それ以外

[ リスト | 詳細 ]

なんかそれ以外の日常のできごとを綴っています。読み捨てられる駄文のような物です。
記事検索
検索

夢野久作スケッチ画展

作家・夢野久作のスケッチ画展がやっておるというので、タイミングよく時間も空いたことだし早速行ってみました。珍しく腰が軽い。

場所はサンパレスの辺りであまり土地勘も無く、記事によるとギャラリーと言うより「額縁屋さん」の一角の様子。地下鉄駅からもちょっと離れているので、エッチラオッチラ歩いていく事しばし。

イメージ 1

イメージ 2
入りづれえ……。

ちょっと怖気をなしてしまい、ちょうどお昼時だったのもあって先に食事。それから海の近くなのでおふねとか眺めて時間をつぶします。そろそろ「ガラッと引き戸を開けたらなんか家族が昼食中、アラアラすいませんねえ」なんていう羽目にあう確率はだいぶ低い時間帯に、思い切って引き戸をエイヤと。

中にはちゃぶ台を囲んで食事をとる家族などおろう筈も無く、ちょっと広めの部屋の壁に額装されたスケッチ画が飾られているのみ。そしてお客さんも数人いて、面積からするとなかなかの賑わいです。画展の人らしい方にかるく会釈して、順路が良くわからなかったのであいた所から観賞。

すごい。
デッサン画は情報の取捨選択がすばらしく、はがき大のスケッチ帳に鉛筆とは思えない細かさを感じさせる、迫力のある絵でした。陰影だけで描かれた部分に、スッと細い線が入って形を描いていたり、細く細く短い線、ゲーム屋さん的には「ドット」的な一つながりの線で、遠くにいる竿を持った人間を見事に表現したりしています。

すごい。

おかげでまじまじと顔を寄せて見、そして一歩離れて遠くから眺めと、不思議な動きを繰り返してしまいました。なんか本当に、距離でずいぶん印象が変わるんですよね……。


まあ、一番驚いたのは「十四歳のときに描いた」って事ですよ。これで絵の方向にも小説の方向にも進めさせなかった、というんだからなんとももったいない話で…。



イメージ 3
いやホント、突発的に知って行ったにしては思いもよらぬいいものを見ました。行ってよかったわ…。期間が短いのと、今後どこでもあまり見られない気がするのが大変もったいない…。
長年使っていたメールアドレスが変わります。

イメージ 1


別に井上喜久子さんのファンクラブをやめたわけではないのですが、よろしくお願いいたします。

あけ…

あけま…あけ……はい。

いや、もういまさら「アケオメー」なんて能天気にいえる時期でもないですし、よしましょう。

イメージ 1

珍しく元旦に初詣&三社参り(ローカルルール(らしい)。初詣に神社三つ行くというやつ)して、スタートダッシュはよかったのですが、年末のお節料理ソロ作成で疲れたまま酒正月にイン、そして更新せずに寝る…という体たらくで。いけません。
正月あけたらあけたで、一周忌の準備でやんややんや。そして親父と共に風邪でダウン(俺様ちゃんはスレスレセーフでしたが)したのち一周忌、というね。いやまあ一周忌はまだあと二日先なんで、本来なら正月開けてゆっくり準備できるのですが、休みのときにやった方がみんなニッコリだろう、と。

そんなこんなで、年明けからえらいゴタゴタしていてこの先が思いやられそうですが、今年もよろしくお願いいたします。

母を送る

一月十三日(祝)
前日、明日の朝は早起きしてもテレビつけたりせず、母が起きるまで静かにしておこう、という事にしておいた。実際、朝になってみると目覚めてはいるが、もはやうつらうつら、という感じ。たまに少しはっきりした時にテレビをつけてやったり、水を飲ませたり。ペットボトルからは飲めなかったので、急遽親父にストローを入手するよう頼む。ついでに、ゼリーなども。
ストローでも吸えないので、ストローをスポイトのようにして飲ませる。

昼ごろ、先日依頼した介護用品のバスボードを設置するために、再度介護の方が来訪。この時はもう周りでしゃべっても関心を示さない状態。これを見た介護の方が、これはもうバスボードを設置するよりも、介助サービスに切り替えた方がいいのではないか、という事になり、バスボート他入浴サポート器具の設置は中止。
夜ごろ、介護の方から色々アドバイスの電話を頂く。ついでに、丸一日食事を取っていないので、休日だが主治医になんとか連絡を取ろうとする。結果としては、水分さえ取っていれば一日程度なら大丈夫、という事だったので、先の方法で水を飲ませ、就寝。


一月十四日(火)
自室は母の部屋の直上になるのだが、夜中に父の「おい!おい!」という声が二度して目が覚める。もう二度声がしたところで完全に目覚め、階段を転げ落ちるように階下へ。父が母に心臓マッサージをしている。マッサージを交代して父が119に連絡。
人生で初めての(出来れば最後にして欲しい)心臓マッサージだったのだが、何かで知った「押すペースはアンパンマンの歌」というのを思い出し、脳内でアンパンマンの歌を歌うのだが、押しているペースはその二倍速以上。父から「早すぎる!」と言われやっと速度を落とす。マッサージ中に三度、パキッと言う音がして泣き言を言う。脈を取るために握った母の手首が異常に冷たい。首はまだ暖かいのに。

119に通報して、十分も経っていないころだろうか。サイレンの音がしたので父と交代して外へ。この辺りは何度か救急車が迷子になっているのを見ているのでとっさに出たのだが、案の定うちへ入る所ではない角を曲がろうとしていたので案内。

救急隊員の方に事情を話しつつ、AEDの準備。しかし、既に脈がなく、AEDを使用しても蘇生の見込みがない、とのこと。このまま救急車に乗せて病院へ連れて行ってもたぶん無理だろうが、蘇生するために体に刺したりなんだり色々するがよろしいか、それともここで終わりにするか、と問われる。母は昔から「管を刺してまで生きていらん」と言っていたので、ここで終わりに、と父が告げる。


三時三十八分。



救急隊の方が色々と気遣ってくださったりしたが、正直どうしたらいいのかがさっぱり判らない。警察が検視に来る、ということだけが理解できたので、警察が到着するまで皆待機。

暫く後、管轄の交番からおまわりさんが到着。事情を話す。後、本署から刑事課の方が到着。総勢八人もの方が来て、狭い部屋がいっぱいに。検死の間は立ち入れないらしく、ふすまを閉めるにもふすまは外してしまっていたので、では二階で事情聴取を、と父と二人、ここまでの流れを話す。正直なところ、日が変わっている気分がしていなかった上、二人とも「二日前……」と13日基準の相対日付で話すのでお互い混乱。事情聴取のあと、全ての部屋の状況を見られる。当然自室もである。へんなもの出してなくてよかった。

検死終了後、貴重品を確認するので通帳類を出してください、と言われるも、なんの通帳がどこ、とかまったくわからないので、貴重品が入っている箪笥の引き出しを全て渡す。財布も全部渡し、所持金を全て床に並べて撮影。その他、呑んでいる薬、お薬手帳(これも探すのに手間取った)など、「事件性はないですね」と言ったのに何をしらべてるんだ、という位に細々としたものを提出させられ、写真に収められた。後より親族から聞いた話だと、自宅介護を受けていたりした場合は、担当医とかその手の書類を出すことでこの過程はかなり楽になっていただろう、ということらしい。


結局全てが終わり、検死も問題なく、なんか葬儀等に必要な書類を渡されたのは午前五時半過ぎ。

そこから、検死のため裸にされた母に、父と二人で湯潅の真似事をし、客用布団はどこだ、シーツはどこだと騒ぎつつ、母を新しい布団、そして何着せたらいいんだ、と騒ぎつつ着替えもさせる。結局、洗濯したばかりの普通のパジャマである。その後、葬儀屋の友の会に入っていたというので葬儀屋に連絡。まだ出社前なので八時半に伺う、との事。
その間、夜分なので親族にはメールで連絡しよう、という父に「もう朝六時過ぎてる」と告げ、電話で親族に連絡させることに。しかし、父が親戚と話している間に徐々に涙声になってしまうので、いたたまれなくなって、あとは俺が連絡するから、父には以前から「葬儀を執り行うなら伝手のある神社で」と言っていたところへ連絡させることにして、交代。しかし俺も「母が亡くなりまして……」と伝えた後、実感として理解できたのか涙声に。


葬儀屋が到着。
一応葬儀の流儀は神式で、と伝え、手際よく母の居住まいを整えてもらう。塩と米と酒が入用です、と言われる。普段使いの普通の塩と、米びつの生米。酒は無かったので、スーパーが開いたころ自転車でむかう。いままではどたばたしていたので紛れていたのだが、一人自転車を漕いでいるとどうにも泣けてきて困る。
この間、父は先の神社に連絡を取ろうとしたが取れないので、直接乗り込むことに。俺と葬儀屋が留守番。葬儀屋と「いやあ一昨日までは元気でして……」とか当たり障りの無い会話をしていたはずなのだが、ここでちょっと決壊。ティッシュ大量消費。

おかげで父が帰る頃にはすこししゃっきりする。

結局、神社は都合がつけられない、という事で、葬儀屋の伝手のある神社を紹介してもらうことに、三社ほど紹介してもらったが、初詣にも良く行くし、家から近い神社にお願いすることに。また、親戚筋がすべて遠距離のため、今夜はこのまま母を置いておいて、翌日に通夜、翌々日に告別式、という事に。
もう一日過ぎたのか、という感じだったが、まだ十二時前である。なので、とりあえず食べておこう、と食事を作る。

午後からは、遺影を選ばないと、と写真をあさり、フォトショで修整したりする(うまくいかず)。母の棺に納めるものを、と言われて何を入れたら……と悩んだ後、変なものを入れたがる父に「ごみすてじゃねえんだよ」と突っ込みを入れつつ、いくつかを選択。送るときの服装も……と、和服好きだったしなあ、と箪笥から出してみたが、留袖や紋付など黒系のだったり、色が明るくていいのは単色だったり、柄がいいのは羽織だったりでまったく判らない。結局、着物に詳しい町内の方に頼んだところ、単色の着物の上に羽織を着るのです、と言われハハアなるほどね、と得心。季節に合った色と柄を教えてもらい、なかなか綺麗な着物で送り出すことにした。この間俺はというと、何を気張っていたのか、洗濯を今日中に済ませないと、と洗濯したり、風呂を沸かしたり、明日明後日はいないから、と使わないと痛みそうな食材をフルパワーで消費して食事を作ったりする。きちんと食事を取り、明日は早いから、ということで22時頃、就寝。

夜中に目が覚める。
時計を見たら三時半だった。

-☆-

一月十五日(水)
母のための祭壇の場所を開けねば、というので、病院の書類などを置いていた箇所を中心にいらないものを捨て出す。なんとか場所を作り、あとは母を会場へ送り出すばかり。母がこの部屋にいる間に写真を撮っておきたかったのだが、流石に父に対して無神経か、独りになる頃にやろう、と思っていたのだが、父が「写真撮るか」と言い出したため、遠慮なく二人で母を撮影。父はデジ一眼、俺は散々迷ったが、信頼性と携帯性(父の発言が出た時点で、もう会場でも撮ろうと決めていた)重視でAriaにTessar 2.8/45mm、T-MAX400。ほとんど写真を撮らせてくれなかった母だが、最期はこうである。

すこしゆっくり出来る時間が出来、父はなんか会場で流すスライドショー的なものを作り出す。俺は時間まで放心。週間予報だと雨だった気がしたが、さすが晴れ女、めちゃくちゃ日が照ってきたなあ……などと思ったり。
母を会場へ連れ出す頃合、二階で礼服を探していた俺が、到着した葬儀屋の車に気付いたので、階下の父に「来たでー」と叫んだところ、突然の雨。雨、というより霰交じりなので物凄い音である。
流石にこんな雨の中母を連れて行くわけには行かない(玄関から車まですこしあるし)ので、暫く待ちましょうか、と待機。行きたくないから雨を降らせたんだろうか、などと思ってしまう。

五分ほどすると嘘のように雨が止んだので、母と父は会場へ。俺は葬儀後来るであろう客人のために部屋を掃除したり、昨日干した洗濯をたたんだり、葬儀がゴミの日なので、帰ってきてどたばたしなくてもいいようにゴミをまとめたりと主婦的作業の後、家を出る。以前「あんたちゃんと黒の革靴買いなさい」と母から言われていたのだが、「使わんしそのうちにな」とスルーしていたため、まともな黒の革靴ではなく。ごめんなさい。

会場では既に湯灌も終え、死に化粧と納棺を済ませた母が。これがまた子の贔屓目抜きで、「病死した人間の死に顔・ビューティ部門一位」を取れるくらい。良く「寝ているようだわ……」とか言いますが、まったくやつれずになくなったので、頬紅などで血色が付くとマジで普段より綺麗なんじゃないかと。そのせいで死んでないんじゃないかと思うんですが。あと着物も綺麗に着せていただきました。


通夜。
祭壇に飾られた遺影、昨日手直し出来なくて、二枚プリントを出して「この中間の色合いで」と頼んだのですが、想像以上に綺麗な出来になっており、さすがプロと感心すると同時に涙腺にダメージ。式は滞りなく進んだし、せいぜい目が赤くなる程度で涙が出るとかまではなかったんだが、母と親しくしていた方からなんか俺のことを母が話していた、というのを聞かされ二回目の決壊。なぜか家族がいないときの方が涙腺が緩みやすいらしい。

通夜の後、九時くらいまで受付に立った後、ようやく食事。親戚に進められるまま焼酎をロックでガボンガボン呑んだが一向に酔わず。実は父と母が大恋愛で遠距離恋愛だった、という今まで聞いたことの無いネタを肴に、いいちこ720mlをほぼ一人で飲み干したあと、就寝。

-☆-

一月十六日(木)

午前五時半起床。回りはみんな寝ていたので二度寝するか、と思ったが、なんとなく起きて一人祭壇へ行き、ボヤーッとしたり撮影をしたり、すこし泣いたりする。一人でいると、どうしてもやり残したことを次々思い出してしまって泣けてくるのだが、三十分くらい一人で色々考えた結果、まあお供えとか、行動とか、そういうので勘弁してもらおう、と自分の中で区切りをつける。
ぼんやりしたあと、「玉串って何の意味あるんかなー」とウィキペドったりする。ついでに「神葬祭」の項を見ると
しかし勘違いしてはならないのは、神道でいう「穢れ」とは、それ即ち「不潔・不浄」を意味するものではないということである。肉親の死による悲しみ、それによって、ハツラツとした生命力が減退している状態、それこそが「気枯れ」=「けがれ」である。
とあり、なるほど、こうして自分がしょんぼりしているのも「けがれ」の状態である訳で、そりゃあいけませんな、とちょっと前向きになる。というか、まあ色々思い出して泣く事もあろうけど、よかったさがしをするならば、本人の意向であった「病院じゃなく家で死にたい」は叶ったし、看取ったといえるかどうかはわかんないけど、俺と父がおったし、まあ最期の親孝行としては良かったんじゃないかなあ。なので靴買わなかったことと、川端ぜんざい食べさせてやれなかったことと、まあ、あと孫とかそんなのはとりあえずチャラで、と思うことにした。勝手に。

そんなかってな事を考えてすっきりすると、すでに七時回っていたので朝食を頂く。頂いた後、お香典を一旦家に持っていってくれ、と頼まれたのでヘイヘイ、と徒歩で帰宅。朝焼けがめっちゃ綺麗(こっちは大体七時過ぎに明るくなる)だけど、西の方まできっちり晴れてるから雨は降らないなー、さすが晴れ女だなー、とか暢気に考えつつ家に着いたところで、鍵を持ってないことに気付く。
慌ててチャリで引き返し、鍵を持って再出発。家に入ったところでなんか母がいたような気がする。

帰りはまた徒歩で暢気に。すっかり日は昇り、晴天の雰囲気。


葬儀は恙無く終わったが、弔電読み上げでいきなり「衆議院議員……」とか言われ腰が抜けそうになる。父関連のうっすーいつながりだと思うけど、すげえな議員。こまめだな。しかも本人いたらしいしな(たいへん失礼)。
お棺に蓋する際、ちょっと決壊を覚悟していたんだけど、早朝に一人で色々してたせいか、なんとか我慢できる程度で終了。その後霊柩車へと移動したのだが、父が位牌的な何か、兄が写真、そして俺が骨壷を持つという事になった。年が明けてから随分母を持ち上げたり担いだりしてきたけど、まさか最後まで持つことになるとはなー、とちょっと感慨深く。ついでに「いやあ今年はようけオカン持ち上げましたワ」なんてネタが言えるワー、とか思ってしまう。結局披露するの忘れたけどね。

霊柩車が焼き場まで行くコースが、スーパーから通院していた病院から、となんだこのコース、と思いつつ窓をぼんやり眺める。イマジナリー母、のようなものと脳内会話をする。霊柩車初めて乗ったけど、乗り心地いいね。
この頃はすっかり晴天で、日差しが暖かくて、ここのところの寝不足もあって、骨壷(まだ空だが)落とさないようにするのが精一杯。焼き場はなんかえらい新しく綺麗なところで、だけどあの焼き場特有のにおいが。なんか物凄い念入りに色々確認される。色々あるんだろうなあ……。

焼き場台に棺をセットし、最後のお別れ。てっきり蓋を閉めたらもう顔は見れないものだと思っていたのだが(たしか誰かの葬式がそんなだった)、顔は見られるし触ってあげてください、というので、でこが温まるくらい触る。ついでに最後の写真を撮影。なんかこの頃にはすっかり「悲しい」とかそういう感情ではなくなっていた。なんというか、もういいかな、みたいな。諦観ではなく。

待機の間に昼食。別に精進ではないので、刺身とか出て来る。大層おいしかったのでぺロリ。残されたものは食べねばならんのです。食べた後は出すのです……とトイレに行くため、待合室を出たのだが、トイレ方向には入ってきたときはまったく気付かなかった光景が。なんというか、役所の食堂みたいな空間。カレーの匂いがしてたり、「おいしいたい焼き」とか張り紙があったり。なんだこれ……ニッチなアミューズメントプレイスにも程があるぞ。

あんまりびっくりしたのか、お骨上げ寸前くらいの時間帯に再度トイレ。今度はビッグな方だったのだが、篭っている間に館内放送でお骨上げ呼び出し。やべえ。

お骨上げは、なんかもうすっかり冷静に。親戚一巡したあと、父と兄が二順目をちょろっとしただけだったので、なぜか俺が一人もくもくと骨壷に詰めることに。暑い。そしてもしかしてこれも「今年はようけオカンの体持ち上げましたワー」の一環なんだろうか、とか考える。
今度は中身入りの骨壷を持って、送迎バスへ。これがまた暖かくて、冷房入れてくれていたんだが、かなり睡魔との闘い。お昼にビール飲んでたしね……。

会場に戻り、今度は十日祭(仏式で言う初七日)を済ませる。なんかもう祭壇もすっきりやりとげた気分で見上げられる。昔は焼くのとか骨とか、死体見るのとかやだなあ、と思っていたのだが、ショックを受けるほどの近しい人を「死」から「骨上げ」まで、葬儀という手順を踏むと、なんかショックが別のものに転化されて落ち着く感じがした。葬儀のこのややこしい、メンドクサイ流れも、生き残った人たちがなんとかがんばれる用になるための試行錯誤の結果、なんだろうかねえ。
葬儀という儀式の効果ではなく、忙しかったからじゃないの?とも思ったが、のんびりこれをここまで書いているときでもだいぶ大丈夫。


直会を済ませ、帰宅し、葬儀屋さんに遺骨やら位牌的なものを持ってきてもらい、色々と後々のことを聞き、ようやく平常運転へ舵を切る。風呂を沸かし、乾いてなかったので干していた洗濯をたたみ、ゴミを捨てに行き、食事は今日はもういいかね?と聞き、貰ってきた花を出来立ての祭壇の周りに見よう見真似で飾り、その写真を撮り、風呂に入り、テレビをつけ、だらんとしたり、明日はお互いゆっくりしよう寝坊しよう、と話す。


ちょうどフィルムが36コマ目だったので、風呂あがりの親父の疲れた顔を撮ってお仕舞いとした。

日記

ライフログもかねた日記代わりに。

-☆-

四年くらいがん治療をしていた母が、脳に転移した、と言われたのが去年の八月くらいか。その後はほとんど何もなく推移していたのですっかり安心していたのだが、去年十二月頭に右耳が聞こえなくなる。ほぼ同時期に、足が痛いということで日課の散歩を中断していた(結局これはがん由来ではなく、坐骨神経痛だったようだ。今は痛がっていない)。これですっかり歩かなくなったので、なるべく寝たままではなく椅子に座らせたり、出来る家事はやってもらう、という形で生活。しかし、風呂場で一回転倒、ふろあがりに一回転倒して以来、立っている時は誰かが付いていた方がよい、という形になり、自宅で作業の出来る俺が大抵付きっ切りで面倒を見ることに。とはいえ、しゃがむ-立つ、という時につかまって立てば一人で問題なかったので、年末には台所でともにおせち料理を作る程度には問題がなかった。その頃はどちらかというと、誤嚥で咽ることの方が気になっており、母向けにおかゆだのを主体としてメニューを回していた。

年明け。
雑煮も問題なく食べていたので安心していた。松の内があけるくらいまでは、浴室へ介添えして歩行→入浴中は俺が脱衣場で待機、何かあれば突入、で何とかなっていた。が、一月八日に浴室から上がれなくなる。うちの浴室(家全部だが)にはバリアフリーという概念がまったくなく、低い位置に深い浴槽(普通より深い)なので、(一応)壮年の俺をしても、すっかり軽くなった母を持ち上げるには大変な負担を母に掛けることになった。しかもすこしきつい事を言ってしまう。正直この日のことは申し訳ない。
ここでようやく手すりなどの必要性を感じ ──それまでは浴槽が低い位置なので、浴槽を乗り越えて浴室の床に出られると思っていた。実際それが出来るのは、足腰がしっかりしていないとダメだと後に自分で試して判る── 色々調べた結果、介護保険を使うには色々と面談をして、介護レベルを決めてもらわなければならない、と知る。早速申請する。ついでにAmazonで買ってしまおうか、と思ったが、どうやらAmazon購入では介護保険は出ないようだ。緊急というより「なるはやで」なので、介護保険決まってからでいいだろう。

九日。
昨日の一件があったので、浴室内まで付き添う、と申し出たが、頑なに断られるので脱衣所で待機。まあもう大きくなった息子に裸見られるとかいやだよな、と暢気なことを考えている。この日は結果として、一人で上がってきたので、少し楽観視する。

十日。
何もなく。

十一日。
介護の方と面談。このときの受け答えは(すっかり老女めいたカツゼツだが)しゃっきりしていた。珍しくてんぷらをたくさん食べてくれたので安心する。手前味噌だが、たいそう上手く揚がっていたからだろうか。

十二日。
日曜なので遅く起きる。顔を合わせた後、何をやるでもなく寝ている母の横で新聞を眺めたりしていたのだが、突然「桐のたんすの着物は誰々に、紋付は紋がみんな変わったからあげないで、○○に真珠のネックレスがあるので誰々に」などとうわ言の様に遺言めいたことを言い出す。ここですっかり慌ててしまい、所要で出ている家族に連絡を取ったのだが、誰も出ず。何てことだ。
結果としては、昨日の母はすっかりおらず、まるっきりボケた母だった。さっきの遺言めいた言伝も、どうやら母の兄妹が来ている、と思い込んでいる結果。しかも聞こえない耳の方になにやら聞こえる、と言い出したり、何かがおる、とか言い出したり。まあその後も色々あって、ボケた母が帰宅した父を伯父(母からすると兄。仲がたいそう悪いそうだ)と認識していたりしていたので、ノンストップ無休憩で全て俺が対応することに。二時間掛けて風呂にいれ(出てくれなくなった)、九十分くらい掛けて床につけた(椅子から降りてくれなかった)。
風呂、たぶん30年以上ぶりくらいに母の背中を流した。まあしんみりしていたのを吹き飛ばす厄介さが待っていたのだが。



……そしていまここ。ようやくここ。

書き上げてみたら普通の介護生活だが、正直両親も俺も兄も、誰も今まで介護というものに接したことがない。そして比較的自由に動けるのが俺だけなので──俺の言い分としては他の家人は興味なさ過ぎ&家事能力皆無なので、やむを得ず── 色々間違って試行錯誤したりしてるのだが、速度が速すぎる。ほぼ毎日つけている「一日を省みる帖」昨日の欄は手すり位置に関することを聞く、とかある。もう聞けないよ。
まさか昨日まで、というのはよくあることだと思うが、まさに今の思いは「昨日まで!」だ。連休明けには介護の計画とかを話し合う予定だったのだが、先日話したときと全く様子が違うので大丈夫だろうか。



正直、家族の方でストレスが溜まっていたのだが、このおかげ(やだな)で父にありったけをぶつけたので、まあすこし楽になったのが幸い。まあ父とはこれからもなんとかやっていけるのではないか。でも、ここまで吐き出して冷静になった頭で考えてみると、父と俺の関係が、典型的な「旦那の親を介護させられている専業主婦」であり、ああこれ終わった後で離婚するパターンわかるわ……と妙な感じでもある。兄?兄と俺はめちゃくそ仲が悪いのでどうでもよい。

明日母が生きていてくれますように、と思う反面、眠っている間なら苦しまずに、かな……とか思ってしまって、なんだか自分がひどく冷血な感じだよ。やはり興味のあること以外は無関心な父の子だということだろうか。

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事