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この絵も初めてです。。。^^v
アモリー・デュヴァル『ヴィーナスの誕生』1862
どうも画像がアップできません。Orz〜
以下のサイト参照願います。
http://blog.so-net.ne.jp/lapis/2007-04-21-1
「アモリー・デュヴァル(Amaury-Duval)はアングルの弟子で、『アングルのアトリエ』(1878年)という回想録を残している。アングルは、デュヴァルに絵筆を握らせる前に徹底的にデッサンの訓練をさせたという。この端正なヴィーナスの顔には、どこかアングルの影響が残っているような気がする。」
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2001Hazama/04/4400.html
真贋のはざま
「はじめに――アングルの素描教育
アモリー=デュヴァル(Amaury-Duval)の回想録『アングルのアトリエ』(1878年)は、19世紀当時のフランスにおける絵画教育の実態について教えてくれる貴重な歴史的資料でもある。晴れて弟子入りを許されたアモリー=デュヴァルに対して、厳格な師アングルが絵筆を握らせる前に課したのは、長期間にわたる素描(デッサン)の訓練であったが、それには3つの段階があった。最初の訪問の日に、「貴方に版画を数枚あげますから、それを模写するように。できたものを私に見せにいらっしゃい」と申しわたしたアングルは、まず紙挟みからラファエッロの原作に基づくマルカントニオ=ライモンディの複製版画を2点(キリストと使徒を表したもの)取り出した[1]。版画をもらったアモリー=デュヴァルが、喜び勇んで模写の修練に励んだのは言うまでもない。
さて、かなり長い間、版画に基づく素描(le dessin d'apr峻 des gravures)の訓練を積んだアモリー=デュヴァルは、次の段階としてラ・ボッスに基づく素描(le dessinn d'apr峻 la bosse)、すなわち古代彫刻の石膏レプリカ(les moulages en pl液re de sculptures antiques)に基づく素描へと進むことを許された。この段階にいたってアモリー=デュヴァルの耳に頻繁に入ってきたのが、半濃淡(demi-teinte)という言葉である。「石膏像は私の眼には、光の中では白く、影の中では黒いものであった。そしてかなり興味深いことに、実際のところ訓練されていない眼は、私たちが肉付け(model氏jと呼んでいるもの、すなわち半濃淡による光から影への移行を識別しないのである」[2]。石膏レプリカの素描は、半濃淡を用いた的確な陰影表現を習得することを目標としていたのである。そして第三段階が、生きたモデル(mod粛e vivant)を使った、自然に基づく素描(le dessin d'apr峻 nature) であり、その後でいよいよ絵筆を握ることになる。「モデルに基づいて素描し、そして色を塗ること! まさしくそれが私の野心であった。私の最初の欲望は満足した。しかし、なんと多くの新たな困難があることか!」、と自らの体験を振り返ってアモリー=デュヴァルは嘆息する[3]。
このように、絵画教育カリキュラムの中核を占める素描の段階的訓練において、複製版画と石膏レプリカを「コピーする(copier)」ことは、必須のプロセスであった。それでは、油彩による模写の方はどうだったのか。「アトリエでの授業は昼頃には終わった。私たちは暇になると、残りの時間は、巨匠たちに倣ってクロッキーしたり模写したりするためにルーヴル美術館に行くか、それとも美術学校の講義に出るかであった」[4]。事実、素描の全段階を終えると、油彩による頭部の模写をさせるのが通例であり、その場合、巨匠の作品もしくは教師自身の作品が手本となっていた。ただし、ルーヴル美術館に行く場合、アングルはラファエッロの部屋に直行せよとアドヴァイスはするものの、油彩模写に関しては積極的には勧めなかった。「巨匠たちに基づいて簡単なクロッキーをしなさい、と彼[アングル]は私たちによく言いました。それが巨匠の作品を注意深く見て、よく研究する手段です。でも、絵を[油彩で]再現するために時間を失うのは無駄なこと。忍耐力があればできることなのだから。そのやり方を探している間に、あなたたちは大事なこと、一言でいえば傑作を成すものを見失ってしまうのです」[5]。
名画を油彩で模写する教育的効果に対して、アングルの不信感はなかなか根深い。クロッキーせよとは、あくまでもデッサンせよと言うに等しく、線描による本質の把握こそが肝要であるという古典主義的な信念がかいま見える。このことは、石膏レプリカと模写画の性格の違いという本稿のテーマにも関わってくる問題で、両者ともに「複製」と言っても同列には論じられない。早い話、教育の場では、石膏レプリカをデッサンしても、模写画をデッサンすることはない。絵画を模写するなら、その技法が素描であるにせよ油彩であるにせよ、原作か複製版画からということになろう。そのことがまた、本稿で扱うふたつの美術館、国立美術学校に付設された「研究美術館」と、シャルル・ブランが創設した「模写美術館」の差異という問題にもつながってくるのである。・・・」
どの世界でもそうですよね。たとえ天才だって、、、最初は、倣う、盗む、習うことからじゃないと。新しいものはまず、いままでの古いものをよく知らないことには、何が古くて何が新しいことなのかさえ分からないはず。伝統の延長線上に破壊、想像はあるわけですから。フィジカルな分野でも、習うより慣れろってのは、いってみれば模写ですよね。^^v
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