|
2009.05.24.讀売新聞 「本 よみうり堂」より Orz〜
日本の難点 宮台真司 著 幻冬舎新書 800円
「利他性こそ社会を再生 評・小倉 紀蔵(韓国思想研究家)
日本が抱える多様な論点=難点を、全部まとめて一人で論じ尽くしてしまおうという本。めまいがするほど明快で鋭く、熱い。紙からシューシュー湯気が出て危ないくらいだ。宮台氏は特殊なスコープを持っている。これは倍率ではなく「抽象度」を自由自在に変えられるのだ。たとえば教育問題や経済問題の事実関係を述べているとき急に話の抽象度をグイと上げる。すると今までの話が驚くほど明確に俯瞰できる。で、次はまたもう少し抽象度を上げてみる・・・。この操作が絶妙だから、急勾配のジェットコースターに乗っているようでスリリングだ。若者に人気のある所以である。「すべての境界線は恣意的につくられたものだ」というポストモダン的な世界観を終わらせ、その恣意性を熟知しつつも価値や現実に関与せよ、というのが基本的な立場。こっちにもあっちにも確固たる根拠はないことを知りつつ、どっちかを選べ、ということ。そしてグローバリズムや格差化で包摂性を失った(排除されるものを平気で生み出す)日本社会を、もういちど包摂的なものにつくりかえていくべきだ、とする。それをするには日本人の民度をもっと高めなくてはならない。しかし、マスメディアも政治家もポピュリズムに走っているから、誰も本当のことをいわない。・・・<システム>がすべてを蔽いつくし、<生活世界>が空洞化した日本をどう「世直し」するのか。随所で彼は「利他性」が大切だと説く。本当にスゴイ奴はみな利他的に思考している。そこにのみ、国土や風景、つまり<生活世界>の再構築の可能性はあるというのだ。」
『「すべての境界線は恣意的につくられたものだ」というポストモダン的な世界観を終わらせ、その恣意性を熟知しつつも価値や現実に関与せよ、というのが基本的な立場。こっちにもあっちにも確固たる根拠はないことを知りつつ、どっちかを選べ、』・・・ってなところが非常に気になる ^^;・・・こりゃ読んでみなけりゃならないな♪
画像:宮台真司の「日本の難点」
http://d.hatena.ne.jp/Mjqq/ より Orz〜
画像: www.cswc.jp/lecture/ lecture.php?id=60 より Orz〜
「宮台真司:・・・専門は、理論社会学・システム理論。著書に『権力の予期理論』『終わりなき日常を生きろ』『14歳からの社会学』『世界はそもそもデタラメである』ほか多数。共著に『学校が自由になる日』『幸福論』ほか多数。」
http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/miyadai-sinji.htm より Orz〜
「●宮台真司(みやだい・しんじ)社会学者。東京都立大助教授。少なくとも商業的にはおそらく「90年代最強の評論家」(小林よしのりを除けば)あの東大小室直樹ゼミ(橋爪大三郎とかを輩出)伝説の大秀才。・・・「左翼にありがちな無政府主義的な発想を論破するために」社会学を学んだという本人の言葉どおり、デビュー当時は自動化し、形式化された戦後民主主義的言論の偽善を暴く「新保守」論客と思われていた(ド右翼の小室ゼミ出身だし)だが、* こう書くと、本業に学者先生をやっていることを除けばただのサブカル系ライターと何ら変わりないように思えるが、宮台の「段違いの強さ」は例えば相棒の宮崎哲弥などの追随を許さないものがある。その強さの秘密の第一は、本業の「社会学」を援用した論理性の高さ。オウム問題を扱った「終わりなき日常を生きろ」は(吉本隆明のパクリではあるが)オウム問題というより90年代の文化的特質を適切に解説した本として他に類を見ないだろう。「成熟社会では色んなものが簡単に手に入りすぎるため、<終わりなき日常>を楽しんで生きることが難しくなる。そこで人々は無理に充実感を求めて<国家のために>とか<全人類の平和と幸福のために>などとスケールの大きな自意識過剰に陥りがちである。そのために我々はこの<終わりなき日常>を飽きずにまったりと生きる智恵を身につけなければならない」・・・・・概ねこんなことが書いてある。こうして書くとまるで小林よしのりの「脱正義論」ソックリに思えてくる。やはり、犬猿の仲のこの二人の確執が基本的に「近親憎悪」であるという多くの指摘は当たっていると思う、タネ本も同じだし。・・・あれほど「メディアの上の自分は<キャラクター>でしかない」ということに自覚的だった宮台が、近年多くのところで「自分の物語」を語り始めているという大塚英志の指摘は正しい。・・・さんざん「まったりと」生きろとアジっていた宮台先生は、今では必死に「物語」を求めて「世界のあり方が変わった」と騒いでいる。かつて「逃げろや逃げろ」とアジった浅田彰が逃げ切れずに失速したように。・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/宮台真司 より
「宮城県仙台市で誕生(1959年)。母方の祖父は生物学者(元帝大教授)。父は宮台昇元キリンビール取締役医薬開発部長)。・・・中森明夫らとサブカルライターとして活躍していた大学院時代、特に大きな学恩を受けたのは、社会学者の小室直樹、哲学者の廣松渉であり、自身はそれぞれを「極右御師匠」、「極左御師匠」と呼んでいる。** その結果、こうした行為に及ぶ女子高生の生き方を「キツい学校的日常を潰されずに生き抜く知恵」、つまり「まったり」であると評価する。1990年代にはメディアに度々登場しブルセラ社会学者として注目を集めた。 その後は、青少年の「性の自己決定」問題、政治思想、教育問題、国際政治と発言の幅を広げていき、今に至る。一時期、ジャーナリストの速水由紀子との事実婚関係だったが、現在は解消し、書店員の女性(佐伯胖の娘)と結婚している(佐伯の教育論については門下の佐藤学を含め痛烈に批判していたことがある)。・・・
発言
政治
・・・吉田茂から田中角栄までは、「『親米愛国』のごとき論理的にはありえない『あえてする選択』を表面上は保ちつつ、裏面で一国として立ちうるだけの官僚や政治家の力量を高め、独自外交に必要な内政リソースを調える」密教が伝承されていたが、「米国発のロッキード事件でペシャンコにされ」「竹下経世会は、角栄の内政利権だけ継承し、外交は『アメリカさんありがとう』」になったことについて、「『あえてする選択』のはずが、数代後には『あえて』がキレイさっぱり忘却されちゃうわけ(笑)。それを僕は『ネタからベタへ』」と呼んでいる。・・・
思想
日本の55年体制的左翼・右翼思想を「大いなるものに一体化したがるヘタレ」として批判した。「左」とは「条理で世界を覆える」立場、「右」とは「不条理に貫かれる事に打ち震える」立場であると定義し、「解放的関心の強い『左』と、条理で条理の限界を見極める『右』は論理的に両立可能」と主張する。現在の右翼や左翼について「馬鹿ばかり」等、再三に渡って非難している。・・・
社会学
・・・<社会>の出発点にある「非日常的なお祭り騒ぎ」について、「平時に冷静に考えれば、法は『特定の誰か』がつくったものにすぎず、そこには全体が部分に対応するアイロニーが見いだせます。法は、一般意志のごとき全体との対応を僭称しますが、所詮はロマン主義的な意味で不可能です。この不可能を集合的沸騰によって乗り超えるんですね」「僕はここに、社会学とロマン派とアイロニーの結節点を見いだします」と語っている。
終わりなき日常を生きろ
「僕は、日本では、『主体の成熟』がなくても、<生活世界>への共属さえあれば、<世界>と<社会>とを切り離したうえで、<社会>を安定して志向できるだろうと考えました」。しかし、「流動性の高い『第四空間』が、<生活世界>と機能的に等価な感情的安全調達機能を果たすというのは、幻想に終わりました。それだけじゃなく、一貫性にこだわらないモザイク状の実存を生きる存在として持ちあげていた女子高生たちが、のちに軒並みメンヘラになりました。という次第で、僕の認識に甘さがありました。だから僕は、実存上の転向はあり得ないけど、認識上の転向をしました」。
天皇論
「天皇主義が体制側保守だとするのは、あまりにも歴史を知らぬ者どものいうことだけど、それだけじゃなく、たとえ反天皇を標榜しても、共産党における宮本顕治のごとく、公式権力を持たざる者がカリスマを帯びる事態は、天皇主義ではないのか。後者のような機制を、僕は『草の根の天皇制』と呼びます」。ロマン主義とはロマン的な対象が「何」であるか、それを決定することはできないとみずから認めている思想であり、「ヒトラーの『理想』は、劣等感にさいなまれた小市民のエゴイスティックな自己投射にすぎないのか。それとも、ドイツ民族のために、暗き現在を憂え、輝かしき未来を招来せんとしたのか。こうした問いの、根源的な決定不能性を国民が自覚しない限り、素朴なロマン派的国民が自覚的なロマン主義者に軽蔑されつつ自由自在に操られてしまうという事態を、絶対に回避できません。『田吾作による天皇利用(による国民操縦)』についても、まったく同種の決定不能性があることを、ロマン主義とのからみであえて言いたいんですよ」と述べている。
文学
「僕は、昔から『サリンジャー的』と『アーヴィング的』という対比をするの。前者は“実存の不条理”、つまり“自分の謎”を描き、後者は実存をひとまず括弧に入れて“世界の不条理”、つまり“世界の謎”を描きます」と語り、村上春樹の『海辺のカフカ』について、「上巻を読んだ時点では、前作よりさらに『世界の不条理』に肉薄してると思ったんだよ。でも、下巻でゲンナリ。『自分の不条理』に戻ってるじゃん(笑)」と述べている。・・・
社会
・・・情報技術について、見田宗介の『現代社会の理論』を参照し、「高度情報化社会の活路があるとしたら、資源と環境に負担をかけずにコミュニケーションを楽しめる技術的環境を実現することです。本物のペットよりも育成シミュレーションのほうが、ずっと環境にやさしい(笑)」と述べ、「IT化が進めば人々は貧乏になるけど、貧乏に耐えられるコミュニケーション作法を与えてくれるのもまたIT」と語っている。また、「グローバル化は先進各国で格差拡大の痛みを伴います。だから、『底辺部分ではモノで幸せになることは望めないから、情報で?アキバ系で?幸せになれ』」と述べている。「an・an」的セックスについて、そもそも「性は『規範に取り巻かれた強迫』だから、自分がタブーだと思っていたことをあえてやることで、容易に自我崩壊感覚が得られます」。しかし、「『an・an』のセックス特集は、セックスは自分らしくなるためとか、美しくなるためのものだっていうわけ。僕からすると『きれいごといってるんじゃねえよ、そんなのただの日常じゃん』と思う(笑)」と述べている。・・・」
社会学者だけに食指は多岐にわたるんだろうけど...鋭い指摘に満ちてて知的興奮を覚えますね♪
|
↑
記事にできない文字列の部分・・・^^
*
「いわゆる「ブルゼラブーム」の頃(90年代はじめ)自分の下着を売る少女たちを「新しい時代に適応した正しい選択」と擁護した瞬間に、保守論陣から「左翼」のレッテルを貼られ、以後敵対関係に。以降、同様の文脈でえんこう交際少女たちを擁護、以前からアニメ・マンガなどのオタク系評論をやっていたことも手伝って、とにかく「風俗」とか「反体制」が大好きなサブカル連中の絶大な支持を浴びる。」
**
「フィールドワークとしてテレクラに通い、女子高生のえんじょ交際・コギャルの実態を分析した。」
どうも「えんこう/えんじょ」がアウトなのかな・・・^^;?
2009/5/26(火) 午後 3:39 [ スモークマン ]