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漢字の伝来はいつころなんでしょうか?古事記・日本書記には応神時代と書かれていたり,古墳の中から木片が見つかったりで4世紀くらいかなと習ってきました。しかし「漢委奴国王金印」と彫ってある金印を後漢の光武帝からもらったこの王は字が読めたはず。いやこの印を下さいという手紙を書いたかもしれません。すると紀元前後には伝来していたとも考えられます。漢字を伝えたのは当然高学識者でしょう。中国からの難民・亡命者・逃亡者?除福さんが候補にあがってきます。始皇帝の圧政から逃亡してわが国へ来たとすればBC220年ころ。その他にも政争に嫌気がさして蓬莱国を目指して漂着した人はたくさんいるかもしれません。 |
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聖徳太子はわが国初めての哲学者思想家といえるでしょう。古代日本人は文字を習ったのはそれより何百年も前のはずだが、彼になってやっと自前の考えを書き表すことができたのでしょう。仏教伝来は文字・絵画・建築など多数の文化の副産物をもたらします。単に仏像、お経だけではないのです。文字だけなら多分ヒミコも読めたと思います。魏の皇帝から文書をもらっているのだから。 |
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京都東山に花山星空ネットワークが発足しました。詳しくは http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/hosizora/ |
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「バイユーのタペストリ」という有名な壁掛の刺繍があります。そこには彗星出現に恐れおののくイングランド王のハロルドの姿が描かれています。これは1066年のハレー彗星です。http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/bayeux.html |
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「和をもって貴しとし・・」で始まる17条の憲法は第3条までが総論で第4条から第16条までには役人豪族の心得が示されています。ところが,第17条は「それ事はひとり断(さだ)むべからず・・・」となって実は第1条の内容の繰り返しです。聖徳太子は同じことを最後に再び言っているのはなぜでしょうか? |



