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画像:上
またまたビョーキが出てオークションで落札してしまった。
ハーディー兄弟社のマッチ箱である。
メッキの剥げ具合は絶妙で、ウ〜ッ、萌え。
骨董とはいえ、単なる玩弄物では意味が無い。
ここ一番の毛鉤でも入れて釣り場に・・。
思案中である。
画像:下
ついでに手元にある物を集めてみた。
一番上はミューシリンの缶。
中には新しいミューシリンが、みっちりとストックしてある。
時計回りに
アルミのティペットケース。
とても実用的で、常にベストのポケットに。
1つ飛ばして
catch&releaseのカンバッチ。
柄がブルックなので、日光・湯川で釣るときだけ付ける。
ペンシルベニア州のライセンスバッチ。
いわば年券。
1958年と記されている。生まれ年です。
真ん中
ハーディー兄弟社のルーペ
以前はベストにラッキーアイテムとして付けていたが、御利益が落ちたので、現在は机上に。
「新しい物は、お金さえ出せばいくらでも手に入る。
しかし、古いものはそうはいかない。」
といった感覚は、我々の年代でも理解出来る人は少なくなった様に思う。
ましてや若い世代になればなるほど。
先日、観世九皐会の能楽師から、こんな話を聞いた。
小中学校で、能楽の講座を行った時に古い面を見せると、
生徒には200年も前に作られたものが、現在も使われていることが理解出来ないそうなのである。
ようするに「なんで、新しい面を使わないの?その方が良いんじゃない。」
と考えるらしい。
その代わり「リサイクル」というものの概念は、しっかりと躾けられているという。
無論、私とて子供のころから骨董の良さを認識していた訳では無い。
年齢を重ねるに従って、感性が陶冶されて来たのである。
先日行った飯盛山の頂上では、中学生が遠足の弁当を使っていた。
全員が同じ弁当を食べていた。
恐らく給食センターから支給されたものである。
それを見たオカンは
「あーららっ。最近は行事の時でもお母さんが作った弁当じゃないんだ。」
山梨県下では多くの中学校で普段は制服を着ない。
制服は卒業式などの行事だけ着用し、普段は揃いのジャージで通学し授業を受ける。
ジャージとは運動着の筈だが。
これは、学校が提唱し父兄が受け入れているのだろうか?
それとも逆なのか。
いずれにしろ今では慣例化している。
このような状況の下、感性なり情緒が馥郁と育っていくのは厳しいかも知れない。
釣具とは全く関係の無い話になってしまいました。
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