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わたしは囲碁を打つものだから、彼の名前は本で知ってるし、タイトルホルダーを綺羅星の如く生み出した木谷道場のことも知ってる♪それは、錚々たるメンバーです。そんなタイトルホルダーを全国各地から、発掘(彼のお目がねにかなった子ども)し、自宅に住み込ませ、互いに切磋琢磨・鎬を削らせた結果がもたらした果実です。だから、名伯楽と呼ばれています♪ 彼が、天才であった間接証明でもありますね ^^v
画像:昭和8年(1933)、呉清源五段(左)と木谷実六段(右)は“新布局”を研究。記録をとっているのは安永一(中)。
画像:黒番の呉清源(21)、本因坊秀哉(59)に三三、星、天元の布石。
http://monjukai.exblog.jp/ より Orz〜
「 (1) 木谷 実は、大正末期から昭和にかけて、呉 清源と並び、日本囲碁界の双璧と
称された棋士。呉 清源と共に、従来の常識を全く打ち破る新しい布石を生み
出したことでも有名。
(2) 木谷 実の特徴は、何と言っても日本囲碁界を代表する幾多の棋士たちを育て
上げたことで、正に「名伯楽」といわれる所以である。木谷自身の大タイトルの
獲得数こそ少ないが、いわゆる木谷一門、その多くが木谷 実の内弟子となって
研鑽を積み、その後の日本囲碁界を背負っていく棋士たち、が保有する段位の数は、
合計約380段(孫弟子を加えると500段以上)となっており、又日本の七大タイ
トル獲得の延べ数では、全体の五割近くを木谷一門が占めている、という驚異的
実績を残している。
(3) 木谷 実は、早くから、当時(昭和初期)の交通事情の良くない中、全国を巡り、
有望な棋士の卵を見つけ出す努力を続けていた。そうしてこれらの石を磨き上げ、
育成し、棋道の発展に大きく貢献した。木谷は、鈴木為次郎に入門の為12歳で
上京した時、一時大相撲の二所ケ関部屋に寄寓したことがあり、この時、後の第
32代横綱・玉錦(当時18歳)と知り合い、二人の交友は生涯続いた。このことから、
木谷 実は、大相撲に強い関心を持ち、囲碁が大相撲のように日本の国技となる
ためには、立派な棋士を育てること、その為には、「部屋」の制度が基本となると
考えたことが、木谷一門を作り上げることに結びついたのではなかろうか。勿論
名伯楽となるためには、木谷自身の人格が第一であるが、その過程における美春
夫人の内助の功についても筆舌に尽くしがたい。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/木谷實 より
「木谷 實(きたに みのる、1909年1月25日 - 1975年12月19日)は、囲碁の棋士。兵庫県神戸市出身、鈴木為次郎門下、九段。20世紀の棋士の中でも指折りの存在とされている。
若くして天才と呼ばれ、1924年に日本棋院が設立されるとすぐに参加している。そこで中国から来た呉清源と出会い、後に彼は友人でありかつ最大の好敵手となる。
木谷と呉は1933年から1936年ごろに「新布石」と呼ばれる革新的な序盤理論を発表している。彼らは1939年から「世紀の対局」とも称される「鎌倉十番碁」を打ったが、その結果は呉の勝利に終わっている。本因坊には3度挑戦して獲得は失敗するなど大タイトルには恵まれなかったが、新布石を初めとした新機軸を多数創案し、その信念に裏打ちされた独創的スタイルは碁界の尊敬を集めた。また全国から優秀な少年を集めて育成した「木谷道場」からは多くの大棋士が巣立ち、昭和後半のタイトル戦線をほぼ独占するほどの勢いを示した。その功績は計り知れない。
棋士の小林禮子は三女。毎日放送元アナウンサーでフリーアナウンサーの吉田智子は四女。
元国立長寿医療研究センターの木谷健一は長男。法政大学法科大学院教授の木谷明は二男。
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木谷の棋風は生涯何度も変化している。低段時代は戦闘的な棋風で「怪童丸」の異名をとったが、五段時代に新布石を発表して位の高い碁に変化した(前田陳爾はこの時代の木谷を「史上最強の五段」と評している)。1936年ごろからは実利を重んじる棋風となって呉清源との十番碁を戦っている。療養からの復帰後は、先に地を稼いで相手に大模様を張らせて突入する戦法を多く採るようになり、「木谷流のドカン」と呼ばれた。いずれも印象的なスタイルであるが、中でも1933年からの「新布石」構想は革命的な布石として囲碁史に燦然と輝いている。
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木谷は、多くの棋士を育てたことでも知られている。神奈川県平塚市の彼の実家において「木谷道場」を開き、彼の妻である木谷美春によって運営されていた。また梶原武雄が、いわば一門の「師範代」として厳しく彼らを鍛えたことも大きいといわれる。多くの棋士がこの道場で育ち、1970年代初頭から1990年代半ば頃までタイトル戦線を席巻した。現在孫弟子まで含めた一門のプロ棋士は50人以上、段位の合計は500段を突破しており、現代囲碁界の父と呼ぶべき存在である。主な門下生は以下の通り。
岩田達明
大平修三
大竹英雄
石田芳夫
趙南哲
趙治勲
金寅
加藤正夫
宮沢吾朗
武宮正樹
小林光一(木谷の三女・禮子の夫)
小林覚 」
画像:木谷定石(ツケサガリ)
http://www.pietsch-companion.com/igo_talk/archives/2005/08/post_333.html より Orz〜
wikiより
「木谷はツケヒキではなくこのサガリを多用した。やや手がかかり過ぎと見られて、他の棋士はほとんど使用しなかった。「木谷定石」といった場合、この手段を指すことが多い。」
「ツケヒキ定石の後は・・・堅くツグのが伝統的な手法であったが、木谷は・・・カケツぐ手段を開発した。・・・一路広くヒラけるメリットがある。」
カケツギ定石も彼が開発したものなんだ !!
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