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さきほど日曜美術館(4月からわたしの好きな姜尚中(かんさんじゅん)さんが司会役されてんだ♪・・・彼は「自分は視覚的な人間なようで音楽よりも絵を観る方が向いている」ってな挨拶されてた ^^)で観て気に入ったもので・・・^^
ゲストの村上隆(むらかみたかし)氏の話もとっても面白かった♪
芸術家は不安と同居して居続けている・・・暗黒の底なしの闇を垣間見てはそこから触発される何物かを表現していく・・・そのブラックホールに吸い込まれ落ちて逝ったものは数知れない・・・
蕭白は絵を描くことでかろうじて生きられたのではないか・・・誰にも評価・理解されなかった蕭白に比べたら、自分は自分と同じような感性を持つ蕭白がいたことを知っているだけで孤独じゃない、救われている・・・ってな話...
途中で現れた龍の「阿吽」の絵・・・蘊蓄欄にアップしてると思います♪
http://ja.wikipedia.org/wiki/曾我蕭白 より Orz〜
「享保15年(1730年)、京都に生まれる。蕭白の生涯については資料が少なく不明な点が多い。伊勢地方に多くの作品が残ることから、かつては伊勢の出身とされたこともあったが、近年の研究の進展により、「丹波屋」と号する京都に商人の子として生まれ、本姓を三浦と称したことなどが明らかになっている。京都市上京区の興聖寺には、蕭白の代表作『寒山拾得(かんざんじっとく)図』が残るほか、蕭白一族の墓もある。・・・
作品も制作時期のわかるものはきわめて少ないが、29歳ごろと35歳ごろの2回、伊勢地方に滞在したことがわかっている。『群仙図』、『旧永島家襖絵』などの代表作は2回目の伊勢滞在時に描かれたものと考えられている。
蕭白の特徴は、部分の細密で精確な描写能力と対象の動性の的確かつ大胆な把握にある。構図における大胆な空間把握と、顔料の性質を熟知した上になりたつさまざまな独創に支えられた鮮やかな彩色は、相共に強烈な不安定さを生み出し、見るものを魅了しまたおののかせる。江戸時代の画史においてすでに「異端」「狂気」の画家と位置付けられていた蕭白の絵は、仙人、唐獅子、中国の故事など伝統的な画題を扱いながら、その画題を醜悪、剽軽に描き出すなど表現は型破りで破天荒なものであり、見る者の神経を逆撫でするような強い印象を与えずにはおかない。
明治時代以降は評価が低かったが、1970年頃『美術手帖』誌の連載「奇想の系譜」で取り上げらたこと等がきっかけとなり、江戸時代絵画史に異彩を放つ個性的な画家として近年再注目されている。
また、横尾忠則の作品には蕭白の作品を下敷きにして描かれたものもある。『群仙図』から触発されて『消された記憶』、『雪山童子図』からは『二河白道図』などが制作されている。・・・」
蕭白は雅号に「鬼神斎」って書くようになってたって・・・
また、あの円山応挙に「人間(の内面)を書きたいならわたしのところに学べ、ただそのまま絵を描き続けるだけなら、そのままの応挙でいればよい」・・・うろ覚えです ^^;・・・ってなことを宣ったらしい...^^
アップの画像は以下のサイトより Orz〜
www.muian.com/ muian09/muian09.htm より Orz〜
・「達磨図」・・・「自分は絵師である」と言って泊めてくれたお寺さんに一宿の恩として描いたものらしい ^^
・30歳 「寒山拾得図」、「柳下鬼女図屏風」
どっちが寒山か拾得か知らないわたし...^^; また調べてみます...^^・・・しかも容量上アップできず...Orz
・50歳 「石橋」(せっきょう)
晩年に「美人画」を1枚だけ珍しく描いたらしい・・・♪
色気をこよなく愛し(最期に女性という自分が男であるというのと同じ意味においての存在に気付き、女性の身となって、その存在をアピールするために描いたんだと...わたしの想像^^)、この世のしきたりを蔑視し、闘い続け、彼自身の信念を貫いて52歳まで駈け抜けて逝った...
こんな人と知り合いたい...!!
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番組でも触れられていたけど、、、「柳下鬼女図屏風」の鬼女の左手の指が天を指している・・・ダ・ビンチの絵にそっくりなのがありますよね・・・同じ感覚の持ち主なのかも知れないな...^^
2009/4/12(日) 午後 10:46 [ スモークマン ]
時々教育TV面白いことやってます
日本のSF創世記の話とかね
2009/4/13(月) 午後 2:57 [ ziro ]
教育テレビは囲碁番組とこれくらいしか見ないけど...
爆笑問題の番組は好きでよく見てる♪←NHK
太田総理は鋭利な刃物を持ってるよね・・・だから、、、お笑いでもしてなきゃおかしくなりそうなんだと...^^; Orz...
2009/4/13(月) 午後 6:04 [ スモークマン ]