から火事をだし、折からの台風の風雨に煽られて、町民が逃げ惑う様は、地獄絵さながらであったと聞いております。
この台風と火事のため、我が実家の家も牛も牛舎も、全てを失ったそうです。
父亡き後の法事の席で、叔母達から聞いた話でした。
自然災害に抗う事が出来なくても、火事は防げただろうにと思い、
台風と聞くと、火の元は大丈夫だろうかと注意を怠る事無く、コンセントを抜いたり、ガスはもとまで閉めるようになりました。
謝謝。 再見。
2009/10/16(金) 午後 1:45 [ のんこちゃん ]