アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

深いい話

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紫陽花(アジサイ)

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http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20090609AS1K0900109062009.html より Orz〜
春秋(日本経済新聞)(6/10)
「紫陽花(あじさい)ほど水滴が似合う花はない。雨にぬれると、花弁の青と枝葉の緑が一段と鮮やかに輝き始める。天の恵みを受け止めてパラパラと鳴る元気な音も心地よい。学名は「ハイドランジア」という。文字どおり「水の器」という意味だ。
▼今は世界各地で夏の訪れを告げるが、原産地は日本だそうだ。幕末に長崎に住んだシーボルトがこの花を愛した話はよく知られる。妻の「お滝さん」の名をとって「オタクサ」と命名し、欧州に紹介した。女性への想いを仕事に持ち込んだのが気恥ずかしかったのか。名の由来は地名だと小さなウソをついていた。
▼北鎌倉の明月院では、そろそろ満開。境内を埋めつくす800株は、ほとんどが国産の品種だという。外来種のように、色そのものが七変化することはない。真っ白から淡い水色へ、そして次第に濃さを深め、円熟の群青色へ……。無から始まり空や海に同化して戻っていく姿は、仏教の輪廻(りんね)の思想にもつながる。
▼時は移ろい、季節は巡る。梅雨入りを教える寺の花にも小さな秘密がある。参拝者が毎年眺めるのは、同じ紫陽花ではない。咲き終わった株は刈り込み、挿し木で鉢に植え替えて2年。さらに山の地面に移して3年。境内に登場するまで舞台裏で粘り強い努力が続く。潤いの美しさは一朝一夕に成るものではない。」

画像:おたくさ花
photovenir.exblog.jp/ 8538178/ より Orz〜
「シーボルトが愛した人「お滝さん」は、なんにでもよく気の回る人で臨機応変
「おたくさ花」は、そんなお滝さんにちなんで、シーボルトがあじさいにつけた名前なんですって・・・」

www.kanie139.com/ blog/archives/cat17/ より Orz〜
「あじさいというと、次々に色が変わるので日本の花言葉では「移り気なこころ」といわれますが、
以外なことにフランスではあじさいの花言葉は「元気な女性」なんだそうです。
調べてみると、あじさいには「一家団欒」「家族の結びつき」「強い愛情」なんていう花言葉もあるんですって。」

画像:Hydrangea macrophylla forma normalis(ガクアジサイ:アジサイの原種)
画像:あじさいに燕(葛飾北斎・画)
http://ja.wikipedia.org/wiki/アジサイ より Orz〜
「・・・
花の色は、アントシアニンのほか、その発色に影響する補助色素(助色素)や、土壌のpH(酸性度)、アルミニウムイオン量、さらには開花からの日数によって様々に変化する。そのため、「七変化」とも呼ばれる。一般に「土壌が酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」と言われているが、土壌のpH(酸性度)は花色を決定する要因の一つに過ぎない。花弁(正確には装飾花)に含まれる補助色素によっては青になり得ない・なり難いものがあるほか、pHは地中のアルミニウムがイオン化する量を左右する要因に過ぎないため、仮に酸性土壌であっても地中のアルミニウムの量が少なければ花が青色になることはない。また、初めは青かった花も、咲き終わりに近づくにつれて赤みがかかっていく。
「あじさい」の名は「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったものと言われる。また漢字表記に用いられる「紫陽花」は唐の詩人・白居易が別の花(ライラックか)に名付けたもので、平安時代の学者・源順がこの漢字をあてはめたことから誤って広まったといわれている。
・・・
アジサイは毒性があり、ウシ、ヤギ、人などが摂食すると中毒を起こす。症状は過呼吸、興奮、ふらつき歩行、痙攣、麻痺などを経て死亡する場合もある。日本では、飲食店などが毒性を持つアジサイの性質を知らずに料理に使用してしまい、経口摂取した客が中毒する事故が発生している。
アジサイには青酸配糖体が含まれており、それが中毒の原因であると考えられている。ただし、農業・食品産業技術総合研究機構動物衛生研究所によると、原因物質は青酸配糖体ではない可能性があるとしている。厚生労働省の課長通知においても、アジサイに青酸配糖体が含まれていることについての知見が十分ではないことから、2008年8月18日付けで「アジサイの喫食による青酸食中毒について(2008年7月1日)」の文書を廃止している。・・・」

ミツバチもいなくなってるって話だけど...ツバメもめっきり見られなくなってません・・・^^;?

http://blog.ottava.jp/ottava_moderato/2008/06/post-f21f.html より Orz〜
「2008/06/27 紫陽花、シーボルト、お滝さん
明日28日は『放浪記』で知られる作家、林芙美子の命日。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」という言葉を残した林芙美子は47歳の若さで亡くなりましたが、紫陽花が好きだった彼女を偲び若い頃、彼女が暮らしていた広島県の尾道では28日を「あじさい忌」としています。俳優石原裕次郎さんの命日7月17日も「あじさい忌」です。
ところで、紫陽花を巡る愛情物語があります。主人公は、幕末の日本で活躍した医師シーボルトと、その妻・お滝さん。博物学者でもあったシーボルトは著書『日本植物誌』の中で、日本の紫陽花を紹介し、妻・お滝さんの名前をとって、ヒドランジア・オタクサと名付けました。オタキが発音できずオタクサに変化したのでしょう。学名として採用されていませんが、シーボルトの妻への深い愛情を示すエピソードといえそうです。
ところで、幕末の長崎出島で活躍したシーボルトのことをオランダ人だと思っている方も多いですが、彼はドイツ人です。シーボルトは1796年、現在のドイツ・バイエルン州ヴュルツブルク市の医学者の家に生まれました。大学の医学部に進み医学の他、動、植物学や民族学なども学びました。卒業後、見知らぬ国の自然を勉強したかった彼は当時のオランダ領東インド会社に渡り陸軍軍医となります。そして、西洋医学を日本に広めたかったオランダと、まだ見ぬ国の植物や動物を研究したかったシーボルト。お互いの利害が一致してシーボルトは日本に派遣されたのです。しかし当時、出島に滞在することを許されていたのはオランダ人だけだったのでシーボルトは国籍を偽ったのです。
そのシーボルトが日本で恋に落ちた女性がお滝さんでした。お滝さんに関しては、遊女であったという説明と、当時出島に出入りできる女性は遊女に限られていたため、遊女であると偽ったという説明があります。
結婚した2人には女の子を設けました。それがシーボルト・イネ、日本名は楠本イネです。イネは西洋医学を始めて学んだ日本人女性となり、外科や産婦人科の発展に大きな貢献を果たしました。
なお、今お話したあたりの事情に関しては、みなもと太郎さんの漫画『風雲児たち』(リイド社)のワイド版13巻以降に詳しく書かれています。徳川幕府成立から明治維新までの300年間を壮大なスケールと丹念な資料の読み込みから得た独自の歴史解釈、そして懐かしいギャグ満載で描いた『風雲児たち』こそ、現代の大人が読むべき教養書だと僕は思っています。」

minori.s289.net/ article/96778766.html より Orz〜
「♪〜シーボルト〜お滝さんとのロマンス〜♪
シーボルトは1823年長崎に渡米しました。シーボルトは来日早々長崎奉行の計らいで出島を出て日本人の患者を治療することを許されました。その患者の中に美しい女性がいました。シーボルトはこの美しい女性に心を奪われました。このシーボルトとお滝さんのロマンスの中、2人の間に生まれた娘イネは日本初の女医として知られています。
お滝さんは出島に入ることが出来ない、それで丸山の芸者置き場引田屋の遊女とゆうことにし、出島に入って2人は結婚しました。シーボルト29歳お滝さん17歳、シーボルトは故郷へ当てて「素晴らしく可愛い日本女性と結婚しました。決して彼女以外の女性を妻に迎えることはないでしょう。」と書き送っています。シーボルトは、お滝さんを熱愛し、日本で見つけたアジサイの花に「オタクサ」という学名をつけた。2年後、2人の間に女の子が生まれました。イネと名づけられました。

*「鳴滝塾」シーボルトの深い学識を知り、全国から続々と医学生が集まった。実地に即した臨床医学であり日本最高の水準であったと言われています。
出島で過ごしたシーボルトは任期が切れて、オランダへ帰国することになった。日本に残していかねばならない、お滝さんと娘イネのこと当時日本の妻と子どもは、法律上連れて行けませんでした。シーボルトは何とかともに帰国出来ないだろうか」といろいろな人に相談したと言われています。

        〜シーボルト事件〜
一時帰国を計画しますが、幕府の禁制の地図、徳川家の御紋入り羽織など〜を持ち帰ろうとしたことが問題となり〜出島に拘禁された。「日本に帰化して、日本人になります。と日本帰化を願い出る」が1830年永久国外追放の処分が決まった。お滝さんとシーボルトとの生活は6年半であったと言われています。お滝さんは幼いイネを背負い小船に乗ってシーボルトの乗った船が見えなくなるまで見送ったと言われています。
やがて時も過ぎ〜中国ではアヘン戦争が〜このままでは日本は占領されてしまう
シーボルトはペリーとも親交があり「どうか平和的に、日本に開国を進めてほしい」とぺリーに進言している1853年ペリーは黒船に乗って浦賀に来航、大砲をぶっ放し徳川幕府に開国を迫った。
やがて日本は開国してシーボルトの国外追放も消されて約30年ぶりにお滝さんやイネ、かっての弟子達とも涙ながらの再開をはたしたと言われています。
その後2年7ヶ月を日本で過ごしたあと故郷のドイツに帰り、67歳で病気で亡くなりました。
日本の自然と平和を愛したシーボルト臨の床で「私は美しいく平和な国へ行く」と呟いたそうです。
1969年お滝さんも体調を崩し死の床に昔シーボルトと食べたオランダイチゴを食べたいと〜
オランダイチゴを食べてこれで思い残すことはないと言って63歳で亡くなったそうです。

シーボルトとお滝さんとのロマンス〜
しあわせな時間はわずか6年半〜愛する2人を引き裂いてしまうとても悲しい出来事でした。
この時代日本人が外国に行くことも出来ませんでした。
無理やり愛する2人を引き裂く悲しい別れ〜今の時代にも語り告がれています。  」         

相手が異邦人ほどロマンスが生まれやすいのかな...^^?
相手がミステリアスである時空でのみ成り立つものが恋・・・?

画像:シーボルト
www.mirokuya.co.jp/ mlmag/archive/vol38.html より Orz〜
画像:稲本たきさん(シーボルト『日本』所蔵)とシーボルトおいねさん2才のときの像
www2.ktarn.or.jp/ ~kenchan//oine.html より Orz〜
「シーボルトのお抱え絵師 川原慶賀の筆になると伝えられる
現在、「シーボルト」の名は意外にも子孫の間では残っていません。
シーボルトの次女がブランデンシュタイン家に嫁ぎ、その息子(かれの名もアレクサンダー)が、飛行船建造で有名なツェッペリン伯爵の娘と結婚して両方の家名を継いでいます
シーボルト家の遺産を受け継いでいるのは、現在このブランデンシュタイン=ツェッペリン家のみとなっています。(現在ツェッペリン家は五代目、シーボルトの玄孫はコンスタンチン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン氏) 」

イネさんは、混血で碧眼の美人だったと伝えられてるようですね・・

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無人の山寺に自生している紫陽花も清楚で美しい。

2009/6/11(木) 午前 1:05 [ 草木の精霊 ]

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>草木の精霊さんへ ^^♪
そういう花鳥風月を愛でるこころが欠落してるのかなあ...^^;
羨ましいわたしです...^^; Orz...

2009/6/11(木) 午前 3:49 [ スモークマン ]

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北鎌倉の名月院・奈良の矢田寺、どちらも見事なアジサイの花……
みんな輝き咲き誇っている:,。*:..。o○☆*:*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:゚・:,。*:..。o○☆゚・
ホモサピエンスに助けられながら……

2009/6/11(木) 午後 10:22 [ 草木の精霊 ]

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>草木の精霊さんへ ^^
花も人に愛でてもらおうとしてるとは思わないけど...
愛でられて大切にされればきっと喜んでるに違いないって思いたい...♪

2009/6/11(木) 午後 10:36 [ スモークマン ]

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❀❀❀❀❀やさしいおことばにカンゲキ❀❀❀❀❀

2009/6/11(木) 午後 11:22 [ 草木の精霊 ]


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