「コッツプレイス」 の ブログ

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旅行記

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永平寺、山門の四天王

禅の里、永平寺に来ています。
大きなお寺なので七堂伽藍の廊下伝いに次々とお堂を巡るだけで随分と時間がかかります。
 
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七堂伽藍の廊下から人だかりしている場所が見えました。
行ってみましょう。 

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そこは、永平寺の山門でした。
 
山門は、ケヤキ造りの楼門で、1749年に再建された永平寺最古の建物だそうです。
 
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山門の東側には持国天と多聞天、西側には広目天と増長天が祀られていて、仏様や仏教の教えを外敵から守っているのです。
 
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山門に掲げられていたのは、永平寺の山号の由来である「吉祥の額」でした
 
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網目を避けるようにレンズを向けて、四天王を一体づつ撮ってみました。
 
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東方を守るのは、持国天(じこくてん)です。
持国天はインド神話の中で、インドラ(帝釈天のこと)の配下の方位の神でした。
仏教の世界では、仏に帰依し、仏様や仏教の教え(仏法)を守護する役割を担います。 
 
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北方を守るのは、多聞天です。
多聞天は、一般的には毘沙門天の名前で知られる四天王です。
仏教では北方が最も重要な要とされており、四天王最強の神様として北方を守護します。
  
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西方を守るのは、広目天です。
広目天はサンスクリット語の「様々な眼を持つもの」という言葉の漢訳で、インド神話の神が仏教に帰依して仏法の守護神となりました。
様々なものを見抜く力があると言われる神様で、他の四天王と違い武器を持たず筆を持っています。
 
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南方を守るのは、増長天です。
増長天は、仏教における天部の仏神です。
甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で赤い顔が印象的でした。
 
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この山門は、雲水(修行僧)が正式に入門する時、そして修行を終えて永平寺を出る時、その二回しか通ることが許されない門なのです。
 
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まだまだ広い永平寺、
明日も、もう少しだけ、永平寺をご紹介したいと思います。
 
つづく
 

福井旅、永平寺のPart2です。

永平寺は、福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗の寺院です。
日本曹洞宗の中心寺院(大本山)のひとつで、山号を吉祥山と称し、寺紋は久我山竜胆紋だそうです。
 
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開山は曹洞宗の宗祖道元で、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏だそうです。
 
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通用門で拝観料を払い、「吉祥閣」という、坐禅体験や写経体験をするための研修道場に入ります。
 
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そこで、最初に向かったのが、「傘松閣」、別名「絵天井の間」でした。
 
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156畳敷きの大広間の天井には昭和初期の有名な画家144人による230枚の日本画が埋め込まれています。 
 
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花鳥風月をあらわした日本画の中に、鯉、唐獅子、栗鼠(りす)が描かれた5枚の絵が隠されているのだとか。
 
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その5枚の絵とは、栗鼠(りす)、唐獅子(口を開けている青い獅子)、唐獅子(口を閉じている白い獅子)、夫婦円満の鯉(2匹の白い鯉)、天まで昇るめでたい絵柄の鯉(黒い鯉)のことです。
 
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その5枚の絵を探し出し、願いを込めて祈りを捧げると、恋や念願が叶うと喧伝されています。
 
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ネタバレしないように、あえて5枚の絵の存在を伏せています。
 
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永平寺は33万平方メートルの敷地に70を超えるお堂と楼閣がありますが、修行に欠かせない主な7つの建物が「七堂伽藍」という回廊で結ばれています。
 
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この長い回廊は、毎朝のように雲水(修行僧)が磨き上げているのです。
 
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7つの建物とは「山門」「仏殿」「僧堂」「大庫院」「東司」「浴室」「法堂」になります。
 
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山の斜面に建てられているので、回廊は必然的に階段が多くなります。
回廊には全て屋根がつけられているので、雨の日の参拝も苦になりません。
 
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迷子になりそうなほど広い永平寺に巡らされた回廊を歩いて回ると、1時間ほどの時間がかかります。
 
でも、通路に引かれた案内経路に従って進めば迷うことはありませんよ。

つづく

詳しくは、永平寺のホームページでどうぞ

福井旅のもう一つの目的は、曹洞宗の大本山 永平寺への参拝でした。
 
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永平寺は、ミシュラン グリーンガイド ジャポンの最新版に星二つで、初掲載されています。
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンは、日本を訪れる外国人観光客向けガイドブックのため、日本語版の発行はありません。
 
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まさしく、グリーン鮮やかで、新緑がとても美しい永平寺なんですね。
 
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木々が生い茂る参道に足を踏み入れると、静けさとともに神聖なそよ風がなびいてました。
 
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あたり一面苔むしていて厳かな雰囲気とマッチしてます。
  
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永平寺は33万平方メートルの敷地に70を超えるお堂と楼閣があるそうです。

通用門からが永平寺の境内になりますが、境内に入る前に、もう少し境の外を歩いてみます。
 
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入口右手に見えていたのは唐門です。
唐門は、勅使門とも呼ばれていて、皇室から使者を迎える時に開かれた門です。
 
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現在は皇族の入山時や貫首就任時のみに開門していますが、一般の人は通ることができません。
皇室の御紋章の菊花紋がまぶしく光ってました。
 
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永平寺のすぐ横を渓流が流れています。
 
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苔が岩を覆いつくしていますね、
 
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渓流を渡ったところに祠がありました。
 
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少しだけ暖簾の下からお顔を拝見、とても優しそうなお顔でした。
 
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通用門の前にある池には・・・・・一葉観音様が・・・・・
 
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一葉観音は水上の蓮華に乗っている非常に珍しい観音様になってます
 
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1227年、道元禅師28歳の年に仏法を求め大海を渡られ、中国より帰朝の折、海が荒れ難破しそうになり船中で苦しんでおられたそうです。
そのとき、船上で端坐し観音普門品を念誦されると、浪の上にこの一葉の蓮華に乗った観音様が現れたのです。
 
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やがて荒波も静まり平穏無事に帰国されたということから、旅の安全や人生行路の平安を願う信仰となったそうです。
 
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さあ、これから通用門を通り、曹洞宗の大本山 永平寺へ参拝させていただきましょう。
  
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永平寺では写真撮影が許可されていました。
雲水(修行僧)に直接カメラを向けなければ自由に撮影してよいそうです。

永平寺では、7つの建物が回廊で結ばれていて「七堂伽藍」というそうです。
回廊があるので雨の日でも濡れることなく参拝ができますね。

つづく

 


福井県福井市城戸ノ内町にある一乗谷朝倉氏遺跡です。
 
戦国時代に繁栄をほこり、人口も1万人を超えていた日本屈指の城下町でしたが、織田信長に焼き尽くされ滅ばされた遺跡跡です。
 
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キャッチコピーがこれ、
「京都にはない。 金沢にもない。 あまりになにもない。だから面白い」
 
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福井市の依頼を受け見に来た広告会社が、あまりに観光地化されていない一乗谷朝倉氏遺跡につけたキャッチコピーがこれだったそうです。

唯一、唐門だけが朝倉氏遺跡の存在を知らしめているのです。

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朝倉館跡正面の堀に面して唐破風造り屋根の門(向唐門)がありますが、これは朝倉氏の遺構ではなく、のちに建てられていた松雲院の寺門として朝倉義景の菩提を弔うために作られたものだそうです。

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朝倉館跡です。
一乗谷の中心部に位置する朝倉家当主が居住した朝倉館です。
 
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現在は唐門が建てられている場所に正門(御門)がありました。

平坦部の面積は約6,400平方メートルあり、内部には17棟もの建築物があったそうです。
 
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遺跡の一角にあったのは・・・・・
 
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朝倉義景公墓所でした。
 
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朝倉義景公とは・・・・、
越前国の戦国大名で越前朝倉氏第11代(最後)の当主でした。
  
  
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館跡の東南の隅にあり、1663年(寛文3年)に福井藩主松平光通が墓塔を建立したそうです。
 
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その横には、それ以前に村民が建てた墓もありました
 
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墓所前には、今も朝倉館跡が広がっています。
 
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ボランティアガイドさんの後をついて、階段を上っていきましょう。
 
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振り返ると、眼下に墓所が見えていますね。
 
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朝倉館跡の全景・・・・いや半景でしょうか。
 
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上から眺めると「あまりになにもない」のがよくわかります。
 
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ボランティアガイドさんが案内してくれたのは、湯殿跡庭園でした。
 
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「観音山」という小山を背景に苔むした庭石が林立している様は、戦国気風がただよう荒々しくて勇壮な石組です。
 
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海抜63メートルの高台にあり、ちょうど、朝倉館跡を見下ろせる位置にあります。
 
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写真を撮っているうちに、ボランティアガイドさんは先に進んでますね。
 
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遅れないように、急いで駆け付けましょう。
 
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中の御殿跡にやってきました。
 
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湯殿跡庭園から空堀を隔てた、ほぼ同じ高さの場所にあります。
  
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足利義秋から従二位に叙せられた朝倉義景の母である光徳院が居住したと伝えられている御殿跡です。

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東と南を土塁に囲まれていて、館の背後には朝倉一族の屋敷が建ち並び、館の西方には犬馬場、柳馬場などが存在したそうです。
 
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街道をはさんで諏訪館跡庭園へ向かいます。
  
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諏訪館は朝倉義景が4人目の側室である小少将のために造ったと伝えられています。
 
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諏訪館跡庭園は、上下二段構成の回遊式庭園になっていました。
 
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上段は滝石組と湧泉石組、下段は大きなヤマモミジの下に高さ4.13メートル、幅2.5メートルの日本最大の滝副石を使った豪壮な滝石組があります。
 
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特別名勝となっていて、看板に説明書きが書かれています。
 
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看板の写真を撮ってみました。
 
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看板のほうが、上段庭園と下段庭園の様子がよくわかります。
 
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4つある庭園の中で最も規模が大きく、回遊式林泉庭園としては日本でも第一級の豪華さを誇るといわれています。
 
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写真ではよくわかりませんが、一番大きな石、滝副石の表面に心月寺十八世月泉和尚の筆により教景、貞景、孝景の法号を刻み供養していました。
 
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一乗谷朝倉氏遺跡のガイドは、これで終わりとなるようです。
丘を降りて駐車場へ戻りましょうか。
 
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約1時間のボランティアガイドさんと一緒に、楽しく一乗谷朝倉氏遺跡を巡ることが出来ました。
みなさんも、ここへ来られたら、ボランティアガイドさんとご一緒されることをお勧めいたします。
 
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本当に、あまりになにもない!!、
だからこそ昔の時代を瞑想できる貴重な空間なんですよ。
 
福井県の一乗谷朝倉氏遺跡に来ています。
 
あの、ブラタモリでもロケされたところです。
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戦国時代朝倉氏五代の城下町は下の写真のような街並みだったことが発掘調査からわかっています。
 
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その街並みの一部が立体復元されています。
 
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その様子が、こちらになります。
 
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自由散策もいいのですが、ボランティアガイドの説明を聞いたほうが楽しめますね。
 
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10時まであと30分、抹茶でも頂いて待ちましょう。
 
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とても高い塀が続く街並みです。
街道を馬に乗って通るため、これくらい高くしないと見えてしまうからだとか。
 
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もとどおりに忠実に復元された武家屋敷です。
 
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ガイドさん曰く、復元じゃなくて復原なのです。
復原とは、元通り忠実に再現することなのだそうで、一乗谷朝倉氏遺跡はまさしく忠実に再現されているのだとか。 
  
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朝倉氏の家臣の住まいだった武家屋敷。
これらの屋敷は、約 30m(100尺)を基本単位として計画されており、身分によって、その 1.5 倍や2倍の長さに計画的につくられていました。
最も大きな屋敷は、間口 60m、奥行き 70m、面積 4,200 ㎡(約 1,270 坪)ありました。
  
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将棋を楽しんでいるようです。
 
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16世紀の一乗谷朝倉氏遺跡から発見された174枚の駒のうち1枚だけ酔象がありました。
 
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醉象は、将棋の駒の一つで、本将棋にはなく、小将棋・中将棋・大将棋・天竺大将棋・摩訶大大将棋・泰将棋・大局将棋に存在しているようです。

醉象とは「発情して凶暴になった雄の象」もしくは「酒に酔って暴れる象」という意味で、仏教では凶悪な心のたとえに用いられる語であるが、なぜ将棋の駒の名前になったかは不明だそうだ。


 



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