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とある仕事の資料として、この一ヵ月間かつての自分についてつらつらと書きつづってみたい。
もはや、完全に死んでいるこのブログの新たな活用方法か。というわけで、まずいワインを飲みながら。
どこまでさかのぼって書けばいいのやら。
もしもテーマが「選択」ならば、初めての選択は高校生の時だったかなあ。
正直、高校受験までは進路に対して自分の意志はなかった。小学校の時は、姉が二人とも国立中学校に進んだこともあって、自分もなんとなく受験するんだろうなと思ってた。もちろん、小学校の時はずば抜けて頭もよかったから、そのこと自体に不安もなかったし、事実ふたをあけてみれば市内でも相当いい成績だったと思う。
小さい頃は意志がないから、親が子どもの代わりに人生を割り引く(=勉強させる)ってのは昔どこかで聞いた話だけど、そういうことをするからいつまでも意志のない子どもができるのかもしれない、というのは大学の時に思った。
最近よく思うのは、子どもは自分が思っている以上に無力で、無知だ。だから親が無理やりにでも知識を詰め込む必要もあるかもしれない。でも、自分の意志の外でやったことって自分の血肉にはなってないんだな。やれと言われてやった勉強や読めと言われて読んだ本の内容は何一つみについていない。世界史なんて高校時代ほんとに勉強しなかったけど、世界史を勉強する理由よりも、世界史を勉強することで見える世界を教えるべき何だろう。大学生になって一人でヨーロッパとか行くとほんと悔しい。ああ、自分が歴史をしっていれば。じゃあ、いまからでも勉強すればいいじゃん、って言うは易し。今考えりゃ、あんだけ時間はあったんだから、世界の歴史の一冊でもよんどきゃよかったな。僕の彼女は子どもにはいろんな国を見せたいっていつもいってるけど、そうやって一つ一つの可能性を焚きつけるのはあんがいいいのかもしれない。
社会人で成功?何をもって成功していると定義するかはおいておくとしても、は何かに突き動かされている気がする。その「つき起こす」何かってのを手に入れるのが難しい。数学の公式を覚えたり、英単語を暗記したりするのはある程度のトレーニングを積めばたやすいけれど、自らを突き動かす何かってのはある種偶然の産物でもあるのかもしれない。
じゃあ、自分を突き動かしたものが何かというと、なんだろうな。勉強しようって思ったのは、村上龍の小説かなあ。料理の本。あれはほんと名作だと思う。高校自分は、ほんと勉強もせずスポーツもせず、昼間はギターを弾いておよそ同世代は聴いていないような往年のロックを聴いて、夜になると文庫本を読みあさっていた。確か、姉きが一人暮らしして空いた部屋にころがりこんだんだ。姉きが残していった本棚には村上春樹や村上龍、文芸春秋、いろいろ本があった。そういうのをみんなが寝静まったころに読んだ。初めて自発的に本をよんだのかもしれない。いま考えれば、悩んでいたんだと思う。だれしもが、自分は人とは違うんだと思う時期があると思う。でも、何が違うのかわからず、自分で消化しきれず悩む。あるいは自分の小ささに絶望する。必死にあらがっていた自分は、思いっきり背伸びをしていたんだと思う。当時聴いていた音楽はradioheadとか、jeff beckとかそんなところだったと思う。そういうのを流しながら、ある意味救いを求めるかのごとく、ページをめくっていた。
結局答えが見つかったかどうかはわからないけど、村上龍の小説にでてくる主人公の生き方に憧れた。外国で、必ずいい女を見つけ、食事をともにし、酒をのんで、しまいには寝る。そして驚くほど眠らない。三大欲求へのパラメータの振り分け方が魅力的だった。寝る間を惜しんで、うまい飯を食べ酒を飲み、いい女を抱く。高校生の男子を虜にするには十分な設定だ。その時ふと思ったのが、どうしたらこういう生活をできるかだ。外国に頻繁に生き、その土地のうまいレストランを知り尽くす。商社だとおもった、しかも一流の。モテるためにだ。そこから逆算すると、一流と呼ばれる大学に行くしかない。それが、自分がはじめて主体的に勉強しようと思った瞬間だった。いま考えても英断だったと思う。ちょうどいま10年くらいたっただろうか。10年というスパンでみると、本当に10年前じゃ思いもしなかったような人生を歩み始めている。ケツメイシの手紙ー未来ーのフレーズを10年前はよく考えていた。10年後の俺はいまの俺をどう見ているんだろう。はっきり言おう、お前は結構よくやってたぞと。それはこれから10年走り続ける自分へのメッセージでもある。幸か不幸か、いまの会社じゃ自分の10年後がはっきり見えない。転職している可能性だって高い。一つ言えるのは、10年後の自分が誇れるような10年にしたい。
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