幕末の遺跡をたずねて

日本全国の幕末遺跡を巡り歩く管理人。 遺跡めぐりを始めてからこの3年間で撮りためた画像を少しずつアップしていきます。

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緒方洪庵の適塾

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緒方洪庵(おがたこうあん)は1810年(文化7)年7月14日生まれ。 出身は備中、足守藩(岡山県)幕末期の蘭学者・医学者。 大阪に適塾を開き、明治維新の原動力となった多くの人材を育成した。門下には、大村益次郎(長州藩の軍師、数々の秘策を用いて長州藩を勝利に導いた)、橋本佐内(越前の天才儒学者、安政の大獄で露と消えた)、福沢諭吉(「学問のススメ」などを著し、平民を啓蒙した)、大鳥圭介(榎本武明に追随して、北海道までいき、最後まで明治新政府に対抗した。 のち許され、役人となる。)など。 緒方洪庵はあふれるほどの医者としての実力をもちながれら、名を求めず、利をもとめなかった。 それを裏付ける例として、緒方洪庵が弟子たちのいましめとして書いた12ヶ条なる訓戒にこうある。(一部紹介)

一、医者がこの世で生活しているのは、ひとのためであって自分のためではない。
一、決して有名になろうと思うな。
一、また利益を追おうとするな。
一、ただ自分を捨てよ。
一、そして人を救うことだけを考えよ。

たったこれだけでも洪庵がどれだけ高潔な人間だったかうかがい知れる。 自然と門人が全国から3000人も集まった理由がわかるような気がする。 幕末という不安定な時代にこれだけ人から愛された人物は他にいまい。 弟子たち(この時の門下生の平均年齢は15〜6歳)はみなそれぞれにそんな洪庵の影響を受けたと思われる。 適塾ではクラスは学業別に分けられ大変厳しかったそうだ。 管理人は手塚治虫の「陽だまりの樹」を読んで好きになった。 作中では主人公の手塚良安の先生役。 遊んでばかりいる良安を医学の道に没頭させた。 興味ある人は読んでみるべし。 惚れるよ?! ちなみに手塚良安は実在の人物(作中ではのちに父の名を継いで良仙と名乗る)で、手塚治虫の曽祖父にあたり、写真も残っている。

適塾は京阪淀橋駅の「適塾」と書かれた出口をでたところにある。 ほんとに目の前にある。(笑)オフィス街の真ん中にあるのだが、日常生活を送っている上では、あまり目を留めることはあるまい。 受付のところの横に福沢諭吉の書がかざってある畳の間がある。 そこに必死で書の現代語訳を書き写している学生らしき人がいた。 管理人もちょこんとたたみに座ってまったりしてみる。 ああ、良いですね♪ 至福のひととき。(笑) 学生が去った後、説明文をみてみる。 なかなか興味深いですな。 管理人もペンをとって書き写す。 抜粋「適を適とする、すなわち自分の心に適することを適とする。 言い換えると自分の心にかなうところをたのしむ生活。 それは何も事前の風月を楽しむだけのものではない。 むしろ広くて見定めたい俗世間の天の理にかなった真実があるというものだ。 世の中が自分の思い通りにならなくても、何も不満をこぼすことはないではないか。 ことさらたくらむことなく真実に生きる人こそ、自分の思いを適する人なのだ。」 ペンをとめ、風の音を聞いていると、後ろから受付の人が「すみません。閉館です」といったので、管理人はあわててと外に出る。 私が外に出ると同時に受付の女性の方も外に出て、ドアの鍵を閉めて、颯爽(さっそう)と去っていった。 呆然とオフィス街に立ち尽くす管理人。 突然現実世界にもどされてしまったよ。(笑) 

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