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ラテン気質絡みでここ見つけた♪
けっきょく...経済状況&自然環境(風土)によって...人の幸せの形態って変わるのかもね...^^;?
互助で生きざるを得ない状況なら...自然とその最適化の生き方が濾過されて残ってるはず...
本来...人はその時間の方が長かった...だから...ラテン系民族の生き方がすてきで羨ましく思えるのは自然なことだし...その生き方は人の理に叶ってるはずだとしたら...幸せでないわけがないんだ...
妙に・不自然にリッチになるに比例して...本来の生き方と乖離していき...人は幸せ感から遠ざかっていってしまういびつな生き方になっちゃってる...^^;?
衣食足りて礼節(幸せな生き方)を忘れる・・・Orz...
http://kaze.shinshomap.info/series/paradise/09.html より Orz〜
画像も Orz〜
「冷戦が終わり、諍いも隔たりもない世界が広がる。そんな風に考えたのもつかの間、人々は以前よりも内向きに、自らの殻、国家や民族に閉じこもり始めた。これは一時的な反動なのだろうか。それとも、こうした息苦しさはこれからも続くのか。人々が国家や民族、人種という鎧を剥ぎ取り、自分自身になれる時代はやってくるのか。ジャーナリスト藤原章生氏が、世界各地の現場から、さまざまな人間との出会い、対話を通して考察する。
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最近米「タイム誌」2月7日号が「幸せの科学」と題する特集を組み、その中で、幸せ度数なるものを紹介していた。Richard LayardのHappiness: Lessons from a New Science (Penguin, 2005)という本を原典に、国民の平均所得と幸福の相関関係を示したものだ。ここで0%から100%で示される「幸せ度」は、自分自身を幸福または満ち足りていると感じている国民の割合を示したもので、あまり緻密なデータとはいえない。でも、個人が幸せと感じるかどうか、というのはあくまでも相対的なもので、絶対評価などないと思えば、これも「幸せ」を示す、当たらずとも遠からぬ数字なのだろう。
いわゆる欧米や日本など先進国の幸福度はいずれも80%以上で、中でもオランダが96%(平均所得2万4000ドル)と一番高く、以下、アイルランド(同2万2000ドル)、カナダ(同2万5500ドル)と続き、デンマーク、スイス、ベルギーなどが90%前後に団子のように固まっている。
団子の中にある唯一のアジアの国がシンガポールで、所得が同じ英国よりもやや幸せになっている。米国は所得は3万2500ドルと圧倒的に多いものの、幸せ度は同じく90%弱だ。
日本は所得がカナダや欧州諸国と同じだが、幸せ度はやや落ちて80%。なぜか、ドイツがぴったりとくっついて、その上にいる。
ちなみに、欧州のラテン諸国、イタリア(平均所得2万2000ドル)、スペイン(同1万7500ドル)は日本より収入が低いものの幸せ度は日本と同じ80%。フランス(2万3000ドル)はその上の84%だ。
欧州を見る限り、ラテンだからといって極端に明るくケロケロしているわけでもないようだ。ただ、この調査が面白いのは、途上国がかなりくっきりと分かれるところにある。
一番低い40%前後にいるのはロシア(同7500ドル)とウクライナ(同3000ドル)だ。私は両国ともよく知らないが、先入観だけでいえば、なんとなくその暗さはわかるような気がする。
その辺りにムガベ大統領の独裁で国がめちゃくちゃになったジンバブエ(同2500ドル)が並ぶが、どうしたことか同じ程度の収入の中南米は出てこない。もう少し上の50%付近には東欧圏が目立つ。
60%辺りを見ると、タンザニア(同1000ドル未満)、インド(同2000ドル)、ヨルダン(同4000ドル)と中東が顔を出し、中国(同4000ドル弱)がそこから突き出し73%となかなかの幸福度を示している。
ラテンアメリカは70%台後半から顔を出し始める。なぜか、景気も悪くなく一番自由そうなブラジル(同7000ドル)が76%と最も低く、チリ(同9000ドル)が日本を抜いて83%、「内戦とコカイン」と外向きには暗いイメージが漂うコロンビア(同6000ドル)は88%と日本人よりも幸せなのだ。ラテンの中では今ひとつ暗いメキシコ(同8500ドル)は89%と、欧州並の高さだ。
このラテンの幸福ぶりは、まさに「お金で幸せは買えない」という証(あかし)と言えそうだ。だとすれば、幸せを感じる能力も結局、遺伝子次第ということなのだろうか。つまり、生まれながらにして決まっていると。
ちなみに「タイム誌」は
「ラテンアメリカ人は人生の日の当たる部分のみを見ようとするから幸せでいられる」
と解説し、
「一方、東アジア人は人生の満足度を計算する際、人生における最悪の部分に重きを置いている」
とまとめている。
これも多分に類型的な見方という気がするが、何か一つでもいいことがあれば幸せと感じる人と、一つでも欠けていれば不幸と感じる人の違いだろうか。
英国の作家A S Byattも作品 Elementals : Stories of fire and Ice (Chatto & Windus,1998)の登場人物にこんなことを語らせている。
「世の中の人々は主人と召使、あるいは富める者と貧しい者の二つに分かれるのではない。常に不平を言う人と、どこにいても、どんな環境でも人生を楽しむ人に分かれるのだ」
・・・
ラテン人から「老後の不安」という言葉をあまり聞かないのもその辺の違いかもしれない。不安が大きくなければ蓄財も考えまい。「金は使えるときに使え。年取ったらもう使えないよ」とは、あるアルゼンチン人の言葉。でも、なかなかそんな風にはなれない。
それなりにお金が貯まりながら、古い車も買い換えず、月に一度の散髪代も「1400円の店でいい」とけちって、つましく病院の大部屋で死んでいった身内のことなどを思うと、「アッケラカーのカー」の方がはるかに幸せにも思える。でも、倹約し、子供もしっかりと育て、質素に生きるというのは、哀れである半面、いとおしくも思える。・・・」
我々が不幸せだと思える状況が当たり前の世界で生きざるを得ない人々にとっては...ほんのささいなことでさえもが...喜び・幸せになりえる...我々は...ある意味恵まれすぎてる世界に生きてることでそんな喜びに気付けなくなってしまったという不幸せな世界に生きざるを得ないのかも知れない...^^;
「富んだ人が神の王国に入るよりは、らくだが針の穴を通る ほうが易しいのです」。 (マタイ19章24節)・・・「太った豚より、やせたソクラテスになれ。」・・・ってのに通じてるよな...Orz...
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