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・自ら招く、安倍右派の烙印
安倍さんは、世界政治の基準で見れば、ウルトラ穏健保守主義とでも例へられる範疇の政治家であり、鳩派でせう。
その安倍さんがわが国内にをいて、右派政治家との、世界の常識で見れば噴飯モノとも言へる烙印を押される原因は自らにあります。他国に軍事を任せることを好もしいとして国民に説明を続け、今日もある、そのことが原因です。
・軍を、他に恃むことでできあがった「付和雷同層」の中道
時の政治的雰囲気・マスメディアなどによつて、いとも容易く煽動され、ある時は右に、またある時は左に情動する、日本国の人口中、最大多数を占める、言つてみれば「付和雷同層(無党派層とメディアで体よく表現しますが)」とでも言える人々に対しても、もちろん、同様に他国の軍事に恃む事を好もしいとするメッセージを発信しているワケです。
この事は、易きに流れる「付和雷同層」を構成する人々から、軍事と云うものと向き合ふ観念を喪失させ、ひいては国家観や国家的義務についての責任から放免しているのです。
今回、この辺りの層の動きが自民党を大勝へと導いた、おおざつぱな要因が、経済再生への期待が広くあって、生活の安定と、豊な社会実現への自民党政治への期待にあり、国防や外交についての懸案と云う点にはなかった事がその証です。
他国に軍事を恃んでしまう云う、具体的な政策の長年の遂行は、この「付和雷同層」が持つ国際感覚・外交的バランスを、対外関係における中道路線だとして、日本国の中に育ててしまっているのです。
・自主憲法制定断念と「付和雷同層」の居心地
具体的な政治・政策としては、保守層の中に、当然の事として、曾てはあつた自主憲法制定という政治的悲願としての意志が、現在「日本国憲法」などと呼称され、国家の基本法と勘違いされているシロモノを改正して、なんとか凌ごう、という、そこにかかえる政治的・歴史的な本質の問題から逃避したところに後退。その上、集団的自衛権の放棄などと云う、精神としての国家を放棄し、米軍の圧倒的な支援を大前提としなければ、単に生活を行う場としての領域さえも掠めとられるかもしれないと云う、人類史上、これほど、惨めなことはないと思われる、政治的・外交的・軍事的な枷の呪縛に、保守層自ら甘受してしまつた今日があり、その、懈怠な着地点が、わが国の政治・政策にをける中道とされてしまつているのです。
こうした、自ら、国内に育てて来た、世界から見れば、また周辺諸国から見れば好都合の、カタワに例えられる、勘違いであり、愚かな中道感覚を背景に安倍氏は右派の烙印を押されているのです。
・外交.軍事で本質的言辞を避ける保守政治家と支援者
吉田松陰先生は、幕末のわが国が胚胎する「事の本質」について、自らの生死を賭けて、訴えられました。その事が、続く人々を生み、やがて、維新回天は成ります。
現代の日本国では、命を失うほどの事はなく、議席を失う程度で済む話しなのですが、外交・軍事について、事の本質を安倍さんも含めて、政治家は訴えてこなかった。仲間内の講演会で訴えていても世を動かすことはできません。言質を取られ、首を獲られることになるだろう、テレビカメラの前、何よりも国会という議事が残される場において、事の本質を執拗に説明することが必要だったのです。そこの所が欠け落ち、政治家は、支援者からの「先生は国家・国民にとって大事な人、軽挙妄動は謹んで」との甘言を容れ、一方で、支援者も、その程度の政治家との関係を善しとして来ました。
・保守層間の甘えを喜ぶ「付和雷同層」
そうした保守政治家と、これを支える支援者との間の、怠惰な甘い関係を、また、「付和雷同層」も、居心地のの良いものとして歓迎して来たのです。世界の常識で考えれば、国家観や民族意識を、最も尖鋭に求める国内保守層におけるその程度の政治的覚悟・立ち位置は、これを見ている「付和雷同層」にとっては、何よりも安心なのです。
そうした保守層と「付和雷同層」との間にある動きの相関が、世界の常識から見れば、噴飯モノと言える、右派安倍氏との烙印が喧びしく言われる、認識を当たり前にしてしまう政治的風土を日本国の間に作った。さう、老騎兵は見ているのです。
・尖閣.竹島.国後沖で交戦.拿捕の試験
例えば、尖閣諸島周辺で中国艦艇に対する、わが精鋭の海軍・海上自衛隊艦艇の発砲を行う。
竹島周辺で、韓国艦船を拿捕する。国後周辺で、ソ連公船に拿捕された漁船を実力で、巡視船に奪還させる。などの小競り合いの実績を、自民党政権は30年前に積んでおくべきだったのです。
そこで、時の内閣が崩壊する。首相は議員辞職まで追い込まれる。そうした騒動が必要だったのです。早くからそうした騒動を繰り替えし、政治家自らが、政界から負われてしまう、政治生命を失う(その程度の事で済む話しで、死刑にはならないのですが、政治家の誰として、こうした歴史的試験に挑む人はいませんでした。日本史、世界史の年表に名を遺すことよりも、自民党史を始め、各政党の年表に名を遺すことの方に、先生方の興味があったのだろうと思います)と云う事を繰り返して行うべきだったのです。
・混乱を招き国民間に緊張を走らせる
そうした、対外関係を誘因とする国内政治の混乱を国民に見せ、わが国政治風土に緊張感を育てると云った、歴史的役回りを自覚する政治家は、一人を除いて戦後は皆無ですしたし、その事は今も変わりません。国民としては悲しむ他、なす術がありません。
ただし、話しが飛ぶやうに思われるかもしれませんが、この夏、もし、安倍首相が靖国神社への参拝を実現され、かつ、その後、中・韓政府と北朝鮮から発表されてくる批判コメントに対して、木に花をくくったようなコメントで応酬する姿を見せて頂ければ、過去を問わず敬愛申し上げます。
但し、その際にをいても、誠に申しわけございませんが、安倍首相殿。私は「憲法」などと勘違いされてゐるモノについての、今回の選挙に関連して首相が表明して御出での取り扱いの方法については、異論がございます。悪しからずご容赦ください、ませ。
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新政権
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谷垣総裁よ、そう力まずに消費税増税に賛成してはどうか。
民主党を解散に追いやり、結果として自民党が勝利しようが、自民、民主いずれも過半数に至らず連立を組むという何れの状況に至っても、選挙後、消費税の増税を求める事は現時点よりも困難となるのは必至ではないか。
現状の政治状況を見渡せば、次回の総選挙の結果は民、自何れも勝ったとは言えない、後者の状況となり、連立の組み方によっては、国会内勢力第二党が中心になり政権を組むという形に陥るということも考えられる。
何れにしても、選挙後は消費税の増税を訴えるのが困難となる事は目に見えている。国民には、不人気だが必要な政策であれば、なおさら他党の力を充てにしてやってしまえば楽ではないか。
それ以上に、総裁指摘の通り
「マニフェストにおいて、無駄排除による財源確保の公約を高らかに謳い、消費増税を真っ向から否定」してきた民主党だ、
消費税増税案を通してやれば、党内の増税反対論者の間からの造反が引き起こり、分裂に至ることは目に見えている。
今こそ、谷垣総裁よ、戦略をもって動くときではないか。
かってない、頼り無さげな自民党総裁との評判も、政界再編への引き金を引くくらいの事をやれば、少しは変わりもするだろう。 |
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わが会議とも親しい、言論界の大御所O氏がネットニュースで持論を展開している。
ここに紹介する。
超長期震災復興マニフェストで信を問え
「野田君は、来年3月中に解散の日取りを決め、次の国会で期日を宣言した上、わが国の将来像を見据えた震災復興計画マニフェストの策定を全政党に呼びかけるべきだ。」 と、発言するのは既に言論界を引退した大御所評論家のO氏。 その真意は、
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※ 同記事は、私が契約しています、あるネットメデイアが配信できなかったものです。
老いた王子の転落 松本龍前復興相辞任劇(1) 亡者の王の魔法で守られる松本王国
部落解放の父とされる、祖父・治一郎氏から父・栄一氏と引き継がれ、培われてきた松本ファミリーの隠然たる力ででき上がった、いわば「松本王国」の正統な継承者としてのプリンス・王子が松本龍氏なのだった。龍氏は、祖父と父を亡者の王として担ぎ、その威容を維持することのためにのみ座にある王子なのだ。王子は既に老い、老醜をされけ出しているけれども。 今回の大臣辞任のきっかけとなった威嚇、恫喝ともとれる壟氏の行動や発言について、報道から問われた、民主党福岡県連のある幹部が、その人柄について、常に温和でおだやかであり、今回のことは、どうしたものか、理解できないとのコメントをしていた。同様の印象は、例えば、支持者として、或は、松本組の傘下で仕事をする関係者などといった、通り一遍の立場で龍氏とふれる機会があった者ならば、同様にいだく感想だ。 龍氏は、浅い関係の人々に向けては、常ににこやかで温和なのだ。松本王国の王子としては、ただただ、にこやかで温和に振る舞うことが役割であり、それのみが仕事なのだ。党人としての顔という面でも、民主党が政権党になる以前は、松本王国の代表者としての威容を、笑顔で示せば、それで役割は済んでいた。 「野党も与党も嫌いだ」とする自身の発言が物議をかもした際には、「政局的な動きを嫌う性」ゆえのものだ釈明したが、この釈明は、龍氏が政治においても実体に関わることを避け、にこやかで温和に振る舞うことで乗り切ってきたことを示している。 龍氏は、県連の代表を長く勤めてもいたが、党が政権を獲得すると同時に辞めている。党内でのポスト配分や、政府関連の人事に関係した困難な調整が、地方組織にも、のしかかってくる前に、代表というポストを降りたのは、温和な笑顔で人に接することだけを仕事にしてきた王子の立場からすれば懸命だった。 ところが、民主党政権が実現し、古参に属する経歴から、党中央では「実務」を課せられる立場に立たされることになった。7回当選という経歴は、党内でそれなりの役職を与えられることから逃れることはできない。環境大臣にも就任した。龍氏は、この辺りで、松本王国のリュウ王子として、にこやかで温和に振る舞うという役割から脱し、これまではさわることもなかった、政治の実務をさばいて行くことを決意しなければならなかった。 ところが、リュウ王子のままに、戦後の政治家としては、未曾有の事務処理能力を求められる、〜 幕末の動乱や、日清日露戦争を経る明治草創期、大東和戦争を乗り切った政治家の体験に比べれば易いものだが 〜、復興大臣の職を龍氏は受けてしまった。 通り一遍の関わりでしか知らない人々であれば、性行は温和だと言うが、松本王国、ファミリーでの内々では、実は暴虐にして残忍な老醜の王子の顔をしているのが龍氏だ。 報道陣を前に公然と県知事相手に暴言を吐いたという行為は、復興大臣として負わされた、未曾有の事務処理に押し潰されるのではないかという不安感から、大臣と知事の関係を、王子と臣下の関係とに倒錯してしまったのだ。 倒錯は、王国の外で魔力が通用するものと、リュウ王子の姿のままの振る舞を招いてしまった。 王国では、暴虐も残忍もあたり前に受け容れてくれる魔力が王子の座を守っているのだろう。しかし、そんなところまでは、魔力も届きはしない。 蛇足ですが、松本龍氏が「オレは九州人だから」と、今回の一連の騒動における、報道のぶらさがり会見などの場で、ことあるごとに、自身が地理としては九州に位置する博多で生まれたことから、「九州人」であることを強調したことに、氏と同じく博多っ子である筆者の立場から幾分、ふれさせていただきます。 いわゆる、九州の外の方が「九州人」という時の語感にある印象には、博多っ子の特徴は含まれていないと筆者はかねがね考えています。そこには「剛毅・重厚・篤実」などの印象が含まれていると推測するのですが、博多は「軽薄・短小」文化の土地柄で、博多っ子の気質は「剛毅・重厚・篤実」とは対照的な「軽い」が特徴です。 筆者は、若い頃、信州や関東を転々とした経歴があるのですが、あちらで「君は九州人なんだね」、と言われると、恥ずかしいやら、困惑するやらでした。九州人と言われた時に期待される人格と、自身の気質があまりにもかけ離れているからです。 政治や歴史に少しでも詳しい人が九州人と口にする時、具体的な人物としては西郷隆盛や佐々友房が頭に浮かんでいるだろうと想像します。これらの「剛毅・重厚・篤実」の典型といえる印象の偉人に比べて、出身の芸能人を見ればよく理解して頂けるかと思います。同様に、幕末、明治の博多・福岡の政治家の名前を並べれば好いのですが、あの時代のご当地の人物で、全国区の名がある人物は皆無です。実は、このことも、社会が重篤な状況を呈している時代には博多・福岡は、人物を世に出すことができないという「軽薄・短小」文化の土地柄を証す現象でもあるのですが。 博多から出ている芸能人は武田鉄矢、タモリと「軽薄・短小」文化を地でいく人ばかり。そんな「軽薄・短小」文化の博多で育っていながら、「オレは九州人だから」と松本氏が、臆面もなく口にできるのは、やはり、自身を相対化できない王子様としての性癖ゆえのことなのかも知れません。 今回の騒動が、九州人の名誉を脅かしてしまったことについて、一博多っ子の立場に過ぎませんが、博多以外の「本物の九州人」の皆様に心よりお詫びを申し上げたい気分です。 博多ではカエルがうどんを食べている。博多上川端通りの名物うどん屋「かろのうろん」
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5日午前、松本龍復興担当大臣は、就任からわずか9日目で会見を行い辞任した。 辞任したと、言うよりも、就任会見には、サングラス姿で報道陣の前に現れ、復興担当チームを自身の名に重ねて、「チームドラゴン」と呼んでみたり、宮城県の来賓応接室では、村井県知事を相手に舎弟扱い然と、やくざの組長よろしく、威嚇、恫喝ともとれる発言を、これまた、テレビカメラも回る報道陣を前に繰り返す姿は、復興担当大臣などになりたくはなかった、辞めさせてくれと言わんばかりにも見えた。 さて、一般常識とはかけ離れた、そんな一連の行動が自滅を招いた松本龍氏だが、その拠って立つ政治的な立場、環境も、実は、世間の常識とはかけ離れている。 旧社会党勢力が利権を握る松本前復興相の地元・福岡
松本龍氏は昭和26(1951)年生まれの59歳。平成2(1990)年の第39回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬して初当選、以後、民主党へ鞍替えし、7回連続当選している。祖父は、部落解放の父とも呼ばれる松本治一郎氏だ。父親の英一氏も参議院議員を5期務め、在職中に死去している。その実家は、治一郎氏が大正5(1916)年に創業した、公共工事を中心に仕事を行う、県下トップクラスのゼネコン・松本組だ。 治一郎氏は、部落解放同盟の委員長を20期連続勤めるなど、部落解放運動の巨頭的存在だった。戦前は衆議院議員を勤め、戦後は、日本社会党結成に参加。新憲法下初の参議院選挙に全国区から出馬し、4位で当選、初代参議院副議長に選出されたなどの経歴がある。 そんな祖父・治一郎氏の偉大な経歴のゆえか、福岡県では、長らく、旧社会党勢力が公共工事の利権を掌握して来たと言われている。松本組は、現在も、県下で行われる公共工事の多くを受注し、傘下の子受け、孫請け企業とともに、仕事を行っているが、社会党が健在な頃は、松本ファミリー子飼の県会議員の下に足を運ばなければ、福岡県の仕事はとれないとも言われていた。 福岡県では、公共工事を受注するのに、自民党の県議や国会議員と懇意にしていても、何の役にも立たないという時代があったというわけだ。 自民党県議候補が社会党の松本龍氏の父を頼る不思議
福岡県の自民党県連会長まで勤めた大物県議が初めて県会議員選挙に挑んだ28年前。その夫人が、当時、社会党参議院議員であり、県の部落解放同盟副委員長の立場にあった、松本龍氏の父・英一氏の下を訪ね、「主人を男にしてやってください」と懇願したという話は、龍氏に親しい人々の間では今だに語りぐさだ。そんな、福岡の、特に松本ファミリーの直下のお膝下とされる、福岡市の博多区と東区。現在の衆議院選挙区で言えば、龍氏の選挙区である福岡県第1区での自民党と、旧社会党勢力を代表する松本ファミリーの不可解な関係が、両党の県議の有無や、国政選挙での図式に目をやると見えてくる。 政令指定都市である福岡市は、県議の選挙区が区毎になっているが、長らく、博多区には民主党県議の議席がなかった。博多区は東区とともに、龍氏の選挙区である以上に、祖父・治一郎、父・栄一郎の両氏が永々と築いてきた、松本ファミリーの票田でもある。 そんな博多区に、民主党は県議の議席を長らく獲得することがなく、民主党結党以後、県連代表を勤めていた龍氏は、一度も県会議員選挙に候補を立てることさえなかった。 ところが、この4月の統一地方選挙で、先に紹介した、県連会長県議まで勤めた大物自民党県議が引退を表明すると、今度は、自民党側が、後継候補を擁立することもなく、結党以来、初めての民主党新人候補が擁立され、すんなりと当選した。この自民党大物県議は、前回の統一地方選挙の前に、自身の秘書をしていた地元の青年を、龍氏に頼んで、民主党から博多区の県会議員選挙に挑戦させたい、と親しい地元経済誌の記者に漏らしていたとも聞く。 松本龍氏の祖父を描くルポ/水平記―松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年 (新潮文庫/高山文彦著) 自民が候補を見殺しにする松本選挙区
平成8(1996)年、12(2000)年と2度の衆議院総選挙で自民党公認候補とした出馬し、福岡1区の議席を、現職の松本龍氏と争ったのは、龍氏と、その卒業校である名門福岡高校で同級生であった西田藤二氏だった。 西田氏は、8年の選挙で5万7千票近くを獲得するが、龍氏の約7万5千票には及ばなかった。12年の選挙も同様に約2万票ほどの差で西田氏は敗退する。この2度の同級生対決で、自公連立政下であるにも関わらず、公明党の票は龍氏に流れたと証言するのは、両氏のやはり高校の同級生で、当時、同窓会の幹部をやっていた、ある財団トップの立場にある人物だ。氏は、西田氏が自民党公認で出馬しているにも関わらず、選挙区の自民党県議や市議は彼に対して冷淡だったととも言う。 また、平成17(2005)年のいわゆる郵政解散選挙では、比例南関東ブロックで勝利し、議員宿舎や料亭での会合などに関する発言で物議をかもした杉村大蔵氏が、自民党本部の決定で公認候補として福岡1区から、当初出馬を予定し、準備を行っていたが、県連の強い反対で候補が差し替えられた。 結局、民主党に合流する以前の自由党に席を置き、その後、自民党に鞍替えした遠藤宣彦氏(42当時)が落下傘候補として擁立されるが、小泉自民党への突風とも言える追い風が吹いていたのにも関わらず、比例区での復活当選は果たすが、選挙区では敗退してしまう。 遠藤氏は、平成21(2009)年の第45回衆議院議員総選挙で、再度、龍氏に選挙区で挑戦するが、敗退、比例復活もならず、議席を失っている。 遠藤氏が、龍氏に挑んだ2度の選挙でも、自民党の支持者が遠藤氏のために集めた名簿が県議、市議のもとに止まり、本人の事務所には届かなかったなどのうわさがあった。 総じて、衆議院福岡1区の選挙では、自民党の側に、松本龍氏の不利になる行動は控えようとの自己規制が働く。敵対勢力としての自民党を戦う前に屈服させてしまう、松本ファミリーの隠然たる力が龍氏の選挙区を中心に福岡には厳然と存在している。 老いた王子の転落 松本龍前復興相辞任劇(2)へつづく
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