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今日は良いお天気の中、今年度最後の子育ての学びがありました。
学びには8名の方がいらっしゃいました。
今日の賛美 今日は奏楽をH姉にしていただきました。
ピアノを弾ける方が2名もいらっしゃるのは感謝です!
「君は愛されるため生まれた」と、
卒園する方への思いを込めて「歩こうイエスの道を」を賛美しました。
とはいえ、今回卒園生のママはお子さんがインフルエンザでお休みでとても残念でした。
「歩こうイエスの道を」ノア作詞
喜びほほえんで
救いの喜びを
世界に伝えよう
歩こうイエスの道を
つまずき倒れても
ともしび吹き消さずに
空高く燃えよう
ある時は ひとりで
ある時はふたりで
どんなに長い坂も
越えられる
歩こうイエスの道を
喜びほほえんで
救いの喜びを
世界に伝えよう
朗読 お祈りのあと、朗読がありました。
「大切なものはわずかです〜ローラ・インガルス29の知恵〜」
(いのちのことば社/ローラ・インガルス・ワイルダー著)より
「両親の教えは羅針盤の針」
「子どもの頃の両親の教えは、いつまでも残っている。生まれ育った家庭の影響というものは大きい」というお話でした。
しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。…彼女は力と気品を身に付け、ほほえみながら後の日を待つ。彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には恵みのおしえがある。彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている」と。麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえる。 箴言31章10〜30節
<2014年度の学び> 今年度最後の学びは、1年の復習です。以下のような感じで、学んできました。
過去のブログをご覧ください!
5/7 Lesson1子どもの価値
子どもはそれぞれ、ユニークで(かけがえのない)特別な存在です。
6/11 Lesson2子どもを尊敬する
子どもは人間として尊敬されるに値する存在です。
7/9 スペシャルティーパーティー
U姉のお証し
9/10 Lesson3 しつけの重要性 〜基本的な原則〜
愛に基づいて子どもをしつけるとき、子どもは従順と尊敬を学びます。
10/4 Lesson4 しつけの重要性 〜効果的な方法〜
効果的なしつけの方法は、子どもの年齢や個性、子どもを取り巻く環境などによって
変化します。
11/12 バーバラさんを迎えて 神様の愛について
12/3 クリスマス会 T姉のお証し&U姉のフルート演奏
1/14 Lesson5 怒りへの対処
子どもの本当の必要に目を向け、日常生活のよくない影響をコントロールすると、激しく怒って反応する頻度を減らすことができます。
子育ては日々悩みながらですが、こうやって指針があるというのは大きなことですよね。
私もこの学びをしていたお陰で、少しは成長できたかな....と思います。
子育ては親が育つということでもありますよね。
テキストを読むだけでもいいのだけれど、
みなさんで話しながらだと、そういうお話を聞くことができ学ばされることが多いです。
感謝だなと思います。
子育ての学びを通して、みことばがしみ込むように!と思っています
みことば
<Lesson1のみことば>
「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」エレミヤ書1:5
見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。
壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ。矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。彼は門で敵と物言うとき恥じることはない。 詩篇127:3-5
<Lesson2のみことば>
あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。 マタイによる福音書18:10
わが子よ、あなたの父の戒めを守り、あなたの母の教を捨てるな。つねに、これをあなたの心に結び、あなたの首のまわりにつけよ。これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを守り、あなたが目ざめるとき、あなたと語る。 箴言6:20〜22
<Lesson3のみことば>
また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。ヘブル12:5−6
すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
ヘブル12:11
<Lesson4のみことば>
むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。
箴言29:15
愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。
箴言22:15
<Lesson5のみことば>
「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。」エペソ人への手紙4:26
「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。」
第一コリント13:4-5
「柔かい答は憤りをとどめ、激しい言葉は怒りをひきおこす。」箴言15:1
お別れ会 今日は、この会を立ち上げてくださった方おふたりのお別れ会をしました。
幼稚園の保護者でしたが、卒園してから7年もずっと会をリードしてくださいました。
お別れ会には15名もの方がいらっしゃいました。
あと6名来るはずだったのですが、お子さんのクラスが学級閉鎖になったり、
いつもは来られるのに今日だけ来られなかった方も多数,,,,それはとても残念でしたが、
7年前の立ち上げ時のメンバーなど、多くの方に集まっていただき、
私も嬉しく感謝でした。
プレゼントとして、今まで会に来てくださった方からのメッセージを集め、過去の写真と
ともにアルバムに貼り、お渡ししました。
書いてくださったみなさま、ご協力本当にありがとうございました!
あとはロクシタンのハンドクリームと花束
そして、来てくださった方からおふたりへメッセージを...。
みなさんの「送ることば」を聞いていて、
7年間一緒にやってきて、つらいことなんてひとつもなく、とても楽しく過ごしていたのだけれど、
やっぱり私は泣いちゃいましたね....
おふたりからもメッセージをいただき、
ほめられる様なことなんてしてないのに、こんなにみんなに良くしていただいて...
と感激しきりで涙涙のE姉。
子育ての会を通して神様を知って欲しいという思いでいて、
自分の教会でもずっと祈ってもらっていたというR姉。
教会は世界中どこにでもあるので、いつか思い出したら近くの教会に行ってください!と、
お話してくださいました。
おふたりには、ここには書ききれない感謝がいっぱいです
言葉にできない思いがたくさんあります....。
思えば、いろいろなお母様方がいらして、
その中でもクリスチャンのお母様には助けていただきました。
このために、予定を合わせて来てくださった方で
幼稚園のほかの活動で長い間伝道してくださっていた方がいらっしゃいましたが、
サポートもできずに感謝もせずに来てしまったなあと、反省しきり...。
ほんとうにどうもありがとうございます。
でも、そのような活動とその裏にあるお祈りのお陰で、お母様方が少しずつ神様を受け入れて
くださっていることを見るのは、嬉しいです。主はすばらしいです!
これからも、祈りとともに活動していきたいと思っています。
ぜひ、いらしてくださいね。
最後に...
今年度は、
小さい子連れのお母様にゆっくり学びをしていただくために、
教会の婦人部の方々に託児をお願いしていました。
そのお陰で、教会員と幼稚園のお母様とが顔見知りになることができ、
交流することができたことは、本当に嬉しかったです!
私がずっと思っていたことは、これでした。
その形を見ることができたこと、本当に感謝しております。
また来年度も、そのように交流し、深めていけたらなと思っております。
婦人部の方々もほんとうにありがとうございました。
また来年度、お会いしましょう
1年間ありがとうございました
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こんにちは。寒い日が続いていますね。
今年最初の学びは、11名が集まりました。
感謝です
今日の賛美 今日の賛美は聖歌229番「おどろくばかりの」と「君は愛されるため生まれた」でした。
「おどろくばかりの」は、「Amazing Grace」として有名な歌の日本語バージョンです。
とても味わいのある歌ですね。
全世界でこの歌がよく歌われているわけもわかりますね。
『おどろくばかりの』
おどろくばかりの
めぐみなりき
この身のけがれを
知れるわれに
めぐみはわが身の
おそれを消し
まかする心を
おこさせたり
危険をもわなをも
避けえたるは
めぐみのみわざと
言うほかなし
御国(みくに)につく朝
いよよ高く
めぐみのみ神を
たたえまつらん 朗読お祈りのあと、朗読がありました。
「大切なものはわずかです〜ローラ・インガルス29の知恵〜」
(いのちのことば社/ローラ・インガルス・ワイルダー著)より
年初めは、今年の目標を決心したりする時期ですよね。
そんなことを念頭に、『人生からガラクタを取り除く』という箇所をE姉が選び、読んでくださいました。
賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。エペソ人への手紙5:15 今すべきこと、山のようにあるように思えるでしょうが、
それが本当に「今、やるべきこと」なのか、きちんと吟味していくことが大切。
ガラクタに時間を割いていることもあるかもしれません。
....そんなお話でした。
「賢い人のように歩む」とは、ひときわ心に留めたい言葉だなと思いました。Lesson5★ 怒りへの対処私たち親は、子どもに「愛、子どもへの心配り、コミュニケーション、安心感、安全、信頼、などの目に見えない子どもの深い必要を満たすために出来る限りのこともすべきです」
⇒(でも)子どもの必要を見極めるために、時間をとったり努力を怠ってしまう。
⇒(それなのに)親の考え通りに行動をとってもらおうとする。
結果....
子ども⇒満たされない⇒言うことを聞かない
親⇒イライラ⇒怒る
↓
悪循環
それは、自分が「怒ったときにどう反応しているのか」を知るためにです。
すると...怒りの原因は、自分本位であることが多いことに気付くのです。
イラッとしたときに、すぐに反応してしまい、
テキストにあるように反応する前に「立ち止まって考える」ことは難しいのですが、
それをやることが大切なのですね。
なかなか難しいけれど、この学びを通して「心掛ける」ことができることは感謝です。
ガーっと怒ることで、ストレスを発散しているように見えますが、
実は怒ることってかなりのストレスで、疲れることなんですよね。
1日怒らなかった日ってあまりないとは思いますが、
そういう日は「なんて穏やかな日だ」と思うことでしょう。
怒りをコントロールするということは、とても大切なことなんですね。
断捨離がしたい!なんて話が出たり、教育の話をしたり、グループによっていろいろでした。
子育ての学びは、グループにわかれて話をするのですが、
少ない人数の中だと話しやすく、お互いに悩みやいろいろな出来事を話していくうちに、
心が整理されて、癒されていく感覚がありますね....と、E姉。
話を聞いてもらうだけで、カウンセリングを受けているような気持ちになります。
また、この学びをした日だけ、もしくは数日間は子どもに優しくなれるから、良かった...
という方もいらっしゃいます。これは、私も強く感じていますが(笑)
子育ての話だけでなく、情報交換や学年を超えたママたちとの交流の場として、
楽しく活動していますので、ぜひ気軽に遊びにいらしてくださいね
Lesson5のみことば
「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。」 エペソ人への手紙4:26
「怒る人は争いを起し、憤る人は多くの罪を犯す。」箴言29:22
「愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。」
ヤコブへの手紙1:19-20
「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。」
第一コリント13:4-5
「柔かい答は憤りをとどめ、激しい言葉は怒りをひきおこす。」箴言15:1
次回の学びは、2月4日(水)9時半〜11時半までです。
今学期最後の学びです。
1年間、どんな学びをしたかを振り返ってみたいと思っています。
そして、長い間関わってくださったスタッフの方のお別れ会も行いたいと
思います。みなさんと楽しく交流して、会を終えたいと思います。
ぜひ、いらしてください
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気持ちのよいお天気
みんなで15名の参加でした。感謝です。
聖書の会、子育ての学びのクリスマス会も、恒例となってきました。
子ども達もクリスマス会をしますから、お母様たちもね
クリスマスソングをみんなで歌いました
奏楽はU姉でした。ありがとうございます!
『神の御子は』『かいばのおけに』
『メリーメリークリスマス』
(これはM先生のオリジナルソング!お風呂から上がった時にメロディが浮かんだとか
を賛美しました。
そして、これも毎年恒例なのですが、クリスチャンの方にお証をお願いしています。
お証(おあかし、と読みます)というのは、どのようにしてイエスさまを信じたのか、
信じてどう変わったか...など、イエスさまと自分のことを話すことです。
人それぞれ、出会い方は違います。
今回は、今年3月お子さんが幼稚園を卒園されたN姉にお願いしました
イエスさまとどのように出会ったのか、子育てのこと、お子さんとイエスさまの関係などを
話してくださり、とても素敵なお証でした。
みなさんがこの教会付属の幼稚園に来られたということの意味は、
神様の導き、ご計画があるということを力強くおっしゃっていました。
そのことを意識するかしないか...でも、大きな違いがあると思います。
お証を聞くという機会は、普段なかなかない機会だと思いますので、
大切に機会を設けています。
N姉には1週間前に突然お願いしたにも関わらず
(かなり前から計画を練りずっと温めていたのですが、本人に伝えたのが遅かったのです...)
きちんと幼稚園のお母様方向けのお証をしてくださいました。
素晴らしいお証をありがとうございました
『 きよしこの夜』の賛美のあと、M先生のメッセージがありました。
幼稚園では、聖誕劇といって、イエスさまが生まれるまでのお話を劇にして園児たちが
演じます。
その場面の写真とともに、「聖誕劇が伝えるもの」と題して、
クリスマスメッセージをしてくださいました。
M先生、ありがとうございました
そして、奏楽をしてくださっているU姉のフルート演奏です!
演奏をしてくださる...というか、フルートが吹けるということを教えてくださったのが、
1週間前
久し振りだけど吹けるかな?とそれから猛練習をしてくださって、この日を迎えてくださいました。
「さやかに星はきらめき」を演奏してくださいました。
久し振りとは思えない腕前でした!
フルートの音色は、この曲のイメージととてもあっていて心地よく、
クリスマスの素敵な雰囲気を演出してくださいました。
U姉、ありがとうございました
参考までに、「さやかに星はきらめき」の歌詞を少し紹介します。
さやかに星はきらめき、
み子イエス生まれたもう。
長くもやみ路をたどり
メシヤを待てる民に、
あたらしき朝はきたり
さかえある日はのぼる。
いざ聞け、み使いうたう
たえなる天(あま)つみ歌を、
めでたし、きよしこよい。 最後にみんなで立って『諸人こぞりて』を歌いました
歌が終わったあとにM先生が「クリスマスおめでとう!」と突然こぶしを振り上げたので、
みんな「え、私たちも一緒にやるの?やらないの?」という感じで、微妙な笑いが...
賛美、お証し、メッセージ、フルート演奏と盛りだくさんの第一部の終了です
さて、第二部はお食事とみなさんとの交流の場、お楽しみ会です
みなさんに一品持ってきていただき、お昼をいただきながら楽しみました。
今年は恒例のチヂミはできませんでしたが、みなさんの手料理などをおいしくいただきました。
お忙しいなか、買ってきてくださったり、作ってきてくださったり、ありがとうございます。
これはどこで買ったの? どうやって作ったの? と、話が弾みますね!
今年から、託児を教会の方にお願いしていますので、幼稚園のお母様と
教会の方と顔を合わせることもでき、また夏のティーパーティーでもそうでしたが、
クリスマス会でも一緒にお食事をする機会が設けられ、感謝しております。
いつも明るく司会をしてくださるE姉が二部の司会を引き受けてくださいました。感謝です! お食事の中で、「感謝だったこと」と題して、今年感謝だったことを
みなさんに話していただきました。
普段感謝なことを意識をすることはないかもしれませんが、年末ですし、今年を振り返る意味でも、
いいのでは?ということで、U姉が提案してくださいました。ありがとうございます
みなさんにひとことずつ話していただき、それぞれ「感謝なこと」があり、良かったなと思います。
最後にいつもはビンゴなのですが、時間がかかるので、今年はくじ引きをやりました。
数字の書いてある紙を引いていただき、1番の人から順番に好きなものを取っていただきました。
みなさん、何が当ったのかしら?
「キリスト教ははじめての方に」などの信仰書や来年のカレンダー、星野富弘さんの絵はがき、
みことば入りのしおり....などなど、
今日はお風邪でお休みだったR姉と一緒に、オアシス新宿店にて購入してきたものです。
ぜひ、ご活用くださいね!!
食事を入れて3時間くらいの集まりでしたが、あっという間にお開きです。
13時に在園児のママさんは帰らないといけないので、
卒園生のママさんと教会の方が後片付けをしてくださいました。
ありがとうございました。
祝福のうちに終わったクリスマス会でした。
今年来られなかった方も、また来年、ぜひいらしてください。
お待ちしています
今年も集まりに来てくださり、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
良いクリスマスをお過ごしくださいませ
1月21日9時半から聖書の会「良い地に落ちた種」です。
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今日は冷たい雨の一日でしたね
5名の参加でした。感謝です。
聖書を読もう 今日の聖書を読もうはマルコによる福音書14章43〜72節です。
14:43そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二弟子のひとりのユダが進みよってきた。また祭司長、律法学者、長老たちから送られた群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。 14:44イエスを裏切る者は、あらかじめ彼らに合図をしておいた、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえて、まちがいなく引ひっぱって行け」。 14:45彼は来るとすぐ、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。 14:46人々はイエスに手をかけてつかまえた。 14:47すると、イエスのそばに立っていた者のひとりが、剣を抜いて大祭司の僕に切りかかり、その片耳を切り落した。 14:48イエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。 14:49わたしは毎日あなたがたと一緒に宮にいて教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。しかし聖書の言葉は成就されねばならない」。 14:50弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。
14:51ときに、ある若者が身に亜麻布をまとって、イエスのあとについて行ったが、人々が彼をつかまえようとしたので、 14:52その亜麻布を捨てて、裸で逃げて行った。
14:53それから、イエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな集まってきた。 14:54ペテロは遠くからイエスについて行って、大祭司の中庭まではいり込み、その下役どもにまじってすわり、火にあたっていた。
14:55さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするために、イエスに不利な証拠を見つけようとしたが、得られなかった。 14:56多くの者がイエスに対して偽証を立てたが、その証言が合わなかったからである。 14:57ついに、ある人々が立ちあがり、イエスに対して偽証を立てて言った、 14:58「わたしたちはこの人が『わたしは手で造ったこの神殿を打ちこわし、三日の後に手で造られない別の神殿を建てるのだ』と言うのを聞きました」。 14:59しかし、このような証言も互に合わなかった。 14:60そこで大祭司が立ちあがって、まん中に進み、イエスに聞きただして言った、「何も答えないのか。これらの人々があなたに対して不利な証言を申し立てているが、どうなのか」。 14:61しかし、イエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。大祭司は再び聞きただして言った、「あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか」。 14:62イエスは言われた、「わたしがそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。 14:63すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「どうして、これ以上、証人の必要があろう。 14:64あなたがたはこのけがし言を聞いた。あなたがたの意見はどうか」。すると、彼らは皆、イエスを死に当るものと断定した。 14:65そして、ある者はイエスにつばきをかけ、目隠しをし、こぶしでたたいて、「言いあててみよ」と言いはじめた。また下役どもはイエスを引きとって、手のひらでたたいた。
14:66ペテロは下で中庭にいたが、大祭司の女中のひとりがきて、 14:67ペテロが火にあたっているのを見ると、彼を見つめて、「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と言った。 14:68するとペテロはそれを打ち消して、「わたしは知らない。あなたの言うことがなんの事か、わからない」と言って、庭口の方に出て行った。 14:69ところが、先の女中が彼を見て、そばに立っていた人々に、またもや「この人はあの仲間のひとりです」と言いだした。 14:70ペテロは再びそれを打ち消した。しばらくして、そばに立っていた人たちがまたペテロに言った、「確かにあなたは彼らの仲間だ。あなたもガリラヤ人だから」。 14:71しかし、彼は、「あなたがたの話しているその人のことは何も知らない」と言い張って、激しく誓いはじめた。 14:72するとすぐ、にわとりが二度目に鳴いた。ペテロは、「にわとりが二度鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、そして思いかえして泣きつづけた。
14章43〜52節は、イエスさまが捕らえられる場面
14章53〜 65節は、裁判の場面
14章65〜72節は、裏切りの場面
....と、短い間に場面が目まぐるしく変わります。
その前の節を見ていただきたいのですが、過越の祭りのにぎやかな場面から一転します。
ユダに悔い改めの機会を与えていたのですが、それは結局無駄に終わりました。
ユダは、弟子として尊敬を表す方法(接吻)で、イエスさまを裏切るのです(44節)。
49節では、イエスに毎日会っていたのにその間に捕まえずに(捕まえるチャンスはいくらでもあったのに)、今この時にそのような事になるのは、聖書の言葉が成就されるためですと言っています。
神の計画の偉大さがわかります。
ここで言っている「聖書の言葉」とは、イザヤ書の53章のことです。
イエスさまが十字架にかかられることが書いてあり、
「十字架の預言が成就されるのだ」とイエスさまはおっしゃっているのです。
1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。
2 彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれていく羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。
10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
12 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
14章51節は、少し唐突に「ある若者」が出てきます。
ここはこれを書いたマルコ自身なのではないかと言われています。
捕らえられたあの場面は恐ろしかったということを、身をもって体験したから、
ここに登場させているのではないでしょうか。
マルコ自身も逃げてしまったことを後悔して、自戒として書いたのかもしれませんね。
60節には、カヤパという大祭司が出てきます。イエスさまに罪があったからではなく、
罪を見つけて十字架にかけようとしていました 結局は「神を冒涜した」ということにしました。
ここでイエスさまは
「あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか」と聞かれたときに、
「はい、キリストです」とはお答えになっていません。
「わたしがそれである。」という答え方をしています。
この頃は、「救い主キリスト」というのは、「国家を救うメシア(救世主)」という意味でした。
国民が望んでいたような形ではなかったので、そのような言い方をしたそうです。
14章66節からは、ペテロの否認と言われているとことです。
14章30節でイエスさまにペテロは「3回私を知らないと言う」言われていました。
ルカによる福音書(22:60〜61)では、
ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。
と、イエスさまの様子が書かれています。
弟子でもこのようにイエスさまを否定する場面がありました。
それを鶏が鳴くという合図によって、気付かせてくださいました。
でも、イエスさまとの関係は離れないのです。
今日はここまでです。M先生ありがとうございました。
今日の賛美は「主われを愛す」の英語バージョン!
日本語番は4番までなのですが、
英語は7番まであります。
こちらに紹介しています
M先生のメッセージ「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」(マタイ6:12)…イエスさまが教えてくださった、主の祈りの一節です。子どもたちも、「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。」とおぼえてお祈りしています。「負いめ」とは、罪を表すアラム語の慣用的な表現で、罪を借金になぞらえています。返さなければならないと思い、良い事をしようとしても、それ以上に悪い事をしてしまう私たちは、いつになっても返さない借金を神に対して負っているような者です。生命をはじめ多くのものを神から任されているのに、自分勝手に使ってしまい、負い目を返せないのです。残る道はただひとつ、負い目を赦していただくしかないのです。
「ゆるさない負債者」マタイによる福音書18:22〜35
18:22イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。 18:23それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。 18:24決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。 18:25しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。 18:26そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。 18:27僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。 18:28その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。 18:29そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。 18:30しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。 18:31その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。 18:32そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。 18:33わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。 18:34そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。 18:35あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。 ◆イエスは、赦しを求めてくるたびに、何度でも赦しなさいという。22節
18:21
そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。
そのころは3回は...という決まりがあったので、
ペテロは7は完全数だし...ということで聞いています。
でも、イエスさまのお答えは七たびを七十倍。490回というわけではなく
完全にゆるしなさいということなのです。
◆王は、人と清算(帳じりを合わせる)したいと思った。23節
神は、人の借金を清算したいと思っています。
したいならすれば?という態度なのではなく、「したい」と思ってくださっています。
◆1万タラントは、通貨の中の最高の単位。24節
1万タラント=20万年分の給料!
日本語で言うと何兆円とか、とにかく大きいお金です。
一生かかっても返せるわけのないお金です。
◆貸し手は、借り手の家族を借金が返済されるまで働かせることができた。25節
◆「…そうすれば全部お払いいたします」、借り手は現実が見えていない。26節
一生かかっても返せるわけのないお金なのに、そんなこと言ったりして、
借り手は借金の多さが目に見えていません。
しかし、主人は借金の多さをわかっていました。
◆かわいそうに思って…とは、「はらわた・する」という意味。目の前の人間の苦しみを見たときに、こちらの「はらわた」も痛んでくる、「はらわた」が揺さぶられる、そういう「共感」を表すことば。27節
(愛とは、相手の痛みを痛みとして感じる共感であり、そこから生じる行為。)
「はらわた・する」というのはわかりにくいのですが、
「はらわた」が動詞になるくらいの言葉なのだそうです。
そこまで共感してくれた...ということなのです。
◆ゆるさない負債者は、懇願する仲間を「承知せず」とし、共感しなかった。30
28節の100デナリというのは、4ヶ月分の給料ということです。
人に対する負債はそのくらいという意味もあります。
しかし、神に対する負債は20万年分。
神のそのゆるしに対して、この負債者は...。
王の赦しの理由は、ただ「はらわた・する」ということのみ。 「はらわた・する」=共感する→神はゆるしてくださる方。ゆるしの信仰である。
借金を返す能力があるかないかではないのです。
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罪というのは、私たちにはわかりにくいのですが、わかりやすい例として、
灰谷健次郎『せんせいけらいになれ』より「チューインガム一つ」という、
小学3年生の書いた詩を紹介してくださいました。
お店のガムを1年生の子とふたりで万引きした子の悪いという気持ち、
後悔している気持ち、どうしようもない罪の意識が描かれている詩です。
ここでは紹介しませんが、ぜひ図書館などでご覧ください。
「ドロボーをする心」それは他人がどう見ようと、自分がどんなにごまかそうと思っても、なくならない自分自身の姿です。罪の問題とはいうのは、単に悪い行為だけの問題でなく、その行為をとおして自分自身の醜い部分が外にあらわれ、それと向き合ってしまう事ではないでしょうか。
イエス・キリストは、罪と悪の中で圧迫され、がんじがらめになっている人間のために、赦しによる救い(罪からの解放)を与えるため、来られたのです。
だから、クリスマスを心から喜ぶのです。
M先生、メッセージをありがとうございました。
オススメの本 幼稚園の2階の本棚にある本は、お母様方も借りることができます。
貸し出しノートがあるので、記入例に沿って書いて、借りてくださいね。
新しく入った本を紹介します。
「心のふれあう家庭生活」(シリーズ・女性の生き方)唄野絢子著/いのちのことば社
「アクラとプリスキラ」のように家庭が伝道の場となり、祝福が外へ外へと広がっていく……。この家庭の祝福はどこから。救い、夫との出会い、そして日々夫とのコミュニケーションし、心の奥深いところで受け入れ合う全人格的結婚を今日もめざし続ける著者のあかしとエッセイ。(紹介文より)
「子どもたちに寄り添う」坪井節子著/いのちのことば社
いじめ、体罰、家庭での虐待。子どもたちを傷つける社会で、大人たちがすべきことは何か。日本で初めての子どもたちのためのシェルター(緊急避難場所)を作ったお母さん弁護士が、カリヨンで出会った子どもたちから教えられたことを語る。(紹介文より)
「いま子育てに必要なこと」金子 耕弐著/中西出版
あなたが、ご自分の子どもを大切に思うなら、
1.愛情を正しく示すこと、
2.時間をかけて関わり、感動を共有しながら豊かな親子関係を築くこと、
3.尊敬と信頼を寄せられる親の権威をしっかりと確立すること、
この3つの柱を常にバランスよく保つことを忘れないでください。親と子どもの関係は、子どもが3人いれば親と上の子との関係、真ん中の子との関係、そして下の子との関係の3通りがあって、どの関係も同じではありません。どの子に対しても同じ接し方をすれば、うまくいくということはありません。一人一人の子どもとよく関わりをもち、その子の個性や才能を見極め、それを引き出し、励ましたり時には叱ったりしながら育てていくのです。子育てには決められたマニュアルなどありませんが、私が本書で書いてきた3つの大切な柱はどんな子どもにも適用されるべきなのです。この3つの柱をバランスよく子育ての中に取り入れてください。 (紹介文より)
※金子 耕弐さんはバーバラさんのテキストの発行元、ファミリーフォーラムジャパンの副代表の方です。
たくさんの本がありますので、ぜひご利用ください。
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みなさん、こんにちは
今日は毎年恒例のバーバラさんの講演会の日でした!
13名の方がいらっしゃいました。
バーバラさんとは...。
子育ての学びのテキスト「見つけた子育てのよろこび」」の著者のバーバラ・バウマンさんです。
お迎えするのは、今年で4回目になります!
今年は、講演会といっても車座になり、お話を伺う形にしました。
バーバラさんは、一方的にお話されるよりも、
「どう思いますか?」と私たちに質問し、それについて私たちが考え、答えることが大切だと
お考えです。
というのは、自分からきちんと思ったことを話すことで、
そのことについてきちんと考えることができるからです
今日の講演の模様は、後日、紙面にてお伝えします!
お待ちください
次回は12月3日の聖書の会と子育ての学びの合同クリスマスパーティーです
ビンゴの景品も用意しました
ぜひぜひいらしてください
お時間など詳しいことは、またご連絡いたします!
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