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先日テレビを見ていたら、石川遼ゴルファーが洗面所の手入れをする習慣があるという話があった。そのとき別の人が、「たけしさんは、今でも楽屋のトイレ掃除をしている」と語っていた。
典型的なO型の僕は掃除や整理整頓は苦手なとこ。書斎の資料だkでなく、ハサミやホチキスの置き場も乱雑で探し出せなく、今から家族用のものを持ってくる始末。ホチキスもハサミも各5つ以上は書斎にあるのに見つけることができない。
ここ数日、屋敷の草刈りや生垣の剪定をした。
これまで草刈りはしても回収作業はしたことがない。どうせ枯れて土にもどるのだからほっておけばよいと思っていた。年に一度くらい庭師に剪定してもらっているが、庭木などの植物は自然のままがよいのではという考えで、あまり気にとめなかった。
昭和天皇は人工的な盆栽より自然な広葉樹を好まれたことと、廊下など室内では素足で歩かれたという。知り合いにも外出時は靴下をはくが、靴をぬぐと素足の方が気分もよいということで、四季を問わずその姿勢をくずさない人もいる。
俳優の宍戸錠氏の書斎の乱雑さは有名だが、やはり整理整頓は必要に思えてきた。
60歳になった私は、もう鎌は使っても砥石で磨いたことなど50年くらいない。
102歳になる祖母は95歳くらいまで、草取りや鎌で草刈りをしていた。
ここ数日、刈った草の回収をしていて、そのことが気持ちよく、精神的にもプラスに働くことに気付いた。いま、祖母は今年3月の骨折以来、病院、施設と家にいない。確か祖母の手押し車にお墓参りのロウソクや線香とともにあったはずと思い探してみた。
そこに砥石はなかった。納屋や車庫などを探していたら、砥石が見つからない代わりに、まだ新しい厚鎌やメジャーなど使えそうなものを次々発見。30分くらいして砥石見つかった。これから50年ぶりに砥石で鎌を磨いてみる。刃物の砥ぎ方は粗目で片方を刃先に対して斜め平行に砥ぎ、決して局面的になってはいけないという記憶がある。
近所の幼馴染はよく鎌だけでなく、あらゆる刃物を研いでいるようだが、あまり気にしたことはなかった。
ゆっくりでいいから整理整頓や物への愛着をもった扱いは、自らの精神にも影響を及ぼす。
北野たけし氏や石川遼君のトイレや洗面所の掃除も精神的に謙虚な平常心でことに臨む大切な習慣のように思える。
日本の道路や鉄道沿線、公共の場はおしなべてきれいだ。
「きれい」という言葉には、単に美しいだけでなく衛生的という意味も含まれる日本語にしかない独特の単語のようだ。
数年前インドに行った時に列車に乗っていたら上品な中年夫婦が斜め前の席で車内販売のお好み焼きのようなものを食べていた。食べ終わったら、包み紙だった新聞紙を平気で窓から外に投げていた。インドの鉄道沿いはゴミの山。紙類ならまだいいが、ビニールや発泡スチロールの腐らないものも多くある。
以前、知り合いのインド人と列車に乗っていたら、ミカンの皮を平気で車窓から投げ捨てるので、「鉄道周辺が汚れるので止めたほうがよい」と注意したら、「日本のゴミ箱は小さい」と笑いながら答えた。
あまり神経質なる必要はないが、そこそこの公衆道徳が守られている日本は素晴らしいと思う。
さらにその上のことをしているのが、北野たけし氏や石川遼君だ。
見習いたい習慣ではある。
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