幕末の遺跡をたずねて

日本全国の幕末遺跡を巡り歩く管理人。 遺跡めぐりを始めてからこの3年間で撮りためた画像を少しずつアップしていきます。

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本当に英語って便利だなと思う。 賛否両論はあると思うが、英語は世界共通語だ。 これさえ片言でもしゃべれれば、世界のどの国の人ともコミュニケーションがとれる。 日本の文化圏から遠く離れた国々とも交易ができる。 それによって異文化を体験できる。 現代に生まれて本当によかった。 

古くはシルクロードなどでも遠くの国々と交易を行っていたわけであるが、現在とは状況が違う。 
たとえば、日本に残る奈良の古い仏閣は遠いギリシャの建築様式の影響を受けているのだが、これは別にギリシャ人が直接伝えたわけではない。 シルクロードの長い長い道のりの途中にある都市と都市の間で、交易が行われ、それが伝言ゲームのようにして伝わったのだ。 これを中継貿易(なかつぎぼうえき)という。 そのような多言語が入り乱れる中継都市では、必ず文化間の衝突がある。 逆に言えば、他言語を必要としない人は異文化の衝突を知らないのだ。 まぁ、現代に限って言えば他言語は翻訳され、日本語で説明されるので、他言語を必要としないし、年間、何千万人も海外旅行をしているわが国の実情をみると、文化間の衝突を知らない人は皆無といえる。 

が、幕末は違った。(前ふりがながかったが・・・)1853年、多くの日本人は生まれて初めて文化の衝突に遭遇する。 アメリカのペリー艦隊が、大統領の親書をたずさえて、ここ神奈川県横須賀市久里浜(くりはま)に上陸したのだ。 この衝撃を受けて、日本防衛のための手段が、多様に分けれていくことになるのだが、この話はまた別の機会に。 やってきたアメリカ人とはオランダ語で交渉が行われた。 なぜオランダ語かというと、ヨーロッパの中ではオランダだけが、徳川幕府の地盤を揺るがしかねないキリスト教を国教としていないという理由で日本と交易することを許されていたから、国内にもオランダ語を流暢にしゃべる通訳がたくさんいた。 こういう状況を考えると本当に歴史って面白い。

管理人が、久里浜が来たとき、快晴ではなかったが、気分は爽快だった。 海ではぽつぽつと泳いでいる人がいた。 雄大な歴史と自己満足(笑)にひたりながら、海の向こうに見えるペリー艦隊の写真をっていると、後ろから近づいてきたカップルの男のほうが、「あ カメラ小僧だ。」とぽつりといいよる。 一呼吸おいて、柄にもなく、キッと睨むとぷいとそっぽ向かれた。 あぁもう気分ぶち壊しだよ。 まぁ李下に冠を正さずというからな・・・と自分を納得させ、深呼吸を三回して、この日の最終目的地、浦賀をめざして、久里浜を後にした。 


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