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★放射線汚染★に頂いたコメントに対して生まれた心の声
※はじめまして。不快でしょうが書き込みさせていただきます。あなたのお話は哲学的なものです。日々一生懸 命生きる万人には理解する必要はありません。哲学的なお話なら心配事は無くなりますし何でも好きな物を 食べられますし、好きな事もできます。実社会を混同してはいけないと思います。もっと身近な単純な問題で す。
と頂いたので 「かなり前に頂いたコメントに対してコメントを必ず返していた頃に 返信したコメントが双方コメントしていくうちに記事にたいてまったく違う方向の内容で永遠に続きそうになってしまった事があった」事から
返信をしない方向のブログで維持する事になった経緯を思い出して・・・・・・・。
返信しようか????? と ‘キー‘を叩こうとして一度やめたのですが・・・・。
やはり・・・・ 今回の記事は 人命 が係わっている記事に対しての返信内容に 違和感 を感じたので
もし、 永遠に長くなる 事があったとしても良い様に
「別な枠」として以前に儲けた ここ【 ★ 気 楽 や へ の 声 ★ 】 ちゃんと 形として残しておく事にしました。
また、 時がたって 自分の考え方も行動している事にも 変化 があるだろうし・・・
また、これが 自分の道になると信じるから♪
↓ ↓
何故 わざわざ ながなが と ↑ コメントをするのか・・・ と言うと・・・・
※ はじめまして。不快でしょうが書き込みさせていただきます とちゃんと
私に対してコメントをする事で起きるもしも・・・を考慮してコメントをしてくださっている事から
とても 「sensitive」な方だと感じたからです。
でも、
【 今回の記事は 人命 が係わっている記事に対しての返信内容に 違和感 を感じた 】
事から ちゃんと 時間をかけて考えたい(解消?したい?)と思ったので
思ったままに ‘キー‘を叩く事をお許しください♪ 誤字・脱字・内容の脱線
は いつもの事ですが ご了承ください♪ ^^;
まず、コメントを頂いて 最初に検索してみた キーワード が
★「哲学」でした。
なぜなら
※ あなたのお話は哲学的なものです。 。とコメントの内容にあり・・・・。
私って 机の上での「学業的」な事が苦手な人なので 難しい 言葉の知識がとぼしく・・・・。
どういう事なのか?どういった内容を含んだものなのだろう?と疑問に思い検索してみたのです。
◎「哲学とは」
哲学という語は、明治時代の哲学者西周(あまね)が英語のフィロソフィーphilosophyの訳語としてつくったものであるが、フィロソフィーとはもともとギリシア語のフィロソフィアーphilosophiaに由来し、フィロとは愛する、好むという意味の接頭辞、ソフィアーとは知恵という意味であり、したがってフィロソフィアーとは知を愛すること、「愛知の学」である。哲学の哲という字も賢ないし知という意味である。このように哲学とは、その字義からいっても単に知を愛する学ということであって、それだけではまだ何を研究する学問であるかはすこしも示されていない。この点に、哲学が何をする学問であるかわからないという考えが一般に流布する原因があるとともに、また哲学という学問の特質が存しているといえる。
哲学以外の学問の場合、その名前を聞いてその内容がまったくわからない学問はおそらく存しないであろう。経済学といえば経済現象について研究する学問であり、物理学といえば物理現象について研究する学問である。もとより経済現象とは何か、物理現象とは何かと問い詰めていけば、一般の人はなかなか答えられないかもしれない。しかし、とにかくわれわれは経済現象とか物理現象というものをいちおう常識的に理解しているのであり、したがって経済学とか物理学という名前によって、それが何を研究する学問かということをだいたい知りうるのである。ところが哲学の場合には、名前を聞いただけではその内容を理解することができない。このことは、きわめて注目すべきことであろう。そしてこれは、哲学という学問の対象がけっして一定していないことを示している。
[音]テツ(漢)
1 道理に明るく、知恵がある。「哲人・哲婦・哲理/英哲・明哲」 2 徳や知恵のある人。才能・識見のすぐれた人。哲人。「賢哲・十哲・西哲・聖哲・先哲」 3 「哲学」の略。「印哲・中哲」 [名のり]あき・あきら・さと・さとし・さとる・のり・よし ※[日々一生懸命生きる万人には理解する必要はありません。] と言うコメント から
私は とても つよい 違和感 を感じて・・・・いた事の なんらかの「答え」が見えた気がしました。
「人命」が係わっている事について
「理解する必要はありません」と無意識に感じたのかも・・・・ってです♪
なぜなら・・・。 その時、私の頭の中に浮かんだ言葉→「人は考える葦」なのに・・・考える・思考錯誤する事をやめたら人である価値がないのでは?と・・・・。 そこで・・・そこで・・・
↓ ↓ また、脱線して 検索してみた・・・私でした。 ^^;
◎「考える葦」
roseau pensant [フランス語] 17世紀フランスの思想家パスカルのことば。彼は代表作『パンセ』の冒頭で、「人間は自然のなかでもっとも弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。だが、それは考える葦である」と述べている。広大無辺な宇宙に比べれば、人間は無に等しく、「一茎の葦」のごとく弱く悲惨な存在にすぎないが、それは「考える葦」であり、思考によって「宇宙を包む」ことができる。ここに人間の尊厳があり、偉大さがあるという。このような偉大と悲惨、無限と無という相矛盾しあう二律背反のなかで、揺れ動く人間の存在を、パスカルは「考える葦」ということばで象徴させているのである。なお、この句は聖書の「傷ついた葦」(「イザヤ書」「マタイ伝福音(ふくいん)書」)に由来する。
↓ ↓ カテゴリーが哲学・・・って・・・これが 哲学的な訳の一因??? と少し感じた私がいたり・・・
私達、人間は・・・動物とは違い。。。私達に起きた全ての事柄について感じ・考え・考慮し・改善し・実現する力と能力を与えられた「特殊な生き物」なのだから・・・(宗教的と言われるのはなんとなく感じるのでやめようか・・・と考えたけれど・・・必要な事柄としてUPしますね・・・) なにより・・・。コメント を頂く事により 多分 記事をUPしただけであれば 検索(考えてみる事をしなかっただろう事柄を検索して新しい何かを学習したと言う事に変わりなく♪)
http://www.geocities.jp/cqkwq183/s1/blog/b-hare.gif記事にコメントをいつも頂いているみなさまには 心より感謝を最後に書かせてください。コメントを頂いても返答してませんがいろいろ何かを学ばせて頂いてます♪「感謝♪」
そして・・・ 今回、この記事をUPするきっかけを頂きました 「fum**to0」さん
ありがとうございます♪
※哲学的なお話なら心配事は無くなりますし何でも好きな物を食べられますし、好きな事もできます。実社会を混同してはいけないと思います。もっと身近な単純な問題です。
私の書いた内容 「私の想像では→【現在している生活内容・今回の記事で生まれた感情を読んで感じて下さった結果】→なんでこの(気楽や)と言う人物はくよくよ自分の事でもない事柄で悩んで日常に支障をきたす程にかんがえこんでいるのだろう・・・・と 「リラックス」してもいいんじゃない・・・と思ってコメントしてくださった。
のだと嬉っくなりました♪
〜〜追加〜〜
私は 日々起きている事柄には全て意味があり考えて行動する必要がると感じる様になりました。
十代の頃は 自分の「今」だけを考えて「やりたい事を第一に行動していました」
でも、 海外で生活して トキを過ごし・・・
「体験をして・・・考える機会も経験し・・・」いろいろ得たり失ったりしてきました・・・そして・・・していきます♪ この命が終えるまで・・・・^^
その中で 「自分のできる事」は「自分の生きる意味」な気がしているので・・・ 苦悩・痛みなども 必要 なので
どうか・・・・ 必要ない とは 今回の様な内容でできるだけ感じてほしくないな・・と思った事をお伝えしますね。
人って 「楽しい事」「奇麗な風景」を見ても 「痛みを感じる程の心の傷」を受けるトキもあります。
でも、 その「経験」は 未来・将来 を 大きく前進していく「鍵」なのです。
よろこんで 受け入れようよ♪ までは 経験した人間としては言えません。
でも・・・・。
現実は変わらないのであれば
そんな事からも 何かを得る方向を考えたいですよね♪
そして・・・ あって 欲しくありませんが・・・
再び 自然災害がこの国で起きたトキ・・・・
「どうしたらよいのかわからない」
「国に責任を押し付けるだけの人」「他人の助けをうけなければいきれない人」にならない方法を今の事柄から学びたいですね。
神戸の災害の時に13歳以下であった人達は別として・・・・
それ以上の年齢の「大人」が 3度目 の 災害時 に 何が起きているのか・・・・ と
「思考が停止」する事があるのは・・・・悲しい時をすごしてしまった事を後悔する事にならないでもらいたい・・
と思い・・・自分もできるかぎり想定・準備はしておこうと再度確信しました。
なぜ・私の頭の中に 「3度目のしょうじき」という キーワード が浮かんだのか・・・・
あまり 良い感覚を受けないまま・・・天災は待ってくれないのは事実ですから 準備しておこうと思いました。
でも、今は現在、現実に災害の最中にある方々に影響を及ぼすほどの
「自己防衛のみに集中して行動するのは一番恥じるべき行動」だと 学んでもらえると一方でおもったり・・・
複雑ですね。
◎今回、第三者の人々から 「神戸震災」と比較して「現在の対策について批判している方達」がおられますが・・・ そのコメントをしている人々は「避難先の人々の労力以上に現実的な行動をしてからの発言なのか?」疑問に思う事が多すぎて・・・・なんとなく現代のへんなゆがみを強く感じました。
今回の災害は 「規模の違い」「条件の多さの違い」=「津波災害」と「被ばく者対策」と複数の対策が同時にされなければいけない状況である・・・・・・。
私個人としては 数か月たっても なんの変化・対策に効果がみられない場合に「現地の現状」から
「改善策」について 討論 する必要はあると思いますが・・・・
批判する人間に対して費やす時間と費用の方がどれだけ 不要なものか・・・と 最後のあいさつを書いたあとに
なんとなく・・・・ 湧いてきたので 書いちゃいます。
◎なんども いいわけしますが・・・・
私は いつも、 書いた内容をよみかえさないで おもいついたまま 書いてます・・・・。
内容がとんだり・脱線したりして 本当にごめんなさいね ^^
東京などの 都市 では 「現代人」=人とのコミニュケーションを取るのが苦手 な人が多く
今回の災害よりも 小さい規模であっても まとまりのない 「混乱」が起きると強く感じます。
だから・・・・
数か月後(その間になにもどこでも起きないとして・・・)
国税調査と同様に全国規模で 災害時の ★個人の意思の確認★各自の行動の指示★を明確にしておく
必要があると強く感じました。
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