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しばらく、以下のサイトに沿った画像をアップしていきたい。
『ヴィーナス変貌』http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/Matriachy_Myth_Hyuga_Transformation_Venus.htm
「『ヴィーナス変貌』 日向あき子(白水社, 1982年)
ヴィレンドルフのヴィーナス像
BC 15000年前 多産生殖を祈願する呪物
←中央集権国家を正統化するための神話編纂によって、口承がゆがめられ、女性の地位がさがる。
本来は、宇宙の精霊と女性が交わることによって受胎する。17
だから女性の性器が強調されている。
男性土偶は存在しない。19」
関連読み物として、適宜、永井俊哉ドットコム論文編 から、引用を加えていきたい。
(男社会はいかにして成立したのか http://www.nagaitosiya.com/a/bachofen.html )
「男社会はいかにして成立したのか
人間の社会においては、有史以来、男が女よりも主導的な働きをしてきたというのが常識である。現代でも、建前はともかく、相変わらず男社会が続いている。女性が要職に就くたびに、「これからは女の時代だ」とマスコミが騒ぐのは、逆に、女性が依然として低く見られている証拠である。しかし、人類の歴史全体を通して、常に男尊女卑であったわけではない。有史以前は、むしろ女尊男卑の時代だった。
1. 前文明社会は母権的である
有史以前が女尊男卑の時代だったことを最初に指摘したのは、スイスの法学者・バッハオーフェンである。バッハオーフェンは、1861年に出版した『母権論』で、ギリシャを中心に、エジプトやインドなどの古代の神話やその他の史料の分析を通して、有史以前に、女性支配(Gynaikokratie)の時代があったという仮説を発表した。
有史以前の人々は、大地に雨を降らせて作物を育くむ天を、女陰に精子を降らせて子供を育くむ父として表象した[e]。だが、彼らが、豊穣を願って崇拝したのは、父なる天空ではなくて母なる大地であった。男根期以前の幼児が、もっぱら母親にしか関心を向けないように、幼年期の人類は、もっぱら母なる大地にしか関心を向けていなかった。
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もちろん、母系社会と母権社会は、概念的に同じではない。しかし、今でも世界の辺境に、生きた化石のように残存している未開民族たちの母系社会は、多くの場合、女尊男卑の母権社会である。そこでは、文明社会でなら、男がする役割を女がしている。最も男性的な職業と思われている兵隊ですら、女性の職業である場合もある。例えば、アフリカのデホミ族においては、戦争は女の役割である。彼女たちは一般にきわめて勇敢で、臆病な女兵士は「おまえは男だ」と罵られ、姉妹によって処罰される。臆病者のことを「女々しい」と形容する男社会とは対照的である。
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古代ギリシャでは、アマゾンの女戦士の伝説が有名である。ディオドロスによると、小アジアのアマゾン女族の女王は、
法律を定め、女たちには従軍させ、男たちには卑しい奴隷の仕事を課した。男児が生まれると、脚と腕を不自由にして、戦えなくし、これに対して女児は右の胸を焼かれて、大きくなったときに戦場で[右の乳房が弓を引く上で]邪魔にならないようにした。それゆえ、この民族はアマゾン[乳房がないもの]と呼ばれるようになった。
[ディオドロス:神代地誌]
このディオドロスの話は到底史実とは思えない。右利きの女性の体験談によると、弓を射る上で邪魔になるのは、むしろ左の乳房の方なのだそうだ。戦う上で、右の乳房をつぶす必要はないし、実際、ギリシャで描かれるアマゾン女戦士の像には、乳房は二つともある。また、言語学者によれば、《アマゾン=ア+マゾン=乳房がないもの》というギリシャ人による通俗的解釈は誤りである。「アマゾン」の語源に関しては、まだ定説はないが、「月の女神の子供」を意味する 古代ペルシアで使われていたサンスクリット語の“uma soona”に由来するのではないかという説がある[s]。
[s]「月に代わってお仕置きよ!」のせりふで有名な美少女戦士セーラームーンも、アマゾン女戦士をモデルにしていると考えることができる。
では、アマゾン女戦士の伝説は、マゾ趣味の男の妄想から生まれた、たんなる虚構なのだろうか。そうではない。考古学的発掘は、当時アマゾン海と呼ばれていた黒海沿岸にアマゾン女戦士がいたことを示している。この地域の女性の墓は武器を副葬品としている。頭蓋骨に鏃が突き刺さったまま、埋葬されている遺体もあった。坐骨の形状から、恒常的に馬に乗っていたと推測されている。
黒海沿岸での女性支配は、その後も長く続いたようで、7世紀になると、この話は中国の文献にも登場する。『唐書』によれば、カスピ海近くに女性支配の国があっただけでなく、チベットにも女尊男卑の国があったとのことである。『唐書』は、両者を区別するために、前者を西女国、後者を東女国と呼んでいる。
中国は有史以来、男尊女卑の国となったが、5000年前の長江文明では、女性墓に副葬品が多く、女性上位の社会であったと考えられている。その後中国文明の中心は、黄河に移るが、祭政未分の殷の時代には、女性の地位はまだ高かった。紀元前14世紀頃、殷王武丁の后である婦好は、一万三千人の軍隊を率いて羌を征伐したことが甲骨文字に記録されているが、この勇ましい女性の存在は、婦好の墓の発掘結果から支持されている。
もう一つの古代文明の中心地であるインドも、アーリア人侵入以前は母系社会で、女性の地位は高かった。『リグベーダ』には、曙の女神ウシャスが重要な存在として頻繁に現れる。古代日本も、卑弥呼や台与が国を治めたことからもわかるように、女性の地位が高い母系社会であった。このように、女性崇拝の傾向は、多くの古代文明の黎明期に見られる。
女性崇拝はいつから始まったのだろうか。その歴史はかなり古いと見られている。教科書などによく写真が掲載されているヴィレンドルフのヴィーナス像(下の写真)を代表とする石の女神像が旧石器時代の遺跡から見つかっているが、男神像を崇拝した形跡は見られない。
画像:ヴィレンドルフのヴィーナス像
[Naturhistorisches Museum: Venus von Willendorf]
また、アルタミラやラスコーの洞窟には、人間よりも動物の絵がたくさん描かれている[b]。この自然崇拝も、後で説明するように、女性崇拝の証拠である。」
いばらくは、眺めるだけにしたい。
いずれ思うところがあれば、追加記載していこうと思います。Orz
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