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※ 同記事は、私が契約しています、あるネットメデイアが配信できなかったものです。
5日午前、松本龍復興担当大臣は、就任からわずか9日目で会見を行い辞任した。 辞任したと、言うよりも、就任会見には、サングラス姿で報道陣の前に現れ、復興担当チームを自身の名に重ねて、「チームドラゴン」と呼んでみたり、宮城県の来賓応接室では、村井県知事を相手に舎弟扱い然と、やくざの組長よろしく、威嚇、恫喝ともとれる発言を、これまた、テレビカメラも回る報道陣を前に繰り返す姿は、復興担当大臣などになりたくはなかった、辞めさせてくれと言わんばかりにも見えた。 さて、一般常識とはかけ離れた、そんな一連の行動が自滅を招いた松本龍氏だが、その拠って立つ政治的な立場、環境も、実は、世間の常識とはかけ離れている。 旧社会党勢力が利権を握る松本前復興相の地元・福岡
松本龍氏は昭和26(1951)年生まれの59歳。平成2(1990)年の第39回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬して初当選、以後、民主党へ鞍替えし、7回連続当選している。祖父は、部落解放の父とも呼ばれる松本治一郎氏だ。父親の英一氏も参議院議員を5期務め、在職中に死去している。その実家は、治一郎氏が大正5(1916)年に創業した、公共工事を中心に仕事を行う、県下トップクラスのゼネコン・松本組だ。 治一郎氏は、部落解放同盟の委員長を20期連続勤めるなど、部落解放運動の巨頭的存在だった。戦前は衆議院議員を勤め、戦後は、日本社会党結成に参加。新憲法下初の参議院選挙に全国区から出馬し、4位で当選、初代参議院副議長に選出されたなどの経歴がある。 そんな祖父・治一郎氏の偉大な経歴のゆえか、福岡県では、長らく、旧社会党勢力が公共工事の利権を掌握して来たと言われている。松本組は、現在も、県下で行われる公共工事の多くを受注し、傘下の子受け、孫請け企業とともに、仕事を行っているが、社会党が健在な頃は、松本ファミリー子飼の県会議員の下に足を運ばなければ、福岡県の仕事はとれないとも言われていた。 福岡県では、公共工事を受注するのに、自民党の県議や国会議員と懇意にしていても、何の役にも立たないという時代があったというわけだ。 自民党県議候補が社会党の松本龍氏の父を頼る不思議
福岡県の自民党県連会長まで勤めた大物県議が初めて県会議員選挙に挑んだ28年前。その夫人が、当時、社会党参議院議員であり、県の部落解放同盟副委員長の立場にあった、松本龍氏の父・英一氏の下を訪ね、「主人を男にしてやってください」と懇願したという話は、龍氏に親しい人々の間では今だに語りぐさだ。そんな、福岡の、特に松本ファミリーの直下のお膝下とされる、福岡市の博多区と東区。現在の衆議院選挙区で言えば、龍氏の選挙区である福岡県第1区での自民党と、旧社会党勢力を代表する松本ファミリーの不可解な関係が、両党の県議の有無や、国政選挙での図式に目をやると見えてくる。 政令指定都市である福岡市は、県議の選挙区が区毎になっているが、長らく、博多区には民主党県議の議席がなかった。博多区は東区とともに、龍氏の選挙区である以上に、祖父・治一郎、父・栄一郎の両氏が永々と築いてきた、松本ファミリーの票田でもある。 そんな博多区に、民主党は県議の議席を長らく獲得することがなく、民主党結党以後、県連代表を勤めていた龍氏は、一度も県会議員選挙に候補を立てることさえなかった。 ところが、この4月の統一地方選挙で、先に紹介した、県連会長県議まで勤めた大物自民党県議が引退を表明すると、今度は、自民党側が、後継候補を擁立することもなく、結党以来、初めての民主党新人候補が擁立され、すんなりと当選した。この自民党大物県議は、前回の統一地方選挙の前に、自身の秘書をしていた地元の青年を、龍氏に頼んで、民主党から博多区の県会議員選挙に挑戦させたい、と親しい地元経済誌の記者に漏らしていたとも聞く。 松本龍氏の祖父を描くルポ/水平記―松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年 (新潮文庫/高山文彦著) 自民が候補を見殺しにする松本選挙区
平成8(1996)年、12(2000)年と2度の衆議院総選挙で自民党公認候補とした出馬し、福岡1区の議席を、現職の松本龍氏と争ったのは、龍氏と、その卒業校である名門福岡高校で同級生であった西田藤二氏だった。 西田氏は、8年の選挙で5万7千票近くを獲得するが、龍氏の約7万5千票には及ばなかった。12年の選挙も同様に約2万票ほどの差で西田氏は敗退する。この2度の同級生対決で、自公連立政下であるにも関わらず、公明党の票は龍氏に流れたと証言するのは、両氏のやはり高校の同級生で、当時、同窓会の幹部をやっていた、ある財団トップの立場にある人物だ。氏は、西田氏が自民党公認で出馬しているにも関わらず、選挙区の自民党県議や市議は彼に対して冷淡だったととも言う。 また、平成17(2005)年のいわゆる郵政解散選挙では、比例南関東ブロックで勝利し、議員宿舎や料亭での会合などに関する発言で物議をかもした杉村大蔵氏が、自民党本部の決定で公認候補として福岡1区から、当初出馬を予定し、準備を行っていたが、県連の強い反対で候補が差し替えられた。 結局、民主党に合流する以前の自由党に席を置き、その後、自民党に鞍替えした遠藤宣彦氏(42当時)が落下傘候補として擁立されるが、小泉自民党への突風とも言える追い風が吹いていたのにも関わらず、比例区での復活当選は果たすが、選挙区では敗退してしまう。 遠藤氏は、平成21(2009)年の第45回衆議院議員総選挙で、再度、龍氏に選挙区で挑戦するが、敗退、比例復活もならず、議席を失っている。 遠藤氏が、龍氏に挑んだ2度の選挙でも、自民党の支持者が遠藤氏のために集めた名簿が県議、市議のもとに止まり、本人の事務所には届かなかったなどのうわさがあった。 総じて、衆議院福岡1区の選挙では、自民党の側に、松本龍氏の不利になる行動は控えようとの自己規制が働く。敵対勢力としての自民党を戦う前に屈服させてしまう、松本ファミリーの隠然たる力が龍氏の選挙区を中心に福岡には厳然と存在している。 老いた王子の転落 松本龍前復興相辞任劇(2)へつづく
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( ´ー`)y─┛チァーパーボェー
これは実に参考になる力作でございます。
傑作&ランクリ
2011/7/10(日) 午前 0:11
ありがとうございます。
2011/7/12(火) 午後 4:48