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ちょっと前、24時間テレビで幕末に沈没した坂本竜馬のいろは丸からお宝をひきあげよう、というイベントがあった広島県福島市鞆の浦(とものうら)について紹介しましょう。 いろは丸は45馬力、160トンで、坂本竜馬が海援隊を結成して初仕事を達成すべく、大洲藩(おおずはん)から借りた木造船だ。 その目的は長崎から瀬戸内を通って、武器や食糧を大坂(現在の大阪)に運ぼうというものだった。 「今日をはじめと乗り出す船は稽古始(けいこはじめ)のいろは丸」
1867年、霧の鞆の浦付近を航行中、紀州藩の明光丸(150馬力、877トン)に衝突されて沈没してしまった。 次の日、鞆港で賠償交渉をしたが、結論が出ず、長崎で話し合いを継続することになった。
長崎での談判の時、紀州藩に当時の最強軍事国長州藩と竜馬の土佐藩が連合をくんで襲い掛かる・・・といううわさを流し、それを恐れた紀州藩は賠償八万三千両を払うことを約束する。 しかし、その後の値引き交渉で結局四万二千五百両が土佐藩に支払われた。
管理人は友人の軽自動車を借りて、広島を出発、東に真っ直ぐすすみ、福山から南に川沿いに進んで鞆の浦に着いた。 普段は静かな漁港だ。 ときどき、今回の24時間テレビのようなイベントで街が騒がしくなると街の人が言っていた。 さて、沈んだ船に財宝はねむっているのか? 歴史のロマンだね。 人は未確認、未確定、不明瞭な歴史の一ページに対して、無限の想像力を働かす。 これが吉と出るか、凶とでるかは現代人しだいだ。 歴史が現代人に悪用されなければ管理人はそれでよい。 さて、この町には、幕末ゆかりの地がまだある。それは次回紹介します。
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今年の5月に行ったばかりでした。静かなところですよね。私が行った時は、この展示館の前で水彩画を描いている人がいました。のどかなひとコマでしたね。
2005/10/10(月) 午後 3:29