アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

スクラップ

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続きです ^^v
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1287.html より Orz〜
「・・・菊池はここでも「自我」と「幻想の崩壊」と「小さな社会」との極限を取り出してみせたのである。「掛け値」を問うたのだ。なぜ菊池はこういうことが面妖なほどにうまいのか。菊池寛はかなり貧しい幼少年時代をおくっている。明治21年の暮に香川の高松に生まれたのだが、父親は小学校の庶務係で、菊池をまったく大事にしなかったらしい。「私は父の愛を知らなかった」と回顧している。そんな余裕もなかったのだろう。・・・が、ここまでのことなら、この程度の少年時代はよくあるだろう。ところが『半自叙伝』には、「私は14、5歳になり、身体が発達するにしたがって醜くなった」と書いていて、ここが気になる。父親も「お前くらいおとなびた変な顔をしている奴はいない」と言ったようで、このトラウマとは生涯闘わざるをえなかったとおぼしい。菊池寛はのちのちにいたるまでトルストイ(580夜)好きだったことでも有名なのだが、そのきっかけはトルストイが母親から「お前は顔が醜いから、いい子でいなければ誰からも可愛がられないよ」と言われたことによっていた。こうして菊池はもっぱら読書とスポーツに耽る青少年期をおくることになるのだが、尋常小学校4年のころには紅葉(891夜)・露伴(983夜)・水蔭・柳浪らを読みまくっている。これではかなりなマセになる。しかし、修学旅行にも行かせてもらえなかったのである。だから万引きもした。高松の学校では万引きのことを「マイナス」と言っていたらしく、菊池はこの「マイナスの記憶」をずっと持ちつづけたようだ。のちに小説『盗み』にもなった。高松中学でもいろいろ「わいた」をした。悪戯である。勉強はよくできたのだが、教室の授業は気にいらない。香川県教育委員会が開設した図書館に入りびたりになるほうが、ずっとおもしろかったようだ。「私は学校に通うよりも半分以上は図書館に通った。いや、作家としての学問も八分までは図書館でした」と『半自叙伝』にもある。高等師範に入るために上京しても、まっさきに通うのは上野の図書館なのである。・・・そこにもうひとつ、菊池の境涯を形成した趣向があらわれた。井原西鶴(618夜)の文芸に溺れたことと、その西鶴でも『男色大鑑』に随喜したことだ。・・・菊池の男色感覚がその後にどのようになったのか、捩れたのか、それとも抑制されたのか、実はたいした趣味ではなかったのか、そこはよくわからない。ただ、大学を転じながらしだいに異能を発揮していったことだけが、語られている。最初に入ったのは明治大学の法科。任井田益太郎・小林丑三郎・牧野英一の講義には感心したが、法律そのものはおもしろくない。22歳で一高に入ろうと決意する。明治43年だった。ところが正則英語学校で受験勉強にとりかかると、養父から仕送りの中止が申し渡された。ともかく菊池は貧乏だったのである。そこで早稲田の授業にもぐりこんで入試にそなえた。実は西鶴に惑溺したのがこのときの早稲田の図書館でのことだった。一高には合格した。文科である。高等小学校が2年よけいで、中学卒業後も2年を費やしたから、合計4年ほどの年上の入学生だった。芥川、久米正雄、佐野文夫、松岡譲、成瀬正一、土屋文明、山本有三らが同級生にいた。菊池は久米ととともに野球部に入り、やっとバンカラと文芸ボヘミアンな気分を満喫するようになる。けれどもそれも束の間、菊池はマント事件にまきこまれ、退学してしまう。親友の佐野文夫が先輩からマントを質屋に出して生活費のタシにしようと言い出し、これを菊池が引き受けて質入れしたのだが、そのころマント盗難届けが出ていたため、菊池にいっさいの嫌疑がかかったというものだ。佐野文夫とは、のちに日本共産党で活躍し、そして“転向”をした、あの佐野のことである。時の校長の新渡戸稲造(605夜)は菊池に同情していたらしいが、面倒なことを嫌う菊池はあっさり退学処分を受けるほうを選んでしまう。こうして大正2年のこと、25歳になっていた菊池は京都帝国大学の英文科に行く。周囲にまったく知り合いのいない菊池は、生活はズボラのまま(フロにも入らず)、ここで創作にめざめていった。第3次「新思潮」にも参加した。卒業後は東京に戻って時事新報社に取材記者として入社する。28歳だ。芥川・久米・成瀬・松岡らと第4次「新思潮」を発刊することにも力を入れた。そこに『屋上の狂人』も発表した。そして翌年は『父帰る』を書いた。この時期前後から、文芸作家菊池寛の真骨頂がいちじるしく開花した。『恩讐の彼方に』『藤十郎の恋』『真珠夫人』『蘭学事始』『入れ札』『俊寛』をたてつづけに書いた。33歳くらいまでのことだ。そして、35歳の大正12年には「文芸春秋」を創刊してしまうのである。では、ここで今夜とりあげた『真珠夫人』をちょっとばかり覗いておくことにする。大正9年6月から12月まで「大阪毎日新聞」と「東京日日新聞」に連載されてセンセーショナルな話題となった作品だ。『真珠夫人』については、2002年にフジテレビ系列が昼ドラで全65回にわたる放映をして、これが大いに話題になったらしいので、多少は知られているのではないかと思う。・・・2002年のフジの昼ドラでは、舞台を大正期から昭和20・30年代におきかえている。ぼくは、2度か3度か“出勤前”にちらっと見たが、それだけでも、ああ、これは当たるなと思えたものだ。そのくらい連ドラものにふさわしく、毒々しく演出されていた。毒々しくというのは、ひとつの演出的解釈である。必ずしも菊池がそのような連載小説を書いたわけではなく、菊池は『忠直卿行状記』や『入れ札』同様に「自我」と「幻想の崩壊」と「小さな社会」との極限的な展開に集中した。ただこの作品では、復讐がテーマで(『恩讐の彼方へ』もそうだったが)、かつその復讐をはたす主人公が瑠璃子という元華族のヒロインであったため、当時から読者もセンセーショナルな熱狂をもって迎えられた。・・・こういう『真珠夫人』が大向こうに迎えられたのは当然である。通俗小説の代表格ともなった。紅葉の『金色夜叉』、蘆花の『不如帰』を継ぐとも言われた。それを川端康成(53夜)は頻りに「通俗小説、通俗小説」と連発しながら、評価する。これは、近代の自然主義文学が「心境小説」として登場してきたのに対して、そしてそれが「純文学」と名付けられていったのに対して、あえて反旗を翻したことを、川端なりに告げようとしたものだった。
直木三十五(364夜)は、日本の近代小説は「鏡に写った自分の顔」を書いた。顔でなければ、「自分がいる部屋」のことを書いた。それが近代心境小説だった。大衆文学はそうではなくて、「窓の外」を書いたのだと言った。直木らしい指摘だろう。しかし、これらの評価はその通りのところもあるが、そうでないところもある。そうでないところの第1点は、『真珠夫人』以前には、こんな小説はまったくなかったということだ。『金色夜叉』や『不如帰』もここには及ばない。第2点は、ひょっとするとこれは通俗小説ではないかもしれないということだ。だいたい通俗小説と言い方がつまらない。少なくとも菊池寛にあっては、もっと踏み込んでいる。それはぼくの見方でいうのなら、「負の状況」という領域への正確な踏み込みだったと思われる。そして第3点、菊池寛こそは「意味の市場」に最初に挑戦した作家であり、編集者であり、プロデューサーだったということだ。・・・菊池が文芸春秋社で初めて社員数人を公募したのは昭和8年のことだった。このとき応募してきたのは700名をこえた。僅かに告示をしただけだったのに、たいへんな応募者数だ。こんな出版社はかつてなかったのだ。さらに興味深いのは、このとき菊池は自分で入社試験の問題を作った。「東京の地名の由来を答えよ」というもので、麹町・春日町・雑司ケ谷・八重洲河岸の4題になっている。これを答えれば社員にするという魂胆がいい。この試験で、のちに文春の社長になる池島信平が新入社員になった。まさに「意味の市場」づくりを着々と実現している。ライバルだった中央公論社の嶋中雄作は、こういう菊池のことを「生(しょう)のまま飛び出している」と言った。なるほど「生」(しょう)である。意味を生きたまま使おうとしている。逆にいえば、「掛け値」は問題なのである。・・・」

画像:真珠夫人 DVD

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD27456/story.html より Orz〜
「〔前篇処女の巻〕清貧の老政客唐沢光徳のひとり娘瑠璃子は父の友人元子爵杉野の息子と恋仲であったが、高利貸荘田の家の新築祝いに招かれ、その成金趣味の悪口を直也と話し合っているのを荘田に立聞きされその恨みを買った。荘田は復讐のため、直也の父を介して、唐沢へ瑠璃子を自分の後妻に求めた。そして杉野から断られると、借金の多い唐沢の借用証を買い占めて、尚かつトリックで唐沢を横領罪に陥れ、瑠璃子との結婚を迫るのだった。直也と瑠璃子は馳け落ちをしようとするが、唐沢が自殺を計ったためそれも果せず、瑠璃子はついに荘田へ嫁いだ。しかし初夜に瑠璃子の父が倒れたため、彼女は荘田から純潔を守ることが出来た。その後瑠璃子は荘田と戦いながらその身を守ったので、ある暴風雨の夜、葉山の別荘で瑠璃子を襲い、自分の先妻の生んだ白痴の息子に組み敷かれて、その衝撃から荘田が死んでしまったとき、瑠璃子は莫大な遺産を抱え、処女のままの未亡人としてあとに残されたのであった。しかし直也は、彼女の純潔を信じないで、自分との約束を破って荘田に嫁いだことを激しくなじって去ってしまった。そのため瑠璃子の人生観は一変して、真珠夫人と呼ばれながら、未亡人の名の下に処女の肉体を秘め、次から次へと変態的な恋愛巡礼が始まったのだった。
〔後篇人妻の巻〕・・・瑠璃子に失恋して自殺した青木淳の臨終の場で瑠璃子はフランス文学者渥美信一郎を知った。瑠璃子は彼に妻があると知りながら彼を愛し、信一郎も彼女を愛すると誓った。彼女はこれこそ自分の求めた真実の恋であると信じたが、妻を捨ててまで自分との恋を完成する気持が信一郎に無いことを悟ったとき、彼女は再び激しい幻滅に襲われた。自殺した青木淳の弟稔は、荘田の娘美奈子に慕われていたが、彼は瑠璃子を恋して、彼女に求婚した。美奈子はそれを立聞いて、自分の愛を奪う人としてその義母瑠璃子を激しく憎悪した。瑠璃子は、そうした美奈子と稔を軽井沢に誘い、浅間の山頂へ連れて行って、二人を結んでやった。・・・」

ややこしすぎて着いていけないけど...女性には受けるストーリーなんだろかね...何しろ男性を玩ぶことによって恨みを晴らす・リベンジの物語のようだから...

けっきょく、、、自分を知りたいんだよね・・・?
掛け値なしの自分って一体何物なんだかを・・・自らを恃んで生きるために・・・
掛け値なしの自分を愛してくれる他者を求めてるわたしにはひしひしとわかる...^^;
菊池寛も彼自身がそう思ったればこそ、忠直の行状を彼なりに分析して見せられたわけだし、、、
それを読んだ我々自身にもその匕首は突きつけられたってことはみなのこころに実はある深遠/アビス(abyss)をのぞかせられたわけだ...だからこそ,,,ぞくぞくしちゃうんだ...


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