|
画像:「メデューズ号の筏(いかだ)」(1818〜19年、491×716cm、油彩・画布、ルーヴル美術館蔵)テオドール・ジェリコー(Theodore Gericault)フランス。1791.9.26〜1824.1.26
ys2001hp.web.fc2.com/ yougo-ki_gallery.html より Orz〜
この絵は超有名なんですってね・・・^^;
知らなかったけど...以下のサイトの文章を読んで琴線に触れたもので...
jterap.jugem.jp/?eid=139 より Orz〜
「超有名な『メデュース号の筏』です。テオドール・ジェリコーはフランス・ロマン主義の先駆的存在としても知られる巨匠です。同派の偉大な画家ウジェーヌ・ドラクロワにも多大な影響を与えました。確かな写実的描写力に裏打ちされた、劇的な明暗対比による光の表現や、激しさや感情の瞬間を捉えたドラマティックな場面展開などの表現は迫真に迫っています。彼の作品の中に表現される狂気性、異常性、叙情性は後世の画家らにも大きな影響を与えました。人間的および政治的な面からジェリコーの関心を引いた社会的事件を描写しました。その事件とは、1816年に150人以上の乗組員を乗せた軍艦がセネガル沖で難破した事件です。しかしこの作品は公開時に物議と賛否を巻き起こしたのです。政治的な圧力を受け『メデュース号の筏』は人目に触れぬよう、ルーヴル美術館が意図的に買い取って作品を隠蔽したそうです。
メデューズ号の指揮はアンシャン・レジーム期の将校がとっていましたが、彼は20年以上も航海をしておらず、砂州への座礁してしまいます。救命艇の数の不足から、乗ることができなかった者たちは筏を作り、漂流が始まりました。13日に渡る血生臭い航海での生存者は最終的に10名に過ぎませんでした。
ジェリコーは遭難者の救出に向かった船が水平線に姿を現わしているのに、彼らを発見することなく遠ざかろうとしている場面を描いています。彼は見捨てられた人間の存在を描いているのです。彼らの絶望が胸に迫ります。」
見捨てられた人の...怒り/不信/絶望/虚無/死の覚悟...のようなものが漂ってる...まさに...漂流する自分にも似てる...^^;
画像:「これは1810〜20年頃に描かれたテオドール・ジェリコーという画家の
「白馬の頭部」という作品です。「ジェリコーは幼少の頃から大変な馬好きであり、
その熱愛は生涯変わることなく続いた。」・・・」
http://www.hacosuke.com/cgi-bin/nicky.cgi?DATE=200507?MODE=MONTH より Orz〜
画像:「エプソンの競馬」(1821年、92×122.5cm、油彩・画布、ルーヴル美術館蔵) より Orz〜
ys2001hp.web.fc2.com/ yougo-ki_gallery.html より Orz〜
同じ画家の絵とは思えない...それだけ振幅の大な自由度の大きな...現実と幻想との両方に囚われない...人だったのか...今の我々がみても違和感を逆に感じない絵ってことは...彼はその時代を超越してた...その時代の人々の感性よりも今の我々の感性に近かった...? それとも...われわれこそが...その時代の人々と何ら変わらぬ感性のままを生き続けてるだけってことでいいのかな...? そんなことを想うわたしの感性/発想こそが狭量なだけなんだろか...^^;
tkamio.at.webry.info/ 200503/article_27.html より Orz〜
「ジェリコーの絵には、馬がよく登場しますが、ジェリコーと馬は切っても切れない関係のようです。まず、出身がセーヌ川下流のルーアンで、ここは馬好きのひとならご存じのようにサラブレッド発祥の地ノルマンディー地方の中心都市であったこと。
・・・馬を描くのが好きだったから、それに「英雄」を乗っければ、とりあえずはやりの絵にすることができました。ナポレオンのロシア遠征の年にサロンにデビューします・・・さて、ローマでは、当時カーニヴァルで「バルベーリ」といわれる競馬の見せ物がおこなわれていたそうです。ここでのデッサンから馬と人間の群像的な絵画も創作されました。また、イギリスにダービーを見に行ってその風景を描いてもいます。ほんとうに馬好きの画家だったようですね。彼が才能を惜しまれて32歳で夭逝してしまったのも落馬が原因で病の床についた末だったそうです。
とまあ、馬好きのジェリコーですが、ロマン主義の旗手といわれた才能が遺憾なく発揮されたのは、王政復古後の 1818年にサロンに発表した《メデュース号の筏》です。さてここで、もういちど新古典主義、ロマン主義の違いをおさらいしておきましょう。
新古典主義:理性至上主義 理想の美を追求する 安定感
ロマン主義:感受性至上主義 個性的な美を追求する ダイナミック
ただし、どちらも古典美術を非常に意識しています。ジェリコーは、ダヴィッドたちのように、革命政府やナポレオンにとりいるような絵を描く必要は最初からなかったし、馬好きをあれだけ徹底的に表に出して自分の描きたいものを描いていたので、「ロマン主義」しようと思って「ロマン主義」したわけではないのですが、結果としてその天才的な技術もあったせいでロマン主義の最初の旗手となってしまったのでしょう。
1816年にメデュース号の事故という悲劇があったそうです。座礁した船の乗組員が筏で漂流したのですが、殺しあいがおこり死体を食べたりという惨劇が起こり、救助されたときには15人が助かっただけだったといいます。この事故の発端は、コネで地位についたような無能な艦長が採用されていたためで、王政復古後の無能な貴族の復権の問題を暴露したようです。彼は、この事件に衝撃を感じていたのでしょう。ローマでミケランジェロの《最後の審判》にヒントを得て、帰国後この惨劇を描きはじめます。ロマン主義者の彼にとって、この事件は、単に自分が悲劇をどれだけ芸術的に表現できるかのたたき台であり、題材でしかなかったのですが、サロンに出展すると社会批判と当然のように議論されます。そして、結局政府買い上げにはならず、彼は落胆し、以後サロンへの出展をしなくなります。
さて、ジェリコーで華開かなかったロマン主義を継いだのがドラクロワと説明しましたが、ドラクロワはどんな絵を描いたのでしょうか。ドラクロワも先輩ジェリコーと同じジロデのもとで学びましたから、ジェリコーを意識していたかもしれません。ドラクロワのサロンへのデビュー作は、ジェリコーの《メデュース号の筏》と出自が似ています。ロマン主義詩人のバイロンの参戦で有名なギリシアの独立戦争で、トルコ軍は地中海の小さな島キオス島に上陸し、無抵抗の島民を大虐殺しました。この惨劇に想像力をかき立てられて《キオス島の虐殺》を描きます。1824年という年は、面白い年で、まずジャリコーが死に、新古典主義衰退にとってかわろうと現われたロマン主義が終わるかと思われましたが、タイミングよくドラクロワがこの凄惨で劇的な絵でロマン主義の後継者としてデビューします。また、奇しくも新古典主義のほうも救世主としてアングルが《ルイ13世の誓い》というラファエロの絵のような美しい聖母が描かれている絵でデビューします。軍配は、アングルに上がるのですが、これ以後40年ほど美術界を2分する彼らの宿命的な対立の出発点になりました。
ドラクロワの《キオス島の虐殺》は、やはりジェリコーの絵と同じく酷評され、政府買い上げにならなかったのですが、彼は次の傑作《サルダナパールの死》をサロンに出展します。この絵はロマン主義詩人バイロンの詩劇から、残虐で知られた古代アッシリアの王の最期を想像し、自分の芸術はこれだとばかりに凄惨で劇的な絵として描き出しました。この絵と皮肉にも1枚だけ描いた新古典主義的な《民衆を導く自由の女神》が評価され、《キオス島の虐殺》とともに政府買い上げとなり、画家としての地位が確立されます。彼は、東洋趣味をとりいれ、イギリスロマン主義画家の光の効果を色彩で表現する技術をとりいれ、後の絵画に大きな影響を与えていきます。
前回解説したように、アングルが新古典主義を「社会のための芸術」から「新の美のための芸術」にたかめていき芸術の純化がおこってきたこと。ロマン主義のジェリコーやドラクロワが人間の極限状況など惨劇として描くために、人間を見つめ観察し表現するという芸術の態度を作ったこと。ドラクロワの絵画技術。これらが、時代を次へと動かしていきます。1852年にナポレオン3世の第2帝政がはじまり、芸術は再び華開こうとします。1855年には万国博覧会で、すでに大画家となり過去になろうとしていた2人の巨匠の大回顧展が開かれますが、この万国博覧会も奇しくも新しい時代の画家を世に登場させることになりました。
この博覧会の絵画展に応募したクールベは、その作品のことごとくを審査員に出展拒否をされ、抗議のために博覧会の目のまえの建物を借りて個展を開き、万国博と同じ入場料を徴収したといいます。彼は、東フランスの片田舎から出てきて、ほとんど無名、ロマン主義も新古典主義も知らず、ただただ自分の芸術に自信を持ち性格は戦闘的だったというとんでもない画家だったのですが。実は、彼の芸術が次の時代の芸術になっていくのでした。」
上のサイト興味深いなあ...^^v
クールベに続きそうな予感...♪
画像:ドラクロワ《サルダナパールの死》、1827-28年、油彩・カンヴァス、395.0×495.0cm、ルーヴル美術館
http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/08/ah/ah0810.htm より Orz〜
画像:「ルイ13世の誓い」 アングル
http://www.h4.dion.ne.jp/~mottod9/sub010-5newclassicism.htm より Orz〜
アングルの絵って...たしか...もっとエロチック/官能的だった記憶あり...^^;
またいずれ...^^v
|