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以下の囲碁関連のサイトを見つけた♪
http://members8.tsukaeru.net/senjukai/Zakki/StrongestPro1.html より Orz〜
「昔から著名なのはカミソリ坂田と石田24世名誉本因坊。プロ同士でも強いのだから当たり前だけど、それぞれのライバル、高川・藤沢、竹林・加藤・武宮らと比べてもアマに対しては桁違いの強さだったらしい。さらに付け足せば、木谷道場の師範代・梶原とチクン大棋士。梶原オワ先生はアマとの指導碁対局の序盤、40分ほどの大長考をしたと伝えられるし、チクン大棋士は本因坊10連覇の最中、アマ本因坊とのお好み対局で3子にまで追い詰めたという。今はリーグ戦の常連になった坂井秀至プロがアマ時代に3子の置き碁を嫌って対局を辞退したとか、中園アマ本因坊が自由置き碁で最盛期のチクン大棋士を撃破したとか、・・・アマに勝たせない“最強プロ”の要件は「くそまじめ」ではなかろうか。自分が価値観を抱く対象を前に、いい加減な妥協やなおざりを排して我知らず夢中に取り組んでしまう「青臭さ」と言ってもいいかもしれない。そしてこの性向を色濃く持ち合わせているのは、いわゆる団塊世代より上、戦中から戦後にかけての「貧しい日本」「虐げられた日本」を骨の髄まで味わった熟年の男性棋士だろう。だから大坂田、流水不争先の高川、石心梶原、反発・孤高の人・橋本宇太郎、変幻山部といった「昭和の大棋士」と言われるような名棋士はアマにめったに勝たせなかったのではないか。経済大国といわれて久しい今でも、飢えた世代の血を脈々と受け継いでいるように見えるのが、失礼な言い方かもしれないが、私的には敬愛を込めて呼びたい“不器用なオジサン棋士” たちだ。・・・さて、我が偏見をかき集めてようやく“最強プロ”ナンバー1の番になった。若いころから鬼才を恐れられ、今なお「般若」先生と称せられる酒井猛九段その人だ。ひと頃はリーグ戦の常連で目利きのプロの間で高い評価を受けていたらしい。・・・アマに対する強さと言ったら、「碁聖道策」を髣髴とさせるものがある。まず碁を打つ姿が違う。ピンと背筋を伸ばし表情は一切変えないし、つぶやくこともしない。石を持つ手はおそらくあまたの棋士の中で最も美しいだろう。細く長い指先がしなり、込み入った場所でもピシッと急所に石を滑り込ませる。・・・序盤に配された白の孤石は臥竜(がりゅう)。今は孤立していても風雨を得れば天に昇る。黒の陣内に白い鳥が舞い降りて産みつける卵は鳳雛(ほうすう)。時至れば巣を出でて黒陣を蹂躙する。中国の古典・三国志を目の当たりにする心地だ。もちろんこれは、私ごときザル碁に対してだけではない。県大会常連クラス、あるいは大学囲碁部出身の腕自慢に3子も4子も置かせて悠々と勝ちきってしまうのだ。これを「美」と言わずに、何をもって美を論ずればいいのだろう。酒井九段は高木祥一、福井正明、石田章、故・上村邦夫(敬称略)らと並んで「無冠の帝王」と呼ばれることがあった。誰しもが認める才能を持ちながら、大きなタイトルを獲得することはなく、時の覇者の引き立て役だったという意味では、近くは梶原、山部、遠くは幻庵因碩らの系譜と言えるのだろうか。・・・亜Q (2007. 3. 29) 」
プロは...指導碁では...ほんの少しだけ勝つようにするって聞いたことがあります...^^
相手をぎゃふんと言わせちゃったら...二度と呼んでもらえないからなんでしょうか...^^;? むかし...3人相手でプロの方に指導碁を打っていただいたことがありましたが...その頃いちばん弱かったわたしだけが勝っちゃったのを思い出しました...
みんなに不思議がられた...^^;v
とにかく...プロは多面打ちされるわけだけど...早い...一瞥で打たれる...♪
画像:カミソリ坂田 senseis.xmp.net より Orz〜
http://ja.wikipedia.org/wiki/坂田栄男 より
「坂田栄男(さかた えいお、大正9年(1920年)2月15日 - )は、囲碁棋士。東京都出身、日本棋院所属、増淵辰子八段門下、九段。本因坊戦で7連覇して本因坊栄寿と号し、23世本因坊の資格を持つ他、選手権制初の名人・本因坊、7タイトル制覇、タイトル獲得64回など数々の記録を持つ、呉清源と並び称される昭和最強棋士の一人。切れ味の鋭いシノギを特徴として「カミソリ坂田」の異名を持ち、数々の妙手、鬼手と呼ばれる手を残している。また布石での三々を多用した。・・・ニックネームとして「カミソリ坂田」の他、「シノギの坂田」「なまくら坂田」「攻めの坂田」などある。また全盛期には他の棋士との力の差の印象を「坂田は遠くなりにけり」とまで言われた。その傑出した実績から「大坂田」と呼ばれることも多い。高川格は坂田を苦手として多くのタイトルを奪われ、タイトル戦での対戦成績は坂田の14勝1敗になっている。また趙治勲は六段時に、日本棋院選手権で坂田への挑戦で2連勝後に3連敗して以降、坂田に12連敗し、大いに苦手とした。坂田が名人本因坊となったのは43歳の時であり、名人戦で23歳の林海峰八段の挑戦を受けた際には「20代の名人などあり得ない」と語ったが、2勝4敗で名人を奪われる。続いて林海峰に本因坊他のタイトルも次々と奪われ、投了目前の局面で「名人も取られた。何もかも取られてしまった」とうめいたとされる。・・・碁を知らない吉行淳之介、梶山季之らへ碁の手ほどきもした。」
画像:昭和最強と謳われた天才棋士 呉清源 raremono.petanote.com/ it/book-11168395.html より Orz〜
http://ja.wikipedia.org/wiki/呉清源 より
「呉清源(ご せいげん、1914年5月19日[1] - )は、囲碁の棋士。中国福建省出身、日本棋院瀬越憲作名誉九段門下。本名は泉、清源は通称名。一時日本棋院を離れて読売新聞嘱託となるが、現在は日本棋院名誉客員棋士。全盛期には日本囲碁界の第一人者として君臨し、「昭和の棋聖」とも称される。木谷實とともに「新布石」の創始者としても知られる。
・・・
「21世紀の碁」 1992年に、新しい囲碁の考え方として「21世紀の碁」を発表。「六合の碁(りくごうのご)」とも呼ぶ。囲碁は調和を目指すものとして、陰陽思想を取り入れ、「碁盤全体を見て打つ」ことを目指している。部分にとらわれずに全局的視野に基づく着手として、小目への二間高ガカリや、小ゲイマジマリへの肩ツキなどの手段を推奨し、研究会メンバーの王立誠や?廼偉などが多用して流行、定着した。・・・
画像:代表局 第二次藤沢朋斎十番碁第7局
5局目まで2勝2敗1ジゴと拮抗していたが、6、7、8、9局と呉が連勝して一気に打込んだ。藤沢との対戦の中で呉はこの第7局が一番の傑作としている。序盤左上、左下で呉の得意の定石ができ、中盤で黒が中央の白模様を荒らした後、白は下辺黒の大石を攻める。182手目の白1が棋史に残る妙手と言われ、これに黒が19に応じると18が利いて大石が死ぬ。実戦でも黒20となった時に白aの切りがあり、結局大石が死んで投了。1952年4月24-26日 呉清源 - 藤沢庫之助(先番) 白228手まで中押勝 」
画像:趙治勲 「「坂田栄男23世本因坊を抜いて最多タイトル獲得数の記録を更新中の趙治勲25世本因坊。7大タイトル戦の舞台への復帰が待たれる(2001年11月14日、タイトル返り咲きを決めた第49期王座戦第3局)」
http://hobby.nikkei.co.jp/igo/topics/2005.cfm?i=2005012709385go より Orz〜
「趙治勲25世本因坊は1956年6月20日韓国生まれ。6歳で来日、故・木谷實九段に入門した。68年4月1日に11歳9カ月で入段、史上最年少入段記録として未だに破られていない。・・・史上初のグランドスラム(公式7大タイトル制覇)、再三にわたる大三冠(棋聖、名人、本因坊の3大タイトル独占)、史上最多67個のタイトル獲得など数々の輝かしい記録を樹立。稀代の大棋士として多くのファンを持つ。通算勝数では林海峰名誉天元が27日現在、1265勝を挙げてトップ。加藤名誉王座は1253勝で、残念ながら林海峰名誉天元を抜くことは永遠に叶わなくなってしまった。...[2005年1月27日] 」
http://ja.wikipedia.org/wiki/趙治勲 より
「趙 治勲(ちょう ちくん、???、1956年6月20日 - )・・・棋聖8期、名人9期の他、本因坊戦10連覇の偉業により現役のうちから「25世本因坊」の称号を名乗ることを許されている。・・・徹底的に実利を稼ぎ、その後相手の模様に入ってシノギ勝負に持ち込む。読みの巧緻は随一であり、大一番に真価を発揮する。 極めて勝負にこだわる性格で、常に最強の手を打とうとし、非常な長考派として知られるが、同時に早碁でも多くの優勝歴を持つ。・・・4歳で碁を覚えわずか1年余りでアマチュア高段者並に。対局中、髪の毛をかきむしる癖がある。対局中、よくぼやく。小林光一によると、考えるリズムをとるためのもので、出る言葉はあまり当てにならないとのこと。調子を取り戻すと、ぼやきは止まる。かつては対局中マッチ棒をポキポキ折りながら考える癖があり、徳用マッチ箱を傍らに置いていた。ライバル小林光一とは、126戦して63勝63敗(2009年4月現在)と全くの五分だが、タイトル戦では多く勝ち越している。また126戦は同一カードとして史上最多記録。対局中、自らの打った悪手に腹を立て、脇息を投げ飛ばしてしまったことがある。自分の頬を叩く事もある。タイトルマッチ七番勝負(棋聖戦・名人戦・本因坊戦)の戦績は29勝9敗(2009年現在)。3連敗4連勝も3回達成している「七番勝負の鬼」。碁に対する執念はよく知られているが、一方で大盤解説、TVなどで見せる軽妙なトークにも定評がある。将棋が趣味。ネット将棋のハンドルネームは、将棋棋士の羽生善治と谷川浩司からとって「ハブタニ」であると明かしている。(語録 )「碁に負けると僕には絶望しかない」「厚いというのは地が多いことだ」「僕は五段になるために日本に来たんじゃありません」(15歳で五段に昇段し、「おめでとう」と言われて)「碁が弱くなっちゃいけない。麻酔だけは打たないでくれ。このまま手術をしてくれ!」(1986年 正月、交通事故で重傷を負った際、治療の医師に懇願。結局、下半身のみの麻酔で激痛に耐えながら手術を受けた)「後は女装して女流のタイトルを狙いますか」(グランドスラム達成後の就位式にて)「私が日本の碁に肩入れし、中国・韓国に負けてほしくないと考えるのは、日本のプレーヤーだから当然のことです。他に何の理由もいりません」「坂田先生の時代とはタイトルの数が違うので、全く比較にはならない。しかし数の上だけでも尊敬する坂田先生を抜いたことは、素直に嬉しく思います」(坂田栄男の持つタイトル獲得記録64を抜いた時に)」
http://stone.dialog.jp/voice/view/1768 より Orz〜
「時々「棋譜を並べるなら誰がいい?」という問いがあるが、ひとつの答えとして「坂田栄男と藤沢秀行を同時に並べる」というのが考えられる。
坂田栄男 - 家は建っていればいい。とにかく金を稼ぐ。
藤沢秀行 - 金は必要最小限でいい。とにかく家を頑丈に。
時代を経た今でも「厚み派と実利派」の両極は、藤沢秀行と坂田栄男である。
坂田栄男より速ければそれは「打ちすぎ」
藤沢秀行より遅ければそれは「緩着」
と考えて差し支えない。バランスのとれたひとつの棋譜を並べるより、両極端な棋譜を並べる方が分かりやすい。・・・」
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