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続きです ^^v
http://www8.cao.go.jp/kourei/kou-kei/14semminer/s_kouen02.htm より Orz〜
「「粗大ゴミ」(1981年)――「父ちゃん家事やれ、残業するな。頑張れ母ちゃん 81春闘」
国際婦人年をきっかけに女性のグループができました。中心は私よりもっと若い世代で、私とか俵萠子さん、吉武輝子さんらは姉貴分、もっと年上には、市川房枝先生、田中寿美子先生など、当時の国会議員(参議院)は後見役の感じでした。若い人たちが春闘のスローガンについて、「樋口さん、この合言葉を何とも思いませんか」と言うから、「おかしいわ」と言ったら、「われわれはもう替え歌をつくりました」。それが「母ちゃん内職、それでも赤字。頑張れ父ちゃん、81春闘」の2番として、「父ちゃん家事やれ、残業するな。頑張れ母ちゃん、81春闘」。そのとおりで、まさにワークライフ・バランスであり、男女のパートナーとしてのバランスです。先輩で当時毎日新聞の記者だった方にたまたまこの話をしたら、「面白い。書きなさい」。・・・性別役割分業システムを変えて、男性も女性も、経済的、生活的、精神的に自立し、自立した男女として手を取り合って、夫婦が進んでいくという形が新しい時代の生き方ではないかなどと書きました。ついでに筆が走ってしまい、「労働者諸兄、労働組合は有用な組織と私は思っているが、幹部の皆さんがこのような考えでは、一緒に働いている労働組合の女性の働く権利はどうなるのか。男性自身の家庭参加こそ問われるべきだ」。そしてその頃、定年退職者を輩出している湘南地域の公民館で先輩の主婦から聞いたエピソードを書き添えて、原稿を終えました。「定年後の主人というのはなんて鬱陶しいのでしょう。かさばるばかりでものの役には立たず、今さら修理はきかず、捨てるといったって、手間隙かかる。まるで粗大ゴミでございます」。私はとどめの言葉のちょいとしゃれた文句ぐらいのつもりで書きましたら、これが大騒動になりました。
翌日から毎日新聞学芸部への反響はすごく、結果としては半々だったそうですが、最初の反応は「男だって、何も好きで働いていると思うか。妻子を養うために、昔から男は外に出ると7人の敵あり。妻子を養わんがために、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、働きに働いてきたというのに、定年後、粗大ゴミとは何事か。うぬ、この樋口恵子などという女は許しておけぬ」という感じです。私はちゃんと伝聞として書いたのに、こうした反応がありました。しかし、「そのとおりですわ」という声もまたいっぱい来ました。「夫に定年があるのに、なぜ家事には定年がないのですか」。・・・そこにおいて「粗大ゴミ」という言葉は全国に知れ渡り、私が「そうじゃない」と言っているのに、私は命名者のごとく扱われたのです。気の早い男からは「あなたのような女は人間の風上にもおけぬ」とか、脅迫状まで来ました。これが1981年です。
「産業廃棄物」(1985年)――女子差別撤廃条約批准
1985年に日本が女子差別撤廃条約を批准し、晴れて締約国となった時、朝日新聞が国際シンポジウムを開きました。海外からもゲストを呼び、日本のパネリストとしてお出になったのは、私より先輩の方では国連の女性代表などをなさっていらした縫田曄子さん、それから気鋭の評論家、フェミニストの上野千鶴子さんです。その席上で上野さんが「粗大ゴミ」という言葉を引用して、「定年後の夫のことを『粗大ゴミ』などと言っている人たちがいるが、私はそれよりも『産業廃棄物』と呼びたい」。上野さんの造語というよりは、一部で使われていたようですが、これもまたそう言っている人がいるので「自分は『産業廃棄物』を選びたい」。立錐の余地もなく参集した朝日マリオン会場の聴衆からどよめきが上がったといいます。どよめきはしたけれど、さしたる反論、抗議はなかったようです。これが85年です。私はこのときまったく関与しておりません。
「濡れ落ち葉」(1989年)――流行語・新語表現賞
私は1989年、また一つの言葉の造語者とされてしまいました。これも絶対私ではありません。辛辣な造語の名人というのは、意外なほど一般の民衆、家庭の主婦などです。これはあるシンポジウムで伝聞として聞いたものです。「近ごろは、粗大ゴミではなく『濡れた落ち葉』と言うのですって」。この時は「た」が入っていました。ですから、私は「濡れた落ち葉」と「た」を入れて紹介しています。
妻の動静を見ていて、妻がどこかへ出かけそうになると、自分もパッと身支度を整えて、「わしも行く」。「わしも」族という言葉も同時に生まれました。妻の方はいつも夫について来られれば気が重いですから、何とかして置いていこうと思います。そこで「あなた、大阪へ赴任した息子が今日は宅急便を送ると言っていたけれど、まだ届かないから、待っていてやってよ」。今みたいに時間指定がピシッとできなかった頃です。夫は「お隣に頼んでいけばいいだろう」と言い返します。さらに「まだ布団が乾ききっていない」などと言っても、「もう十分乾いた。取り込んでいきなさい」と言う。ああ言えばこう言う。はらってもはらっても、まるで下駄の股、サンダルの横にへばりついた落ち葉のようについてくる。これを忍法濡れ落ち葉の術といいます。このように妻の行くところにずっとついてくるので、妻は鬱陶しくてしょうがないという話がありました。面白いわねと言って、私はまた拡声器を持っていますから、あちこちに行って話しているうちに、取り上げるメディアが多くなりました。・・・
その年の師走も迫る頃、何があったと思いますか。『現代用語の基礎知識』は、執筆者としては私もなじみがあり、原稿はとっくに出していました。別のセクションから「樋口さん、新語・流行語大賞に入選しました」と電話がかかってきて、これには驚きました。「濡れ落ち葉をもって、あなたは大賞ではないが、流行語・新語表現賞に推薦されました」と言うのです。「ちょっと待ってください。別に私は造語者ではないのです」と今の経緯を話しても、「よろしいのです。この自由国民社の流行語大賞は多少のお遊びもありまして…」と言われてしまいました。その年、大賞になったのは「オバタリアン」です。これをつくった漫画家の方は、中高年の女の図々しさをマイナス・イメージで捉えて描いた。ところが面白いもので、その時期の中高年女性のパワーはそれをプラス・イメージに変えてしまいました。「そうよ。私たちは悪口にひるまずに外へ出ていき、社会に発言し行動する。そう、私たちがオバタリアン」とやってしまったのです。それがあの土井旋風、オバタリアン・ブームでした。あの時を思うと、今の社民党は情けないのですが…。・・・そのころ、「セクシュアル・ハラスメント」も賞を得ました。「セクシュアル・ハラスメント」というのは、今や改正男女雇用機会均等法においても、その防止努力義務が事業主に課せられています。ただ、日本の法律はカタカナをめったに入れませんから、別な表現になっています。「セクシュアル・ハラスメント」、いわゆるセクハラは造語でも新語でもないはずですが、その年に福岡ではじめて、全員女性から構成される弁護団がつき、セクシュアル・ハラスメントが福岡地裁で勝訴を収めたからです。「セクハラ」という絶妙な縮め語で流行語になりました。この賞は福岡の弁護団を代表する女性弁護士に与えられました。「ですから、樋口さんがもらって、ちっともおかしくない。やはり定年後の男性ウォッチャーとして、あなたより適切な人はおりません」と言われて、「そうですか。では、自分がつくり手だという人が出たら、いつでも渡しますからね」ということで、授賞式に行きました。元『週刊朝日』編集長をなさった扇谷正蔵先生が賞杯を渡してくださいました。よく存じ上げている先生で「うーん。おれはこういう表現はいやなのだよ。いやだな、いやだな。しかしよく時代を表しているな」と言いながら、賞杯を渡してくださいました。
考えてみてください。1981年、粗大ゴミ――脅迫状、85年、産業廃棄物――無反応、そして89年、濡れ落ち葉――受賞。ホップ・ステップ・ジャンプです。何という大きな変化でありましょう。と言っているうちに、実は男性自身が変わり始めたのです。」
昔の男性は...おそらく定年迎えるまでに大勢しんでたんじゃないのかなあ...^^;
私も家を建てるとき銀行で借金するわけだけど...昔はローンを払い終わる頃には...旦那は大方死んでましたって聞いたもの...^^;;
それとも昔の男に比べその後の男は自立度において見劣りするようになったとでも...?
だとしたら...それはなぜ・・・?どうして・・・?
To be continued...
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