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さてさて、時は1871年、江戸幕府は倒したものの、新しい国をどうやって造ったら良いかわからない維新志士たち。 岩倉具視(いわくらともみ)以下、48名が欧米を視察しにいくことになった。 副使は木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などなど、革命の巨人ぞろい。 1年10ヶ月の長旅になるのだが、世界のどの革命を見回しても、革命を成功させたリーダーたちがこんなに長い間、視察に出かけた例はない。 まさに一から国づくりっていう感じである。 このメンバーたちのなかに、のちの津田塾の創設者、津田梅子(8)もいるのだが、彼女は彼女で面白いので、またこんどブログに書くことにしよう。 さてさて、この一行は、残る者たちが軽率な行動をしないよう祈りつつ、「なるべく新規の改正をしないでね。」と釘を刺して、東京を出発した。
一ヶ月近くかけて、太平洋を横断し、ここ米国カリフォルニア州サンフランシスコに上陸した。 当時サンフランシスコは米国になってから幾年もたっていないにもかかわらず、繁栄を極めていた。 立ち並ぶコンクリートの建物、にぎわう繁華街・・・ さぞや岩倉たちを驚かせたことだろう。(ちなみに名物のケーブルカーはまだ走っていない。)
岩倉たちは連絡を受けていたカリフォルニア州知事や、サンフランシスコ市長らの歓迎をうける。 ここで英語にたしなみのある、後の内閣総理大臣伊藤博文は、国のめざすところについてスピーチをしたのだが、まだ発展途上の段階のサンフランシスコ市民から大きな喝采をうけた。
サンフランシスコを後にした一行は、そこから、シエラネバダ山脈、ロッキー山脈を越えて首都ワシントンをめざした。 その後の悲劇もしらないで・・・。
と、ここで「続く・・」とかして終わったら切がいいんだが、もうちょっと先まで書いちゃおう♪ 大雪などのハプニングを越えて、ようやくワシントンにたどり着いた田舎者軍団。 そんな彼らをアメリカ大統領グラントは丁重にもてなした。 さて、その友好的な雰囲気の中で、さっそく岩倉たちは、不平等条約の改正について話をしようとし始めた。 そのとき、大統領の隣にいた国務長官フィッシュはみるみる顔が固くなった。 岩倉たちの言う、「古い体制は倒され、日本は新しく生まれ変わった。」というに対し、「じゃー証拠は?」と切りかえしてきた。 さらに、「日本の条約交渉を日本政府のトップである天皇から委任されているという証拠はあるのか?」、と聞いてきた。 「それがあって、はじめて話し合いをスタートできる、というのが国際法なんだよ。」、と付け加えた。 国際法などまだまだ、初歩しかわからない一行は委任状などもっていない。 結局、わざわざ数ヶ月かけて日本まで伊藤、大久保の二人が取りに帰ることになった。 このへんでつ・づ・く。
サンフランシスコは管理人のもっとも好きな街の一つだ。 おすすめはフィッシャーマンズワーフのカニだ。 もうウマウマである。 行く度にたべてる。(☆後日談:上の写真を撮ったときはカニを食べなかったです。 一緒に行った○○さんからつっこみがありました。お詫びして訂正します。(笑)) 冬は結構寒い。 12月に到着した岩倉たちもかなり寒かったはず。 管理人は少々寒くても、震えながらカニを食べる。 サンフランシスコは、日本と対岸にあるというだけあって、昔から、日本との交流がさかんだ。 勝海舟や小栗忠順が太平洋を渡ってやってきたのもサンフランシスコだった。 活気があって、来たら思わずはしゃいでしまう・・そんな雰囲気の街だ。 ちなみにこの街のどこかのお墓に、病気で倒れた咸臨丸の乗組員の墓があるそうだが、どこにあるんだろ? いけたら相当レアだ。 いつか写真に撮ってやる・・・!(←幕末レア画像に命を懸ける管理人)
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そういえば岩倉さんだけが、断髪せず和服で渡米してたんですよね。結局、周りに諭されて着替えるあたり可愛いですよね。
2005/10/3(月) 午後 8:44
サンフラン。いい街ですよねー。が、私が一番印象に残ったのはアルカトラスの刑務所でした。が、咸臨丸の乗組員のお墓があるのなら是非とも行きたかったです。Byノーシン
2005/10/6(木) 午後 9:14