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清花豊恩信女
これは、母の戒名。
2月の末から入院していた母が、5月22日 横浜で息を引き取りました。
私は、たくまの卒業と入学、そしてはるるの受験、卒業、入学などの時期が重なり、
入院したことを知りながら、なかなか母のお見舞いに行けないでいた。
やっと4月のはじめ、諸々落ち着いた時期はるると2人で母に会いに行った。
その時の母は体を起こすことは出来なかったけれど、
普通に会話もできて私たちは他愛のないことを話し、病室にも関わらずわっはわっはと
おなかが痛くなるほど笑った。
元気そうでよかった。そう一瞬思えたのに、
マッサージしてあげるね・・・そう言って毛布の上から触れた母の足の細さに胸が苦しくなった。
その日が生前最後の母と過ごす日となってしまった。
5月には、はるるの卒業記念の写真や振り袖姿の写真、たくまの卒業と入学の写真を添えて送り母に孫たちの成長を見てもらって、その数日後、話せない状態になったそう。
母は、身長の大きな人だった。165㎝くらいはあったと思う。
同年代の女性の中にいるといつもポンと頭が出ていた。
明るくって、社交的で、多趣味で、
いつも人の輪の中心にいる人だった。
はるるが小さいころは同居していた時期もあって、とてもかわいがってもらっったなぁ。
たくまの通院や入院の時には、はるるを見てくれていて本当に助かりました。
たくまは、小学校入学の前に会ったのが
ばあばとの最後となりました。
C型肝炎の持病を抱えながら、80歳まで生きぬいた母。
亡くなって2か月が過ぎるけれど、時々静かに母を懐かしく思い出している。
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日々のetc...
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10時20分頃、電気が回復した
午前中に、買い物と学校に用事で出かけた。
停電の影響で
学校の用事を済ませ、
セブンイレブンで買い物。レジにかごを置いたとたん、照明がついた
店員さんと、電気が点いた喜びを分かち合う
よかった〜〜。
電気が使えることに感謝。
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零時少し前、ドドドッ…地鳴りとともに強い余震。
慌てて、はるるを呼びにパパが二階に駆け上がる。 揺れが強まり、食器のぶつかる音、棚の上の物が落ちる音がして、 照明がすぅ…と消えて行った。 私はの眠っているたくまを抱え、懐中電灯を手探りで探し、 二階から降りて来るパパとはるるを照らした。 震災後、毎日余震は続いて慣れていたけれど、 夜中の強い地震、そして再び停電は恐怖。 ラジオでは、沿岸地域の方へ 「後ろを振り向かず高台に避難してください 「海や川に様子を見に行かないでください と何度も呼びかけていた。 あぁ…暗闇の中、外へ逃げなければ行けない人がいるんだ…。 せつなくなる。 みんなみんな、どうか無事でいて ドタバタ騒ぎの中、たくまだけは、すやすや何も知らず夢の中。 穏やかなその寝顔が大きな救いです。 |

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震災から16日目にして、
やっと今日、車の給油ができました
震災後、ガソリンスタンドをめざす人々の車の、長い長〜〜い列が続いていたから、
たくまが万一体調を崩して病院へ行くことになった時のためにと、なるべく車での外出を避けていたけれど
もう限界!土曜日こそ その長い行列にならばなければならないと覚悟を決めていた。
そこへ天使が現れた
しかも、わざわざ雪の中を我が家まで届けてくれた、ママ友よ〜〜〜
お陰で、今日給油でき、灯油も買えました。
ただ、制限がありガソリンは4000円分まで、灯油は10ℓまでだったけれど。
大事に使わねば
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震災の余波は容赦なく・・・
今日は、こども病院の ボランティアハウスをお借りして ≪ハンドメイドクラブ≫の活動をする予定でしたが、
こんな折ですから、朝 「今日の活動は致しません。」と病院のボランティアコーディネーターさんに連絡。
3月15日の午後に行くはずだった神経科は、
きっと病院も大混乱だろうし、まだ痙攣の薬は在庫がある。という理由で自粛していた。
今日になって予約の取り直しの電話を入れたところ、
主治医の先生の話では、今日辺りからガスが復活するようだけれど
ガスが使えない状態で院内の暖房が出来ない為大変だった。
病院の機能は今日現在50%回復というところ・・・・とのこと。
食料もままならないし、手術さえもできない状態だったそう。
病院の関係者の皆様、入院・通院の患者さんとご家族も
本当に大変な思いをして頑張ってこられたことでしょう。 もう少し、もう少し頑張ってくださいね!!
もう既に、行政の方からの支援もあると思いますが、
できれば、食材など優先的に回してくださるように、助けてあげてください。
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