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自らの足で一歩を踏み出すために
ライトアップされた紅葉を見る前に腹ごしらえ…

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すっかり日も暮れて、ライトアップされた紅葉が見られると思ったのですが…

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伝わりにくいと思いますが、木々が水面に反射して映っています。
水面には灯篭も浮かんでいます。実際はもっと赤い色をしています。

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見たままの景色や雰囲気を切り取ることの難しいこと…

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上り坂の小道を歩いていくと…

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『かりんとうまんじゅう』なるものを売っているお店発見!!

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我が家族のシルエット!!

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もう少し冷え込まないといけないのかな!?

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手前にピントを合わせなきゃ!!

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お座敷で寛ぐ人々…

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お座敷からの紅葉狩り…は素通りして…

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向かった場所は…

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お土産屋さんでした!! チャンチャン!!

残念な週末

 昨日は、午後から家族で紅葉狩りに出かけたんですが、思ったほど色づいておらず、ちょっぴり残念な紅葉狩りになってしまいました。
 
 その道すがら、焼肉屋さんで焼肉を食べました。店内のテレビでは九州場所の千秋楽が流れていました。優勝の可能性のあった力士が全て負けてしまったという消化不良気味な千秋楽でした。相撲中継が終わると、突然「間もなく安倍首相の記者会見が始まります」とのアナウンスがあり、外遊先のクアラルンプールからの衛星中継で、安倍首相の記者会見が始まりました。今年に入って何度目の記者会見でしょうか。この方の記者会見の直前は、どうも嫌な気配を感じてしまいます。家族とともに焼肉に舌鼓を打っていたので、集中してテレビを見ることはしなかったのですが、耳だけダンボにして聞き入っていました。『アベノミクス』、『一億総活躍』、『TPP』というお馴染みのワードを口にする安倍首相。世界経済の減速が懸念される中、『アベノミクス第2ステージ』、とりわけ『一億総活躍』と『TPP』の2点について重点的に訴えたと豪語する安倍首相。『一億総活躍』を「究極の成長戦略」と表現し、『TPP』を「国家百年の計」と位置づけていると口にした安倍首相。この方の頭の中には、きっとバラ色のストーリーが描かれているのでしょう。
 先々週、世界を震撼させたパリの同時多発テロについても発言しました。
 
 
 そもそも、そのような記者会見が必要だったのか!? 記者会見ではなく、臨時国会を開会し、質疑者の質問に答弁し、議事録も残して、国民に知らしめるべきではなかったのか!? どうしても一方的に主張をぶつけられている印象が拭えません。N●Kは事前に原稿を入手し、即座にテロップを表示します。質疑応答の際にもしっかりとテロップは表示されていました。そのような予定調和な質疑応答ではなく、国民の疑問に答える形で質問を受け、答弁をすべきです。
 安倍首相自身、『平和安全法制』も『TPP』も、「国民の理解が進むよう継続的に説明を続けていく」と仰られたのですが、この記者会見をその”説明の場”と思われているとすれば、勘違いも甚だしいと言えます。なぜならこの記者会見は『平和安全法制』についても、『TPP』についても何ら具体的な説明をしていません。単なる所信表明のようなもので、国会閉会前に行った記者会見とさほど変わりません。南沙諸島の問題とテロの問題に言及した程度の違いです。
 そんな残念な記者会見において、唯一興味を引いたのは、アメリカの大手総合情報サービス会社『ブルームバーグ』の記者からの質問です。
 
 
 その質問に対して安倍首相は、「しかし指標をよく見ていきますと、例えば自動車の在庫の減少が主な要因なのです。在庫が減少するとGDPの指標においては実はマイナスになるのです。ですから、我々は、これは今後に向けて良い傾向が出てきていると考えています。実質賃金の改善を受け、個人消費もプラスです」と、前向きな見解を示しました。さしずめ、企業が設備投資に移れる流れが出来上がったとでも言いたかったのでしょう。在庫がすっかり解消されていれば、そのような流れにあると言っても良いのでしょうが、果たしてその見立ては正しいのでしょうか!? 7月31日の日本経済新聞では、「4〜6月期、自動車など輸送機械工業の生産は減ったものの在庫は積み上がっており、在庫が4.7%と大きく上昇し、全体の在庫指数を押し上げた」と報じていました。一転、10月30日には、「9月は電子部品や自動車部品の生産が回復し前月比1.0%上昇した。在庫調整が進むなど生産には回復の兆しもある」と報じる一方、「7〜9月期の鉱工業生産指数(2010年=100)は97.0と、13年4〜6月期(96.1)以来の低水準」、「輸出や国内消費は依然力強さを欠いており、『在庫ははけても大幅な増産には向かいにくい』との声も出ている」と必ずしもバラ色の未来を伝えるものではありませんでした。
 さらに、「デフレからの脱却目前」を口にする安倍首相ですが、物価の下落については何ら言及しませんでした。今後『TPP』が批准されれば、ますます物価は下がり、企業収益は下振れし、そのくせ消費税は10%になり、個人消費は落ち込み、再度デフレに逆戻りするのではないでしょうか。外国人記者から”矛盾”と指摘を受けたことの意味を、首相は深慮すべきなのです。
 
 
 大阪府、大阪市の民意は『おおさか維新の会』のどこに再度共鳴したのでしょうか!? 『おおさか維新の会』の候補者が勝利すれば、再度『大阪都構想』が俎上に載ることは分かっていたはずです。再度住民投票を行うことになれば、5月17日の住民投票は単なる税金の無駄遣いになってしまいます。そんなところから大阪の人々の民意を測りかねています。ただ、はっきり分かる民意があります。恐らく、多くの大阪の人々はダブル選挙に高い関心を示していなかったということです。大阪市長選の投票率が50.51%で、前回橋下市長が当選した時より10ポイント以上も下がっています。大阪府知事選はさらに投票率は低く45.47%でした。『大阪都構想』は積極的に変革を求めるものです。投票行動も積極的な行動です。つまり、冷めた民意が多い中、投票率が下がることで投票結果は変革を求める声を反映しやすいものになったのでしょう。昨年の衆院選において低い投票率がもたらす弊害を実感した人は少なからずいたはずですが、なにも感じなかった人も少なからずいたということでしょう。この投票率の低さは、大いに私を失望させました。有権者の責任感の欠如を痛感するとともに、権利の放棄という行為が来るべき国政選挙に大きな影響をもたらすことを考えずにはおれません。今回の『おおさか維新の会』の連勝は国政にも影響を与えるだろうと言われています。与党と『おおさか維新の会』は接近し、憲法改正に拍車が掛かることでしょう。憲法を守りたい立場の者からすれば最悪のシナリオと言えます。このまま国民の関心が低いまま来年夏の参院選に突入すれば、このダブル選挙同様、変革を求める声が投票結果に現れてしまいます。無関心な国民の関心を呼び起こすことができるのか!? あと半年強でその機運が高まるのか!? そんな不安が頭を過ぎります。
 
 
 ということで、不安を意識した週末でありました。紅葉狩り同様、残念な感じです。
 今日は録り貯めていたビデオを見ました。今からタイトルを書こうと思いますが、タイトルを見て「わぁ、やっぱりSay!さんらしいや」と思われてしまうのかなぁ。2本のビデオを見たのですが、1本目は『むのたけじ 100歳の不屈 伝説のジャ―ナリスト 次世代への遺言』、2本目は『新・映像の世紀「第1集 百年の悲劇はここから始まった」』です。どちらも某国営放送です。って、本当は”国営放送”ではないんですけどね。最近、「N●Kって国営放送だったっけ」と感じることが多いので、ちょっと皮肉ってみました。
 
 1本目のビデオは、報知新聞社に入社し、その後朝日新聞社の従軍記者として中国へ赴任されたむのたけじさんのドキュメンタリー番組です。日本が戦争に突き進もうとしていた、まさに開戦前夜。軍部に阿る国会議員を前にして、怒号が飛び交う中、戦争へ向かおうとする政権に牙を剥いた斎藤隆夫議員への独占インタビューの話や、東條英機首相に直接インタビューをしたい一心で、首相の記事を書き、首相から激高されたエピソードを交えつつ、伝えなければならないことを伝えられなかったことを反省したむのたけじさん。日本が敗戦したその日、”戦争責任”を感じて朝日新聞社を退社し、戦後は地元の秋田で週刊新聞『たいまつ』を発刊し、真実を伝え、『たいまつ』休刊後は反戦を訴え、全国で講演活動を続けられました。
 2本目のビデオは、映像の歴史は戦争とともにあったとの視点で、第一次世界大戦前から残っていた映像を元に、ヨーロッパでの激戦の様子や大戦へと突き進む流れを作った歴史上の人物に触れていきました。衝撃的だったのは、番組中に流された映像の多くは、数え切れない程の亡骸が映し出されたものでした。手足がありえない角度を向いた亡骸、塹壕に埋められていく亡骸、荷台から重荷を無造作に下ろすように扱われた亡骸、ガス兵器にやられセルロイド人形のように無表情に横たわる亡骸、ハエが集っている亡骸。放送では、各戦線で数十万や百万人を超える死者数がナレーションされました。第一次世界大戦が繰り広げられた約5年間において、ヨーロッパの各地でそれらの数の方々が亡くなったのです。開戦直後、愛国心と戦意高揚により多くの志願兵が誕生したイギリス。多くの志願兵は貧困層の若者だったと言われています。年末のクリスマスには終戦になるだろうと楽観的に志願した若者たちが、皮肉にも戦争の泥沼化に道筋を付けたのかもしれません。
 
 2本のビデオを観て感じたのは、戦争は人々が正しい情報に触れ、愛国心に燃えず、戦意を高揚させることなく、国家に洗脳されなければ防げるのではないかということでした。一度戦争が起きてしまうと、一般人が歯止めを掛けることは難しいでしょうが、戦争が起きる前であれば、一般人の力で戦争に発展させないことはできるのではないかと考えます。というか、一般人しか歯止め足りえないのではないかとも思えます。一発の銃声に我を忘れることなく、同胞が傷つけられても憎しみを育むことなく、国内に蔓延する熱にうなされることなく、むしろ冷水を掛けるように冷静に振舞うのです。報道が煽ろうが、戦意を炊きつけようが心乱さず、冷徹なほどに感情を昂らせることなく、歴史の新たな1ページを飾ることのないように平穏な歴史の流れを維持しようと努めるのです。一般人がざわつくことこそ火に油を注ぐようなものです。ボヤには初期消火こそ重要です。国家が火に油を注ぐ準備をしていないか注視することです。平和安全法制はすでに成立してしまいましたが、そんなものはハリボテにしてしまえばいいのです。平和安全法制は国家がマッチポンプを工作するための単なる道具です。国家の自作自演に踊らされることなく、田舎芝居でも見ているように観客に徹するのです。その舞台につられて上がらないことです。役者が揃わなければ戦争は成立しません。もちろん、容易いことではないでしょうが、情報化の進んだ現代なら可能ではないかと考えます。そのためにも、孤独に考える癖を身に付ける必要があると考えます。なにも無駄死にする必要などないのです。歴史上の人物だけで、歴史が語られるものでもないのです。数十万、数百万の戦死者の一人にならないために、戦争を陳腐化していくのです。どうせ演じる役者なら、自由を謳歌し、額に汗して日々を生き抜くヒューマンドラマの主人公のほうがいい。過剰な演出は不要です。今のこの時代は私たちが演じるための舞台です。誰のモノでもありません。いつでも舞台の幕は上がっているのです。そんな目線で日々を生きてみようと思わせてくれた、そんな2本のビデオでした。
 
 一週間前の11月13日、フランスでも忌み嫌われた『13日の金曜日』。パリ市民で賑わうレストラン、バー、サッカー・スタジアム、コンサート・ホールに銃声と爆弾が破裂する重低音が響いた。最も被害者が多かったのがパリのバタクラン劇場。ホールではアメリカのロックバンドイーグルス・オブ・デスメタル』が演奏をしていたその時、銃を持った複数人のテロリストが劇場を急襲し、90もの罪のない命が奪われました。その中に、ひとりの女性がいました。彼女には夫と息子がいました。彼女は息子の成長する姿を見届けることなく、唐突に不本意に人生の終焉を迎えたのです。この世を旅立ってから数日して、彼女は夫と息子のもとに帰ってきました。悲しみのどん底の中、彼女の夫である男性がfacebookにコメントを寄せました。最愛の妻の命を奪ったテロリストに対して、そして共に残された息子を思って。 
 
 
 
 自由な経済と暮らしを謳歌する人々が憎しみを抱き、目に見えぬ暴力に怯え、疑心暗鬼を抱き、不自由を強いられる。それがテロリズムの望みなのだろう。その望みに対して、「『憎しみ』を贈らない」ことを告げた。どれほどの覚悟であったろうか。彼のみならず、多くの人々が街に戻ってきた。自由を守るために。どれほどの勇気だろうか。何も得られない行為は無価値なものになるであろう。ぜひ、そうであってほしい。人々は、短絡的に暴力へと向かわないでほしい。暴力は何も生み出さないと気付いてほしい。過去の歴史においても、一発の銃声から大戦へと繋がっていった。ナショナリズムに支配された人々の、排他的な動きにより歴史が動いたという事実。高揚と歓喜に冒された熱狂的な人々のうねりが歴史を作った一面も多いにあるのだろう。今も昔も何も変わっていない。世界は常に危うい綱渡りを続けている。人々は自国の為政者の言葉を鵜呑みにすることなく、過激な言葉や愛国心に惑わされてはいけない。一歩足を踏み外せば、数十万、数百万の一般人の命が奪われる。気が付けば一般人が一般人を殺し、一般人から殺される関係へと落とし込まれる。殺し殺されることのない一般人であることを貫くには、人々が一般人の気概を強く持たなければいけない。軍人でも兵士でもテロリストでもない一般人であり続ける。国家に利用されることなく、見えざる手を牛耳るものに振り回されることなく、日々の暮らしを実直に守り続ける一般人たれ。決して、殺人に加担してはいけない。国家に好き勝手をさせてはいけない。どこからか資金の援助がなければ、人々は産業無しには生きていけない。産業は人々無しでは成立しない。産業を牛耳るのは極ひと握りの限られた者たちかもしれないが、彼らの富も人々の努力無しには成し得ない。全世界の人々が、たった1日でもそれぞれの職務をボイコットすれば、全世界が混乱するだろう。私はボイコットを促しているのではなく、私たちにはそれくらいの影響力が備わっているということを伝えたい。隣にいる人も同じ一般人だと認識してほしい。苦しみや悲しみを抱え、自力ではどうしようもないことなのに思い悩み、不安に駆られる私たち。自国の国家や為政者や資本家に対して私たちの怒りや不満をぶつけることは許されても、一般人に向けられるべきではない。テロリストが一般人に戻ることはできないのか。労働に汗し、物を生産し、生活する喜びを取り戻すことはできないのか。イスラム国が目指す国家像が存在するのか。なぜ、暴力だけで生き延びることが可能なのか。武器は無尽蔵に存在するのか。イスラム国は破綻しないのか。イスラム国に一般人はいないのか。一般人の心があれば、分かり合うことができないのか。イスラム国を煽って喜んでいる奴がいないか。世界中が誰かに踊らされていないか。私たちは自由を手放してはいけない。誰かによって不自由に踊らされてはいけない。制約はあっても自由に暮らし続けよう。実直に自由に生きる。疑心暗鬼に冒されてはいけない。排他的に活動してはいけない。そんな人生はつまらない。せっかく生かされている命なら、精一杯生き続けたい。誰の命を奪うことなく生き続けたい。ただ、それだけを願いたい。私も『憎しみ』を誰にも贈らない。みんなが自由に生きることの素晴らしさを実感してほしい。この世界が再び戦禍に巻き込まれないためには、私たちこそ歯止めなのだと自覚してほしい。狂気のダンスだけはゴメンだ。お気に入りの曲に身を委ねてステップを踏みたい。軍歌なんてもってのほか。愛と平和と自由の讃歌に酔いしれたい。ただ、それだけを願いたい。ただ、それだけ…

ズル休み

 昨日は勇気を持って”ズル休み”をしました。はい、ブログのズル休みです。特に何かがあってというわけではなく、シンプルに気分が乗りませんでした。毎日訪問させていただいているみなさん、「いつも、Say!さん訪問されるのに、どうしたんだろう?」と心配されたみなさん、申し訳ありませんでした。
 実は、先週あたりから…、いや今月に入ってからかなぁ、なんだか気分が乗りません。思い当たるフシがないわけではありません。毎日、気分が沈むようなニュースばかりで、しかも、そんなニュースが”雨後の筍”のように次々と現れます。しかも、それらは根底で繋がっていて、問題の複雑さを痛感せざるを得ません。世界全体が悪い方向へ流れていっていると感じながらも、それらに対して具体的な方策を提案することが出来ません。頭に浮かぶことは、夢想的なものや、観念的なものばかりで、現実の前では空虚に感じられます。それでも必死に考えていかなければならないことは分かっているのですが、ちょっと考えることに疲れてきたのかもしれません。
 国内に目を転じても、与党の暴走にブレーキが掛かるどころか、野党が自滅している格好です。「やっぱり、自民党が一番マシなのかな!?」という風潮が蔓延している感じがします。今の野党が政権を担えるかといえば決してそんなことはないのですが、ただ立憲主義や民主主義は尊重してくれるのだろうと考えます。今の与党はそれらをことごとく壊しています。憲法が改正されれば、立憲主義と民主主義は完全に破棄されるわけです。私たちは独裁国家、強権政治へ向かう道の途上にいるのだと考えます。戦後の国政選挙の中で、最も重要な選挙が来年夏に行われるにもかかわらず、野党の一部の議員の中にはその自覚がありません。もう辟易しています。
 
 と言い訳を続けたわけですが、実はもう1つ思い当たるフシがあります。今、私は旅行をしています。正しくは、想像上の旅行です。来月ひとり旅をしようと考えていて、旅行の計画を立てているのです。計画を立てるために、ネットで検索し、旅行の行程表を作成したり、どうすれば予算を抑えられるかと思考しているのです。そちらに思考のエネルギーを奪われているのが最も大きいのです。さらに、イメトレを繰り返しています。頭の中は旅行のことでいっぱいです。
 
 ということで、今後も訪問し、コメントすることが減るかもしれません。勝手な都合で申し訳ありません。てへぺろ〜!!
BGM ♪KAN 『愛は勝つ』
 
日曜夜のアンニュイなこの時間、今夜も君のハートを袈裟固め
 
ゴキゲンな1週間を過ごした君も、「はだがどぅまっでまどぅ」になっちゃった君も、
この時間だけは楽しんでイっちゃってぇ!!
 
それではタイトルコール!! 『Say! のまったりサンデー』
 ♪ドンドンドンパフパフパフ〜
 
今夜も会心の一撃で始まった『Say! のまったりサンデー』ですが、
今週もいろいろありましたねぇ
 
『フランス 同時多発テロ』
 
ホントはこんなのをテーマにしたくないんやけどねぇ
でも、世界が衝撃を受けたニュースなので、触れないわけにはいかんよね
いま世界は大きなうねりの中にいるような感じがするんよ
地殻変動が起きてるような、大陸プレートが急速に動いているような感じ
海水温が急上昇し、天候が不順になってるように、世界全体が変化している
そんなときは、一箇所だけを見つめてもダメなんやと思うんよ
天気の変化ばかり気にして、海水温や地球温暖化を意識しなければ、
いま起きている変化の根っこの部分に気づくことはできない
いま世界がこれだけ急激に変化しているのは、
大いに資本主義経済の影響があるんでしょう
『新自由主義』って言葉があるんやけど、
金持ちや大企業が頑張って、利益を上げていけば、
庶民にも”おこぼれ”が回ってくるって考えなんやけど、
その考えをアメリカなんかが推奨したことで、
グローバル企業が”えげつなさ”を増してるのも関係してるんかなぁ
どこかに無理がかかれば、歪んだり、歪が生じるもので、
地球のあちこちで歪が生じていて、
その1つがテロリストの台頭なのかなぁって
車の急加速や急ブレーキ、飛行機の離着陸のように、
大きな変化を伴うときには、大きなエネルギーの変換が伴うわけですよ
運動エネルギーや燃料のエネルギーが熱エネルギーに変換されるように、
経済の著しい変化で生じたエネルギーが、
暴力のエネルギーに変換されているように感じるんよね
日本は資本主義の国で、ニュースも資本主義目線で語られるわけやけど、
違う角度で、違う目線で見たら、きっと違う見え方になると思うわけですよ
テロリストの行った行動は決して許されることではない
ただ、自分たちが無関係だったのかってとこは大いに疑ったほうがいい
日本も標的にされてるって聞くけど、
今回のことは決して対岸の火事ではないんですよ
資本主義によって虐げられた人が、ネットで同調することだってあるわけですよ
個人でも国家でもそうだけど、傲慢な態度を取っていないか、
傍若無人な態度を取っていないか、自分を客観的に見れるようにならないかんよね
特に、強い者や権力を持つ者は心して行動せないけんし、
自分より弱い者のことを理解するように努めないけんのよ
そんな当たり前のことを、わざわざ言わないけんくなった
なんとも世知辛い世の中ですよ
ちょっと汚い言葉を使うけど、ゴメンね
「てめぇのケツは、てめぇで拭かなきゃいけねぇんだよ!!」
「自分は安全地帯でぬくぬくと生きていけるなんて、ムシが良すぎなんだよ!!」
きっと、そんな感情なんでしょうよ
でも、虐げられた経験のある人なら、似たような感情を抱いたことあるでしょう!?
決して、特別な感情じゃないと思うんよ
人は置かれた環境や苦しい経験で、鬼にも悪魔にもなるんですよ
生まれながらにして、生粋のテロリストなんているわけがない
別に性善説を振りかざすつもりはないけど、
間違いなく、誰かが鬼や悪魔を生むことはあるわけですよ
誰かによって、鬼や悪魔に仕立て上げられていくんだと思うんですよ
その誰かとは、正義を振りかざす為政者かも知れんし、
信仰心という隠れ蓑を被ったエゴイストかも知れんし、
札ビラで人の心を買おうとする不埒なヤツかも知れないわけですよ
Say!は、最近そんなヤツらが特にのさばってる気がしてね
そんなヤツらの影響で、鬼や悪魔の心を持った人間が増えてる気がしてる
ホント、いま地球上を覆ってる空気が澱んでて、
しかも、夏の湿った熱気のように、体中に纏わりついて気持ち悪くて仕方ない
いつか、この空気がすっかり入れ替わることがあるんやろうか!?
いつまで、このまんまは耐えられまっしぇん
「ホント、いい加減にしてくれよ! まったく!!」
 
 
ちょっと、トゲトゲしちゃってゴメンね
気分を変えようね
曲を流しましょうかね
では、今夜の1曲目です
GO!GO!7188で『ジェットにんぢん』
 
この曲は、最後のワンフレーズでやられちゃいます!!
「そう来たかぁ!!」って感じ
ドラム、ベース、ギターのスリーピースバンドでね
余計な音がない分、リズムとボーカルが際立ってイイんですよ
ボーカルのユウの声も個性的でイイよね
GO!GO!7188、カバーアルバムを出してるんやけど、
これがまたいいんですよ
歌謡曲をロックテイストに味付けしててね
その中で、Say!のお気に入りは『ギンギラギンにさりげなく』
つい、車の中で一緒に熱唱してしまいましたよ
このバンドも解散しちゃったねぇ
やっぱ、バンドって難しいんだろうねぇ、残念!!
 
 
さて、お手紙に行きましょう
ラジオネーム『シックスパック』さん
わぁ、Say!もなってみたい〜
「Say!さん、こんばんは」ハイ、こんばんは〜
「みかんの食べ過ぎで、手が黄色です
 どうにかしてください」
 
はい、どうにもできません!!
 
続いてのお手紙
ラジオネーム『神社にエール』さん
たぶん、エール送らんでも神社は大丈夫と思うよ〜!
「Say!さん、おばんどす」ハイ、おばんどす〜!
「夕焼けを見ただけで切なくなります
 どうしたらいいでしょうか」
 
ん〜たぶん、どうもせんでいいと思うけど〜、
何かに反応して、心が変化するって貴重だと思うよ
そのうち、全然なんとも感じんようになるかもしれんから
いまは、それだけじっくり、ゆっくり夕日を眺める時間があるってことやろう
ひょっとしたら、今後就職とかして、
夕日をゆっくり眺める時間が無くなるかもしれんやろう
だから、いまのその時間、変化する気持ち、どちらも大切なんですよ
何か夕焼けにまつわるエピソードかなんかあるんかなぁ、ひょっとして
でも、夕焼け見て、切なくなる経験って、みんなあるんかなぁ?
Say!は子供の頃、外遊びが多かったから、
やっぱり、『夕焼け=遊びはおしまい』って感覚があるから、
夕焼け見て、切なくなるんかなぁとは思うんやけど、
そんな経験がなくても切ないんかなぁ
「もうすぐ一日が終わる〜」とは考えるかもね
でも、夕焼けが待ち遠しい人だっておるかもしれんよね
仕事してて、「やっと夕方かぁ」ってホッとする人だっておるでしょう
空の変化だけで、いろいろ心変わりするって、人間って不思議よねぇ
 
 
オープニングでしゃべりすぎて、曲があと1曲しか流せなくなってしまった〜
「ペース配分、考えろ」ってね
なにせ、人生行き当たりばったりで、ここまで来ちゃったから
後先考えてないんですよ
結構、「いろいろ考えてるでしょう!?」って誤解されてるんやけど、
んなことないんですよぉ、これが〜
まぁ、考えることは考えるんやけど、最後は結構思いつきで判断しちゃう
「Don't think. Feel!」 by ブルース・リー
また、明日からウィークデーが始まっちゃいますが、
アンテナ張りまくって、感じまくって、やっちゃってください!!
 
 
それでは、今夜最後の曲になります
My Little Lover 『DESTINY』
 
あなたを感じたなら 想いがもっと届いたら
涙が溢れること たった今 想い出せたの
 
心からのサインが乱れてる
両極に揺れる 自分を笑う
つじつまさえ 合わせられなくて
過ぎてゆく日々を ほどいていた
 
現在がここで回りだす
 
近づくほどに遠く 海のように揺れるけど
あなたも泳いでるなら きっと逢える 運命の時に
 
(FALL IN DESTINY)
 
指と指をからませて伝う
この生命の脆さ 美しさを
 
この世界は終わっても
 
あなたを想い出せば あなたをもっと感じれば
涙が溢れること ずっとずっと知っていたのに
 
アイシテル 愛している ただその言葉だけで
 
近づくほどに遠く 想いはまだ揺れるけど
あなたを抱きしめれば あなたをもっと感じれば
涙が溢れること ずっとずっと知っていたのに
自由になりたくないかい
熱くなりたくはないかい
自由になりたくないかい
思う様に生きたくはないかい
自由っていったいなんだい
どうすりゃ自由になるかい
自由っていったいなんだい
君は思う様に生きているかい
 
 
 これは夭逝した尾崎豊の『Scrmbling Rock'n'Roll』という曲のワンフレーズです。これは皮肉というか残念なことなのですが、尾崎自身は大いに『不自由』という感覚に苛まれました。デビューして暫くすると、幸か不幸か『十代の教祖』、『若者のカリスマ』へと祭り上げられました。それらのレッテルは、彼が十代のうちに発表した曲の世界観に多くの若者が共感を示したところが大きいのですが、彼を売り出す際の戦略も大きな要因でした。発売される曲のジャケットもそうですが、音楽雑誌などに掲載される写真もモノクロばかりで、笑顔の写真はNGでした。つまり『尾崎豊』という虚像をレコード会社が作り上げていたという事実があるのです。彼自身、虚像と実像の狭間で葛藤します。特にライブにおいてその葛藤は顕著になっていきます。ライブ会場に足を運ぶファンは、『実像の尾崎豊』ではなく『尾崎豊という虚像』を見に来ているという感覚に彼は陥っていきました。ときにライブでは、観客に向かって暴言を吐きます。マイクスタンドをステージに振り下ろします。それらの行動を見たファンの一部は『十代の教祖』や『若者のカリスマ』との思いをさらに強くし、熱狂しました。また別の一部はライブパフォーマンス、つまり演出だと受け止めました。また別の一部は「クレイジーだ」と冷ややかな目を向けました。それらの反応のどれも彼の心を穏やかにすることは出来ませんでした。やがて、彼の中には「大人たちに騙された」、「金儲けに利用された」、「レコード会社に搾取された」との思いを強めていき、レコード会社や所属する事務所との契約をことごとく破棄していきます。彼が存命であれば、今月で50歳を迎えます。彼の誕生日に、彼の直筆ノート、直筆セットリスト、直筆手紙などのレプリカを収納したトレジャーブック、未発表写真を含む写真集、初公開インタビューCD、オリジナルプリントをセットにした豪華ボックス『OZAKI・50』が発売されるのですが、尾崎のコアなファンからは、「まだ、尾崎で金儲けをするのか!」や「直筆ノートや直筆手紙などをオープンにすることを尾崎が望んでいると思うのか!」という声が上がりました。それらは、生前の彼が発したコメントを理解したうえでの発言なのです。彼の一挙手一投足に触れたいと願う部分は多いにあるのですが、私もそれらの思いに同調し、限定品ではありましたが購入は見送りました。
 
 そのように尾崎豊は『不自由』に苛まれていたわけですが、ある精神科医が自身の著書の中で彼のことに触れていました。その著書において、尾崎には『境界性人格障害』の症状が見られるとの記述がありました。『境界性人格障害』とは、「気分の波が激しく感情が極めて不安定で、良い・悪いなどを両極端に判定したり、強いイライラ感が抑えきれなくなったりする症状」を呈するのですが、「強いイライラ感」という『神経症的な症状』と「現実が冷静に認識できない」という『統合失調症的な症状』、2つの境界にある症状を示すことにその病名が由来しています。尾崎が『不自由』に苛まれていた理由の一つには、その病気の影響も大いにあったのでしょう。現実は常に欺瞞に満ち、精神は常に乱されているわけですから、彼にとって生きることは『不自由』極まりないことだったのでしょう。だからこそ、彼は『自由』を渇望しました。遺作となったアルバム『放熱への証』に収録されている『自由への扉』においても、彼はどんなに裏切られても許し続け、どんなに奪われても与え続けることで、自由に生きることを肯定したがっていました。
 尾崎のファンだった私は、よく考えます。「尾崎が求めた自由とはどのようなものだったのか?」と。尾崎が作品の中で訴えた自由とは、歌詞の言葉を借りれば「思う様に生きること」なのでしょう。それは決して好き勝手に生きることではないことは確かです。思う存分にはしゃぎまわれぬJungle Landに迷い込んでも、奪い合いの街角で夢を消しそうになっても、誰もが愛を彷徨い独りぼっちを感じても、誰かに手を差し伸べても悲しみだけが心彩っても、裏切られても、奪われても、寂しくても、彼は夢を消さないでと訴えます。明日を信じてと訴えます。何ひとつ不自然なものはなく、一人ひとりが奏でるメロディーが重なり合いハーモニーとなることを教えます。誰もが皆自由に生きてゆくことを許し合えば、『自由への扉』を開くことができると促します。現実こそ全てとの考えに支配されていれば、彼の言葉はとても観念的で抽象的だとの思いを抱くのでしょう。そのような思いに支配されている限り、『自由』を感じることはないのでしょう。何かに固執し、『不自由』を意識し続ける限り、『自由』を感じることはないのでしょう。彼の言う『自由』とは、義務を果たしながら自由を享受する『自由主義』的なものと言えるかもしれません。
 
 さらに観念的に『自由』を捉えてみましょう。『自由』を突き詰めて考えれば『無』の境地に近づくのかもしれません。色即是空の『空』とも通じるものかもしれません。自分も含め人間も万象万物も『空』であり、根源は同じものなのだという考えです。お釈迦様は「他人を自分の如く愛しなさい!、全ての物を自分の如く愛しなさい!」と仰りましたが、その考えの根幹にあるのは『私』=『空』であり、『空』に区別はなく1つしか無いというものです。1つしか無いということは、『私』しかい無いということですから、『私』が他人を愛し、『私』が万象万物を愛するのは当然だと説いているのです。
 ただ、これは究極的な考えなのでしょう。他者との違いを感じることがなく、固執するものがない状態こそ、全てから解き放たれた『自由』な状態だということです。この考えは『実在主義』的な考え方と言えます。この世は見えると見えないとに関わらず、『空』という存在からなるというものです。私が認識しようがしまいが、あるものはあるとの考えです。ただし、私が『自由』について語るとき、その『自由』とは『私の自由』です。自分自身を大いに認識し、『自由』か否かを評価しようとする『私』がそこには存在します。『私』を認識したうえで『自由』を実感したい。つまり、『実存主義』的な立場に立って、『自由』を実感したいのです。果たして、『自由』を実感することはできるのでしょうか。
 例えば、『不自由』な境遇から脱することができたとき、人は『自由』を実感します。例えが適切かどうか定かではありませんが、刑務所での刑期を務め上げ、出所すると開口一番「シャバの空気はうめぇ」と口にするような心境です。刑務所では大いに『不自由』を強いられるわけですから、そこから解放されれば『自由』を大いに感じるものでしょう。では、『自由』とは相対的な観念なのでしょうか?それも違うような気がします。そもそも相対性を用いないと語ることができない時点で『自由』ではない気がします。そう考えると、何かで観念付けしようとすること自体が『不自由』な行為なのかもしれません。きっと『自由』とは、どれだけ言葉を尽くしても、広いキャンバスに多種多様な色や模様を用いても、数オクターブの音階や音符、さまざまな楽器で音色を奏でても、そっくりそのままの『自由』を表現することなどできないのでしょう。考えようによっては、まだ何も記されていない真っ白なノートやキャンバスや五線譜のままのほうが『自由』とも言えそうです。それらの無垢なものを前にして、「こんな感じ、そうこのイメージ…」などと心を遊ばせることこそ『自由』な行為なのかもしれません。どうやっても、色の付いていない『空』へと思考が向かってしまいます。
 ちょっと視点を変えてみましょう。『自由』を観念や思考で語ろうとするから難しいのかもしれません。私がふと思いついたのは空間的なイメージです。あるものが頭に浮かびました。マニュアル車のシフトレバーです。それも、そのシフトレバーはニュートラルの位置にあります。シフトレバーは手で触れると上下左右にユラユラと動きます。しかも、ギアを入れると前進することも後退することもできます。つまり、どちらへ向かうかはまだ確定していませんが、意思と行動が伴えばどうとでも動くことが可能な状態です。意思と行動はその言葉通りに捉えてもいいでしょうし、固執や囚われと考えてもいいでしょう。固執や囚われに染まっていない状態、それが『自由』なのかもしれません。
 ただし、シフトレバーが常にニュートラルの位置にあるままでは、車は”ウン”とも”スン”とも動きません。それでは”宝の持ち腐れ”ならぬ『自由』の持ち腐れです。真っ白なノートやキャンバスや五線譜を手にしただけでは、私のイメージは誰の心にも伝わりません。『自由』の状態から敢えて抜け出し、『不自由』に身を置いたり、制約の中でも何かを表現することのほうに意味がある気がします。つまり、何らかの意思を持ち、行動に移すための準備段階というか、今まさに事に向かおうとする状態こそが『自由』なのかもしれません。そのイメージは、尾崎の世界観に通じるものがあります。現実に欺瞞を抱き、精神が混乱を来たしながらも、明日を信じ、人を信じ、今まさに動き出そうと宣言する、そんなイメージです。思うように生きるために、意思を携え、行動に移せと彼が背中を押す。その言葉は、今まさに社会の荒波に立ち向かおうとする若者の心にこそよく響くのでしょう。『自由』とは一歩を踏み出す直前の高揚感かもしれません。そう考えるほうが、今の自分には”しっくり”きますし、そのように考えることでなんだか『自由』を感じられる気がます。さて、今からどこへ向かおうか!?
 
 
 改めて、これまでの流れを自分自身のためにも整理しておこうと思います。
 
 辺野古への基地移設については10月13日、翁長沖縄県知事が仲井真前沖縄知事の行った公有水面埋立法に基づく『辺野古の埋め立て承認』に瑕疵があったとして承認を取り消す手続きを行いました。
 これに対し、沖縄防衛局は10月14日、”一般私人”と同様の立場において行政不服審査法に基づき公有水面埋立法を所管する国土交通大臣に対し『審査請求』をするとともに、『執行停止措置の申立て』をしました。同日、この動きに同調するように産経新聞は、「危機に直面している沖縄県民の安全を守るという知事の職責を放棄している」と翁長知事を糾弾し、新閣僚として抜擢された島尻安伊子沖縄北方担当相に対して、「翁長知事の説得と沖縄県民の理解を得る責任を果たしてもらいたい」とのコラムを掲載しました。
 政府は10月27日午前の閣議で、翁長雄志知事による『辺野古の埋め立て承認取り消し』は違法だとして、地方自治法第245条の8に基づき、国が知事に代わって埋め立てを承認する『代執行』の手続きに着手することを了解しました。同閣議と並行し、石井啓一国土交通相は同日、10月14日の沖縄防衛局長からの申し立てを受けて、翁長知事による『辺野古の埋め立て承認取り消しの執行停止』を決めました。翁長知事は同日、『代執行』に伴う司法判断までの間、「辺野古での作業は開始すべきでない」と強く訴えました。また、『辺野古の埋め立て承認取り消し』についても「適法だ」と重ねて主張し、今後政府が行う『是正勧告』などに応じない方針を示しました。
 翌28日午前、石井国交相の送った『執行停止決定通知書』が沖縄防衛局に届くと、沖縄防衛局は沖縄県環境政策課に対し、『辺野古の埋め立て本体工事の着手届出書』を提出しました。届出書には、「工事期間:2015年10月29日〜2020年10月31日」と設定されていました。受け取った県環境政策課の金城賢副参事は「県は工事着手が可能な状況にはないと考えている」と述べ、『辺野古の埋め立て本体工事の着手届出書』を預かるに留めました。ただ、行政手続法では県庁に到着した時点で届け出は有効になり、沖縄防衛局は本体工事に着手できることになりました。また、石井国交相は同日、翁長知事が行った『辺野古の埋め立て承認の取り消し』に対して『是正勧告』を求める文書を沖縄県に送りました。
 10月29日朝、辺野古の新基地建設に反対する住民ら約100人が、米軍キャンプ・シュワブのゲート前で埋め立て本体工事着手と海上作業の再開に対する抗議活動を行いました。午前7時ごろ、工事車両を止めようと座り込む住民らと県警の機動隊員がゲート前で揉み合いになり、市民1人が拘束され、名護署に連行されました。そのような大きな混乱の中、前日の国交相の『辺野古の埋め立て承認取り消しの執行停止』に基づき、政府は『辺野古の埋め立て』の本体工事に着手しました。また、国交省が『代執行』に向けた行政手続の一環として発送した『是正勧告』の文書が同日、沖縄県に到着しました。翁長知事は工事着工について「強権極まりないという感じで大変残念だ」と政府を強く批判しました。
 11月2日、翁長知事は『辺野古の埋め立て承認取り消しの執行停止』を認めた国交省の決定を不服として、総務省の国地方係争処理委員会に審査を申し出ました。国地方係争処理委員会は国と地方の間の問題を扱う第三者機関で、申し出から3か月以内に国へ勧告を行うか、翁長知事のこの申し出を却下するなどを判断します。
 翁長知事は11月11日、国交省が『代執行』に係る『是正勧告』を拒否する回答文書を発送しました。『是正指示』の回答期限は10月13日なのですが、翁長知事は12〜14日に台湾出張の公務があるため、回答を前倒ししました。翁長知事が『是正勧告』に続いて『是正指示』にも応じない考えを表明したことで、政府は週明けの11月16日にも『代執行』を求めて福岡高裁那覇支部に提訴する方針を固めました。
 沖縄防衛局は12日午後、中断していた辺野古沖での海底のボーリング調査を再開させました。一方、現場の海上では、移設計画に反対する市民グループのメンバーなどが船やカヌー十数隻を出し、足場に近づいて調査の中止を訴えていて、海上保安庁のボートなどが制止する様子が見られました。
 本日、国地方係争処理委員会の1回目の審査が開かれました。
 
 
 国会の『閉会中審査』でも共産党の赤嶺政賢議員からも指摘がありましたが、国民に対して広く行政庁に対する不服申立てのみちを開く行政不服審査法を拡大解釈し、沖縄県防衛局が”一般私人”と同様の立場に立ち、国土交通大臣に対し『審査請求』を求めた行為は明らかに法の趣旨を逸脱しています。
 1999(平成11)年に地方分権一括法が施行され、それに併せて地方自治法が改正され、国の包括的指揮監督権は否定され、法令に抵触しない限りで地方公共団体は独自に条例を定めることができるようになりました。都道府県や市町村などの地方公共団体が行う事務は『法定受託事務』と『自治事務』に分けられます。国が本来果たすべき役割に係るものについて都道府県、市町村又は特別区などが行うものを『法定受託事務』、それ以外を『自治事務』と分類しています。今回、翁長知事が決定した『辺野古の埋め立て承認取り消し』は公有水面埋立法に基づく行為で『法定受託事務』に該当します。つまり、翁長知事の決定は地方分権の一環として都道府県に認められた『法定受託事務』を行ったものなのです。それに対して、国が異を唱えるということは地方分権の流れにも反しますし、この国(沖縄県防衛局)の『審査請求』が認められるとすれば『法定受託事務』は国の指揮監督下にあることを意味し、地方自治の意義が失われることになるのです。私は国の中央集権的な動きに危機感を抱いているのですが、法の趣旨も理解せず、時代の要請にも反して、法律を曲解し、政府の思いをゴリ押しする姿勢は中央集権以外のなにものでもありません。
 10月23日、行政法研究者有志一同が『声明 辺野古埋立承認問題における政府の行政不服審査制度の濫用を憂う』という書面を発表しました。平和安全法制の国会審議中には、憲法学者をはじめとする学者や弁護士会、元最高裁判事や内閣法制局長官など、その道の専門家が声を上げましたが、今回の国の動きに対しても、行政法の専門家が声を上げたわけです。もう尋常ではありません。まさに”やりたい放題”です。10月14日に国が『審査請求』を出したことについては、各マスコミが報じていましたが、事の重大さを伝えきれていませんでした。このままだと、都道府県や市町村は国に対して萎縮してしまう恐れがあります。ぜひとも、国地方係争処理委員会においては、適切な判断を下してほしいと思います。
 『代執行』が提訴されると言われている福岡高裁においても、政治的な恣意に振り回されることなく、あくまで国交省が本来果たすべき事務であるのかとの視点で、公有水面埋立法の趣旨や要件に適合しているか違反しているのかに着目してほしいと思います。公有水面埋立法第4条(免許条件)第1項には、次の各号の全てに適合していなければ免許を与えることができないと規定されています。
 
米軍基地が建設されれば自然破壊も当然あるでしょうが、騒音や振動が生じることは必至です。 しかも先日には、辺野古の米軍キャンプ・シュワブ内の海岸で土器や石器が見つかりました。文化財保護法において、「政府及び地方公共団体は、文化財がわが国の歴史、文化等の正しい理解のため欠くことのできないものであり、且つ、将来の文化の向上発展の基礎をなすものであることを認識し、その保存が適切に行われるように、周到の注意をもつてこの法律の趣旨の徹底に努めなければならない」という義務規定が設けられています。まともな法治国家であれば、行政不服審査法地方自治法公有水面埋立法文化財保護法の観点から辺野古への新基地建設は認められないと私は考えます。もし、全てが翻って新基地建設が認められたとすれば、完全に中央集権国家に変質したと捉えていいでしょう。私は民主主義国家を守るために、今後も法的瑕疵を追求していこうと思います。
 昨日、民主党の前原誠司元外相と細野豪志政調会長、維新の党の江田憲司前代表らが都内のホテルで会談し、野党再編に向けて民主党が解党すべきだとの認識で一致したとの報道が流れました。近くその内容を岡田克也代表に申し入れ、年内にも新党を立ち上げる方針を固めたとも言われています。本日夕方の会見では、岡田代表は「(3人が)今、どういう話をしているかは承知していない」、「ご心配いただく必要はない。執行部は私だ」と述べ、平静を装いました。
 
 
 『閉会中審査』でも精彩を欠いた民主と維新ですが、すでに浮き足立っていたということでしょうか。野党5党は『臨時国会』の召集を要求していますが、実は政府が要求に応じないことは、民主と維新にとって”渡りに船”になっているのではないかと穿った見方をしてしまいます。
 私としてはとっとと解党すればいいのにと考えます。前原議員をはじめ民主党と維新の党の中には『日本会議』の国会議員懇談会に複数の議員が所属しています。ある方がそれらの議員の離党を求める活動をされていましたが、反自民の受け皿になろうとするのであれば、それらの議員の方とは縁を切るのが得策ではないかと考えるのです。野党5党の各議員は自身の立場を表明し、新たな体制を早急に組織し、来年夏の参院選に向けての候補者擁立などの活動に全精力を注いでほしいと思います。平和安全法制に反対している人たちは、『日本会議』に所属している人を支持しないだろうと考えます。私の中では『自民党議員≒日本会議所属議員』という公式が確立しています。そして、その公式に含まれる議員は憲法改正を推進されるだろうとの思い込みがあります。立憲主義を手放し、天皇を元首とし、緊急事態条項を設け、政府が権力を一手に握るような体制を規定する憲法を目指すのだろうと考えます。
 この解党の動きが本格化すれば、私たちは”踏み絵”を目の当たりに出来るのかもしれません。憲法改正推進か反対か、国民のほうを向いているのか向いていないのか。次の参院選で憲法改正に言及しないとすれば、自民党の憲法改正草案を暗に容認したことと同義です。国民のほうを向いているのであれば、やることは決まっています。『アベ政治を許さない!』、『憲法改正反対!』。
 本日は参議院予算委員会において『閉会中審査』が開会されました。昨日のように報告しようかとも思いましたが、質疑者からの質問も昨日とほぼ同じで、政府の答弁にも目新しさはなく、成果ばかりを訴えるという自画自賛的な答弁でしたので、もう今日はやめようと思います。というか、単純に面倒くさいだけという話もありますが…。
 その中でも目を引いたのは社民党の福島瑞穂議員の質疑でした。平和安全法制の審議の際にも、弁護士経験者らしい鋭い質問で政府に揺さぶりをかけていましたが、本日も舌鋒鋭く政府を攻め立てました。9月17日の平和安全法制の参議院特別委員会の強行採決の瑕疵、高速増殖炉もんじゅに関連した予算の無駄遣いを指摘しました。また、辺野古への基地移設について沖縄県知事選と名護市長選で民意が”No”を突きつけたのに、現地で反対行動を行っている住民に対して機動隊を派遣したことを、国が住民に対してDVを行っていると表現し、政府を強く批判しました。
 ただ残念なことに、今の安倍政権では議論が成立しません。正論を振りかざしても”暖簾に腕押し”です。恥ずかしげもなく、破廉恥なことをやってのけます。羞恥心の欠片もありません。倫理観なんて”何処吹く風”です。違法行為も不法行為もお構いなしです。その裏で憲法改正に向けての動きを活発化させています。11月10日に日本武道館において、『美しい日本の憲法をつくる国民の会』が主催し、「今こそ憲法改正を! 1万人大会」を開催しました。主催者発表では11,000人が出席し、その中には国会議員約40名が出席しました。国会議員の中には次世代の党の中山恭子代表のほか、民主党からも松原仁議員が出席しました。安倍首相も列席予定でしたが、昨日も国会審議がありましたので出席は叶わず、その代わりにビデオメッセージを届け、その映像が会場で放映されました。安倍政権寄りと言われている産経新聞社ですが、ウェブニュース『産経ニュース』において、この大会の様子を『【今こそ憲法改正を!1万人大会】詳報(1)〜(4)』と題して精力的に発信していました。ちなみに詳報1本もそれぞれ2〜4ページからなります。私は『立憲主義』を主張ていますから、政府や国会議員、裁判官や公務員を縛る現憲法を”善し”とし、国民を縛ろうとする自民党憲法改正草案を1ミリも容認できません。そういえば、本日の国会において、自民党の山谷えり子議員が『緊急事態条項』の必要性を訴えていました。憲法改正に関連する事項やワードをマスコミなどで小出しにしながら、憲法改正の機運を徐々に高めようとしているのではないかと何となく勘ぐってしまいます。憲法改正が実現すれば、いま沖縄で起きているようなことが本土でも起きるでしょう。すでに、その動きが顕在化しつつあるようにも感じられます。来年夏の参院選で与党が勝利すれば、ますます”えげつない”行動に出ることでしょう。物事は閣議でバンバン決めて、国会運営も政府が意のままに操作し、マスコミは頻繁に与党の事情聴取に遭い、重要な情報も特定秘密保護法で国民には知らされず、デモや集会は機動隊によって制圧されるでしょう。私は決して大袈裟なことを述べていわけではありません。至って冷静に見極めているつもりです。破廉恥なことが正々堂々と行われる時代が到来するかもしれないのです。羞恥心を抱える私には耐えられません。

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