アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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2008.07.19.讀売新聞 『五郎ワールド』より Orz〜
特別編集委員 橋本五郎 「大塚久男に学ぶ」
『倫理なき者は滅ぶ』
「<近代欧州経済学序説>を執筆していた時、少年の頃に読んだ「ロビンソン・クルーソー」を読み返しました。私はこの生活様式の中に近代の合理的経営の原型があるのを知って意を強くしました。それは、バブルを追い求めることを拒んだ近代的経営者の塊だったのです> 丸山真男と並ぶ戦後を代表する社会科学者、大塚久男は亡くなる2日前、讀売新聞の読書欄の「古典礼賛」でこう書いた。病床で紙面に目を通しながら、うなずいていたという。大塚久男が89歳で亡くなったのは12年前の7月9日。今年は13回忌にあたる。敬虔なクリスチャンに13回忌というのもおかしいが、亡くなられた時の深い感慨を思い起こしながら、すぐれた学者による予言者的な洞察に打たれるのである。これまで「生誕150年」「没後100年」などということに、それほど大きな意味を認めなかった。しかし、今年はなぜか、榎本武揚(* えのもと たけあき)の没後100年を機に、真の「痩(やせ)我慢」とは何かを考えた。小泉信三の生誕120年を機会に、教育の原点に思いをはせた。先人の足跡をたどり、歴史の意味を考えるのは、今に生きる者にとって怠ってはならない作業なのかもしれない。
大塚久男は30代半ばに左蘆を切断した。40代初めには三度にわたって左の肺を切除する大手術を受けた。関口尚志氏は国際基督教大学で行われた葬儀で、こう追憶した。<先生は、生涯、想像を絶する肉体のハンディキャップを背負いながら、強靱な精神力と禁欲的な生活態度で、余人の遠く及ばぬ大きな業績を残された。「生きるとは呼吸することではなく行為することだ」というルソーの言葉は、先生が身を以て(もって)示された我々への戒めです。>その業績とは何だったか。大塚は、西洋で市民社会が形成され、資本主義が成立したのは、中小の農民や職人たちを担い手とする「中産的生産者層」の独立自由な発達のうちにこそ求められるべきと提唱した。重要なのは、人間の営みである社会や歴史を捉えるため人間の社会を内面から支える理念、思想、宗教の重みも十分抗慮に入れなければならないことを早くから強調したことだ。ダニエル・デフォーのロビンソン・クルーソー漂流記は「大塚史学」が進化を遂げるうえで極めて重要な役割を果たした。ロビンソン・クルーソー的人間類型こそが「中産的生産者層」を代表することを、「社会科学における人間」(岩波新書)などで繰り返し論じた。ロビンソンは父親から投機的な僥倖目当ての冒険はよせと訓戒されるが、一獲千金の荒稼ぎを夢見て冒険航海に乗り出す。ところが、難破して孤島に漂着し、大切なことは金儲けなどではなく、人間らしい生活をしていくために必要な財貨をできるだけ効率よく生産することにあると気付く。漂流記が出版された翌年の1720年、イギリスでは「南洋の泡沫」という歴史的なバブル崩壊事件が起きた。投機に走った多くの会社が倒産した。それを予言したかのようだった。「企業や資本主義が倫理的であり続けることは難しいが、倫理を喪失した企業や資本主義は崩壊する」。これが大塚久男の最後のメッセージだった。関口はそう告別した。
中間層の大切さ、それは何も西洋近代社会に限らない。日本がなぜ欧米の植民地化を免れ、異例の速さで近代化を成し遂げることができたのか。明治の政治家の卓越した指導力もあっただろうが、中間層の存在も大きかったのではないのか。そのことを竹山恭二氏の最新作「平左衛門家始末」(朝日新聞社)が教えてくれる。遠州浜松で400年も続く豪農、竹山家の幕末から明治にかけての物語である。田んぼに根を下ろし、米の作柄に一喜一憂し、年貢米を納めることを最大の努めとしてきた村の庄屋が、近代産業社会の企業家、町の銀行屋へと変わる。その姿が詳細に描かれている。何よりも感動的なのは、この人たちには連綿として続く「内なる倫理」があったことだ。家の由緒の重みを日常的に自覚しながら、慈善事業や公益事業に惜しみなく金と時間と労力を使った。「私」よりも「公」を大事にしたことに打たれる。今年は大正デモクラシーの旗手、吉野作造の生誕130年でもある。その吉野が靴下の繕いをしていたというエピソードを尾崎護「吉野作造と中国」(中央公論新社)で知った。二女の明子さんが、吉野は大変な倹約家で、靴下も丹念に繕いをし、5年も10年も使った。ちびた鉛筆も筆のさやに挟んで1・5センチくらいになるまで使っていた。反古紙や広告の裏に雑誌の原稿を書いていたと回想しているという。吉野は東京帝大助教授に昇進してドイツに留学する。留学日記には、東京から持ってきた穴だらけの靴下十数足の接ぎをするため、ハイデルベルクでかがり縫い器を買ったとある。
何か共通しているものがあるような気がしてならない。我々がすっかり忘却の彼方に押しやったものが・・・。」

物々交換からmoney を仲介にするようになったために換金できるものを作らざるをえなくなったわけですよね。その産物は需要のあるものでなくちゃいけなかったが故、つまりは『人間らしい生活をしていくために必要な財貨』である必要があったわけで。投機を戒めたのは痛い目にあった経験・歴史から学んだからこその知恵だったはず。決して崇高な倫理ありきではなかったはずだと思ってる...生き残りを担保する知恵にすぎないことだと思ってる...倹約もしたくてしたんじゃないと思うけど...貧乏だったから仕方なくしてたんだと...貧乏から脱出して富める者への仲間入りをしたくて高度成長に結びついたわけだろうし...そもそも人は貧乏なんて大っ嫌いだからせっせと働いてるはずなんだ...^^;v
働かざる者が食べていける今の社会はある意味ユートピアであるわけだけど、、、みんながキリギリスになっちゃえるわけはないからね...私が思ってることは、、、儲け過ぎてどうするの?ってこと。それだけみんなが欲しいものを社会に提供してるともいえるわけだけど、、、その値段設定の根拠が不明でしょ?よしんば、儲け過ぎてもいいとしても、、、それを社会に還元しなきゃ、、、社会は金不足に陥ってしまう・・・そうなったら、元も子もない、、、生産者・消費者もろとも沈没しちゃうんじゃないのかな...^^;?
少なくとも、吉野作造氏が助教授昇進された時代にはいまのような金・コネ絡みは一切なかったと信じたいけどね...^^v

同じく、同日の『今日のノート』より Orz〜
「親心の功罪」生活情報部長 泊吉実
「親心とはやっかいなものらしい。<子故に迷う親心>とことわざにある。子を思う余り、思慮分別を失う意だ。その小学校長には、教員試験に2度落ちている長男と、初めて受ける長女がいた。望みをかなえてやりたいと思うのは、親として当然のことだろう。だが、取った行動は常軌を逸していた。情実採用の仲介者に会う。「二人一緒は難しい」と言われたが、「両方合格させたかった」と供述している。結局、無理も通り、2人分の賄賂を渡す。大分教員汚職の発端となった贈収賄である。理性を欠いた親心は事の次第を知らぬわが子を辱めたばかりか、教師への信頼という教育の命綱も断ち切ったのだった。<子故に捨つる親心>もある。忘れられない父の言葉があると、元ロッテのエース村田兆治さんは本紙に語っている。右ひじ痛に襲われた30すぎ、当時はタブーとされた手術に挑んだ。先の見えないリハビリ中に、「父危篤」の報を受ける。手を握ると、口数の少なかった父が言った。「兆治、持っていけ。わしの右腕持ってけ」。最期の言葉だった。「わが身を捨てても」という親心に、自らを奮い立たせてマウンドに戻った。その後、59の勝ち星を重ね、通算215勝の輝かしい実績を残す。見境なくしゃしゃり出る親心あれば、思いを秘めた寡黙な親心もある。<子故>の親心は、時に罪深く、時に慈悲深い。」

わからないでもないけど...子供を信頼してないし,,,自らの力で生きていくこと・覚悟を教えなければならない親の責務を放棄してますよね...なにより、本来通るべき人が落とされてるわけだから、、、その方々への償いがなされるべきだろうね・・・
金で世の中が動いてるという汚らわしさを(だから『汚』職って呼んでるんでしょ?)、、、人は自分さえよければ構わない・何でもできちゃう汚らわしき存在なんだってことを、、、白日の下に知らしめたという「功」だけはかろうじてあるわけだけど...^^;
「情実」って言葉がすでにあったってことは、、、誰においても(私も含め)やっちゃう可能性を秘めてるってことを自覚するしかないですかね...だから、、、どの世界においてすら似たり寄ったりの事が行われてると思ってた方がいいのかもしれないね...悲しいことだけどそれが現実なんだと...
ただ、、、お金だけで左右される人間にはなりたかないけどさ・・・^^;v
今太閤と呼ばれた田中角栄は金にものをいわせてのし上がったわけだけど、、、かれには金にものをいわせる以上の才覚・魅力がありましたものね。総合力の一部として金を使ったっていいとも思ったりもするなあ...結局、金に動かされる受け手の人間のほうがいるから使わざるをえなくなるって構造があるんじゃないのかな・・・?

少し前に同じくこれに絡んだ川柳で秀逸なのが載ってました・・・

『札に始まり札に終わる』

^^;v


画像:小説 榎本武揚?二君に仕えた奇跡の人材 (ノン・ノベル) (単行本)  童門 冬二 (著)
http://www.amazon.co.jp/小説-榎本武揚?二君に仕えた奇跡の人材-ノン・ノベル-童門-冬二/dp/4396631162 より Orz〜
「徳川幕府では軍艦奉行として活躍、一転、明治新政府下では閣僚を歴任し爵位まで得た奇跡の男?榎本武揚。「忠臣は二君に仕えず」の武士道精神が生きていた時代、「裏切者」の罵声を浴びながらも、不倶戴典の両政府間を生き抜きた彼にとって、組織とは、国家とは何だったのか。そして、なぜ、彼はかくも重用されたのか?。維新後、政府に弓を引いた箱館時代に敗れた榎本は、当然、刑死を覚悟した。しかしその時、強力な助命嘆願者が現われ、復活の道が拓けた。だが榎本はなおも揺れた。「徳川」に殉ずるか、「明治」に仕えるか…。斯界の第一人者が、榎本の稀有な人生を通して、激変の時代の組織と人材を問う歴史評伝小説の傑作。 」

読んでません...Orz...

画像:村田兆治
allstar.221616.com/ interview/index5.html より Orz〜
「村田兆治 (むらた・ちょうじ)
1949年(昭24)11月27日、広島県生まれ。福山電波工から67年ドラフト1位で東京(現ロッテ)に入団。71年に「マサカリ投法」と呼ばれるフォームに改造し、自身初の2ケタ勝利を記録。81年には19勝を挙げ最多勝に輝く。83年にヒジを手術したが、85年に17勝を挙げ復活した。90年に現役引退。通算215勝177敗33セーブ、防御率3.24。右投げ右打ち。
村田兆治氏はオールスターに13回出場。通算16試合に登板し、そのうち6試合に先発。1勝2敗2セーブ、防御率2.50の成績を残した。暴投を71、81、86年にそれぞれ1度ずつ記録し、通算3暴投はオールスター最多。公式戦とオールスターの両方で暴投記録を持っている。自身最後のオールスターとなった89年第1戦で先発し3回を投げ、クロマティ(巨人)落合(中日)らの強力打線相手に無失点。13回目の出場で初めて白星を手にし、初のMVPに輝く。39歳7カ月での勝利投手はオールスター史上最年長記録として今でも残っている。」

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2008/7/20(日) 午後 2:26 [ きよみ ]

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きよみさん、いらっしゃいませ〜 ^^
お気に入りポチサンクスです Orz〜v
風力発電機から発生する低周波音の害は知りませんでした...^^;
たしかに大きなタービンみたいなものですもんね、、、
それが解決されなきゃ家の屋根に大型風力発電機も取り付けられないのかな...^^; ?

2008/7/20(日) 午後 3:34 [ スモークマン ]


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